『廃墟にて』
「……フゥ…フゥ……」
「……ルフィ…」
息を荒らげながら眠るルフィの額に滲む汗をウタが拭き取る。
ルフィの左肩と脇腹には、血の滲んだ包帯が痛々しく巻かれている。
今日、二人の前に現れた海賊と賞金稼ぎを蹴散らして逃げるとき、
躓いたウタを庇っての傷だった。
もし武装が少し遅かったら、左腕に消えない傷が残っただろう。
…消えないとは何だ?現にルフィは今苦しんでいる。
後遺症がなくとも、傷跡だってしっかり刻まれている。
あのとき、自分が体勢を崩さなければ。
ウタの中にあるのはその罪悪感だけだった。
…そして、何故体勢を崩してしまったのかも、分かっていた。
息の落ち着いてきたルフィを建物の中に寝かせておき、外に出る。
先程までは降っていなかった雨が、少しずつ落ち始めていた。
かつて小さな村があったのだろう、石造りの建物の名残が並ぶここは身を隠すのに良い場所だった。
おかげでゆっくりとルフィの手当ては済ませることができた。
崩れた瓦礫の、程よいサイズのものに腰掛ける。
上着をめくり、少し膨れた腹を擦る。
そこに確かにいるそれを確かめるように、ゆっくりと撫でる。
…妊娠、している。
いつだとか、相手が誰かとかは考える必要がない。
海軍から逃げることになったあの日の少し前、たった一度だけルフィと体を重ねたあの日しかなかった。
あの日から3ヶ月立ち、腹は食事を満足に出来てないにも関わらず膨れている。
既に月のものなど来てはいないし、貴重な食事が口に入りにくいこともある。
…何より、逃げる中で衰えずむしろ磨かれた自分の見聞色が、そこにある命を感じてしまっていた。
ウタは、ルフィとはまだこのことを話せていない。
見聞色だけならルフィよりもウタの方が強い。
もしかしたらまだ知らないかもしれないし、
知れば荷物と思われるかもしれない。
そんなありもしない可能性に怯えてしまっていた。
その結果がこれだ。
危うくウタは、最愛の人を己の過失で失うところだった。
「…しょうが…ないよね」
横にある、両手で持てるくらいのサイズの瓦礫を手に取る。
もう、限界だった。
天秤にかけた。最愛の人と、その人との間の新たな命を。
…そしてウタは、前者を選んでしまった。
「ごめん…ごめんね……」
ルフィを失うくらいならと、己の中の儚いそれを絶つことすらする己に吐き気がする。
それでも、ウタにとっては、すがれる存在はもうルフィしかいない。
「…ごめんなさい……」
こんな醜い女の元に呼んでしまったことを、ひたすら謝罪した。
「………バイバイ」
ひと思いに、瓦礫がウタの腹に振り下ろされ…
─伸びてきた拳に、瓦礫が握りつぶされた。
「えっ………あ」
何が起きたのか反応が遅れたウタの体にそのまま手が巻き付き、引き寄せられる。
縮んで行く手が、先程までの廃墟の入り口に戻る。
そこに、手の主が立っていた。
「……ルフィ……」
息を荒げるルフィがウタを引き寄せてそのまま抱きしめる。
「…ケホ…ウタ、お前何しようとした?」
ルフィが咳き込んでいる。
抱きしめてくるその体が熱い。
「ルフィ…熱……傷が開いて」
「何しようとしてた!?」
言葉を遮るようにルフィが叫ぶ。
誤魔化すことなど、ウタには出来なかった。
「……赤ちゃん…潰そうとした」
「………」
「…最悪だよね、妊娠したの話さずにいて、それで怪我させて…」
「………」
抱きしめるルフィの力が強くなっても、息が苦しいくらいに抱きしめられても、ウタの懺悔は止まらない。
「それで一人で終わらせようとして…ルフィの子供、殺そうとして…!!」
目からまた熱い雫が溢れていく。
「…それでも…!!ルフィが死ぬんじゃないかって怖くて…ルフィが危なくなるくらいならって…」
「………」
「…お願いだからルフィ…!!死なないで…ずっとそばにいて…なんでもするから…!!私、ルフィがいなきゃっ─」
…そこから先の言葉は、ルフィの口で封じられた。
塞がれた口からでかけた言葉が飲み込まれる。
しばしの口づけのあと、ルフィが口を開いた。
「ごめんな…子供のこと、ちゃんと話せなくて」
「…知って…たんだね」
「ああ」
それはそうだろう、ルフィとて見聞色使いなのだ。
それを抜きにしても、不審な私を考えれば難しくない答えだったのだろう。
「ウタは絶対離さねェ…子供も絶対守ってやる、約束する」
「…ほんと?また約束してくれる?」
「ああ、絶対なんとかしてやる」
そうはいったルフィだが、その手の知識がないことくらい
お互いわかっている。
この先、この命で大きな試練がいくつもあることも把握している。
それでも、それを捨てる選択などルフィにはなかった。
「………ありがとう…」
「おう…ほら、寝るぞ」
「…少し待って、包帯変えないと」
「大丈夫だぞ、こんくらい?」
「駄目、熱出てるし…やっぱり肩が傷開いてる…」
その後、傷の手当てだけをし直し、二人は今度こそ眠りにつく。
逃亡を始めてから、数少ない身も心も穏やかな夜だった。