幸福の食卓

幸福の食卓







カーテン越しに光の帯が身体を縦断しているのをルフィは感じ取る。少しだけ開けられているらしい窓から入り込んだ温い潮風とブルックのバイオンリンの音が跳ね回る。ウソップとフランキーが何らかのロボを弄っているらしい金属音。ロビンとナミが水遣りをしながら交わす会話。


ルフィの意識はもうとっくに水面に浮かんでいたけれど目は閉じたままでいた。開けたら、一日が始まってしまう。

ルフィは過去に戻りたいと思ったことはないけれど、それでも昨日の夜は本当に何もかもが至高の日だった。思い返すように、あわよくば昨日に戻れますようにとルフィは強く目を瞑る。直ぐに、瞼の裏にサンジの手のひらが浮かぶ。ルフィの何よりも大切な人が大切にしているところ。


ルフィはサンジとベッドの中で戯れる時、まるで自分が食材になってしまったかのように夢想する。サンジの手によって丁寧に洗われて、揉まれて、柔らかくされてしまう。まるで魔法みたいだ、とルフィは思っている。

念入りな下準備の後、さく、さく、とルフィの身体の奥深いところまでサンジの手が入り込む。塩、胡椒、その他何かのきらきらとした香辛料をたっぷりまぶされて、火を付けられる。熱く、熱く、肌の表面を嬲っていくそれはいつの間にか火種となってルフィの身体の中心部に点って、そうしてそこからどろりと溶けていく。そんな妄想をする。


サンジはルフィのすぐ近くにいるのに、最上のコックの手腕を最後まで見届けることがいつも出来ずにいる。気が付いたらぐずぐずに溶けて、自分が自分でなくなっているのだ。それはまるで牛の頬肉の煮込みにとてもよく似ている、とルフィは口内に湧く唾液を飲み込んだ。歯なんて必要ないくらい、舌で簡単に解されてしまうくらいに。自分という輪郭さえも曖昧になって。

そうして、それでも、サンジにたべられるのならば構わないとルフィは思っている。ふわふわとした温かい熱を込められたまま、ゆっくりゆっくり、サンジとひとつになっていく。サンジが自分に与えるのも。自分がサンジに与えるのも、美味という極上の幸福だけ。ルフィはそれを作り出すサンジの手が何より好きだった。


目を瞑ったまま、サンジの手を探してシーツの海で手当たり次第に腕を伸ばす。昨夜あれほど色々な液体で湿っていたはずのそれはしわくちゃでこそあったもののパリッと乾いていてルフィに抵抗を与えない。そのまま手探りでめちゃくちゃに手足を動かしていると、左腕がぱこん、と何かふわふわした物にぶつかった。芝生のようなそれは、ルフィの腕を押し返して少し身動きをしたようだったので釣られてルフィは目を開けてしまった。


途端、ぱっと白い部屋が浮かび上がって眩しさに少し目を細める。太陽はもう随分と高いところにあるようだった。朝寝坊の共犯者であるところのそのふわふわの持ち主──ゾロの目尻も頬もいつもより赤らんでいて、不遜な態度で刀を振るう敵を煽る剣士というよりただの少女であるかのように見えた。ゾロも欠伸を噛み殺しながらまだ半分ほどしか開かれていない右目で辺りをきょろきょろと見渡している。

サンジを探しているのだ、とルフィは直感した。相棒であるだとか仲間の中で一番長い付き合いであるだとかそういう運命的なものでは無く、ただ昨夜同じようにサンジの手によって溶かされてたべられたもの同士として。


普段ゾロが作り上げている殻であるとか強がりだとかそういったものがサンジの手によって1枚1枚剥がされていくのをルフィはすぐ隣で見ていた。強く精悍である剣士がサンジに触れられてただの少女になる。バターだとかそういったものを纏わされて、染み込まされてとろとろになっていく。

あの夜、きっとルフィはゾロと一緒に蕩けたのだ。サンジの手によって。お互いの境界線さえも分からなくなって混ざりあって、熱い、とろんとしたスープにでもなってしまったのかもしれない。そうして、サンジの手によってサンジの口に運ばれてサンジの心を身体を全てを、かんぺきに、ぴったりと満たしたあの夜。


「なぁ、ゾロ」


半日ぶりに意味のある言葉を話したな、とルフィは思う。ずっと、サンジに寄り添えていた、あの何より輝いていた夜のこと。


「おれ、今すげェしあわせだなぁ」


ルフィにとって。


しあわせとは、それは例えば美味しいご飯を食べる時であったり、皆と笑い騒ぎながらの宴であったり見知らぬ何かが待っている島に上陸する時であるとかギラギラして楽しいものであるとばかり思っていた。その時の一瞬にしか触れるのことの出来ない雪のようなものだと思っていた。

だけれども、こうしてゆったりとした朝寝坊のベッドの中にだってしあわせはちゃんとあったのだ。ルフィに今それを差し出してくれる人がいなくても、自分の心に溢れたしあわせが自分を満たすことだってある。じわじわと温かく広がる喜雨のようなしあわせもきっとある。


「……おう」


ゾロは普段こう言う象徴的な話題の時にはそっぽを向いたりもごもごとしていることが常であったけれど今日はあっけなく素直に頷いてみせた。昨夜サンジがじっくりと時間をかけて取り去った強がりも建前も未だゾロは脱ぎ捨てたままらしい。どこか落ち着かないようにしているゾロは酷く柔らかく可愛らしく見えて、2人溶け合って混ざり合った夜のようにしあわせも快感も共有しているように思えた。こんなに大切で重大なよろこびを分かち合えることにルフィは嬉しくなってシーツの中でゾロに抱き着いた。そのまま脚を絡めてハグを繰り返す。お互いの肌に残された赤い花弁が舞う。


「な、すっげぇきもちよかったな」


ゾロの耳元でルフィが囁けば、ゾロはルフィの胸元に顔を埋めるようにして、ん、と頷いた。とくりとくりと、ゾロの心音が聞こえる。


そのまま取り留めのない話をしていると、静かに扉が開く気配がした。パンとベーコンと目玉焼きの焼ける匂いがルフィの鼻腔を擽る。朝ごはんができたと知らせに来たらしい、ルフィの何よりいとおしいその人、サンジは何故か顔を手で覆ったまま、……おはよう、ととびきり優しい声音で呟いた。

その微かに赤く染った耳やタバコを持つ人差し指と中指が重なる影やきちんと着込まれたシャツからギリギリ見える歯型。サンジの好きなところを探しては全て手にしたくなって、ルフィは堪らず腕を伸ばしてサンジに飛びついた。この世界でただ1人、ルフィを溶かしてしまえる人。何度だってサンジにならたべられたいとさえ思える。サンジの手によってとろりと解されゾロと一緒にサンジの身体を心を満たすことが、サンジにとっていちばんのしあわせであると、ルフィは信じてやまない。


「な、おれ、サンジにならぜんぶたべられてもいいよ」


だからルフィはそう囁いてサンジの耳を食んだ。解けて蕩けてかたちを失って、だからサンジにぴったり当てはまる。サンジの中でかんぺきになるのだ。

驚いたように固まるサンジの口元に、ルフィは触れるだけのキスをした。たった一瞬しか触れていないはずなのにルフィの身体に熱がまた灯る。その蕩けてしまうほどの熱を、魂の片割れ──ゾロも共有してしまっただろうか。


ゾロは胡座をかきながら一連の流れを見守っていたようだったが、……ん、と低く呟いてサンジに向かって両手を広げていた。ルフィは相方の意を汲んでサンジの背中の方に回った。手足を巻き付けて、サンジの両手を開けさせた。サンジは少しばかり困惑しているかのようだったが、しかし望まれていることを察したらしい。ゾロの膝裏と腰に手を当てて軽々と持ち上げる。所謂お姫様抱っこだ。


「今日は随分甘えただな?プリンセス」


間を埋めるかのような中途半端な煽り文句を、ゾロはサンジのネクタイを軽く引っ張って口を塞いで終わらせる。そのままサンジの胸元に額を預けるゾロはそのまま2度寝すらしそうだった。ゾロからふわふわと漂うしあわせは、サンジにも見えているだろうか。見えていたらいい、とルフィは思う。


そうして、このまま3人くっついてキッチンに行ってそれからサンジ手ずから朝ごはんを食べさせてもらおう。その後、お返しにたべさせてあげたい。溢れかえるほどの愛をお互いに飲み込んで、そうして3人で溶け合ってまた1つに戻れたらどれ程しあわせなことだろう。今日ほど、かんぺきでさいこうの一日はない、とルフィは確信していた。


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