後は二人の幸せを祈りたいと思います。
定時を過ぎ、ポピーちゃんも帰宅して後は細々した雑事をほどほどに片付ける時間。チリちゃんが委員長の執務室に決裁が必要な書類を持っていくと、オモダカさんに声を掛けられました。
「チリは何か不満があるのですか?」
「何の話です?」
「先程、アオキとの話を貴女達にした時に、不満そうな、含みのあることを言っていたでしょう?」
オモダカさんの言葉に、昼休みに話していたことを思い出します。昨日、あの後アオキさんとはきちんと話をして、ついでにお付き合いすることになったと。素直に喜ぶポピーちゃんに和みながらも、「まぁ、トップがそれでええならええんちゃう?」と、そう返したことを思い出します。
アオキさんに文句があるわけでは……ない訳でもないです。その気持ちが漏れていたことは否定しません。
「いや、昨日、早々にアオキさんは何をしたんかと思って」
「……多分チリが思っているようなことはしていませんよ?」
「え、いきなり手を出された訳やないん?」
「キス以上のことはされていませんよ」
「キスはしたんか……何かちょっといつもよりぼんやりしてる気がしたんで、早々にあれこれされて寝不足なんかと」
「寝不足に見えたのなら夜遅い時間に母に色々と聞かれたせいです。メールだけで済ませられたら良かったのですが」
オモダカさんの話によると、アオキさんが部屋に積まれたお見合い写真を見てかなり嫌そうにしており断って欲しいと言っていたので、母親にもう縁談は持ってこないで欲しいとメールを入れたのだそうです。そうしたら即折り返しの電話がかかってきて事細かに状況を聞かれたのだそうです。
「それでアオキさんのこと説明したん?」
「まぁ、既にアオキのことは知っていたようですが」
「え? そうなん?」
「多分チリのことも知られていますよ。あの人の情報網はどうなっているかは知りませんが、多分私に近しい人のことはチェックしているのだと思います」
オモダカさんは肩をすくめてそう言います。家族ゆえの気安さなのか、どこか砕けた表情を浮かべています。
ところで早々に親公認としたあたり、アオキさんの本気が見えるような気がします。着実に外堀を埋めているようですし、多分このままオモダカさんがお嫁にいってしまうのも時間の問題でしょう。交際とは言うけれど何となくそんな気がします。
何となく男運がないというか変な男にひっかかりがちなオモダカさんにしてはまだマシな部類に入るのか、実は一番ヤバい人に捕まったのか。そんな少々失礼なことを考えながらチリちゃんはオモダカさんを見つめます。
別にアオキさんが駄目だと思っている訳ではありません。やる気も向上心も見せない困ったおじさんだとは思っていますが、根は善良なのだろうと思います。きっとオモダカさんのことを大切にしてくれるだろうとは思っています。
ついひと月前まで子供の作り方も知らなければ、誰かを本気で愛することも愛を受け入れることもイマイチわかっていなかったオモダカさんに、無体なことをしなければいいとは思いますが。
そんなことをチリちゃんが考えていると、オモダカさんがぽつりと言います。
「けれど、個人的にはあのまま抱いてくれても良かったのですが」
「いや、ゴムとかなかったんちゃう? あの人日常的に持ち歩いてるよなタイプやないやろ?」
「ええ、そうなのですが。見ていてかなり辛そうにしているので。あんな顔をするなら好きにしてくれたらいいのにと」
「そんな理由で身体を差し出すもんやないで?」
「アオキの子なら産みたいから、好きにしていいとと言ったのですが」
「……は?」
オモダカさんの言葉にチリちゃんは思わず顔を顰めます。愛されるということがよくわかっていなかったオモダカさんがそこまで言っていたとは思いませんでした。
「今、初めてアオキさんに本気で同情しましたわ」
好きな女性にそこまで言われて流されなかったのは十分にオモダカさんを気遣えているように思います。初めて色々と知ったその日に危うくオモダカさんに実地であれこれ教え込もうとしたと知った時から、その後ひと月近くオモダカさんを避けていて少なからず下がっていた株が少し盛り返します。
ついでにオモダカさんも案外満更でもない様子なのを見て、若干オモダカさんのことを小さな子のように守らなきゃいけないというような気分になっていた自分を見直す方がいいと思い直します。性的な話についてはあまりに無防備なものだから忘れていましたが、別にオモダカさんは幼い子供ではないのです。自分の意思で何でも決められるでしょう。
それでも子供が好きでポピーちゃんのことをあんなに可愛がっているオモダカさんなら深く考えずにそう口にするかもしれないと、かすかに疑っていますが。
そんな時、ノックの音が聞こえ、オモダカさんが返事をする前に扉が開きます。そうして入ってきたのはアオキさんでした。
彼を見たオモダカさんはほんの一瞬、嬉しそうな、幸せそうな表情を浮かべます。すぐに表情を取り繕っていつもの業務中らしい表情に戻りましたが。
(思ったより、理解出来てるやないか)
思わず脳内でひとりごちます。何となく、二人に直接言うのは悔しかったので、口には出しませんでしたが。
そんなチリちゃんのことは気にせず、アオキさんはオモダカさんの様子を伺います。
「今日の業務はどうですか?」
「あとこれを確認して判を捺して、後は……」
「そんなん明日でもええんちゃう?」
「今日出来ることは今日のうちに終わらせますよ。少なくともこれくらいは。アオキは完全に終わっているのですか?」
「まぁ、急ぐ案件については終わっていますよ」
「私はもう少しかかるので、自分のデスクに戻って貴方も仕事をしていて下さい」
「じゃ、チリちゃんもデスクに戻りますわ」
アオキさんと共にオモダカさんの執務室から出ます。そうして歩き出しながら、アオキさんを見上げます。
今日も仕事の後に食事にでも行くのでしょうか。それとも、昨夜のリベンジをするつもりでいるのでしょうか。そう考えているとアオキさんもチリちゃんの方を向きました。
「……トップから、聞いていますか? 自分達のことについて」
「聞いてますよ。まぁ、プライベートなことやし、別に言う事はないですわ」
「チリさんの、個人的な意見としては?」
「トップが望んでいるならええんちゃう?」
「……望んでいるなら、ですか」
「トップがええっちゅうならチリちゃん個人としてもどうこう言う気はないですわ」
そこで一度言葉を切り、軽くアオキさんを睨みます。
「けど、トップを泣かせたら、承知せんからな?」
せめてそれくらいは言わせて欲しいと思います。
多分オモダカさんのあの様子を思えば、たとえ子供が出来ても喜ぶだけでしょうし、アオキさんに対しても遠慮なんてしないと思います。チリちゃんが心配する必要なんてないでしょう。それでもきちんとオモダカさんの意思を尊重して、幸せにしてあげて欲しいと思います。
「……善処します」
アオキさんはチリちゃんの目を見てそう言いました。普段は滅多に合わない視線が交錯します。アオキさんなりに真摯に受け止めてくれたのでしょうか。
けれども、チリちゃんが少し感心する間もなくまたすぐに逸らされます。いつもと変わらぬアオキさんに逆戻りしたことに苦笑いしながらも、チリちゃんは自分のデスクへと戻ります。
何はともあれ、言いたいことは言いました。
後は二人の幸せを祈りたいと思います。