床に散らばった手記

床に散らばった手記




かつてのシン・セー開発公社付近宙域での戦闘は遭遇戦の様相を呈していた。


互いに牽制するような対峙は短いもので、程なく相手方の退却確認とこちらの損傷確認の通信が簡潔に飛び交う。

任務続行可能と判断した部隊長は周辺施設の損傷の確認と内部の調査を命じた。


元々は前年大規模な戦闘が行われた周辺宙域の哨戒を兼ねた調査がメインの任務であった。

部隊の半数は施設外で警戒を、半数は調査のため中へ侵入した。


自分がこの任務に加えられた経緯は、前年の動乱、その中心人物達と面識があったからだとパイロットは考えていた。

かといって親しい間柄でもないのだがと、鼻白む心境で出発前に命令を受け取った。

奇跡的に稼働していた施設のエアロックをくぐる頃には、受けたからにはこなすまでと割り切りを終えて探索に取り掛かっていた。


振り分けられた区間の探索をほぼ終え、最後に狭い応接室とおぼしき小さな空間に踏み入ると、床に落下していた紙片が目に入った。ソファーの横に紙片の出所だろう物を発見する。


記録は各々の端末で間に合ってしまう現代では、懐古趣味というより骨董品と呼んだ方が相応しい、くすんだ赤い表紙の日記。


周囲には酸化した血液が飛散していた。

この日記の持ち主は負傷した際にこれを取り落としでもしたのだろう。

血液が滲み読めないものや、破り取られでもしたのかページの欠けたものが多く、解読出来そうな箇所は思いの外少なかった。


しかも紙の資料は偽造の懸念と保管の観点から提出資料として認められない。

よってパイロットがそれを手にしたのは純粋な好奇心からのみであった。

彼が日記を覗き込んだ拍子に、褐色の肌がパイロットスーツのバイザーから透けた。


・・・


Eの細胞から肉の器を造り出す。


羊水の代わりに私のエゴで満たされた胎盤からSは産まれた。この生殖にはナディムの意志すら介在していない。


ルブリス起動の解明を果たさんとする欲望からこの子を欲した。私だけでは充分に稼働出来ない。


出発地点から狂ってはいたのだと痛感している。


・・・


前回の経験から身構えていたが、夜泣きに困ることはほぼ無かった。


ミルクの飲みは気持ち良いくらい。

ゲップさせる際の吐き戻しは時々あるものの、心配する程ではない。体重も順調に増加している。


・・・


手首をくるりと一周する柔らかい窪み、その部分のしっとり湿った肌、授乳時以外でも漂う甘い匂い。指をやわやわとくすぐる生え揃い始めた頭髪。

こちらの指をきゅっと握って離さない小さな指、そこに備わった極小の桜貝のような薄い爪。


時折、失ったものを取り戻したような錯覚に陥る。


・・・


Eは酸味の強い生の苺を好んだが、Sは甘味料が多めのトマトペーストを好む。


「「ママの色!」」と張り上げる声が重なる。重ねる行為は愚かだと何回自らを戒めてきたか、覚えてはいない。


・・・


後継機起動成功。


・・・


5才の誕生日前後から、Sに吃音症の傾向が見られるようになった。意地の悪い老人に指摘されることもあったようだ。


吃音症は指摘されると本人も意識してしまうため更に症状が固定化されることが多い。

エアリアルと過ごす時間の長さも関係あるかもしれないと頭の片隅に可能性として置いておく。


老人達に指摘しないよう頼み込む案を飲み込んだ。伝手はあるとは言え、周囲との摩擦は避けた方が良い。


Eはどちらかといえば物怖じしない性質で、周囲の大人と積極的にコミュニケーションを取っていた。

受け入れられていた場所と厭われている場所。環境の差か、或いは魂の。


重なる部分と重ならない部分を拾い上げ並べるのは意味が無いと戒めることすら虚しくなっている自分に気付く。


・・・


聞き分けが良すぎる。Eの年令を越えてからは手探り状態だ。


吃音も気になるが、私の前ではなりを潜めてしまう。実際どの程度か押し計れない。

……このままで、良いのだろうか。


・・・


エアリアルによる人命救助の活動を開始。コクピット内でのSは比較的落ち着いている様子。


・・・


11才の誕生日が近付いた頃、Sが初潮を迎えた。情緒に比べて肉体の生育は標準値のカーブ上方を描いている。時期としては順当ではあったのだ。


腹痛を訴えていたため鎮痛剤を与えベッドで休ませる。薬が効いたようで、やがて規則正しい寝息が部屋を満たしていった。


安らかな寝息を聞きながら自分の内側で何かが音を立てて崩れていく音も同時に聴いていた。


生殖を行う生物ならば当たり前の現象。

自然の営みから外れ造られた生命にも平等に与えられた繁殖の機能。


あの子はその当たり前すら経験せずに終わった。


搾取する側と搾取される側、その枠組みの狭間で捻り潰された。

添い遂げると誓った伴侶も、心血を注いだ理想も。奪い取られ踏みにじられて爆発の閃光の中へと消えた。


沸き上がったのは理不尽だ、という怒り。それは胸を突き破らんばかりに膨れ上がり嵐のように身体中を駆け巡っていく。


あの子が享受すべきものを代わりにこの子が享受しているという思考が頭から離れない。

エゴから造られた子に怒りの一部を向けている。それこそが理不尽なのは理解している。それでも嵐は収まらない。


Sは萌芽を迎えた下腹部を庇う姿勢で眠っている。その子宮内壁からは経血が徐々に剥がれ落ちている。


まるで呼応するように、こちらの下腹部から生温かいモノが太股を不快に伝い、滴り落ちていく。足元に水溜まりを作りながら、嬰児が流れるように何かがひっそりと息絶えた。


それは人として欠落させてはいけないものだったのだろう。


・・・


反抗期の兆候は薄い。薄いというよりはほぼ無い。


・・・


11才からSの誕生日を共に祝ってはいない。多忙を盾に接触の機会を減らしている。対峙してしまえば理不尽だという叫びが理性を焼き切っていく。


金属の仮面を身に付け始めた。叫びを抑え込む拘束具。こんな小道具を装着しなければ向き合うことすら出来ない。


「「おかあさん」」


さみしい思いをさせてしまっているのね。もう少し待っていて。


・・・


アンチトード対抗理論完成。


・・・


偽名を使った水面下での活動を更に活発にしていく。


目の前の子があの子と同じ顔で笑う。

面影を追う。

沸き上がる目の前の子とあの子への罪悪感に何を今更と嗤う。


……罪悪感?まるで心というものが残ってでもいるようなことを。


・・・


長期間の孤独と、その後の僅かな、しかし濃厚な親子としての労りとコミュニケーション。


砂漠で長らく彷徨った旅人がコップ一杯の水を瞬く間に飲み干すように、こちらからの愛情に似た何かを必死に貪っている。私の糸巻きの毒の針。手入れを怠ってはならない。


・・・


元々あちこちに火薬庫が散らばっているようなものだ。必要なものはそこへの導火線、後は戦う道具。宇宙にも地上にも、絨毯を敷き詰めたように爆煙と炎が広がっていくだろう。


……搾取する側もされる側もその枠組みも、全てその中で粉砕され燃えてしまえばいい。


ありったけを全て注いだ。

温かい感情の残滓を肉の器へと。

知識と経験の蓄積を鋼の器へと。


私のエゴから造られたこの子。それを軸として更なるエゴを積み重ねていく。

おあつらえ向きに開いてくれた扉から、まるで陵辱をするように膨れ上がったエゴの塊をねじ込んだ。


この子がエアリアルと共に周囲を染めていくのを眺めている。それは傷口から滲む血液が包帯を侵食していく様子に似ていた。


「「お母さん」」


もう何も聞こえないし見えないの。判別出来るのはこの子とあの子は別の存在であるということ、それだけ。


・・・


ただひたすら痛みを与えること。当時を知る者には葬り去った物の重さを痛感して貰うこと。知らぬ者にはただのとばっちりでしかないもの。


時間は逆さに流れることは無く、割れたグラスは戻らない。ヴァナディースという揺りかごには戻れない。そもそも望んでいないのだ。


人に絶望しきった者が人の未来への扉など開ける筈が無い。先生、貴女は何故それを抱き続けていられたのですか。


・・・


自己肯定感の低さ。エアリアルへの依存。私への盲信に近い親愛。兆候に気付きながら放置していた。


復讐の念が燃え上がってからはそのまま利用している。


戦火の絨毯が宇宙と地球に敷き詰められた後、この子は連れていく。製造者としての責任は果たすつもりだ。


ブラックボックスの片割れ。細胞の一片まで解析され尽くすであろう有り様が目に浮かぶ。あの子と同じ螺旋に触れさせてなどやるものか。


・・・


ふと白く華奢なイメージがよぎる。

ミオリネ・レンブラン。デリングの一粒胤。小生意気なお嬢様。


お伽噺、小さな子供に与える夢。

夢が壊れる過程を何度も見てきた。

その果てに私自身が毒の林檎を携えた魔女へと成り果てた。

スレッタ、私の毒林檎。


もしもあのお姫様が毒の林檎をバリバリと丸ごと喰らいつくしても平然としていられるならば。

もしもあの娘と一対の強固な車輪のように堅く繋がり髙山を踏破するように生きられるのであれば。

あるいは連理の翼のように共に果てまで羽ばたいて行けるものならば。


この子が生きられる余地がこの宇宙にあるかもしれないと夢想する。


……仮定しか並ばないフェアリーテイルなど愚の骨頂。そんなあやふやなものは広がる戦火に炙られ、燃え上がり灰になるだけだろう。


灼熱に赤く焼けた靴を配る。履いた者がくるくると踊るさまを同じく真っ赤に焼けた靴を履いて見守っている。


どちらの足がより早く燃え尽きるか、自らの肉が焦げる臭いを嗅ぎながら見つめ続けていく。


私が燃え尽きるまで私の中の嵐は止まない。


・・・



伸びやかな筆記体で綴られていた文章はその書体とは裏腹に、喉から溢れた喀血をべっとり塗り広げて書かれでもしたような印象を読む者へと与えた。


時々記された名はあの水星女のもの。

記した者はおそらくインキュベーション会場でヘッドギアの下からこちらを嘲っていたであろう、あの女狐。


一瞬激情に従い床に叩き付けようと腕を振り上げたが、思い留まる。


のうのうと動乱を生き延びた水星女にこれを読ませたらどんな表情をするか。

取り乱しでもすれば溜飲も下がるだろうと、常に所持しているハンカチでそれを包み、パイロットスーツのポケットにそれを収めた。


思考は既にスレッタ・マーキュリーに日記を投げ付ける算段をどう整えるかへと移行している。

ラウダ・ニールは荒れ果てたかつてオフィスであった場所にもう用は無いとばかりに足早にその空間を立ち去った。



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