幼い世界

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原作アニメ24話あたりのマユ→アスランの印象

アスラン本人は出てきません

11歳にとっての正義や恋愛観、世界の狭さを意識しました



狭いコックピットの中で、マユは気もそぞろにタッチパネルを弄っている。ソワソワと落ち着かない心をなんとか抑えようと格納庫に来たが、どうやら無駄な努力だったらしい。これ以上の作業はやるだけ無駄だと判断し、マユは大きく溜息を吐いた。


今、アークエンジェルにキラとカガリはいない。

数時間、ミリアリアという女性から秘匿通信が入り、その件で外出しているからだ。


アスラン・ザラ。


名前しか知らないその人が、キラ達へコンタクトを求めてきたらしい。事情を把握していないマユを置いてけぼりに、艦内はその一報に大きく賑わった。アスラン・ザラの話題に沸き立つ周囲に、マユだけはその空気を共有できない。そんな仲間外れな状況に悔しさを感じたマユは、なんとか話についていこうとクルー達にアスラン・ザラがどのような人物なのかさりげなく聞いて回った。


聞き込みから得た情報をまとめると、アスラン・ザラはキラの幼少の頃からの幼馴染みであり、元ザフトのエリートパイロットであり、先の大戦で共に戦った仲間であるらしい。しかも、乗った機体はあのジャスティスとの事だ。


───なにそれ、すごい!


ジャスティスについてはもちろんマユも知っている。2年前の侵攻でフリーダムと共にオーブを守り、そしてヤキン・ドゥーエでは三隻同盟の一員として戦った赤いモビルスーツだ。当時は一般人だったマユはそれくらいしか知らないけれど、あのフリーダムと並ぶ強さを誇った伝説の機体である事くらいは理解している。そんな伝説の機体に乗っていたパイロットが、遂にアークエンジェルに合流するのだ。これが興奮せずにいられるわけがない。


そして、マユが興奮している理由がもうひとつある。アスラン・ザラの話が艦内を駆け巡った後、どうしても様子が気になったマユはブリッジまで足を伸ばしていた。その時、一番大きなリアクションをしたのがカガリだったのだ。

最初、何故カガリがあんなに動揺していたのかマユには分からなかった。だって、集めた情報の通りならば一番喜ぶべきは友人であるキラだ。しかし当のキラは落ち着きのないカガリをなだめる側。いや、キラだけではない。ラクスも、マリューも、バルトフェルドも、皆カガリへ見守るような視線を向けていたのだ。

皆の反応がいまいち理解できず首を傾げるマユは、ふとカガリが先ほどから忙しなく手をさすっている事に気付く。いや、あれは手をさすっているのではない。左手の薬指にはめられた指輪に触れているのだ。

その光景を見た時、マユは唐突に理解する。


───アスラン・ザラはカガリ様の恋人なんだ!


いくらマユが幼くても、左手の薬指にはめられた指輪の意味くらい理解している。先ほどから落ち着きの無いカガリの様子と、しきりに触れられる薬指の指輪と、そんなカガリを見守る周囲の反応。間違いない。モルゲンレーテで噂されていた「ボディーガードの恋人」はアスランだったのだ。

どうやらアスランは仕事でプラントを訪れていたが、その隙をセイラン家に突かれカガリは大西洋連邦との同盟や政略結婚を強行されたらしい。なんという悲劇だろう。戦争のせいでプラントと連絡が取れなくなり、恋人はあわや別の男と結婚させられそうになっていたなんて。きっとアスランも気が気でなかったに違いない。もしかしたら、花嫁を救い出すという大役を幼馴染みに取られたと憤慨しているかも。


そう思ったらマユはなんだかおかしくて笑ってしまいそうだった。どんな人かは分からないけれど、キラの友人でカガリの恋人ならば、きっといい人に決まっている。そしてキラと並ぶほどの凄いパイロットである。会ったらどう挨拶しようか。どんな話をしようか。モビルスーツの操縦について教えてくれるだろうか。もうすぐ会えるはずの新しい仲間に、マユは興奮を抑えられない。どんな人だろう。でもきっと、喜ぶカガリの笑顔でアークエンジェルはこれまで以上に明るくなるはずだ。そう、心から信じていた。



結論から言えば、マユの期待は裏切られた。

アスラン・ザラは現在ザフトに復帰しており、アークエンジェルには、オーブには戻らないと宣言したらしい。その事実もまた艦内を即座に駆け巡り、マユの元へと届けられる。


───なんで?


マユは途方に暮れた。だって意味が分からない。ザフト軍に復帰してる事も、キラ達の手を取らなかった事も、カガリの元に帰らなかった事も。


───なんで?


仲間ではなかったのだろうか。キラとは幼馴染みで、親友で、肩を並べるほど凄いパイロットではないのか。

カガリと恋人同士で、互いに愛し合っていて、指輪を贈ったのもマユの勘違いだったのだろうか。

たまらずマユは艦内を走る。どうしても理解できなくて、誰かに答えを聞きたかった。でも、誰に聞けばいいんだろう。誰ならばマユを納得させる答えを持っているのだろう。


グルグルとまとまりのない考えが頭の中で堂々巡りしていた時、展望デッキの向こうに人影を見つけた。


「カガリ様……」


そこにはカガリがいた。デッキの大きなガラス窓からぼんやりと海中の景色を眺めている。その姿に普段の溌剌とした明るさは無く、一目で意気消沈しているのだと理解できた。

思わず、マユは足を止める。だってこんなカガリにアスランについてなんて聞けるはずがない。こんなに落ち込んでいるのに、悲しんでいるのに、その心に踏み込むなんてマユにはできない。

今はそっとすべきだと踵を返す。けれど、視界の端に映った光景に、マユは思わず足を止めた。


カガリは静かに泣いていた。


それはマユにとってこれ以上ないほどの衝撃だった。頭を石でぶん殴られたような、そんな気すらするほどの。

あのカガリが。明るくて、気さくで、かっこよくて、優しくて、いつもマユを気にかけてくれる、そんなカガリが泣いている。声も出さずに、泣きじゃくる事もなく、ただただ静かに泣いているのだ。

そんなカガリの姿を見てしまったマユは、衝動的に彼女の元へと走り出す。


「カガリ様っ!」


マユの大声にびくっと肩を震わせたカガリが、こちらを向く。その拍子に、大粒の涙がポロリと溢れる。それがさらにマユの心を掻き立てた。


「え、あ、マユ」


マユの姿を見とめ、カガリは慌てて涙を拭う。でも今さら隠せるわけがない。もうマユは見てしまった。大好きな、尊敬するカガリが泣くほど悲しかったのだと。それほどアスラン・ザラという存在が彼女の中で大きいのだと、気付いてしまった。


「あの……えと……」


カガリの目の前に立ち、見上げる。勢いで声をかけてしまったが、その後のことは一切考えていなかった。どうしよう。なんて声をかければいいんだろう。


「ごめんな、見苦しいとこ見せて」

「そ、そんなことありません! 見苦しいなんてこと、絶対にないです!」


グルグルと悩んでいたら、カガリに気を使わせてしまった。その言葉を聞いて、マユは咄嗟に否定の言葉を叫ぶ。


「あの、他の人たちからカガリ様とアスラン…さんが、えと……仲が良かったって聞きました。だから、全然おかしくないんです。ショックなのは当然なんです」


流石に恋人だのとは言えない。カガリとアスランが恋人同士だというのはマユの予想でしかないのだから。


「仲良い、か。うん、そうだな。仲、良かったよ。私も、キラも、ラクスも」

「ラクスさんも?」

「そう。だってアスラン、ラクスの元婚約者だし」

「えっ!?」

「元だよ。2年前にとっくに解消してる。それにラクスにはキラがいるし」

「あ、うん、そうですよね。ビックリしたぁ」


突如降ってきた衝撃の事実に声が裏返る。まさかラクスとそういう関係だったとは。挙動不審になるそんなマユの様子に、カガリは目元を擦りながらクスクス笑う。


「あの、カガリ様……これ」

「うん?」


ようやく笑みを浮かべたカガリへ、マユはポケットからキャンディを差し出した。


「さっき食堂でもらったんです。よかったら食べてください。悲しいことがある時は、甘いものを食べると元気が出ますから」


差し出されたキャンディに目を瞬かせるカガリ。本当はもっと気の利いた言葉をかけたかった。カガリを元気付け、笑顔にできるような、そんな言葉を。でもアスラン・ザラについて何も知らないマユは、悲しむ彼女に何を言っていいのか分からない。だから、こんな風に子供じみた励まししかできないのだ。


「…………ありがとう、マユ」


それでも、カガリはそんなマユの励ましにお礼を言ってくれる。悲しいのはカガリなのに。傷ついてるのはカガリなのに。マユを思って気遣ってくれるのだ。それがとても悔しい。


「マユ、私は大丈夫だよ」

「でも…」

「本当に大丈夫なんだ。大したことないよ。ちょっと驚いただけだ。覚悟が足りなかったんだな」

「そんなことっ」

「本当さ。それに私なんかより、キラの方がずっとつらい」

「え?」


驚くマユにカガリが語ったのは、先の大戦で殺し合う事になったふたりの少年の苦悩だった。幼馴染みで、親友で、同じコーディネイター同士なのに、所属する陣営の違いで戦うしかなくなった、そんな少年たちの話。


「キラさ、あの頃はよく泣いてたよ。戦いたくないって。当時は単純に戦闘がイヤだからだって思ってたけど…。いや、戦闘そのものは今でもイヤなんだろうけどさ、一番きつかったのはアスランと戦うことだったんだろうな」

「キラさんが…」

「当たり前だよな。幼馴染みで、親友で、兄弟みたいに育ったんだって。そんな奴と戦うなんてイヤに決まってる。でも、それを誰にも言えなかった」


ガラス窓の向こう側の景色にカガリは視線を移す。けれど彼女の瞳に映っているのは海ではないのだろう。恐らくは、在りし日の少年たちの姿だ。


「それでも話し合うことができてさ。また一緒に笑い会えるようになったんだ。隣に立って、仲間として、また。戦争を終わらせるために力を合わせて、そして戦争もようやく終わって。なのに…」

「カガリ様…」

「なのに、またキラはアスランと戦わなくちゃいけなくなる。私のせいで。私が不甲斐ないばかりに」


カガリの顔が俯く。悔しそうに顔を歪める。そんなカガリが見たくなくて、マユは必死にその言葉を否定した。


「カガリ様のせいなんかじゃないです!」

「私のせいだよ。私に力が無かったからだ。アスランは戦争を止めたくてプラントへ向かった。キラはセイランの言いなりになりかけた私を助けるためにフリーダムに乗った。全部、私の力不足だ」

「キラさんがフリーダムに乗ったのはラクスさんの暗殺が原因でしょう? カガリ様はなにも…」

「でも私がオーブの代表としてしっかりしていれば、キラが戦ったのはあの一件だけで済んだんだ。アスランだってわざわざ特使としてプラントに赴かなくてもよかったかもしれない」

「でも…でも! カガリ様が全部悪いなんてことは絶対に違います! だって悪いのは戦争じゃないですか! 理由をつけて殺し合いをしたがる奴らがいるから! だからっ!」


カガリが自分を責めるなんて嫌で、マユは必死に言葉を探す。感情が昂って、思わず涙が溢れた。


「マユ…」

「キラさんも悲しいけどっ、でも、カガリ様だって悲しいんです。つらくないなんて嘘です。悲しいって泣いたっていいんです。だって、大切な人と戦わなきゃいけないのは、カガリ様だって一緒なんだから…っ」

「……っ」


マユの言葉にカガリがぐっと息を詰める。瞳が潤み、思わずというように左手を握り込めた。薬指にはめられた赤く輝く指輪を覆うように。


「ありがとう、マユ」


カガリが微笑む。見てるこっちまで泣きたくなるような、とても悲しい笑顔だった。


「大丈夫だよ。お前が泣く必要なんて無いんだ。今は戦うしかないかもだけどさ、これっきりなんて事はないから。また、ちゃんと話し合える日が来るよ」


それは言い聞かせるような言葉だった。マユに、ではなく、カガリ自身へ言い聞かせる、そんな切ない願いの発露。


「アイツさ。ひとりでゴチャゴチャ思い悩む悪いクセがあって。それで焦ったんだよ、きっと。私も同じ事しでかしたから分かる。真面目なんだ。それにさ、怒らせちゃったのは私の方だから。約束破って、勝手に結婚しようとして…」


そう言って、彼女の指は赤い宝石を撫でる。

そんなカガリの仕草に、マユはまた涙が止まらなくなった。

嗚呼、やっぱり。ふたりは愛し合っているんだ。なのになんで側にいられないんだろう。好きなのに。大切に想ってるのに。どうして。


「アスランさんは…大切な人を側で守りたいって思わないのかな…」


思わず、ポロリと口から溢れた言葉。慌てて顔を上げると、困ったような悲しいような、曖昧な笑みを浮かべたカガリがいた。

それが、全てだった。




マユは通路をがむしゃらに走っている。階段を一息で駆け上がり、居住区画を突き進む。そのまま彼女に当てがわれた私室へ飛び込み、荒い息で全身を上下させ、ベッドに置かれたクッションを手に取った。


「バカッ!!」


大声で叫びながらクッションをベッドへ叩きつける。


「バカ! バカバカバカバカ、バカァッ!!」


何度もクッションが宙を舞い、そのたびにマユの瞳から涙が溢れた。


腹が立った。何もかもに。

ユニウスセブンを落としたテロリストに。プラントへ核を撃った連合に。大西洋連邦との同盟を強いたセイラン家に。カガリを偽物と断じたユウナに。


そして、カガリを泣かせたアスラン・ザラに。


「なんでザフトなんかにいるのよ! 恋人なら側にいてよ! ちゃんとカガリ様を守ってよ! 同盟も政略結婚も防いでよ! 泣かせないでよ! 泣かせてるんじゃないわよ! バカッ!!」


大声で叫びながらクッションを殴る。殴りながら涙が溢れて頭が痛い。


「バカじゃないの! プラントでできる事って意味わかんない! オーブを守るため!? じゃあオーブにいてよ! カガリ様の側にいてよ! 帰ってきてよ! キラさんまで悲しませないでよ! 敵にならないでよ!」


叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。

もう自分が何を言ってるのかすら分からない。

それでも叫ぶ。怒りのままに。


「なんでオーブを裏切ってんのよ! カガリ様を裏切らないでよ! これ以上、カガリ様を傷つけないでよ、バカ───ッ!!」


今日一番の大声と共にクッションを壁に投げ付けた。壁に当たったクッションは、そのままポスンと床に落ちる。静まり返った部屋に響くのは、マユの荒い息遣いだけだ。


「なんで……なんでぇ……」


ボロボロと涙が溢れて、そのままマユは床にへたり込みわんわんと泣いた。

悲しかった。悔しかった。腹が立った。

マユの大好きな人たちがあんなに悲しんでいる。なのに、自分はなにもできない。何もしてあげられない。子供で、無力で、頭もよくなくて、何も知らない。大好きな人たちのために何もできない。どうすればいいのか分からない。

それがとても悔しくて、悲しい。


「ばかぁ〜〜!」


どうすればいいんだろう。どうすれば、みんなが笑って幸せに暮らせる世界になるんだろう。どうすれば戦争は終わるんだろう。

現実はフィクションではない。倒せば全て解決する魔王なんていないし、願えば全てが叶う魔法のアイテムも無い。


「どうすれば…」


何も分からない。自分はどうするべきなんだろう。全てを解決できる秘策なんて思いつかない。どんな敵でもなぎ倒せる力もない。マユには何もできない。


「私は……」


何がしたいんだろう。

そう呟いたマユは、それっきり黙り込んだ。相変わらず涙は溢れて止まらないけれど、それも流れるままにする。

考える。必死になって考える。泣きすぎて痛む頭で考えて考えて考えて。そうしてもっと考えた。


「…………守りたい」


そう、守りたい。

マユは守りたいのだ。カガリを、キラを、ラクスを、アークエンジェルを、オーブを。

そして、家族を。

ずっと守りたかった。守るための力が欲しかった。

あの日から、ずっと。


「強くならなくちゃ」


だから力が欲しい。どんな敵からも守れる強さが。どんな敵でも倒せる強さが。もう二度と失わなくて済む、そんな強さが。


涙と鼻水でぐちょぐちょの顔を乱暴にタオルで拭いた。目が腫れぼったいし、頭はまだ痛いけれど、それでも涙は止まった。だからもう大丈夫だ。

私室を出て愛機の待つ格納庫へ向かう。シミュレーションをするために。パラメータ設定も見直して、機体の調整もしなければ。マユにできる全てを費やして、今以上に強くならなくてはいけない。


アスラン・ザラは敵になった。

優しいカガリやキラは敵に回ったかつての仲間を撃てないかもしれない。なら、奴を撃つのはマユの役目なのだろう。相手はキラと並ぶほどのパイロットだ。今のマユでは敵わない。だからもっと強くならないといけない。


「裏切ったこと、絶対に後悔させてやるっ」


奥歯を噛み締め、拳を握る。

腹から湧き上がるのは、顔も知らないアスラン・ザラへの怒り。向こうにどんな事情があるのかなんてマユは知らない。興味もない。オーブを裏切りカガリを泣かせた。マユにとっての真実はそれだけだ。それだけでいい。それ以外なんて必要ない。

格納庫に到着したマユはズンズンとタラップを登っていく。そしてコックピットに飛び乗りシステムを起動。シミュレーションを選択し、エネミーをザフトに設定する。開始のアラートと同時に撃ち落としていく。


「アスラン・ザラッ!!」


敵対を選んだのはあちらの方だ。なら撃ち落とされたって文句は言えないはず。完膚なきまで痛めつけて、そしてカガリとキラの前に引きずりだしてやる。もう二度とカガリの側から離れないように、ふん縛ってアークエンジェルの甲板にくくり付けるのだ。


幼い少女は己の正義を信じている。

大切な人を泣かせるのは悪だと、愛し合うふたりが共にいないのは悪だと、差し伸べられた手を取らず敵対するのは悪だと、信じている。

だから迷わない。純粋で、潔癖で、正しい事を貫き通せば世界は平和になると信じてるから。マユの大切な仲間たちは正しいのだと、それを疑うことを知らないのだから。


幼く、狭く、小さな世界で、マユは自分の信じた正義を今日も信じてる。

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