幕間

幕間


増えすぎたから減らしましょう。驕りすぎだから罰しましょう。

死ぬべきものは全て定められ、故にこの争いにて真に「誰かを殺した者」「誰かを殺せた者」などおらず。

在るのはただ、神の使命を遂行した戦士たち——とも。



「いや〜〜〜! さては映画かな!?」

そんな背景なんか知らねえよと足で蹴飛ばし、気がつけばギカレーダは元気に平原に立っていた。

辺りでは矢が飛び交い、血が吹き出し、悲鳴と雄叫びが響いている……が、マジでお構いなし。

「最初はビビったけど、俺には矢当たらないしな! そんなら臨場感マシマシと思ってむしろ楽しんでやるぜ! ……にしても剣術見たいんだけど弓使い多くねえ? 何で? 時代は剣じゃないの?」

誰かが聞いていればあまりの酷さに首を刎ねられそうだが、仕方ない。ギカレーダの言葉を聞くものなど、ここには誰もいないのだから。


……ふと。

「うお、とっと!」

頬を切る強風に、ギカレーダはよろめいた。

いやまあ、実を言えば、ギカレーダには荒野の風がわからない。

矢も当たらぬし、馬に轢かれたところで痛くも痒くもない。全てが幽霊の如くすり抜ける。

だから風もわからないし、よろめく必要なぞないのだが……まあ。

周りがよろよろと転んだり頬を押さえたりしていたので、それに合わせて気分という奴だ。

わざとよろめいて見せてから、ギカレーダは風の吹きつけてきた方に目を向ける。

遥か遠く、何かがいるような気がしたが……


「流石に遠くて見えねえ! ちょっと行ってみるか、この辺モブばっかで戦いに派手さがないんだよな。派手さが」

一人一人が必死に戦い命を散らし、怒りと嘆き渦巻く中での発言はいっそ清々しい。

正に映画感覚。全てはとっくにスクリーンの向こう側、非現実の塊にわざわざ嘆く必要も感じない、わざわざ真面目に受け止める必要もない、と言わんばかり。


意気揚々と駆け出したギカレーダは、数十歩辺りで足を止めた。

あたりの風景が、じわじわと別のものへと変わっていくのに気が付いたからだ。


***


身を切る山風、足を取る湿雪。

人の活力を的確に削り取る雪嶺は、ただ其処に在るだけで多くを食らう。

人智の及ばぬ地にヒトは神秘を感じ、畏怖を抱き、神格化までした。

多くの恵みを与え、多くの死をもたらすモノ。

畏れなければいけないモノ。


その畏れが故に、彼の地で死んだのかもしれない。

その軽薄が故に、彼の地で死んだのかもしれない。

まあ、どちらでもいいのだけど。


二人だったか、四人だったか、六人だったか、もっとだったか。

人数なんて、どうでもいいのだけど。

今回大事なのは、彼の地に「愛すべき人を置いて行った」ことだ。




そうして、ふと気がつくと。彼女は、雪原に立っていた。

「息が、白くない……ってことは、夢だ」

一寸先は雪。

吹雪に視界もままならぬ状態で、彼女はどこか他人事のように呟いた。

はあ、と手のひらに息を吹きかけてみる。うん、やはり白くない。

つまり、これは夢だ。ならば寒がっていても仕方ない。死ぬほど寒いが、夢ならどうせ意味がない。


先ほどは夢だ何だと悩まなかったくせ、この瞬間に不意に悟る。

これは、夢だ。夢に違いない!


……見覚えがない景色なのは気になるが、ひとまずは歩いてみよう。

楽観的な結論を叩き出した女は、取り敢えず全力疾走してみる。足を雪に取られるが、転ぶほどのものではない。

じゃあこのまま走り回ってみるか! 女はそのまま走る。

傾斜を感じたし、この感じはきっと山だろう。

ろくな視界もないくせにそう断定した女は、とにかく下へ、下へと降りていく。

そのうち誰かに出会うはずだ。


「……、……ランサー?」

そして、出会った。

本来ならばいるはずの無い彼。

何故か夢の中にまで侵食して来た、面倒な……そして、面倒見のいい男。それがゆっくりと山を登ってくる。

つまり、こちらへと歩いてくるのが見えたのだ。


「何で夢にまで出てくるかなあ!? やだぁ〜!! とっとと帰れよぉ! ストーカー極めなくていいんですけど!」

そう叫んでみても、この吹雪では届くわけが……。

「……? つか、なんで遠くのランサーが見えてるんだ……?」

視界は殆どが黒と白の二色で、ぼやけていて、自分の足だってよく見えないのに。なのに、遠くのあれが見えているというのは、どういう理屈だろう。

まるであそこだけが、はっきりと世界の中心とでもいうような。

末端はぼやけるけれど、彼の周りだけはしっかりと描かれている絵画のような。


わからないながらに、女は駆け寄ってみる。何故って、一人で雪山を歩くのは寂しい。

そうして近づいて見ると、どうやらランサーは一人では無いことがわかってしまった。他に五人もいる。

ランサー以外は妙にぼやけていてはっきりと目視できないが、人数くらいは把握できる。彼らは合計六人で、この険しい山を登っているらしい。

一列になって歩いていく最中、ランサーは二番目にいるようで。


「……ンだよ、家族旅行かよ。ここ選ぶとかチョイス悪〜」

隣に並んで煽ってみても、ランサーを名乗っていた男の反応はない。

やはり、女の声は誰にも届かないようである。

「ちえ、触れねえでやんの! 完全に幽霊じゃん俺!」

ランサーの肩を小突いてみようにも、触れないのではどうしようもない。

背後霊の如く付いていく以外に、出来ることは無さそうだ。


六人と一人の集団に、会話はなかった。

無言のまま山を登り続け、歩き続け、その内一人が力尽きた。

最初からランサーと共に山を登っていた、とある女性だった。六番目にいた女性。


突然倒れた身内に驚いたランサーは、彼女の方を振り返る。名残惜しそうに数秒眺めるが、何かに急かされるように歩みは止めない。

そうして正面に向き直りながら、自身の前をゆく細身の男へ問いかけた。


「——兄者よ。何の罪もない彼女が、これまで我々を愛した彼女が、どうして死ななければならない?」

「彼女には『一人を特別に愛した』という罪があった。だから、今日この報いを受けたのだ」

兄者と呼ばれた細身の男は、淡々と裁定を下す。振り向きもせず、男は道を行く。

その裁きを聞いた親族四人はというと、それぞれ悲しげに顔を歪ませている。


ちなみに「部外者のほう」の女はと言うと、微妙な顔のままランサーの隣を歩き続ける以外の道がない。

煩い悲鳴や混乱を誰かにぶつける事も出来ず、この異様な空気の中を歩いていくしかないようだ。


そのうち、また一人の男が倒れた。

それは列の五番目、今となっては最後尾にいた男性。

ランサーと呼ばれている男は振り向き、力尽き動かなくなった一人にじっと目を向けた。

「——賢くも謙虚で、よく仕えてくれた弟だった。なぜ彼が倒れなくてはならない?」

「自らを上回る叡智などないと驕っていたから、その報いを受けたのだ」

……細身の男は振り返らない。



次に倒れたのは四番目、最後尾にいた男性でもある。

しかも、先程の五番目の男と同じ形の顔をしている……どうやら彼らは双子のようだ。

愛する女と、愛する片割れの脱落に、彼は耐えられなかったのかもしれない。

彼の倒れた音に、ランサーは振り返る。

「——忠実で、正直者で、美しい弟だった。双子として、支え合って……なのに、なぜ、彼が」

「確かに彼は正直者で美しかった、だが自らより美しいものなどないと自惚れていた。その報いを受けたのだ」

細身の男は振り返らない。



……倒れた音に、ランサーは振り返る。

それは三番目、一番後ろを歩いていた男性。

ずっと張り詰めた顔の彼だが、力尽きた今となってはどこか安堵したようにも見えた。

「——嘘を一度も言わず、冗談でさえも偽りを言わぬ。……俺たち自慢の勇者が……なぜ、」

「彼は自らの力を過信した。出来もしないのに大戦を一日で終わらせて見せるなど豪語した。その偽りの報いだ。彼の言葉は無数の戦士を無視したものだった、優れた者は謙虚であるべきだ」

振り返らない!



そして最後だ。最早振り返るものは誰もいない。

それは二番目。最後尾の男。

「——兄貴、俺は……何故、だ?」

「お前は大喰らいで、他人の食い扶持を少しも気にかけなかったな。その罪の報いを今受けたのだよ、ビーマ」

妻と弟四人を失った長兄はしかし、最後まで振り返ることはなかった。

長兄の隣に残るは、何故か着いてきている犬一匹。そして次兄の隣に残るは、赤い顔の幽霊一人。


細身の男は去っていく。

一度も振り向くことなく、家族の罪を裁き、最後に伴うは勝手に着いてきた獣ときた。

無言のまま歩いてきた彼女だが、ここまで来るととうとう我慢ならない。


「……みんなくっだらねえじゃん!?」

彼女にとって、下された宣告はあまりに潔癖なものだった。


「オキニがいるとか調子乗ってるとか食い過ぎとか、それってさあ! こんな寒いところで野垂れ死ぬほどのことか!? じゃあ俺はどこで死ねばいいんだよもう原形残らねえわ! お前こそ家族が死んだのに見向きもしねえのかよ、それは罪じゃねえの!? その犬の方が大事か!? この犬好き! おい何とか言えよ!!」

幽霊の怒り任せの叫びに、彼は振り返らない。そもそも、女の声は届かない。


「ランサーの……ビーマってやつの兄貴なんだろ!? なあ! 何で置いてっちまうんだよ!? お前の家族だろ!?」

初めて知った名を口にするのが、こんな機会なんてちょっとやだな。

なんて思考が、微かにギカレーダの頭をよぎる。

そうだ、ビーマ。ランサーの名はビーマというらしい。

頑なに名乗りやがらなかったあの男は、ビーマというらしい!

……こんな、あっさり知ってしまって良かったんだろうか。


「全員担いで行くくらいの根性見せろよ、この野郎!! 男だろ!! 大人だろ!! 引きずってでも連れてけよ、その程度かよ!」

男は振り返らない。ビーマは倒れたままだ。


「この薄情者! お前みたいなやつがなっ、俺は一番——」

「——おいお前、いい加減にしとけよ」

「うわしたいがしゃべっ」





「……は、ハード……! 今までにないタイプの夢だった……ランサーに後で苦情入れなきゃ……! 何でオチがアレなんだよ……ッ」

そして、ギカレーダは目を覚ます。

「つかまだ午前四時か……早起きだな俺……」

窓の外は夜の如く。

うぞうぞと布団から這い出しても、ひやりとすることはない。

部屋の中は空調が効いていて、とても暖かかった。もちろん、白い息を吐けるわけもない。


特に深い考えはなく、外の風にでも当たろうかと玄関へ。ドアノブに手をかけたあたりで、暗い中出歩くのはまずいことを思い出した。

何だよもう。あー、だの、うー、だの呻きながら彼女は引き返す。

「寝直す気分にもなれないし、包丁でも握っか! 俺の顔見たら驚くだろうな、ランサーのやつ! またなんか作ってんの〜?」

しかし予想に反して、誰の気配もない。

「あれ、いない……ランサーも寝るんだな。いつもキッチンにいる料理バカだと思ってた」

半人前未満が勝手に包丁を握っていいものだろうか。そもそも、特に何かを作りたいわけでもないのに握る意味って?

何の構想もないのに包丁を手にして、それで何になるのだろう?


……。……………? …………。


「……早起きだな、ギカレーダ。まだ四時半だぞ」

「うお、ランサー!? 俺より後に起きてどんな気分? つかお前ちゃんと寝てたんだな?」

「気分? 強いていうなら『おお、やるなあ』辺りか? サーヴァントに睡眠が必要ないとはいえ、流石に時々は寝る……精神的な休息ってやつだな」

「なるほど。俺より先に寝ないで、かつ俺より後に起きず、飯をうまく作っていつもキレイでいるだけだったわけね……」

「……あ? なんて?」

「でも、できる範囲で構わないんだからな?」

「お前の物言いからして、何か元ネタがあるのは分かるんだがな」

「関白宣言で検索ぅ! 関白失脚も含めて面白いんだけどね?」

「はあ。関白ねえ」


呆れたような顔のランサーは、そのまま小鍋で湯を沸かし始めた。買い出しの袋の中を漁り、何やら粉を取り出して……

「ん? 何作ってんの?」

「ほらよ、ココア」

「何でココア……」

「好きそうだろ」

「好きだけどさあ……」

「ほら、箱ティッシュ。顔酷いことになってんぞ」

「ズズーッ。こんな泣くつもりなかったんだけどね、ちょっとムカつく夢を見てですね?」

「ムカつくと泣けてくるタイプか」

「おう! もう何しても泣けてくるぞ俺は」

「感情が一定を超えると涙腺が壊れるタイプか……まあ座れ、俺も飲む」

勧められたままに椅子に腰掛けたギカレーダ、コンロの前で大きなコップにココアを注ぐランサー。



「で? 何を見たんだ?」

微妙な距離感のまま、手近な壁に寄り掛かったランサーは切り出した。

「何をって言われると困るなぁ。なんか戦争みたいなのとかもあったし……あ、ランサーも出てきたよ」

ギカレーダは、自分の正面の椅子に目を向けながら呟く。

とはいえ、正面には誰も座っていない。この空間にいるのは、椅子に腰掛けたギカレーダと、コンロ近くの壁に陣取るランサーだけだ。

「俺が?」

「で、死んでた!」

「そうか死んでたか。俺はどう死んでた?」

「え」

まさか聞き返されるとは思っていなかったギカレーダは面食らい、数秒黙り込んだ。普段通り、「はいはい、そうかよ」なんてあっさりと流されると思っていたのに。


「そこ乗り気でくるか普通〜? なんか……家族と一緒に歩いてたら死んでたぞ」

「……そうか」

「……。……あの。なんか夢占い的にまずいやつ……?」

「いや、そうじゃない。そうじゃなく……嫌なもんを見せたなと思ってな。文句がありゃ聞くぞ」

「いや文句て。そもそも嫌なもんって何だよ、ランサーが悪いわけじゃ」

「サーヴァントとマスターは魔術的に繋がっている。それ故か、互いの記憶を垣間見ることもあるらしい。……どうだ? お前が見たその夢、俺の記憶だとしたら。吹雪いてたろ、その夢」

「吹雪いてたけど」

あの非現実的な戦争も、雪山での一幕も。全て、ランサーの経験だとしたら?

契約したせいでアレを見せられたのだ、としたら。

「文句……文句かあ。ランサーもだけどさあ。お前の兄貴に一番文句があるね」

「そうか」

普段ならば(相手に非がなかろうが)大声で色々と責め立ててきそうな彼女が、珍しくも殊勝な態度だ。

ランサーはそれを指摘することもなく、ただ静かに聞いている。

「怒らなくていいのか? 家族を悪く言ってるの分かってる?」

「お前がそう思うこと自体はいいだろ、別に」

「そうかなぁ……」

「……」

「……(ズズーッ)おっ甘いこれ」

居心地の悪い沈黙。それを誤魔化すべく、わざとらしく音を立ててココアを啜るギカレーダ。

そのまま暫く黙っていた彼は、静かに息を吐いてから。


「……お前に話を逸らす気がないなら続けるか。俺の兄貴に、どう文句がある?」

一つ、問いを投げかける。

「どう、って薄情じゃない? 振り向かないのとか、俺でもどうかと思う。つかさ、あんなヒョロいのより先に死ぬなよなラ……ビーマさあ!」

「真名……まあ、夢で出てくるわな。それは仕方ないだろ、兄貴は根性あるんだから」

「こ、根性ある奴はさあ! 置いてかねえの! 見捨てねえの! 最初から諦めやがってるのはムカつくだろ!?」

「そうだな、最初から置いてった。だから根性あるって話をしてるんだが」

「はあ!?」

「好きな奴を置いてくのは、根性ないと出来ねえだろ」

「いや、なんっ……」

あっけらかん。

これはなんだ、兄への信頼と言えばいいのか。盲信とでも呼ぶべきか。

それとも全く別のなにか? 何だこれ?


「あーーーーもうわかんなくなってきた!」

もう何もわからん! もう考えたくない! なんも見たくない!

彼女は完全に白旗をあげ、机に突っ伏す。

「……俺に。分かるように、説明してくれ、ランサー」

「いいぞ、つっても俺の考えだけどな」


……椅子を引く音。衣擦れに、木の軋む音。

ついちらりと正面に目を向けると、頑なに壁に寄りかかっていた彼が目の前にいるではないか。座っているではないか!

「う、うええん……」

「ンだよ、腰据えて話すって決めたのはお前だろ」

「そうだけどぉ……」

まあ好きな体勢で聞いてりゃいい、と前置きしてからランサーは口を開く。


「マスター、お前甘いの好きか?」

「す、好きだよ?」

「甘いチョコは?」

「好きだけど」

「んじゃ、カカオが多くて苦いチョコってどう思うよ?」

「俺はあんま好きじゃないけど、健康にはいいんじゃない……?」

「俺が言いたいのは、概ねそんな感じだ」

「へえ……いやわかんねえよ!? それで何いい感じに言いました感出してんのお前!?」

もう突っ伏したままではいられない! 勢いよく顔を上げ、ツッコミを入れずにはいられない!


「はは、ザックリ言っただけだ。お前も料理人の端くれ、食いもんに例えた方が早いかと思ってな」

「どう考えても圧縮言語だよぉ……! あれか、自分にだけ伝わればいいと思ってるだろ? ランサーって交渉下手そう……交渉はね? ちゃんと双方の同意が大事なんだょ……?」

「はいはい、調子が戻ってきたな続けるぞ。あの最期を見たお前が、俺の兄貴に不信感を抱くのはわかる。そりゃ家族を置いていく薄情者に見えても仕方なかろう」

「だろぉ!?」

「俺の兄貴は俺たちの兄である以前に、法神の子であった。正しいことを為す人だった。故に兄は、あの時振り返るわけにはいかなかったのさ」

ランサーはつらつらと語る。兄は薄情者ではない、と訂正を語る。

それはなんというか、ギカレーダからしてみると……大切な兄を言葉巧みに庇っているように感じて。いわゆる詭弁、とでも言えば良いのか。

ムカつくというか。なんというか。


「……正しかったら見捨てていいって言ってる?」

「そこまでは言ってない。ただ、兄の行いは悪ではないだろうという話だ。ちなみにな、俺が死んでから知ったことなんだがな? あの犬は実はその法神が化けていた姿なんだと」

「ゲェーーッ!? 息子が死ぬの見に来るの性格悪過ぎねえ!?」

「お前な、言っていいことと悪いことがあるぞ……あの時の俺たち、もう何もできない老人だからな? ろくに役に立たねえやつだからな? どっちにしろ死ぬために登ってんだよアレ。それを見守りに来てんだよ父上様が」

「せ、セルフ姥捨山授業参観……?」

「お前な……!?」

そのインパクトに流石に絶句したランサーだが、慌てて気を取り直す。


「……話を戻すぞ。お前が引っ掛かっているのは、ひとえに『家族を置いて行ったこと』だろう。それなら俺も、弟のアルジュナも、ナクラも、サハデーヴァも同じだ。俺も責めるべきじゃないか?」

「でもランサーはちゃんと悲しんでたじゃん」

「兄貴だって悲しんでたとも。分かりやすく悲しまないとダメか?」

「い、一回も振り返らないで置いてっといて『悲しかったです』は虫がいいと思うんだ俺!」

「悲しみ方は人それぞれだ。そして死人は生き返らない。それは正しいことだ。兄貴にはどうしようもないから、触れなかった。そういう話だ」

「ど、どうしようもないから……? じゃあ、キレた俺がぎゃんぎゃん喚いてたのは的外れってこと? バカみてえってこと……?」

「……あー、悪い。俺の伝え方が下手だ。これは兄貴が悪いとか悪くないとか、何が正しい正しくないとかそういう話ではなくてだな……!」

咳払い一つ。


「物事は! どう見るかで! 全く変わる! そういうことだ!!」

「真夜中にうるせえよぉ……!」

「愛する家族だ、置いていくのは辛い。俺は振り返りたくて堪らなかったし、立ち止まりたかったし、身体が許すなら全員抱えてやりたかった。だがそれはある意味無意味なことだ、だってもう死んでるからな」

「……」

「兄貴の行いは合理的だ。だって、死んでいるのだからどうしようもない。道理もそれを正しいと言うだろう。既に死んだもののために、生きたものが苦しんではよくない。正しく死ねば天界に行くのが俺の世界だったしな、尚更だ」

「……」


「お前にとって、甘いチョコはいいものだ。なら反対の苦いチョコは悪いものか?」

「いや……」

「そうはならんだろう? 自分が苦いチョコを良いと思えなくても、それを好きと思う人がいる事実は変わらない。逆に、苦いチョコを『良い』と思えない自分が、何か特別悪いわけでもない。……な?」

「つ……つまり……ランサーは何が言いたいんだ?」

「俺の兄貴は悪くないし、お前だって何も悪くない。置いていきたくなかった俺が正しいわけでもないし、置いていくしかなかったお前が正しくないわけでもない。以上!」

「俺、夢の中でお前にいい加減にしろって叱られたんだけど」

「そりゃ怒るだろ、どうせ責めるなら俺にしとけよ。自責なんて一番似合わねえだろお前」

「いやそんなんしてな」

「してた」

「してない」

「してた」

「してな……してた、かも? なんか自信満々にやられるとそんな気がしてきた……?」

「それ見ろ」

「そこで論破してやったみたいな自慢げな顔すんなムカつくぅ!!」

「しただろこれは」



「……つかランサーお前、俺の夢見てね? なんか、勢いに任せて流してたけど」

「わりと前に見てるぞ」

「言えよそれは!!??」

「言えねえだろ流石に!?」

「名前名乗らなかったのもそれか!?」

「それだけじゃないが……お前が見た夢の内容によっては、別の名前を名乗ろうかなとか考えてたのは認める。雪山で死ぬとかクリティカルだろ。だからこう、適当に宮廷料理長のバッラヴァとか」

「サ、サイテー……!」

「お互い様だろその辺は、■■■■■■■■さんよ」

「う……うえぇ……! まごうことなきストーカーだよぉ……何で名前知ってるんだよぉ……怖いよぉ、ギャン……ズズーッ……」

「夢で見たんだよ、その辺は」


わざとらしい音と共にココアを飲み干した彼女を、ビーマは真正面から見据えて。

「マスター、確かにお前は振り返らなかった。家族を連れて行こうとしなかった。だがそれはな、薄情とかそんな括りじゃない。生きるためだ。正しい行いだ。……って、俺は思うわけだ。どうだ?」

「ど、どうって言われても」

ビーマの総括に、彼女は分かりやすく目を逸らす。戸惑った子供のようにおろおろと、忙しなく視線を動かしてみせる。

それは、滅多にない彼女の「心底動揺した」姿。

大袈裟におどけてみせるなどではなく、大袈裟に他者をあげつらうでもなく。ただ真面目に戸惑い、困惑している姿。

両親に愛されていた、どこにでもいたはずの普通の少女のような……

「えっと……結局……つまり……?」

「お前の中で纏まったんなら言ってみろ」

「つまり……あれだな! 俺は悪くないってことで良いんだな!? 完璧な善人ってやつね!?」

「いや、お前は悪人だぞ? って、冗談言っても問題なさそうだな」

「ひっでえ! ここでそれ言うのどうかと思う! ギャン!! ……あっ。……いやいやいやいや真面目に泣けてきちゃったよどうしてくれるのビーマさんは……ズズーッ(鼻水を啜る音)……とりあえずもう一杯ココア入れてくれ! なんかもう水に粉入れるだけで別格になるの意味わかんねえんだけど。シャブ入れてる?」

「入れてねえよ。ついでに美味く入れるコツも教えてやるから隣来い」

「うーい」



Report Page