幸福の王子
物心ついた時にはゴミの山に登っていた。元が兵器だろうと支援物資だろうと関係ない。売れるパーツ、自分で使えるもの、そして本当に役に立たないただのゴミを選別しては日銭を稼ぐ。
かつてその手段を教えてくれた人がいた。血がつながっているかどうかも定かではない老人は、おれが一人で屑拾いができるようになると、役目を終えたとでもいうように息を引き取った。
「おい! そこのガキ」
「……おれのこと?」
いつものように集積地にゴミ漁りに行く途中、知らない男に声をかけられた。髪を切るのが面倒で後ろで一つに括るようになった頃だった。
「ああ。なんだぁ、男か」
振り向いて聞き返せば顔をしかめて舌打ちをされる。スラムの人間ではないのかここら辺りでは見ない、いい身形をしていたのが印象的だった。
同じようなことが何回か続き、年上の屑拾い仲間に話すと暗い顔で笑われた。
「ああ、あいつら……子どもを買いに来てんだよ」
「買う? どこか別の場所に売られるのか」
「そうじゃない。子どもが好きだからってわざわざ地球に降りて来たいかれた趣味のやつらさ。ただ金は持ってるからしばらくは食うものに困らないらしいぜ」
意味を理解してぞっとした。同時に興味が湧いた。ゴミ溜めを築く原因となった紛争はスペーシアンがもたらしている、それはスラム育ちのおれでも知っている事実だ。神のように戦争を司るスペーシアンとはどんな人間なのだろうかと無性に知りたくなった。
「いい金髪だな。おまえ姉妹とかいないのか」
その日も声をかけてきた男がいた。馴れ馴れしく肩に手をおいておれの足を止めようとする。
「男じゃダメなんだ?」
微笑みながらその顔を見上げると、すっと男の表情が変わったのが見えた。
「……いや。十分綺麗な顔してるな。よしついてこい」
人気のない裏路地に誘われてすぐ壁際に押し倒される。男の性急な動きに反応できず、前夜の雨でぬかるんだ地面に膝をつく。
「なんでわざわざ地球で……」
「アーシアンは黙ってろ」
そのまま口を塞がれた。
目は閉じなかった。舌を弄ばれる間、見るともなしに見ていたスーツの襟口には見慣れたロゴが刻まれていた。それは集積所でさんざん拾ったパーツについていたものと同じだった。
「脱げよ」
唇を解放され、言われるがままシャツを脱ぐと、男はおれの肋の浮いた貧相な身体に舌を這わせていく。女のように柔らかな部分などどこにもないというのになにが楽しいのだろうか。鎖骨、胸の頂から腹のくぼみまで執拗に舐められた。男の舌がへそに届き、くすぐったさに身をよじらせるうちに男も上着を脱ぎ落としていく。
「ほら、下も脱げ」
荒い息と共に吐かれた言葉におれが硬直していると、焦らしているとでも思ったのだろう、バラバラとコインが投げられた。その軌道を目で追った先の地面、広がった水たまりには沈みゆく太陽と銀色に輝く軌道エレベーターが映っていた。昼も夜も、地上のどこよりも明るくてどこよりも遠い場所。
次の瞬間、男を突き飛ばして走り出していた。
すぐに怒号が追ってくる。足音を背中で聞きながら迷路のような路地をめちゃくちゃに走り、目についた紫色のテントに飛び込んだ。
「おい、おまえ。ガキ見なかったか? 金髪で浅黒い肌した奴だ!」
「上が裸の子ども? 走ってあっち行ったよ」
舌打ちと共に足音が遠ざかっていく。
「ほら。もう行ったよ」
「ありがとう。助かった」
少女の声におれは布の山から顔を出した。その拍子に古着独特のかび臭い匂いを吸い込み、思わず咳き込む。
「別に。スペーシアンが嫌いなだけだ。あいつらレネにも声かけてきやがったし。あんた、男娼? 客は選びなよ」
匿ってくれた少女の遠慮のない声が刺さる。
「いや。おれは自分を売り物にしないことにした。割に合わないって気づいたんだ」
「……どういう意味だ」
「あいつがおれに払う金は結局おれたちの命で賄われている。この土地をこんなに荒らした兵器を売り上げた金だよ。おれは全てが上の方に淀んでいる、今のおかしな仕組みをひっくり返したい」
「面白いね、あんた。自分に価値があると思ってるんだ、こんなゴミ屑の中に生きてるのに」
「おれ自身はゴミじゃない。君だってそうだろ? それも一種の才能だ」
おれが手元の膨らみを指摘すると少女は目を見張った。
「気づいてたんだ。あいつがちゃっかり私の胸なんて触るからだよ」
少女が男から抜き取った財布には一枚のカードが入っていた。
「なんだ金目のものじゃないのか。なにか書いてあるな」
「……Grassley Defense Systems. あの男が働いてる会社かな」
「あんた読み書きできるんだ。ならアカデミーって聞いたことある?」
「なんだそれ?」
「スペーシアンの企業が金出してる学校だってさ。私らみたいな孤児がこのゴミ溜めから抜け出すに一番手っ取り早い道だ。ただ当然読み書きできなきゃ入れない」
少女はふてくされたように大きくため息をついた。落ち着いた言動や自分よりも大きな身体のせいで年上だと思っていたが、案外年は変わらないのかもしれない。
「おれの隠れ家に図書室がある。昔学校だった建物だからそこで勉強すればいい。おれが教えてもいいよ、助けてもらった礼だ」
幼い頃生活する術を教えてくれた老人は、時が止まったような廃園で読み書きを教えてくれた。なんのためかはわからない。おれにもういない誰かを重ねたのか、贖罪だったのかはもう知る由もなかったが、残された本が孤独から救ってくれたのは事実だった。
彼女はあの裂けた天井から零れる日差しを、破れた窓から侵入してきた木々の枝葉を、紙魚とカビでボロボロになった図鑑を見てどんな顔をするだろうか。
「それなら仲間を連れて行ってもいいか。今は食料を調達しに行ってるけど、みんなでこの店やってんだ」
「ああ、もちろん。あとアカデミーの話詳しく教えてよ」
「じゃあ話は決まりだ。私はサビーナ。あんたは?」
「イエル。イエル・オグルだ」