徒花、闇夜に塗り潰されて
ヤバい後輩がいる、という話は私たちの耳にも入っていた。
名前はセントリリス。当初はティアラ路線を進んでいたが、弥生賞を転機にクラシック路線へと乗り込んできた少女。
誰にでも好かれそうな常識人で、天性とも呼ぶべきセンスとカリスマに恵まれた、麗しき青鹿毛の娘。
最初の方は、精々メイクデビューを超えられただけの娘だと思っていた。なにせ初戦は辛勝、次走の阪神JFも惨敗。
笑顔で勝者を讃えてみせたスポーツマンシップにこそ舌を巻かれたが、せいぜい良いとこ重賞ウマ娘になれれば十分だろうと。
そう、軽んじていた。
間違っていたのは、私の方だった。というのも、私は……セントリリスが、彼女のクラシックレースの着差がどのくらいか、知らないのだ。
弥生賞・大差勝ち。皐月賞・大差勝ち。セントライト記念、菊花賞……ともに、大差勝ち。私は何を見ているのだと、我が目を疑った。
「ティアラ路線に挑戦していたウマ娘が皐月賞に出走するのは場違い、それでも頑張りたいんです!」
「晴れあるダービーの舞台に立てて感激です!」
「ついにこの舞台までたどり着きました!クラシック三冠路線の最終戦!」
それだけの勝利を刻んで……躙ってなお、余りにも立派で高尚な言葉を放つ。
どうせなら、少しくらい驕ってくれたほうが良かった。勝者は勝者らしく、全てを見下すくらいのほうが、まだ理解できた。だというのに。
「きっと何かが違えば私はここにいなかったと思います!」
「この舞台、それも素晴らしいウマ娘達が揃った今年のダービーで私が頂点に立てたことを心から誇らしく思います!」
「三冠を達成することが出来たのは──」
彼女は、どこまでも立派だった。誠実に振る舞って、周囲からの期待と称賛を浴びて。
菊花賞のインタビュー内容を覚えていないのは……次走がジャパンカップだと聞いて。あの"悪魔"と競い合うと知って。頭が真っ白になったから。
それでも、付け入る余地はあると思った。セントライト記念→菊花賞→ジャパンカップ、ローテとしてはまあまあ厳しいライン。
疲労も抜け切っていないだろうし、こっちがパフォーマンス出し切れれば勝てない相手じゃないって。
軽んじていたのは、私の方だった。
あの栄誉あるジャパンカップの舞台で。セントリリスの勝負服、その背中以外に。私の記憶に残っている内容が、ない。
逃げ切り大差勝ち、誰一人として彼女に追い付くことは……追い縋ることは、出来なかった。完全な敗北。
ああ、どうか。せめて惨たらしく無様を晒した私たちに相応しい幕引きを。そんな後ろ向きな願いすら、浮かび上がってきたというのに。
「先輩方の胸を借りることができとても有意義なレースになりました!」
……そうか。貴女はどこまでも、"そう"なのかと。
レースが強いだけならば良かった。容姿が美しいだけなら良かった。性格が立派なだけなら良かった。
彼女は"全て"を持っている。それはどこか、この世から隔絶された、それこそ神話の登場人物のように。
理解してしまった。彼女に勝つことは出来ないと。胸を掻き毟りたくなるほどの嫉妬に焦がれてなお、再び挑まんとする気概なんて湧いてこないと。
そうであるのならば。悪魔は悪魔らしく、全てを踏み躙って、勝って欲しいと。私たちの敗北すら些事になるような、闇夜のような一人舞台を見せて欲しいと。
そう、思っていたのに──
……どうして、私が先着している?
……どうして、セントリリスが、私の後ろにいる?
……どうして──
『は?だれ?うわー違うんだよなぁ』
『リリスちゃんに勝ってほしかったんだよなー』
『あーまじでなんでここで勝つの?』
──私は、勝ってはいけなかったの?