幕間/取引
ギカレーダという人間は、いつも楽しそうな顔をしている。
例えば今などは、スキップ混じりに一行を先導。
重ねて、こっちこっちと両手で手招きをしている。一つ一つの所作が大袈裟すぎて煩くて、「くどい」くらい。
聖杯戦争の最中だというのに、彼女には危機感というものがそこそこ欠如している。……ように見える。
そんな訳だからふざけたままに高所から飛び降りるし、今も楽しげなのだろう。
そうだ、今だってそうだ。
俺が突拍子もないことを告げた時も。
セイバーとマルグリットが、その内容に絶句した時も。
彼女はやはり楽しげな笑顔で、「顔面に来い」と、受け入れるように両手を広げて……「そう、すしざんまい!」……は?
なんて?
まあいい。コイツがふざけているのはいつものことだ。
それにわざわざ触れてやる必要はないし、完全に無視する必要もない。今回はたまたま、時間がないのでスルーすると言うだけだ。
「ランサー!? 血迷ったのか、マスターに何を」
セイバーの引き止める声を無視して、彼女の方へ一歩踏み出す。
「コイツは俺達の問題だ、首も剣も突っ込む必要ねえぞ」
そのまま右拳を彼女の眼前に持って行って……軽くデコピンを一つ。
「あだあっ! キ、効く〜〜〜ぅ!」
大袈裟にその場でぐるぐると回るのは……ああ、時代劇? とやらの真似らしい。聖杯曰く。
「キ、キミは何を急に……一体なんなんだ」
「落ち着け、マスターの同意の上だ」
「同意の上なら殴って良いわけじゃないだろう!」
「師匠、さすがに怒ったの?」
「怒ってねえよ、別に。……いや、ギカレーダ以外にはキレてるけどよ」
「すまない、それはどういう」
困惑する二人をよそに、「いたーい!」と呑気に額をさすりながらギカレーダは口を開く。
「いやさ、冷静に考えたら俺さ、家族と花畑に行ったことなかったし。この先に花畑なんかないんだわ」
「は!? ギカレーダ、キミが言ったんじゃ」
「いやだからさ、冷静に考えたら無かったんだって。存在しない記憶が溢れ出した的な?」
「つ……つまり、冗談ではなくて? 真面目な話……なんだね?」
「これがオオカミ少年の気持ち……! 疑われて辛いよ……オーイオイオイ……つまりはアレよ、なんか洗脳された感な?」
「おや。やはり破られてしまいましたか。残念ですね、マスター」
聞き覚えのない、穏やかな男性の声。
声の方へ目を向ければ、黒い長髪に白色の長衣の男。それから——
「キャスター!? 薬品の効果は折り紙付きだと言ったのはキャスターじゃないか! おい! 騙したのか!?」
——ヒステリックに怒鳴るもう一人。
「ええ。確かにあの薬品は『何が何でも特定の場所に出頭するよう洗脳する』効能があります。借金取りに重宝されましたね。当人の中で納得する架空の理由を作り出し、理性的な思考を鈍らせ、入力された行動を強制するもの……」
「ああ! だから手紙に染み込ませて使ったんだ! 花油と合わせて、魅了の対象をランサーのマスターに絞って……!」
「ただ、『誰かを騙すほどの嘘を言えるようになる』薬品では有りませんよ。鈍った思考で、整合性のある話が出来るわけがない。味方の多い、かの陣営に使うべきものでは有りませんでしたね」
キャスターと呼ばれた男は、怒りをぶつけられてなお穏やかだ。
それは氷のように……とまではいかないが、相手の熱に引きずられない程度の冷えた言葉。
すぐ様熱くなる男の隣にいるせいで尚更冷たく見えるのだが、それは無関心故、呆れたが故……というようには見えなかった。
輪をかけて冷静? いやこれも少し違うか。何だこの妙な感じ。
それはそれとして。これは隙だ。
二人が言い合っている間に、一刹那だけ背後に目を向ける。
いつでも動き出せるようにマルグリットを片腕で抱え、険しい顔のセイバーと目が合った。視線の交錯。
——引き受けた。行け。
——ああ、ありがとう。
言葉はなかったが、概ねそんなやり取りだった。頷くが早いか踵を返したセイバーを確認してから、正面に意識を向け直す。
よし。
これで、背後を気にしながらやり取りをする必要は無くなった。
「あとで改善点について語りましょうか。私の教えを伝えましょう、貴方が果たすべき目的のためにも」
「ここで果たせば要らないんだよそんな話し合いは……!」
「ここで、ですか……善処しましょう。ええ、ええ」
キャスターの語り口は、反抗的なマスターのことも慈しんでいるように見える。
これは……そうか、あれだ! 師と教え子の間にあるような、親密では無いながら暖かな関係性!
ただ、何故か壁を感じるのも真実。
確かに愛しているけれど、一線を引いているような。
愛を語る口の他に、何か別のものを腹の中に抱えているような……
「おい。仲良くご歓談中の所悪いがな。俺のマスターに変な薬品盛ったお二人組、って認識で合ってんのか?」
「ひっ! ……悪いか!?」
「盛った……というのは少し違うかも知れません。嗅がせた、が近いでしょうか。御足労を掛けましたね、ランサー」
こちらの軽い威圧にも、キャスターはその佇まいを崩さない。隣のマスターはあっという間に数歩も後ずさったというのに。
キャスターは戦士ではなかろうが、芯のある人物であることは何となく感じた。
「私はキャスターのクラスにて現界せし、旧きもの。以降お見知り置きを」
語るキャスターの懐からふわりと浮かぶ宝石、ひとつ、ふたつ。
鮮やかな色合いのそれは、彼を中心にくるりくるりと舞い始めた。
「ギカレーダ。それからランサー。私は……貴方がたとも友好的な関係を築きたいと考えています。……行いが行いだろう、と謗られては苦しい発言ですがね」
「友人!? ふざけるなよキャスター! 無理だ! どうせこちらの話なんて聞きやしない! 相性召喚でアレを呼ぶような女だぞ!?」
失礼にも指さされたギカレーダは、分かりやすく唇を尖らせて反論……というか、息継ぎなしの反撃をぶっ放す。
「はー!? それはわかんないだろ! 言わずに諦めるなんて勿体ねえ! 単刀直入に五秒で言ってみろよっ! 俺はすっごく忙しいんだよ人様に迷惑かけつつもうだうだ言うなんて申し訳ないと思わないのか!? 謝罪しつつ要約しろ!!」
「……え、はっ!? えっと……」
最早馴染み深くなってきた、ギカレーダの「例のやつ」。
自分を上回る勢いに、キャスターのマスターは哀れにも口ごもる。
ああいう手合いは「勢い任せ」と「自己の正当化(つまりは相手を悪と定義する)」という手札がなければ怒鳴れないだろうに、正気に戻りかけている。
対するギカレーダは怒鳴るなど日常の延長。自分が悪かろうが悪くなかろうが、面白半分に気軽に声を荒らげるので、(それもそれでどうかと思うが)勝ち誇った顔でこちらに囁いた。
「見ろランサー、押しに弱いぞあいつ。多分秒でハンコ押すぜ」
「やめとけ」
「何だよ、ランサーはそういうの嫌いか……じゃあやめとこう」
このままでは緊迫感のないやり取りが続いてしまう。咳払いと共に仕切り直しだ。
「キャスター、お前達の目的はなんだ? 陣に誘い込み、攻撃というのなら受けて立つが? 小手先で戦いてえってんなら止めはしねえよ」
「お、お前なんかと真正面から戦えるか! ……いや、鎧着てない今なら行けるのか……? じゃなくて」
「じゃあ何だよ」
「真正面から戦う訳ないだろ、こっちは賢く立ち回る術師なんだお前と違って! こっちはそのまま自害させる予定だったんだよ!」
「友よ、それは言うべきではなかったかと?」
くるくる。彼の周りを回る宝石が三つ、四つと増える。
それに合わせ、こちらも鎧を纏う。臨戦体勢。
「おい今鎧着るなよ!?」
「まあまあ、仕掛けているのはこちらですから」
キャスターは変わらず穏やかに嗜める。
「……ほーう、自害ねえ。ま、確かに? テメェが俺とやり合える器には見えねえな」
この距離なら、何か魔術的な干渉をされた瞬間に向こうのキャスターをぶち抜ける。
魔術障壁がある? だからなんだ。
我が血に眠る風神の奔流ともなれば、それを叩き割り全てを破壊するだろう。向こうの真名は知らないが、そうした自負はある。
「謀略も立派な戦術だろう!? こっちはな、先祖代々無駄な争いはしない主義なんだ!」
「いや戦術だけど明かしちゃったら戦術じゃなくね?」
容赦のない横槍。再度勢い付いた目の前に、放り込まれる障害物。
「は?」
「あっ分かった! 本当は裏があるんだろ! よっ賢い! さすが天才! プロ術師! キャスマスの〜! ハッ!(セルフ合いの手) ちょっといいトコ、見てみたい! それ発表! 発表!」
「……、………〜〜〜〜ッ! ……キャスタぁ゙!!」
「あっ……ご、ごめん……過剰な期待って良くないよね、俺もよく知ってるから……。実はランサーから期待されてて俺も困ってるんだ、だからお前の気持ちも分からなくもないよ……」
「ギカレーダ、あんま煽るな。ああいうのは恥かかされると何するか分からねえ」
「違う違う、何したらいいのか分からなくなるんだよ!」
「煩い、吠えるな! こちらは恥など覚えてすらいないっ!」
「え〜!? ほっんとっかなぁ〜!?」
「ギカレーダ! ……頼むから生き生きするな」
「悪い、目の前にカm……金持ちがいると思うとつい……」
……こほん。
次の咳払いは、向こうの……キャスターが受け持った。
「さて、我々の目的を話しましょう。敵対はそれからでも遅く無いはずですよ、特に貴方がたには」
キャスターはやはり、緊張感の欠片もなく。
まるで茶会の最中の雑談かのように、ごく普通に切り出した。
「貴方も、同盟相手の命は大切でしょう?」
「な——ッ」
彼の言葉は淡々と、しかし非常に鋭く。ただ静かに説かれただけだというのに、何か致命的な部位を握られたかのような錯覚を……
「そ、そうだ! 同盟を組んでるんだから普通は見捨てない筈だよな! い、いやでも分からないぞキャスター、向こうはそんなモノより『あの野郎』を取るかもしれ」
……すまん、錯覚は錯覚だった。
多弁というのはこういう欠点がある。緊迫が続かない。
何故だろうか、ギカレーダの煩さは許容出来るのにこちらはそうも行かないのは。
「グレイユル。非常に心苦しいのですが、貴方は取引に向いていません。得手不得手は誰にでもあることです、恥じることなく一歩引いてください」
「何だと!? このグレイユルが! 頼りないとでもいうのか!? お前も!?」
「……………。……非常に心苦しいのですが、はい」
「ランサー、もう今殴らないかあれ?」
「しょ……正直……少し揺らぐが。向こうの話を聞いてからの方がいいと思うぜ、俺」