待ち人未だ来ず……?
>>169<菱川選手、オリンピック後初の会見。涙のわけはメダルではなく?>
<菱川みくる「この勝利を捧げた相手なんていません」>
ベッドに転がり、スマホを眺める。
ブラウザを開いた一発目、検索欄の下にはそんなニュースがいくつも並んでいる。まったく、おすすめ表示機能にも困ったもんだ……下手にエゴサなんてするんじゃなかった。
記事の内容は読まなくてもわかる。この間の会見だ。
オリンピックの陸上と水泳で両方とも金メダル……新時代の二刀流なんてもてはやされたアスリート“菱川みくる”。
その帰国後初会見。冗談抜きで日本中が注目していたその場に、アスリートとしての菱川みくるはいなかった。
いたのは、高校三年間の思い出にしがみついたまま、何一つ成長していない……ただの“わたし”だった。
前兆は、日本代表選手一同参加の出陣式の時からあった。
何十台ものカメラ、政府のお偉い人たち、知らない競技の知らない選手。
そういうのに囲まれて、流石の私も、まぁ緊張した。大きい大会には何度も出ていたけれど、世間の注目度が違った。
そんな中にあって、私は「この場にお兄さんがいたらどんな顔して立ってるのかなぁ」、なんて想像をして……しようとして、できなかった。
もちろん「あれ?」ってなった。目を閉じてお兄さんの顔を思い浮かべようとして、やっぱりできなかった。
(その様子を写真に撮られていて、悪意ある記事を書かれたりした。エゴサでおすすめ欄が汚染されたのはこのせいだ)
それはともかくとして、その時、私は気づいてしまった。
……運命の人、お兄さんの顔を、忘れかけていることに。
そんなメンタル最悪の状態でよくもまぁ金メダル二個も取れたもんだと思う。本当にミラクルだ。
せめてフィーネちゃんやクリステンさん、のり子ちゃんにきりちゃん……高校同期の友人たちと少しでも話す時間があれば、帰国までに持ち直せたのに……居眠り疑惑記事のせいで監督からネット断ちを命令されてしまって……。
結果、メダルを取った時以上に最悪のメンタルのまま、会見に参加することになり……。
記者たちに悪意がないのはわかっている、私の過去なんか知りようがない。
でも、ヒビだらけのガラス状態な私のハートに、ノミを入れるような質問を飛ばしてくるのだ。
『メダルの喜びをだれに伝えたいですか?』
『これまでの競技人生で、一番の恩人、感謝している方はいますか?』
『ご家族にはなんと報告を?』
……忘れかけていることを自覚したくないから思い出したくない。
子供の我儘みたいに理不尽な心情など知る由もなく、無限にも思える質疑の応酬が続き……。
<五輪日本選手団、帰国会見で異例の事態>
<菱川みくる「ふつーにやっただけです」>
「……はぁ」
耐えられなくて、このザマである。
かくして、会見での失言、のち自宅謹慎を言い渡された私は、実家のベッドで干物と化していた。
よりにもよってお兄さんとの思い出だらけな実家なのが余計につらい。つらいが、味方のいない東京のマンションにいるよりはマシだ。事情も心情も知っている両親のやさしさが身にしみる。
鳴りやまないLINEの通知を無視してスマホの画面をスクロールする。
<菱川選手、恩人との涙の過去>
<菱川みくる「もういちどあいたい」>
<専門家に聞く アスリートのメンタル管理>
今度はそんな記事が出てきた。
実は、失言騒動には続きがある。
会見の前半で失言をしたのは事実だが、もっと話題になっているのは後半部分。涙ながらの発言のほうだ。
正直自分でも何を言ったのか正確には覚えていない。どこかの新聞が会見全文起こしをしていたはずだが怖くて見れない。
前半の失言を受け、一部の記者が意地悪な質問をしてきて、でももうお兄さんのことで頭がいっぱいかつメンタルブレイク状態の私は、思いつくままにお兄さんのことを話したんだったような……。
そこから勝手に感動のストーリーを想像されて盛り上がっているのは知っている。
やれ、高校時代に天才的な指導者に出会っただの、その指導者を自宅に居候させて兄のように慕っただの、二人三脚で才能を開花させただの、高校卒業と同時に死別しただの、あることないこと……。
<[独自取材]菱川みくるの高校時代のコーチとは?>
ついには出所不明の話をつなぎ合わせてそんな記事まで書かれてしまった。
多分、話したこともない同級生が訳知り顔が語っているのだろう、読むだけ無駄だ。
「…………んぅああああああ」
スマホを放り、ベッドの上で体を大の字にひっくり返す。
「…………わたしの、」
運命の人だった。
でもその顔も、声も、忘れかけている。
忘れかけていると認めたくなくて、思い出したくなくて。
でも思い出だけじゃ足りなくて。
「……わたしの、お兄さんなのに……」
会いたくて、仕方がなかった。