幼児退行
カワキのスレ主見えざる帝国
『————これは……』
久方ぶりに「見えざる帝国」へ帰還したカワキは目前の光景に首を傾げ、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
——大の大人が揃いも揃って馬鹿みたいにその辺で、はしゃぎ回っている。
『一体これは何の騒ぎだ』
「で……殿下! おかえりなさいませ! その……これは、ですね……ええと……」
『……精神系の能力が暴発でもしたの?』
「詳しい説明は陛下から——ああ! 喧嘩はいけません!! 申し訳ありませんが、火急の事態ですので失礼します!」
適当な者を捕まえて訊いてみたが説明は要領を得ない。
それどころか後ろで団員同士の殺し合いが始まりかけ、仲裁に消えていった。
『……私闘が解禁されたのか? “詳しい説明は陛下から”……だったか。どういう心境の変化があったのやら……』
何はともあれカワキは一旦部屋に戻って軍服に着替えると様子のおかしい騎士団員たちを無視して玉座の間へ向かった。
その道中、見知った顔が見知らぬ態度で絡んでくることもあったが、カワキは自分には関係無いと言わんばかりの冷めた態度でスルーする。
『————陛下、ただいま戻りました』
「おぉ……カワキか! よく戻った、お前の帰りを待ち望んでいたぞ……!」
玉座の間ではどこか疲れを感じさせる声がカワキを出迎えた。
小首を傾げたカワキが顔を上げるとここにも様子のおかしい男が一人——
「ほら、ハッシュヴァルト。見ろ、カワキが帰ってきたぞ」
「………………」
『………………』
人見知りする幼児のような態度でこちらを伺うハッシュヴァルトと無表情のカワキが無言で見つめ合った。
沈黙に包まれる中、ハッシュヴァルトが堪らず視線を逸らすとカワキが訊ねる。
『? ハッシュヴァルト? 言いたい事があるならハッキリ言ったらどうなんだ』
「……ぼ……ぼくは……、……あの……」
『…………?』
常とは異なり、自信なさげにオドオドとした態度であちらこちらに視線を泳がせて口籠もるハッシュヴァルト。
首を傾げたカワキを見てユーハバッハが重い口を開いた。
「……戸惑うのも無理はない……これには深い訳がある」
◇◇◇
「…………という訳だ」
『成程……? つまり、著しく知能が低下しているという事ですね』
首を捻りながらもざっくりとした経緯を把握して、カワキが話を纏めた。
「カワキ……帰って早々に悪いが、お前にハッシュヴァルトの世話を頼みたい……」
少しばかり倫理観が崩壊していようともカワキはやっと帰って来たまともな大人、それも騎士団員を武力制圧可能な人材だ。
これ幸いとユーハバッハは幼児退行したハッシュヴァルトの世話を申し付けた。
(子どもの世話なんて一護たち相手にしかしたことは無いんだけれど……)
そう思いながらもカワキは命令に従い、ハッシュヴァルトの面倒を引き受けた。
——世話……とはつまり死なせなければ良いのだろうか。
ひとまず玉座の間から移動し、二人きりになるとハッシュヴァルトはカワキの顔色を伺うようにモゴモゴと口を動かした。
「……えっと……」
面倒を見ると言っても何をすれば良いかわからなかったのでカワキは酒を煽りつつハッシュヴァルトを眺めることにした。
「そ……それ、なにのんでるの……?」
『酒』
「……お酒っておいしい?」
『ああ。……ハッシュヴァルトも欲しいのか?』
「ええっ! ぼ、ぼくまだ子どもだから、お酒なんてのめないよ!」
どうやら自分のことを本当に子どもだと思い込んでいるらしい。
下手に指摘するのも面倒でカワキは話題を変えようと、ハッシュヴァルトとの記憶を辿った。
——ハッシュヴァルトは人に説教をするのが好きだった。それから、頻繁に食事を作らされたり剣の鍛錬をして……————
『……ああ、そうだ』
何か思い出したように声を上げたカワキにハッシュヴァルトがビクッと反応した。
カワキは気にした様子もなく立ち上がるとハッシュヴァルトに語りかける。
『鍛錬をしよう』
「それって……弓の練習のこと? ぼく、弓は…………」
『弓? 君の武器は剣だろう?』
「……え? 剣が、ぼくの武器?」
己の武器まで忘れたか、とカワキが溜息交じりに指摘しかけて思い立った。
これは知能低下状態での戦闘力への影響を調べる良い機会かもしれない。
「……滅却師なのに剣を使うの、駄目って言わない? 弓が下手なんてって……」
『言わないよ。私だって剣を使う』
「————滅却師なのに?」
目を丸くして、どこか表情を明るいものに変えたハッシュヴァルトが瞬きしながらカワキに問い掛けた。
胡乱な目を向けてカワキが溜息を吐く。
『“滅却師は弓しか使わない”なんて古臭い伝統だ。今の君の世間は狭いんだね。……それで、剣の鍛錬は?』
「————! ぼく……剣、やりたい! バズと一緒に最強の滅却師になるんだ!」
何だかよくわからないが、突然、態度や機嫌が上向いたハッシュヴァルトを見て、カワキは己の選択は正解だったと頷いた。
自分の子ども時代を振り返っても鍛錬の記憶ばかり……子どもは誰しも力を求め、何かしら鍛錬に打ち込むものなのだろう。
『バズ……? まあ、やる気があるのなら何でも構わないよ。修練場に行こう』
「うん!」
◇◇◇
結果として、判断力は落ちているものの戦力としては問題なく使えそうだ。
ひとしきり剣を交えた後、カワキは一服してそう結論を出した。
「おねえさん、すごく強いんだね……!」
紫煙を燻らせるカワキをきらきらした目で見るハッシュヴァルトに、記憶が無いとわかっていながらも語りかける。
『……私の剣は君が私に教えたものだよ、ハッシュヴァルト』
「ぼくが……? …………ううん……よくわかんない……」
頼りなく眉を下げたハッシュヴァルトは未だに記憶も知性も戻らないようだった。
ふぅと細く煙を吐き出しながらカワキがその様子を眺める。
暫くして、顔を上げたハッシュヴァルトがカワキに問い掛けた。
「ぼく、最強の滅却師になれるかな?」
『……さあ。ただ、そうだな……私はまだまともな君に剣で勝ったことは無いな』
「! それって……」
パッと顔を明るくしたハッシュヴァルトに、吸い終えた煙草を灰皿に捨ててカワキが言う。
『休憩は終わりだ。続きをしよう』
「うん! 頑張る!」
***
カワキ…この状態だと小言を言われないし上機嫌で鍛錬に付き合ってもらえるので、「まあ良いか……」と思い始めている。戦力に影響が無いなら幼児退行なんてどうでも良い。人の心が無い事が功を奏した。
幼児退行ハッシュヴァルト…ちょっとした勘違いからカワキに懐いた。カワキのことを「ちょっと無愛想だけど強くてぼくらの夢を応援してくれるおねえさん」だと思っている。「強い」という点しか合ってない凄まじい勘違い。