彼女の罪は

彼女の罪は



結ばれたばかりの夫と妻が同じ部屋で二人きりとなれば、甘い雰囲気となるのは至極当然と聞きます。

しかし、明かりの絞られた部屋の中にいるせいでしょうか。目の前で固く口を引き結ぶ彼の顔色は、随分悪いように感じるのでした。


「もしかして、緊張してらっしゃる?」

「いえ……」

妙に歯切れが悪い。例え緊張しているとしても、そこまで固くならなくともいいのに。そのまま黙り込んでしまわれたので、私も困ってしまう。

こちらから誘うというのは、やはりはしたないかしら……?




私の花婿選びが盛大に催された時から。

そこで初めて彼を目に留めた瞬間から、この人と一緒になれたらという願いが私の中にあった。

きっとあの方ならあの剛弓を引き、高くに浮かぶ的を射抜いて私を連れ出すだろうという確信があった。

だから、勇んで現れる有象無象の誰もが弓を引けないのを見て、こっそり喜んでいました。一人危うげな者が現れたら、咄嗟に難癖をつけて権利を剥奪してしまったり。

そんなことをした自分には驚いて、恋とは恐ろしいとも思いました。

本当に申し訳ないけれど、娶った後も他の男に傾慕されるよりは……最初にすっぱり断られた方が向こうのためにもなるでしょう……多分……と考えておくことにしています。


そうして確信通り、彼は私の手を取ってくれた。甘く優しい微笑みを向けてくれた。それはもちろん胸が高鳴りました。


そんな彼の細く長い指に、自分の手を絡めてみる。今では夫婦の関係、触れようと思えば触れられるところに彼はいます。

長年弓を引いてきたのでしょう、その手の皮は厚く、触れるだけで積み重ねてきた年月を感じるのです。それほど真摯に打ち込んだのだ、と誠実さを幻視してしまうのです。


けれどそうして触れた瞬間、少しだけ彼の手が跳ねた気がしました。「あ」と呻くような声が聞こえた気もしました。

とはいえ確信がないので、どうしたのですかと問い掛けることも出来ずにいると、彼はおろおろと視線をさ迷わせ。

それから、「貴女に、お話ししたいことがあるのです」と静かに言葉を続けました。


ただならぬ雰囲気であることは分かりました。

どうも、夫婦としてこの先に進もうというような浮ついた話ではなさそうです。


「この度は、その。我々はご覧の通り貧しい暮らしです。そんな我々兄弟の……五人の妻ということになってしまった。貴女には不満などあると思うのですが、」

「無いと言ったら嘘になるかもしれません。けれど、新たな生活への好奇心の方が優っていますよ」

「え……」

「だって、皆とても素敵なひとでしょう。こんなに素晴らしい夫を五人も持つだなんて贅沢を味わうのは、後にも先にも私ただ一人だけでしょうね」

「……」

「けれどアルジュナさま、貴方は特別に善いひとです。私を勝ち取ったのは貴方、私が胸打たれたのも勿論──」

「…………」

微笑む私と対称にますます彼の無言は重くなり、今にも意識を飛ばしてしまいそうな顔色になってしまった。ここまで来ると、私の勘違いとして片付けるのは難しくなってくるのでした。


「……アルジュナ、さま?」

「ちが、ちがう。違います。アルジュナさま、などと呼ばれるような男では無いのです、私は。貴女の夫である資格など、初めからないのですよ」

触れていた彼の腕が、微かに震えているのに気がついた。それは寒さにでも怒りにでもなく……純然な恐怖に震えているようで。

何がそんなに貴方を怯えさせるのです? あの弓を軽々と引き絞り、ほんの刹那であの的を射抜いてしまった生粋の戦士たる貴方が、何に怯えるというのです。

私に拒まれることですか? 何ら憂うことはありません。私はもう、貴方に溢れんばかりの慕情を抱いているというのに。

花婿選びに不正はありませんでした。あるとしたら私の思いの暴走です、一体何に貴方は恐怖しているのですか?

「……くくっ、あはは……ッ! ああ、あの男の方がよっぽど正当だ、なのに私は……私は……!」

「アルジュナさま」

「誰より気高く美しき乙女よ、どうか聞いてくれ。私は貴方に謝罪しなくてはならない!」

そして泣きそうな顔で、その人は自らの悪を明かす。今まで隠し通してきたのだろう柔らかいところを、出会ったばかりの私に開示する。


貴女の夫、アルジュナは女である。

男であると偽り、女の身で戦士の真似事をする不埒者である。


そう、彼女は口にしたのだ。




「ま……真の、ことですか」

動揺があった。面と向かってそう言われても、そうと理解した上で目の前の姿を見てみても、信じられない。

私と同じ性質の命だとは思えない。背は高く、すらりと伸びた手足に、端正で凛々しい顔立ち。低く穏やかな声は優しくて。弓を引く姿はあんなに美しく、雄々しく、神々も見惚れてしまうようなものなのに。

「ええ。私は男ではありません。信じられないでしょう、証拠をお見せしましょうか」

はらりはらりと上衣が落ちる。たったそれだけで、何だか目の前のひとが一回り小さくなったような気がした。

円やかな形になってしまう肩を装飾で誤魔化して、腹部は衣で厚みを足していた。晒された細く女性的な首は、荒く息を吐くたびに引き攣れている。勿論喉の膨らみは存在しない。


愛する人が自ら肌を晒す姿というのは、つい胸が高鳴りそうな場面なのに。こんなにも痛々しく思えてしまうのはどうしてでしょう。

次いで露わになったのは胸部をぐるぐると縛る布。明確に女の形を誤魔化すもの。

「……、……っ」

それを躊躇いつつ、強張りながらも一周ずつ外していく指先。

……そんな愛しい人の苦しむ姿なんて、すぐ耐えられなくなるに決まっている。


「待って! 信じます! 信じますから……! そんな苦しそうなこと、もうなさらないで!」

縋るようにその手を取って、強く指を絡ませる。血の気が引いて冷たい手を、しっかりと握りしめる。

もうあれを解こうとしないように。これ以上、かの人の手が恐怖に震えてしまわないように。


恋した相手が実は女で、女の身のまま戦士として戦いを望んでいるというのは理解した。私を娶らんと大勢の前で弓を引いたのには、打算的な意味合いも込められていただろう、とも察してしまった。

今となれば、「五人の妻」という立ち位置にも別の意味が感じられて。


「今更明かすなど、卑怯だと謗られて当たり前です。私のことは何と思っていただいても構わない。ただ、私の兄達も、私の弟達も……貴女が仰ってくれた通り、とてもよい人なのです。この私と違い、貴女を失望させはしません」

……失望なんてしていませんよ。この程度で、失望なんてするものですか。


「みな、貴女のことを愛しく思っている。私のことも愛してくれている。だからどうか、彼らのことは恨まないで欲し──」

「──あなたは! 二度と私と二人きりになることなく、ひた隠しにしておくということも出来たはず。しかしその誠実さ故に、私に全てを明かしてくださいました。それをなぜ恨む必要があるのでしょう?」

「ど、ドラウパディー……貴女、は……」


静寂。目を伏せ、俯く。細い肩を丸めて、か細く息を吐く。

その姿は、このまま消えてしまいたい、と悲鳴を上げているように見えた。

小さく縮こまって、自分が世界に存在する割合をほんの少しでも減らしたがっているように感じた。


「ええ、ですからね。そう怯えないでくださいな」

しかしこのドラウパディー、愛する人の存在が欠片でも減るなんて、許容出来るわけがありません。

大好きな人だからこそ、大切な人だからこそ、私は燃える恋を一度仕舞い込むことに決める。

だってこの方が私の恋情を悟ったら、それに対する裏切りを犯した自分を許せなくなってしまうだろうから。

人の恋心を弄んだ、と自分を責め立ててしまうだろうから!


「アルジュナさ……いえ、違いますか」

そんなことがすぐに分かってしまうくらいには、私はあなたのことが好きなのですよ。ね、アルジュナさま。

出会ったばかりの女にこんなに思われて、不気味かもしれないけれど。

私はあなたのこと、よく見ていたいし、よく理解したいと思っているの。


「ねえアルジュナ、きっと私達はよい友になれるわ。私ね、実は女友達というものに憧れがあったのです!」

「……、……?」

私の突拍子のない言葉に、愛しい人は困惑を隠せないままの顔を上げる。

そんな迷い子のように弱った顔にも愛しさが溢れて、胸いっぱいに抱え込みたくなるのだから本当に恋って大変だ。


あ。ちなみに、私は機を見逃さない女です。咄嗟に身を乗り出して、その顔を視界いっぱいに収めるくらいはさり気なくやってのけます。


「……ん。だからどうか、私と友人として付き合ってくれますね?」

「……!?」

さり気なく額に唇を落とされた彼女は目を丸くして、「わ、私などで良ければ……?」と頷いてくれた。少しは安堵したのか、ぎこちなく笑ってくれた。

それが私は、ひどく嬉しい。愛しい人が嬉しそうにするのは幸せなことです。


…………ああ、アルジュナさま。

大好きだから、だからこそ。ずっと、言わないでいますからね。

きっと死ぬまで、私達は固い絆で結ばれた友人ですよ。

Report Page