幸せな夜明け

幸せな夜明け



1.常夜の月

コビーが黒ひげ海賊団に攫われて、暫くして気まぐれのように捨て置かれて、そういう事がもう何度も何度も繰り返されている。その度に海軍本部の医務室で目を覚ますことになるおれは、不甲斐ない思いで地を叩き、何日も消息が掴めなくなる彼を必死に探して回るが、ぐちゃぐちゃに踏み躙られたあとの彼を前に謝罪を口にすることしか出来なかった。

風の噂で、麦わらが、黒ひげ海賊団のナワバリに次々に攻撃を仕掛けていることを知った。世間一般では、ただの四皇のナワバリ争いとして片付けられているようだった。だが、おれにはアイツらの行動は、コビーの為のものだと分かってしまった。そして、アイツらにそんなつもりが無いことも。規律に縛られ純粋に、友達の為に戦うことすらできないおれには、眩しすぎる光景だった。彼と共に海兵であることはおれの誇りだったが、反対に、もしもの時彼を切り捨てる覚悟は一向にできそうにもなかった。毎日水の中で溺れている様な心地がしたが、コビーの苦しみを思えば大したことではない。

────とはいえ、今回ばかりはどうにも上手くいきそうにない。非常に、非常に腹立たしいが、『いつもどおり』軍艦が黒ひげの連中に襲われ、救援も見込めない。燃える艦の甲板で、倒れ付して動けない自分が恨めしい。油断もあった。海軍でコビーの居場所を徹底的に隠すことで、半年近く奴らの襲撃が無かったからだ。結果として、それは奴らの気まぐれにしか過ぎなかったらしい。今日こうして、どこからともなく現れた、黒ひげ本人率いる本船がこの艦に横付けしたのだから。

一番辛いのは、この状況で戦えないコビーだ。自分一人の為に海兵が傷付くのも、自分一人が、艦の中で戦ってはいけないのも、彼の心が許さない一番大切な部分のはずなのに。それに、コビーの信条を抜きにしても、彼の『聴こえ過ぎる』見聞色の覇気もこんな状況じゃ一等厄介になってしまう。

「ゼハハハハハ!!!迎えに来てやったぜ、コビー!!」

呼応するように、内側から扉が開く音が、した。

「⋯⋯〝黒ひげ〟」

「おぉ拗ねちまったのか?仕方ねェなァ、〝英雄〟コビー大佐?ほら、」

「んっ⋯う、ぁんっ、あ⋯⋯ぅう、寂しかったです⋯⋯ティーチ」

「ゼハハ⋯⋯それは悪いことしたな。じゃあ行くぞ」

「はい」


今のは何だ?

大小二人分の足音が遠のいていっても、俺は動くどころか思考さえまともに働かなかった。

コビーは、おれたちを裏切っていたのか?

海軍が黒ひげを捕まえることができないのも、コビーの拉致を阻止できないのも、当のコビーがおれたちをずっと騙していたのだとしたら。

一度そう思ってしまうと疑念は頭の中でぐるぐると回り続け、緊急信号を受けて駆け付けたスモーカー中将の隊が艦内に足を踏み入れるまで、身動き一つ取れなかった。



2.倒景を掴む

「黒ひげの居場所を掴んだ。」

少数の将校が集められた会議室に、サカズキ元帥の声が重々しく響く。ガタリと背後で椅子が倒れた音がして、自分が思わず立ち上がったことに気付いた。元帥はじろりとこちらを眺めたが、何も言わずに目を伏せた。

「配置に関しては、各々資料で確認しちょれ。⋯⋯気張れよお前ら、今回は四皇相手にしくじるわけには絶対にいかんけぇ」

はっ!!!と重々しい敬礼が揃う。皆が黒ひげへの憎悪に燃えている。おれたちコビーの隊の面々は、今回特別にコビーの救出の為だけに動くことが命じられていた。

これは、またとないチャンスだ。黒ひげを捕らえることに成功すれば、おれたちは奴らを警戒する必要すら無くなるのだから。

だけどもし、コビーが自分の意思で黒ひげに着いていくことを選んでいるとすれば、おれは一体どうすればいいのだろう。あの日見たものに、答えは出せそうにないままだった。


硝煙と血と木製の船が燃える音で、黒ひげの乗る本船は無茶苦茶だった。海軍の作戦行動は順調だと言えた。船内を進んで、手当り次第に扉を開けていく。随分進んで来たがコビーの影も形もなく、感付かれて身柄を他所にやられたのかもしれないと、最悪の考えがよぎる。

「コビー!!!いたら返事してくれ、コ、ビー⋯⋯?」

まるで人形みたいだと思った。否、人形だと思った。

おれはその人物がコビーである、と理解しているにも関わらず、おれの脳は理解することを拒否していた。

部屋の中心に居る彼は、ふんだんにレースが遇われたロング丈の黒いドレスに身を包み、それと揃いの手袋覆われた両手を膝に揃え、深く椅子に腰をおろしていた。いつのころからか伸ばし始め、今では腰に着くほどの長い髪は、金のリボンが編み込まれ、本人の持つ桃色を引き立たせている。おれの声に反応したのか、視線が逢った。綺麗に化粧が施されたその顔に何故か苛立ち、その顔を殴りつけたくなり、何故か無性に泣きたくなった。

絶世の美女が、小首を傾げた。長いスカートの中で脚を組み換えたのか、赤で彩られた足元がちらりと視界を掠める。女性モノの真赤なピンヒール、高さは10cmをゆうに超えているそれは、歩くための靴ではないと、詳しくない自分にすら見てわかる。

「───⋯ヘルメッポさん?」

まるでそこだけ時間の流れが異なるかのように、コビーはたおやかに瞬きをする。心底不思議そうに、彼は疑問を口にした。無垢なこどものように。海軍に黒ひげの居場所が判る訳もない、と言いたげに。

「どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもねーよ。⋯迎えに、来たんだ。ほら、帰るぞ」

その靴じゃ歩きにくいだろ、と何の気なしに、コビーに向かった右手を突き出した。

視界に入ってから自分の右手が震えていることに気付いた。自分の不安を目にした途端、嫌な考えばかりが浮かぶ。もし、もしもコビーがこの手を取ってくれなかったら。駄目だ。おれはコビーのことを信じると決めたんだから。

「今回は、」

にっこりとコビーが笑う。そうあると定められたかのような笑みは、壮絶な色気を放っていたが、どこか機械的な表情にも見えた。少なくともその表情は、コビーの魅力を全て台無しにしてしまっていた。

「今回の僕は、彼らの『お姫様』なんです。だから、許可もなしに動きまわっちゃいけないんです。⋯」

だから駄目ですよ、ヘルメッポさん。歌うようにコビーは言う。おれの頭は上手く回らない。これは何だ?この違和感は、何だ?!

「でも、少し前に皆さんぼくに此処で待っているよう言うとどこかへ行ってしまって。丁度退屈していたので、ヘルメッポさんが来てくれて嬉しいです!」

異常だ。おれははっきりと理解する。

会話は成り立っているのに、おれとコビーの会話はズレているのだ。

おれは自分を恥じた。今までコイツの、おれの親友の何を見ていたんだ?涙が溢れてきて、邪魔になったサングラスを取り払って適当に放った。おれは断言できる。こんなのは、コビーの本心じゃないと。一体いつから『それ』は捻じ曲げられて、そしてコビーはいつから『それ』を平静と感じていたんだ?

「⋯⋯なァ、コビー。聞こえねェのか?『すぐ側で』戦闘が起こってるのに、お前は何も感じねェのか。」

機嫌のよい表情が怪訝な表情に変わり、それから驚愕して、立ち上がろうとした。その腕を掴む。いとも簡単に椅子に引き戻されて、コビーがもがく。

「ティーチ?!や、いや、離してくださいヘルメッポさん!!!僕、行かなきゃ…!!」

「駄目だ、コビー。そんな事したら、おれはお前を軍法会議に突き出さなきゃいけなくなる」

「離して!ティーチはぼくの全てなんです!!あの人たちと過ごす日々がぼくの『幸せ』なんです、それ以外なにもいらない、だっ⋯か、らッ⋯⋯」

「聞かなかったことにしてやる⋯⋯っつっても聞こえちゃいねェか」

持って来ていたコビーのコートを掛けてやり、気を失った身体を担ぎ上げる。この部屋に辿り着くまでに負った肩の傷が悲鳴をあげたが、無視して部屋を出る。

「大体よお、お前がおれにすんなり絞め落とされたりする訳ないだろーが」

おれは凡人だ。お前らに出会わなければ、シェルズタウンどうしようもない人生を送るどうしようもない人間だった。お前に沢山羨望して、お前の才能に沢山嫉妬した。だけど。だけど、こんなおれだったとしても、親友を助けられるだけの力があれば、それで十分だと、今は心の底からそう思う。


「だからよォ⋯ここは引けねェな⋯⋯死んでも!!!」


船内は散々の惨状だったが、黒ひげ本人は傷ひとつないまま、おれを嘲笑うようにそこに立っていた。

これでも、海軍本部の少佐だ。大幹部一人に傷を負ったおれでは四皇の相手をするには明らかに力不足だが盾くらいにはなれる、⋯⋯とおれの覚悟を他所に何度か見た覚えのある薄青が視界を通りすぎて行った。

「ゴムゴムのォ⋯⋯⋯⋯業火拳銃ゥ!!!」

ごうごうと燃える朱色の男が、黒い男を吹き飛ばし、そのまま追って行った。

「麦わら⋯⋯それに、トラファルガーも⋯」

「コビー屋もいるな?よし、お前らを麦わら屋の船に運ぶ。船にはトニー屋がいるから、ソイツの具合は任せればいい。おれはあっちを追うが──」

「なんだよ」

じろりと向いた視線にたじろぐと、奴がため息を吐く。

「いいか、お前はコビー屋の側に居てやれよ。今回のソレは精神的なモンだ。⋯⋯お前、ソイツの友達なんだろう」

精神的に参っちまってる時は、『日常』が一番の『薬』になるからな。なにかを思い出したのか、穏やかな表情で笑ったトラファルガーが端から三本指を立てる。途端、ふざけたライオン頭の船内に代わった視界に、安堵を覚えた。

窓から見える空は、白い巨人が照らしていた。



3.幸せな夜明け

その後暫くは麦わらの船で過ごしたが、やがて秘密裏にやって来ていたらしいドレーク隊長に回収され、麦わらの小さい船医に別れを告げた。そうして隊長共々ガープ中将の軍艦に世話になり、そこから黒ひげ海賊団が壊滅していく様を眺めた。沈んでいく船に、コビーはもう取り乱さなかったが、糸が切れたように気を失って昏々と眠り続けた。おかげでアイツは麦わらとガープ中将の追いかけっこを見逃したが、どうということはない。近付く軍艦に逸早く勘づき潜水したハートの船に麦わらが叫んだのも、大した話ではない。

あれから二週間、ようやく軍医からの許可が下りて、コビーに初めて面会に行く。深呼吸して医務室の扉を開けると、気を使ったのか軍医は席を外しており、短く刈り揃えられた桃色の頭だけが勢い良くこちらを向いた。

「よう。調子はどうだ、コビー」

「⋯⋯大分、よくなりました。ヘルメッポさん、本当にごめんなさいっ⋯ぼく、ぼくっ⋯⋯!」

「泣けるようになったのはいい兆候だな。いいかコビー屋。お前が黒ひげに感じていたのは全てストレス障害から来るまやかしだ。」

「そうだぞ、コビー!お前はなんにも悪くないんだからな!!」

「うぉっ、どこから湧いて来やがった、お前ら!!!」

「あ゙?おれは医者だぞ?患者の経過を見に来るのは当たり前だろう」

「ごめんな、ヘルメッポ。流石に海軍本部の医務室に入り込むのはやめた方がいいと思ったんだけどな、やっぱりおれも心配だったし、トラ男の言う事も一理あるなと思って⋯⋯」

「⋯⋯言っておくが無理矢理押し入った訳じゃないぞ。おれたちをここまで連れて来たのはセンゴクとガープだ」

「それでいいのか海軍本部⋯⋯」

頭を抱えるおれを余所に、トラファルガーは簡単な問診を済ませていく。最後に何か書き付けておれに渡すと立ち上がった。

「あれ?トラ男、もういいのか?」

「海賊がこんなとこに長くいられるか。さっさと行くぞトニー屋」

早急に部屋を出て行くさまをおれとコビーが呆けて見ていると、どうやらトナカイはごねているようだった。

「いいからさっさと出るぞ!!おかきじじいに見つかる前、に⋯⋯?」

「ぎゃああああああああああ!!!」

絶叫。

大方センゴクさんとガープさんに容易に見つかったのだろう。心の中で手を合わせて、慌ただしくて礼を言うヒマも無かったことに気付く。

「ふふ、⋯⋯賑やかだなぁ。」

「⋯⋯なぁ、コビー。おれ、お前に謝らなきゃいけねぇ。悪かった。おれはお前を疑ってしまった。お前が被害者だって分かってたはずなのに⋯⋯誰よりも側にいたのに、お前が苦しんでることにすら気付かなかった⋯!!ごめんな、コビー!おれが⋯⋯!!!」

「や、めてください、ヘルメッポさんは何も悪くないじゃないですか⋯!あやまらなきゃいけないのは、ぼくの方で⋯⋯ごめんなさい、ごめんなさい⋯!!」

涙があとからあとから溢れてくるのに拭わないから、酷ェ顔だぞ、と茶化そうとしたら、自分の声も震えていた。ヘルメッポさんこそ、とコビーの方も酷い声で言うから、顔を見合わせて笑った。

こんなに笑ったのは、随分と久しぶりのことだった。


「コビー、おれの」

「ヘルメッポさん、ぼくの」

親友で、相棒でいてくれてありがとう。


示し合わせた訳でもないのに、そっくり同じことを言ったものだから、おれたちはおかしくなってまた笑った。ぎゅうぎゅう身を寄せ合って、泣いたり笑ったり大忙しだった。

差し込んだ日差しに目を細めたコビーが、おれの腕の中で、幸せだなぁと呟いた。


明けない夜はない。

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