心を癒す薬とは
今日も今日とて”偉大なる航路”を進むサウザンドサニー号の図書室。
そこには麦わらの一味たちが各々集めた本が所狭しと並べられていた。
その一室で医学書を読み進めていたチョッパーは部屋に入ってきたウタに気付く。
「お、ウタ。今日も一緒に勉強するのか?」
チョッパーの声に同じように本を読んでいたロビンが顔を上げる。
ウタは元々ある程度医学の知識や航海術を覚えていたとナミから聞いたことがある。恐らくルフィが旅立つ時に少しでも役に立てるようにと必死に覚えたのだろうと推測していた。
それを横で聞いていたルフィが「そうだったのかウタ!?」と驚いていたら、
「逆にあんたはなんで覚えてなかったのよ!!」とナミに怒られていた思い出もある。
その直後、「……ひょっとしてあたしがいなかったら、ルフィとゾロをウタが面倒みる羽目になってたの?」と固まってしまった姿も覚えている。
「ウタは勉強熱心だな!!」
「ウフフ、そうね。ルフィにも見習わせたいくらい」
そうした背景もあって、ウタは本を読む習慣が身についている。
しかし人形の身体では上手く本を読むのが難しいため、ロビンやチョッパーが手伝いつつ一緒に読書をするのが通例となっている。
流石にチョッパーが読む専門的な医学書やロビンの読む難解な本は余り理解が及んでいないようだが、それでも貪欲に知識を吸収しようとする姿勢を二人で微笑ましく見守っていた。
「そういえば、最近ウタも何か書いたりしてたよな」
自分はあくまで本から知識を得るのが主であるため、何かを書き出すというのは専らカルテなどだ。
なので、ウタがウソップに作ってもらった専用のペンで拙い字ではあるが何かを書き進めているということに興味を惹かれた。
何かを作っているのだろうか。それともナミが書いているような航海日誌のようなものなのだろうか。
そんな疑問を口にすると、ウタの代わりにロビンが口を開く。
「あれは楽譜じゃないかしら。そちらの知識には明るくないから確証はないけれど」
以前、ロビンも興味を惹かれて少しだけウタから見せてもらったことがある。
残念ながら自分には解読する知識がなかったために、それがどれほどのものかは理解できなかったのだが。
ロビンの言葉にウタは肯定するようなジェスチャーで答える。
「ロビン、正解みたいだぞ!!」
「あら、嬉しい」
そう言って三人で笑いあう。
「ウォーターセブン」で端を発した大騒動。それによって一時はバラバラになりかけた麦わらの一味はゴーイングメリー号との別れ、新たな仲間である船大工フランキーの加入、ロビンの正式な仲間入り、そして新たな船サウザンドサニー号による再出発を経て再び一つとなった。
もしかしたら、ロビンやウソップたちと別れたままになってしまうかもしれない。そんな恐怖を抱いていたチョッパーは、こうして再び笑いあえることを心の底から喜んだ。
「でも残念だなァ……おれ達じゃウタの楽譜を読めないぞ……」
「せめて音楽家がいれば良かったのだけど……」
ロビンとチョッパーは揃って困ったように眉を顰める。
残念なことに今の麦わらの一味には音楽に造詣の深いものがいない。辛うじてフランキーが弾き語りをしている程度だが、彼はノリと勢いでやっているので全く当てにならない。
ものは試しとロビンがウタの楽譜を見せたところ「すまねェ!! 全くわからん!!」と自信満々に言われた時は妙な納得があった。
勿体ない。チョッパーはそう思った。ひょっとしたらウタの作曲した歌はとんでもない名曲かもしれないのに、それを理解できるものも、歌えるものも、この船にいないというのは余りにも。
音楽に関して勉強しようにも自分たちにはそれぞれ叶えたい”夢”がある。
そのために冒険をしている中で、分野違いの知識を教師もなしで本格的に学ぶ余裕が果たしてあるかどうか。
何より、そうして学んだとしてもそんな半端な知識で真にウタの歌を理解できるのだろうか。”中途半端な知識”というものの恐ろしさが骨身に染みているチョッパーには、そんな迷いがあった。
だから、ウタの歌を理解してくれる仲間がいてくれないだろうかと切に思っている。
そんな時、ふと我らが船長がいつも話していることを思い出した。
「ルフィはずっと音楽家が欲しいって言ってるから、そろそろ誰か来ないかなァ」
「次に仲間になるのは音楽家かしら。もしそうだったら楽しくなるわね」
音楽家が仲間になる。なんて素敵なことだろうか。
そうしたらこの船はもっと賑やかになる。宴だってきっと楽しさが更に増すだろう。
「そしたらウタの作った歌もいっぱい聴けるようになるかなァ~!!」
「ウフフ…ええ、きっとね」
今はまだそこに存在するだけの歌を、いつか聴けるようになる。
そんな未来を思い描き、二人は笑う。
「ウタ、いつかお前の歌をいっぱい聴かせてくれよな!!」
まだ訪れていない、けれど必ず到来するであろう未来を楽しみに思いながらチョッパーはウタに笑いかける。
任せろ、と言わんばかりに胸を張るウタに未来への期待は益々増していくことになった。
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「チョッパー!! 悪いんだけど怪我の手当てお願い!!」
「ナミ?」
サウザンドサニー号、チョッパーの仕事場である医務室にナミが血相を変えて飛び込んできた。
何処か怪我をしてしまったのかとナミの身体を観察するが、傷らしい傷は見当たらない。
「もしかして…またウタか!?」
思い当たるのは仲間の一人であるウタのことだ。
長らく動く人形だと思っていた彼女は、悪魔の実の能力者によって人形に変えられていた人間だった。
「ドレスローザ」にて元凶を打ち倒し、元の姿を取り戻したウタだったが多くの問題が残っている。
「そうなのよ。人形時代の感覚が抜けきってないみたいで、怪我しても私のところに来て……」
人生の半分以上を人形の状態で過ごしていたため、ウタは人間の感覚を取り戻しきれていない。
これまで人形であったウタを直すのは手作業の得意なナミが筆頭だった。
その認識のまま、人間に戻った後もナミに”直して”もらうために向かったのは想像に難くない。
しかしウタはもう人形ではない。人間だ。”直す”のでなく”治す”でなければならない。
それはナミではなく、医者であるチョッパーの領分だ。
「今はロビンが応急手当してくれてるわ」
「う~ん……こればっかりはすぐに矯正できるもんじゃないしな……」
長年染みついた認識を変えるのは容易いことではない。
そもそも、人間であった頃よりも人形でいた期間の方が長いのだ。
完全に元の感覚が戻るまでにどれだけの時間が必要なのか、自分では想像もつかない。
それでも、根気よく付き合っていくしかないだろうとチョッパーは唸る。
「とりあえず、すぐに治療しよう。ウタを連れてきてくれ!!」
「ええ、ありがとうチョッパー」
チョッパーの言葉を受けたナミは素早く退室する。
その姿を見届けたチョッパーは治療のための準備を開始した。
「よし、これで後は傷口が塞がるまで安静にしておけば大丈夫だぞ」
「ごめんね、チョッパー……ナミにも迷惑かけちゃって」
治療を終えたチョッパーに申し訳なそうな顔をするウタ。
自分のズレた行動で仲間に迷惑をかけたことを悔やんでいるのだろう。
「気にすんな!! 仲間に頼られることを迷惑だなんて全然思わないからな!!」
「むしろもっとおれに頼ってくれ!! ウタは長年の生活でまだ普通の感覚を取り戻せてないんだ」
「だからもし普段と違うと思ったら、すぐおれ達に言ってくれよな!!」
これまでの境遇を思えば、ウタの心配こそすれど迷惑だと行動を咎めることなどするはずがない。
なるべく明るい口調で、内心に抱え込み過ぎないようにチョッパーは励ます。
「そういう意味なら今回のウタは偉いぞ!! すぐナミに言ったんだからな!!」
今のウタが思いつめて焦ってしまうことが回避すべき事柄だ。
焦りこそ最も警戒すべきもの。焦りは視野を狭め、思わぬ落とし穴に引っかかったりあらぬミスを引き起こしてしまう。
ただでさえ足元の覚束ないウタに下手な焦りを抱いてほしくない。
なるべく焦らないようにとチョッパーはウタに語り掛ける。
「こういうのは少しずつ取り戻していくしかないから、おれは幾らでも付き合うぞ!!」
本音を言えば、嬉しいのだ。
人形であった頃のウタとはよく遊んだり読書をしたり色々したが、彼女のボロボロになった身体を直すのは専らナミの仕事だった。
だからそんな彼女のために自分の学んだ知識を活用できることは、不謹慎ながらチョッパーにとって喜ばしいことなのだ。
「……ありがとう、チョッパー」
先ほどまでの沈んだ表情より幾分か明るくなったウタを見て、ホッと胸を撫で下ろす。
そのまま二言三言雑談をした後、傍で見守っていたナミに連れられウタは医務室から出ていった。
ウタを見送った後に片づけと診療情報をまとめる作業をしている時、ふと頭の中を一つの記憶がよぎる。
ドクターの死を見届けたドラム王国の元戦士長ドルトンから聞いた彼の最後の言葉を。
――人はいつ死ぬと思う?
――心臓を銃で撃ち抜かれた時…違う
――不治の病に侵された時…違う
――猛毒のキノコのスープを飲んだ時…違う!!!
――…人に、忘れられた時さ…!!!
ドクターの言葉で言い表すのなら、ウタは一度”死んでしまった”のだ。
家族からも友達からも忘れ去られ、声を上げることすらできなかった。
そんな状態は、まさにドクターの語る”死”そのものだ。
図らずもルフィが「ウタ」と名付けたことで完全に死ぬことはなかったが、それでも”死んでしまった”ウタの心の傷は自分では計り知れないほど深いものだろう。
だがチョッパーは諦めない。絶対にウタの心の傷を癒してみせる。
病んだ国を、その生涯をかけた研究の末に咲かせた”桜”で治療してみせたドクターのように。
「この世に治せない病気はない……そうだよね、ドクター」
おれは全ての病を治す”万能薬”になると誓ったんだから。
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♪見えるよ新時代が 世界の向こうへ さあ行くよ new world
歌だ。歌が聴こえる。
ワノ国の上空に浮かぶ百獣海賊団の拠点「鬼ヶ島」。この国を支配するオロチと”四皇”カイドウを打ち倒さんとする決戦の地に歌が響き渡っている。
「この歌……ウタなの!?」
近くからナミの驚く声が聞こえる。
先ほど勝利宣言をしたカイドウをとてつもない大きさの手で掴み戦場へ戻っていったルフィを見た時ほどではないとはいえ、その驚愕はかつてないものだった。
周囲から聞こえていた轟音もこの一瞬だけ止まっている。
皆、鬼ヶ島に響く歌声に聴き入っているのだ。それだけの力が、この歌には確かに存在していた。
「……ッ!!」
チョッパーの目から大粒の涙が零れ落ちていく。まだ戦いの最中、上空ではルフィとカイドウの戦いが続いている。
だというのに何故だろう。もう自分の中には負けるかもしれないとか、ルフィは勝てるだろうかとか、そんな不安は全て消え去っていた。
「ウ゛タ゛ァ~~~~っ!!!」
口を大きく開き、仲間の名を叫ぶ。必死に歌声を響かせている彼女に届くとは思えなくても、叫ばずにはいられなかった。
彼女がどれだけ頑張っているのかを知っている。
どれだけ必死に元の感覚を取り戻そうと努力したのかを知っている。
失った時間を取り戻すように、全てに喜びを感じていたのを知っている。
恐怖と不安に圧し潰されそうになりながらも、それでも必死に抗っていたのを知っている。
「ウ゛ゥ゛ッ……ク゛ス゛ッ!!」
ずっと見守っていた。ずっと支えてきた。どれだけ自分が力になれたのかは分からないけれど、彼女の傷を癒すために傍にいた。
そんなウタが今、力強き声を響き渡らせている。
「ウオオオオオオオ!!!」
未だその傷は癒えなくとも、ウタは強く生きていける。この歌声を聞いて、そう確信した。
だから自分は信じ続ける。彼女は皆を支えられる”歌姫”なんだから。
「ウ゛タァ!! 頑張れェ!!!」
共に過ごしてきた仲間。そして冒険の日々。
それが少しでも、彼女の心を癒す助けになったのだと信じながら。
♪キミが話した 「ボクを信じて」
雪に覆われた国に一人の藪医者が咲かせた”桜”のように。”夜明け”を告げる”太陽”が昇る時が来た。
闇夜に惑い暁光を待ちわびる人々を奮い立たせるかのように、歌声は広く高く響き渡る。
”世界に響く歌声”が今、病めるワノ国を癒す”新たな時代”の始まりを告げていた。