彼の旅とその終わり
───ただ、自分に期待されていることだけはわかっていた。
ソラ
もっと遠く、もっと宇宙へ。まだ見ぬ未知への渇望。人類は重力の楔を振り切るまでに至った。
しかし、それは決して安全なものではない。
太陽電池はフレアに削られた。リアクションホイールは環境に耐えかね故障した。
その旅の末たどり着いたのが、君だった。
「───あなた、だれ?」
回答はできない。自分に会話する機能はない。
この自我は誰にも観測されない。人間は自分に話しかけてくれるが、それは応答を求めてのものではない。
でも。
「僕はMUSES-C」
「君に会いに来たものだ」
不思議と、君とはつながれた。
結果的に名刺の代わりになったターゲットマーカーを送り、着地の練習を繰り返しながら、会話を続ける。
「イトカワ?私の名前?」
「ああ。人類は君をそう呼んでいる」
「あなたの名前と随分響きが違うわ」
「ん?……ああ。僕にはもう一つ名前がある。正式名称は以前にも告げたが、その後はやぶさと呼ばれるようになった」
「はやぶさ」
「───今の子は、なんだったの?」
「ミネルバ。僕が君に触れるためについてきてくれた機体だ」
「でも、あっちに行っちゃったよ」
「……そういうこともあるのさ」
「はじめて触れられたわ!」
「ああ。君に、初めて触れられた」
無理やりに言葉を返す。計測機器は着陸を感知できていない。この機体は今なお降下しようとしている。
君に触れたというのに、それがわからない。
「また離れちゃったの?」
「すまないな、もう一度だけ頼む」
仕切り直し。頼むぜ、人類。
「───ところでなんだけど。これでお別れ?」
「ああ。これが最後だ」
「そっか。じゃあ、約束して」
「限度があるが聞こう」
「私を忘れないで。あなただけじゃない、あなたを支えた皆に、私の存在を刻み付けて」
───ああ、絶対に。
宇宙はどこまでも厳しくて。燃料が漏れだした。身体が凍り付いた。太陽パネルはとんでもないところを向いている。
「クソ……ッ!」
意識が途絶えそうになる。ろくに通信もできない。
「平気?」
「────ああ、大丈夫だとも」
でも、大丈夫だ。
約束がある。託された願いがある。なら後は進むだけなのだから。
ようやくたどり着いた地球。カプセルを分離し、ふらついた機構に活を入れて、カメラを起動する。
「ふふ」
なかなか綺麗に撮れてるじゃないか。
大気圏に突入する。身体が砕けていくのを感じる。
この自我も飛散する。とうの昔に外部の観測はできていない。
カプセルがちゃんと飛んでいるのか。自分がちゃんと燃え尽きられるのか。
その答えはもう分からない。
「──でも」
「大丈夫だ」
それが最後の記憶。
第20号科学衛星MUSES-C/はやぶさの、誇らしい終わり。