彼と彼女と魔法少女

彼と彼女と魔法少女

※TS・魔法少女・クソボケ注意 なんでも許せる方向けだと思います

 その部屋の前に佇んでいる者を、便宜上「彼」とだけ述べる。主君のいと狂いたる采配により己のいろんなアイデンティティをメタメタにされつつある彼の尊厳に対する、僅かばかりの敬意であると受け取っていただきたい。

そう、アイデンティティ。人が生きていくために最も大切であるそれをより効率的に破壊する上で、最も簡単な方法は根本を崩すことである。さながら統一言語を塔ごと粉々に崩され、散り散りになったバベルの民が如く。

彼の場合、消えた塔は下腹部に所在していた。

それだけならばまだ良い––––これを「まだ良い」で許せるあたりにこれ以降積み重なる全ての痛苦の原因が見えるのではないかと言えなくもないが、本当に全体の基準で見れば「まだ良い」。なにしろ元に戻せるのであるから。

乱立する後継候補により国内において彼が占める価値は下落する一方。子供はグレるし、弟子は様子がおかしい。

家族だと思っている女子は近年になって現世の結婚系情報雑誌を読みながら「私もそろそろ結婚とかしたい気持ちも……ね!」と何を求めているのかわかりたくない眴をしてくるし、妹のように思っている友人の妹は最近現世で著しく年下の少年(※仮想敵)と密会するのに夢中である。

挙げ句の果てに先日長年仲が拗れに拗れ続けた友人が、長年引きずりに引きずった実りのない初片恋をついに振り切り詐欺の擬人化と交際を始めたとの報が飛び込んできた。もちろん、その間彼にはなんの相談も報告もなされていない。

力の九年も終わっていないというのに、世は末法を極めている。宗派的には強いて言えばキリスト教徒であるので、阿弥陀如来の救済も期待はできないことであろう。

いったい彼が何をしたというのか。強いて言えば雲霞の如く押し寄せる問題の波から目を逸らさないばかりで行動は起こせていないことが問題なのだと言えなくもないが、ここまでされる謂れもない。

 それら全ての受難(パッション)に後押しされし情熱(パッション)こそが、今の彼を動かす全てである。

そう、彼は疲れていた。

自らの側近が「あの方とはたまに部屋にお招きいただいて少々プライベートな話に興じることもございます」と述べていたのを耳にし、「つまり男が部屋に訪ねればそのまま連行処刑平和の礎のコンボ確定でも、女が部屋に訪ねれば至高のゆるふわパジャマパーティーが開宴するのでは…!?」などと差したイカれた魔(主要因:長期にわたるストレス性睡眠障害とそれに伴う判断力の低下)に全力で乗っかってしまう程度には疲れていた。

やぶれかぶれの者というのは、時に常識を超えた力を持つ。今の自分ならば、魂の栄養補給のために女体化萌え袖ふわもこパジャマで秘めたる思い人のベッドの上にぺたん座りしココアをくぴくぴ飲むぐらいは造作もないことである。そんなことを思いながら、彼は今まさに決戦の地となる(かもしれない)扉の前にかれこれ一時間ほど佇んでいた。


その後ろ姿を、目撃されるべきではない相手に目撃されていたことを知らずに。





「どうしたの?」

「……………………いえ……その……」

「何か、言いたいことがあったんじゃないの?」

「……………はい、あの、いえ……………ええと……」

「それにその姿は……」

「……あ、その。これは…………女子会…が……」

「なんて?」

「……ナンデモアリマセン」

 かれこれ30分ほど、この調子である。

扉の前で「ノックをするぞ」と念じながら棒立ちすること凡そ二時間。私室の扉の前に人が居座っている気配をいいかげん看過しきれなくなった彼女により、彼は見事計画の段階①であるところの部屋への侵入に成功した。実の所こんな事をしなくても普通に行けば入れてくれるし彼の上司も怒ることはないのだが、それを言ってはおしまいというもの。その戦略的勝利に喜ぶべき彼は、しかしながら死の淵にあった。

正気に返ってしまったのである。

一歩足を踏み入れた瞬間からなんかすごいいいにおいがするし、なんかもう部屋からしてやわらかくてふわふわでその上普段はなかなか見ることのない化粧気のない顔が目の前に配置されている。

狂気に身を委ねることで得ていた精神防御はこの段階で完膚なきまでに剥がされ、彼の身を守るものはこの計画のためだけにわざわざこっそり調達した萌え袖ふわもこパジャマだけとなった。

結果、彼は判別こそつかぬが無性に芳しいかほりに包まれながら女性の体臭、宇宙、そして万物に思いを巡らせている。

なお、その香りについては尋ねればちゃんと「このような匂いを体から放つ生物などいない。これはリラックスのために焚いているベルガモットである。頭大丈夫か」などと返答が与えられるのだが、無論彼にそのような行動を取る余裕はなかった。

精神的には涅槃の境地、ただし煩悩100%のその空間は、しかしながら唐突に終わりを迎えることとなる。



 突如ドアが乱暴に開かれ、ドスドスと存在感を主張するような音とともにそれは現れた。

「邪魔すっぞー」

「…こらっ!部屋に入るときはまずノックをし、入室の許可を得てからにしなさいと教えましたよ!」

「知るか、面倒くせェ」

誰だ貴様、と声をあげる隙も感じさせぬごく自然な動作でマグダレーナの腿の上に乗り、そのまま体重を”支え”の方へと傾けた少女は彼の方を一瞥し–––––

「フッ」

鼻で笑った。


 誰よその女、という定型文がある。彼にとっては今こそその言葉を使うべき時であるだろう。

全くもって見たことのない誰とも知れぬ少女であった。

実の所「誰とも知れぬ」も「少女」も大間違いであるのだが、その事実を指摘するものは現在この空間に存在しない。

本来このような状況に突入してツッコミを入れてくれる役割を期待されるであろう交際相手も、むしろ“特定の相手”に対する嫌がらせという目的を即座に察知し「使いな」と床下収納から実家で培った薬学の知識を元に作った毒物の瓶でも取り出して寄越すタイプである。どうあがいても絶望であった。


「(どこだ……どこから間違えた––––!?)」

 今のところ、一つたりとも計画通りに行っていないぞ…と、彼は眉根を寄せる。

計画通りに行けば自分は二時間半ほど前にはすでに部屋への突入へ成功し、今頃は悩み事を相談するという大義名分を以って心身ともに距離を縮めきっているはずだった。

現世からの資料によれば、女子会というものはなんかこう……くんずほぐれつ肉を揉みしだきあいながら腹を割って話しづらいことを話すものであったはずである。

なんか……こう……思ってたのと違う!

【例文】いいえ、あなたが見たそれは人間行動学の資料ではありません。どこぞのグレきったドラ息子が口八丁手八丁で生活必需品として輸入させた萌えアニメです。

結果、疫病でも流行っているのかと言わざるを得ないソーシャルディスタンスは微塵も縮まらず、本来目指していたはずの位置には見ず知らずの小娘が居座っている。

何を間違えたのだろうか。

人に聞けばまず「動けばいいと思うよ」とのお言葉をいただけるであろう問題に思考をフル回転させる彼の脳に、突如としてある啓示が舞い降りる。


眼前に鎮座する”少女”は紛れもなくうら若き乙女であり、対して自らの体はといえば小さく華奢なだけの成人女性。しかも経産婦。


「(つまり足りないものは–––––清らかさ!)」


 聖職者、ユニコーン、ディアナ、エトセトラエトセトラ…

古今東西、人間の間では清廉を美徳とし清純をこそ尊ぶというのは、聖なるものの類型である。

そして、目の前にいる存在は神にも等しい存在であることは疑う余地もない。

であれば、例に漏れず無垢なる子供をこそ愛するというのも不自然なことではないだろう。

ついでに言えば、先程の資料も女子高校生たちのゆるふわ部活ライフを克明に記録したものであると書かれていた。ここでも若さである。

つまり己の計画は初期も初期の段階から破綻していた、ということになるのだ。

なんということだ–––––と、彼は内心歯軋りする。完全に”詰み”ではないか!


 盛大な勘違いである。

実の所を言えば、彼女は大凡千年前に「きゃあかわいい」と抱きしめようとした際びっくりするほどの力で跳ね除け真っ青になって震えていた彼を、最近になってもうっかり体に触れるたびに「ン゛」と声を上げ体を跳ねさせる彼を、根本的に接触を伴うコミュニケーションを望まないタイプなのであろうと認定して接し方を修正しただけである。

今でこそその片鱗は見せぬようにと心がけてはいるがやはり虚と接するのは恐怖を伴う行いであるのか、それとも単純に誰であってもベタベタするのは嫌いなのか。できれば後者であってほしいな、と言うのが彼女の望みであった。

なんとも壮大なるディスコミュニケーション。人類文明の叡智であるはずの言語的コミュニケーションは、一体どこへ消えてしまったのであろうか。

 そんなこともつゆ知らず、目の前で勝ち誇る少女を前に彼は「完全に愛でられ慣れている者の動きだ……」などと分析を続ける。

いったいどこから入ってきたのだろうか。彼女は付き合いが無尽蔵に広い人であるというのは知っているが、今の帝国によその者を自由に出入りさせるほど軽率ではないのも事実。

奇妙な既視感に首を捻りながらも、しかしながら完璧な魔法少女セキュリティにより保護されて窺い知れぬプライバシーを突破できるはずもなく、彼はただ奥歯を擦り合わせる。

その様子を見てますます調子づいた少女がさらに体を擦り寄せ、いよいよ悔しげな様子を隠しきれなくなってきた彼を見下ろしにやつきを一層深める。

完全なる悪循環であった。


 では部屋の主であるにもかかわらず第三者となってしまった彼女は何をしているかといえば、「あらあら……」と困ったように眉を寄せるばかりであった。

求められれば与える者である。ゆえに、甘やかせという望みがあらばそうせねばならない。しかしながら、目の前で腰を浮かせたり降ろしたりを繰り返し混乱している様子の相手を放っておくというわけにもいくまい。

板挟みである。しかしながら、選択というのは遅くすればするほど方向修正ができなくなり致命へと至るもの。子イヌもそう言っていた。

「……今日はもうお戻りなさい」

今や首に腕を回しがっちりとホールドする体制となっていた娘(認知の歪み)が、優しく頭を撫でながら言って聞かせる彼女に対し「なんだよ」と抗議の声をあげる。

「どうせいつも通りダンマリ決め込んで終わるんだからいいだろ、あんなやつ」

「そういじわるしてはいけません。順番は守らなくてはなりませんよ」

「む」

まさに、物分かりの悪い子供に言って聞かせる母親の振る舞いであった。

疲労と色でボケきった旧友に己が立場をわからせるべく対抗を続けるなどという愛と正義の魔法少女らしからぬ振る舞いを咎める––––というわけでは全然なく単純に先着順で物事を考えているだけなのだが、ともかく、ここに乱入者の敗北は確定しつつあった。

というかもうお互いで会話してくれないかしら……あ、今セキュリティで正体わからないんだから無理だったわね、どうしよ……などと内心嘆息する彼女であったが、ここまで拗れた原因に自分が一枚噛んでいることには極めて無自覚なのは問題である。


「チッ……俺が見てねェ間に妙なことしたらブッ殺すからな」

 散々宥めすかされそれなりに満足したのか、あるいは「お前だって別にストレスで倒れてほしいと迄は思っていないでしょう」と囁かれたのが効いたのか。不服げな顔をしながらも立ち去ることに決めたらしい闖入者を横目で見送りながら、彼はほう、と安堵の息を吐いた。

結局自分は何もしていないのではないか?ということに思い至れるほどの冷静さを持ち合わせていないのは、この場合幸運なことであるだろう。



「アノ……」

「なあに」

「ア、ソノ…チカク……ヨッテモ…………イイデスカ」

「いいけど……?」

 肉体を経産婦にしたとて、中身の奥手が治るわけではない。闖入者の存在によりある種の冷却を経た頭は、「そういえば話したい内容精査してなかった、大丈夫かな」と怖気付くに至っていた。

彼の目の前にいるのはなんだかんだで(首から上に関しては要審議であるが、下の方は)満場一致で色っぽいとされる存在である。ずいずいと身を寄せられれば「ヒュイ」と声が出るのも仕方のないことであろう。

なお、この間の奇声・痙攣・挙動不審の全てが眼前の彼女からは「やっぱり怯えられているような…」と解釈されている事を彼は知ることはできない。自分のことで一杯一杯だからである。この二人のやりとりは、万事そんな感じであった。


彼がひゅう、ひゅう、と息を整え「実は相談が、」と声をあげようとしたところで––––

「聞こえない」と一層身を寄せられ、鼻腔にお風呂上がりの香りが侵食する。


意識が吹き飛んだ。キャパオーバーであった。

ここで理性の方を飛ばせないあたりに、彼が今日まで敗北を喫し続けてきた秘密がある。

とはいえやはり心身の健康状態は要因の一つであるので、世界が悪いと開き直るのも一つの手ではあるのだろう。






「目を開けて寝るなんて、器用にございますこと……」

疲れていたのかしらん。暖まったら眠くなりますよねえ、わかりますわかります。

ふんふんと頷き、彼女はガチガチに固まった体をゆっくり横たえてやる。

体をマットレスに、頭は腿の上に。いわゆる膝枕というやつである。


「一体なんの用事があったのかしらねえ」


また兄様が変な命令でもしてきたのかしら。安心しなさい、であれば私の華麗なおビンタが火を吹きますよ…!

推定有罪の容疑者に向けてぶんぶんとおビンタバトルの素振りを行いながら、彼女はふんすふんすと意気込みの鼻息を荒げる。その姿はまさに闘志あふれる高貴な小型犬といった風情であった。


「……そういえば、何故女の子なのでしょう」

へんなの…と零された問いは、返答を得ることなくアロマの中に蒸発していった。




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