幼い歌姫との邂逅
10スレ目87東の海・ドーン島の端に位置するフーシャ村。普段はのどかで平和な村なのだが、そんな村へ近づく一隻の海賊船があった。
釣り場からその船を確認した漁師の少年—ルフィは船に掲げられた海賊旗を見てにわかに立ち上がり、留めておいた釣竿もそのままに、船が停泊するであろう港へと向かった。
村人たちも物珍し気に近づいてくる船を遠巻きに眺めていた。村を代表して船を迎え、海賊と相対する気だった村長を制してルフィが前に出る。
船がゆっくりと港に入ってきた。
「シャンクス!何しにきた!!」
掲げられた海賊旗から、ルフィはこの海賊船が誰のものかわかっていた。海兵時代に何度かやりあったことのある赤髪海賊団—“赤髪”のシャンクスの船だ。世間では穏健派といわれているが、海賊など信用できない。
「———何よ、あんた」
てっきりシャンクスが出てくると思っていたら、船の手すりから顔を出したのは紅白の髪をした女の子だったのでルフィは拍子抜けした。
「子どもォ?」
女の子はせいぜい10歳くらいに見える。赤髪海賊団にこんな子どもが乗っているとは知らなかった。純然たる驚きからの反応だったが、女の子は馬鹿にされたと感じたらしい。見るからにムッとして、危ないと止める間もなく手すりの上へ立ち上がり、手に腰を当てて精一杯えらそうに見せる。
「あたしは赤髪海賊団の音楽家、ウタよ!立派な海賊なんだから。バカにしないでよね」
女の子—ウタがそう言うと同時に、停泊したはずみで船が揺れた。
「わ、わ」
案の定バランスを崩したウタがたたらを踏んで——踏み損なって船から落ちる。周囲の村人たちから悲鳴が上がる間に、ルフィは反射的に駆け出していた。ウタが地面にぶつかる前に滑り込んで抱え込む。
「大丈夫か?」
ルフィが声をかけると、ぎゅっと目を瞑っていたウタがようやく目を開けて、キョロキョロ辺りを見回し、
「……?……あっ、えっと…あ、ありがとう……」
状況を把握したらしく、お礼を言った。大丈夫そうなので地面に下ろす。…顔が赤いが、熱でもあるのだろうか。そんなことを考えていると、上から降ってきた声に意識が引き戻される。
「よう、ルフィ」
顔を上げると、麦わら帽子をかぶったシャンクスが船上から覗いてきていた。
「娘が世話になったようだな、ありがとう」
「……娘?」
聞き返すと、シャンクスは黙って指をさす。それを辿った先にはウタがいた。まだ顔を赤くしてもじもじしている。
ルフィはもう一度シャンクスに視線を戻して、
「むすめェ!?」
思いっきり叫んだ。
赤髪海賊団はしばらくの間フーシャ村を拠点に航海するらしい。どうやら害意はないようなので、ルフィも放っておいた。が、慣れ合うつもりはない。退役したとはいえ元海軍だ。海賊と仲良くする気など毛頭なかった。かと言って、海軍基地に通報するほどでもない。どっちつかずの中途半端な状態だった。
根本的に今のルフィには“気力”というものが欠けていた。
かつて海兵だった頃は強くなって人々を守れるのが嬉しかった。———だがあの時、天竜人の横暴を止められず、見過ごすしかできなかったことで自分の中に一本通っていた“信念”というものがぽっきりと折れてしまった。海軍に引き留めようとする祖父と大ゲンカして、故郷のフーシャ村に戻ってきたのだ。
それからは漁師として釣りをしたり、たまに山賊が村周辺にいるので追い払ったりという刺激も代わり映えもない生活をしている。村の人々もルフィがどういう経緯で村へ帰ってきたか知っているので、必要以上に口出ししてはこなかった。
そんな、ルフィにとっては平穏な生活は突如終わりを告げた。———ウタによって。
「ルフィ!やっと見つけた!!」
「………」
赤髪海賊団がやってきた日からというもの、ウタは毎日ルフィの元へやってくる。そして赤髪海賊団の一員になれと言ってくるのだ。シャンクスたちも止めるどころか囃し立てるので最悪だ。
今日も釣りをしていたらウタに後ろから声をかけられた。振り向かずとも誰かはわかっているので無視すると、とうとうウタが飛び掛かってくる。
「なんで無視すーるーのー!」
「だーっ!!離れろって!魚が逃げるだろ!」
「ルフィ、どうせ一匹も釣れないじゃん」
ぐさり。子どもの容赦ない言葉がルフィを突き刺した。分が悪いのはわかりきっているので反論するのを諦めてウタへ向き直る。
「……で?何の用だよ。海賊にはならねェぞ」
「んー、今日は違うの!お話したいと思って」
改まって何の話かと思っていると、
「ルフィって好きなこととか趣味とかないの?」
と唐突に聞いてきた。
趣味、と言われても。思い返しても、幼少期からガープにジャングルへ放り込まれたり風船をくくりつけて空へ飛ばされたり谷から突き落とされたりと、好きなことをしている暇がなかった。海軍に入ってからも鍛錬ばかりで、しいて言えば食事が好きだが…。それはウタの求める答えではないだろう。
答えに窮しているのがわかったのか、ウタは眉をひそめている。ルフィは開き直ることにした。
「急に何だよ」
バツの悪さから、ウタから視線を逸らしながら言うと、ウタは大きなため息をついた後立ち上がる。
「だってルフィ、いっつもつまんなさそうなんだもん。好きなこととか一緒にやれば、楽しそうになるかなーって」
そう言って「あーあ」、と小石を蹴飛ばす。ルフィは思いがけないことを言われて、呆然とウタを見た。
「……おれ、つまんなそうにしてるか?」
自分ではそんなつもりはなかった…というより、表に出していたつもりはなかった。天竜人の件で心が折れてしまってから、何をするにも“楽しい”や“嬉しい”と感じなくなっていたのは事実だ。しかしそんな状態なのがわかると皆に心配をかけてしまう。ごまかすため、ルフィは村に戻ってきてからはなるべく表情豊かにふるまっていたつもりだった。
ルフィに聞かれて、ウタは「うん」と頷いた。
「……目ざといんだな」
隠していたことを見抜かれてしまった居心地の悪さから少し嫌味な言い方をしてしまう。しかしウタは特に気分を害した様子もなく、「当然でしょ」と胸を張った。
「あたしは歌姫。みんなを楽しませるエンターテイナーだよ。お客さんみんなが楽しんでるかどうか気を配るのは当たり前なの!」
「……そういえば音楽家って言ってたっけか」
赤髪海賊団がきて数日経つが、今更ようやく思い出した。
「そう!あたしは赤髪海賊団の音楽家!歌姫ウタだよ!!」
高らかに宣言し、ウタは目を閉じてすう、と息を吸い込んだ。
「———この風は どこからきたのと…♪」
伸びやかに紡がれた歌声に、ルフィは目を瞠った。
きれいだ、と思った。歌声も、のびのびと歌う姿も。
———これから自分は何にだってなれると信じている、幼いが故の汚れを知らない心も。
それはかつてルフィが失ってしまったものだ。ウタの姿を見ていて、この子の心が折れるところは見たくないな、と漠然と思った。
やがてウタが歌い終わって、「どうだった?」と目を開け———ぎょっとした。
「えっ!?なんで泣いてるの!?」
「え?」
ルフィが自分の頬を触ると、確かに濡れていた。知らない間に泣いていたらしい。ウタに言われるまで気づかなかった。ゴシゴシと手で拭っている間にも、ウタは心配そうに覗き込んでくる。
「ダメだった?あたしの歌……」
「いや……———」
そんなことはない。ウタの歌で心が動いたから泣いたのだ。「感動した」、と素直に言おうと思って……やっぱりやめる。言わなくてもわかるはずだ。
「おれが今つまんなさそうに見えるか?」
試すように尋ねてみるとウタは目をぱちくりさせたが、やがて満面の笑みを浮かべてルフィへ抱き着いた。
幼い歌姫は、観客の心を正しく見抜いてくれたようだ。
*次の話