後宮パロ4ス断片

後宮パロ4ス断片




 ばたばたと、いつもお淑やかに歩く侍女の慌ただしい足音が、全ての始まりだった。

「こ、皇帝陛下がっ、突然お渡りに……!」

 皇帝陛下。一瞬誰のことか分からなかったのは、その座に収まる人がスレッタにとってそこまで遠い存在ではなかったからだ。

 この国を統べる人。政の全てを握る、この世で最も貴い御方。スレッタはそんな人の妻の一人で、敵対する小国から人質として差し出された貢物だった。

 皇后になるための後ろ盾もなく、渡る回数も少ない妃のはしくれ。夜伽の回数も他の妃たちに比べて少なく定期的で、あくまで外交のための義務というのは明らかだったのに⎯⎯⎯侍女の顔には、そんな困惑がありありと浮かんでいた。

 加えて、今回は事前の連絡もない突然の訪問だ。いつもは早ければ数日前から先触れを出すのに、どうして、こんな。

 談笑していたもう一人の侍女も、その報告に飛び上がった。時間は、もうまもなく、準備も何も、いくら主上といえどなにゆえこんな急に。そんな会話をぼんやりと聞いていたスレッタを、侍女の鋭い声が急き立てる。

「ゆとりはございません、せめて紅だけでも」

 言われるまま目を閉じれば、いつものように目尻に朱が差される。白の夜着の上から、後宮入りの際に賜った薄青の羽織をまとう。

 直後、部屋の扉が叩かれた。

「……は、はい」

 震える声で返事をし、片膝を折って礼をした。先触れのある『公式の』お渡りの際、お迎えするのは『皇帝陛下』だから、最上級の礼で迎えなければならない。昨日もそうだった、いつものことだ。⎯⎯⎯それなのに、何故だろう。膝が震えてしまう。

「……」

 沈黙が場を支配する。いつもならすぐ面を上げるよう言ってくれるのに。そう思っていた直後、静かな声が告げる。

「……面を上げて」

 心臓がはねた。⎯⎯⎯この、声は。想像していた明るい、人好きのする声色では無い。

 恐る恐る礼を崩し見上げた先、そこに居たのは間違いなく、スレッタのよく知る『彼』の姿が。

「ぁ……」

 かつり、一歩こちらに歩み寄った彼が、乱暴にスレッタの腕を掴む。驚いて固まる侍女と自らの侍従たちに、彼は冷ややかに告げた。

「何してるの。……早く下がってよ」

 氷点下の声に一瞬固まった彼らはしかし、逃げ出すように礼をして部屋を出ていく。見捨てられたような心地で愕然としたスレッタの体が、唐突に浮いた。

「ひゃっ!?」

 反射で、自らを抱き上げた彼の首にしがみつく。難なくスレッタを抱え上げたその人の足が向かうのは⎯⎯⎯寝台。

 さあっと血の気が引いていく。増す一方の嫌な予感に、喉の奥が嫌な音を立てた。

「あ、あのっ、エランさん……っ」

 そっと下ろす手つきは優しいのに、のしかかってくる彼の目は全くやさしくない。夜闇の中に不穏に煌めく緑の瞳が、スレッタをその場に縫いとめた。

「……なに?」

 落とされた言葉も、低く重い。じっとりとしたそれに泣きそうになりながら、必死に声をあげる。

「きょ、今日はどう、したんですか……? 急にこんな、先触れして来るなんて……そ、それに! どうして『彼』じゃなくて……」

 突然。『彼』の話題を出した途端に、部屋の温度がすっと下がる。細められた緑の双眸がスレッタを射抜き、むき出しの手がそうっと首に添えられた。

「……『あいつ』は、昨日きみのところに来たんだよね」

 あいつ⎯⎯⎯目の前の彼と全く同じ顔、同じ声をした『彼』は、現皇帝の双子の弟にあたる。忌み子として生まれてすぐ殺されるはずだった所を運良く逃れ、秘密裏に育てられていた彼には個人の名前も、当然戸籍だって存在しない。常に命の危険のある皇帝の影武者の一人として、ようやく生きることを許された人。

 そんな彼は、いわゆる『後宮用』の皇帝だ。スレッタのような敵国から来た妃に寝首をかかれないように、万が一があっても大丈夫なようにと用意された身代わり。⎯⎯⎯そう、聞いた。

「は、はい……」

 意味深に喉をなぞる指に怯えながら、何とかそう答える。相変わらず暗い瞳は、全く動かない。

「……何、したの」

 何。⎯⎯⎯答えようと思ったスレッタの脳裏に思い出される、昨晩の彼の言葉。

 今夜のことは内緒だよ、もちろん四号にも。⎯⎯⎯話したら、大変なことになっちゃうから。

「ぇ、えぇと……」

 目を泳がせた途端、また部屋の温度が下がった気がした。喉を撫でていた指が、意図を持って被せるよう首にかかる。

 少し体重をかければ、途端に呼吸ができなくなるような手つき。

「⎯⎯⎯っ、」

「聞いたよ。ついに辰星の姫が皇帝と契ったって……おめでとう。これで君も皇帝のお手つき、間違いなく妃の一人だ」

「そ、それは……」

 ぐ、と。苦しくない程度に手に力がこもる。⎯⎯⎯目の前の彼もまた、皇帝の影武者の一人だ。表向きの公務に出てくるのは『四号』と呼ばれる彼、らしい。スレッタが後宮入りした際に顔を合わせた陛下⎯⎯⎯親しい人からはエラン様と呼ばれるその人だけが御本人で、それ以外の時は大抵目の前の彼なのだとか。四号という通称通り、最初から数えて四人目の影武者。そう、本人から聞いた。

「……そう」

 否定しないんだ。黙り込んだスレッタに、彼は⎯⎯⎯スレッタが『エランさん』と呼ぶエランは、すっと首から手を離した。

「別にいいよ、詳細が聞きたかったわけじゃないから。……でも、これだけは教えて」

 触れるか触れないかの位置で、頬を指先がなぞっていく。ぐっと近づいた彼の吐息が、鼻先をくすぐった。

「……あいつは優しくした? それとも、酷くした?」

 深い深い瞳に、萎縮していた喉は素直に言葉を吐いてしまう。

「ひ、酷く……は、なかったと、思います。けど……やめてって言っても止まってくれなくて……い、意地悪で……」

 ぽつりぽつり落としたその言葉に、エランは小さく呟く。⎯⎯⎯そう。

「あ……あの、エランさん? 一体何を……っひゃ、あ!?」

 するりと腰紐をほどかれ、夜着の前が開かれる。こぼれ落ちた胸がふるりと揺れ、彼の眼前に晒された。

 慌てて隠そうとした両手は頭の上でまとめて押さえつけられ、膝を割った彼がその間に滑り込んでくる。

「や……っん、ぅ!」

 抗議の声は、そのまま彼の喉奥へと吸い込まれていく。重ねる、というよりは食べる、という表現が近いような口付け。息苦しいのに、怖いはずなのに、好きな人との初めての行為だと思えばその全てが幸福感に塗り変わっていく。

「は……っぅ、や」

「やめないよ」

 はっきりと告げられたその言葉に、目を見開いた。いつも過剰なほど気遣って優しくしてくれる彼らしからぬ言葉。

 唾液に濡れた唇を、艶めかしく彼の指がなぞりあげる。

「⎯⎯⎯やめてって言っても、止まらないから」

 再び降ってきた唇の熱に、全ては曖昧に溶けていった。





「いや、あくまでフリだから抱いてないよ〜って情報共有してなかった僕も悪かったと思うよ? でも、勘違いでも昨日破瓜したばかりの女の子に、まして処女相手にこんな無体を働くのはどうかと思うんだけど。……え? スレッタへの口止め? うっかり君にも知らされてない機密情報を喋っちゃったから、ボロ出さないために四号にも喋らないでねって言っただけだけど。出処探られてうっかりバレたら、僕もスレッタもおしまいだし。むざむざ死ぬのは御免だからさ。

それより、一体何したの君。この子、昨日僕が偽装のために一時間布噛ませてくすぐり倒しても気は失わなかったんだけど?」


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