希死念慮 SideR

希死念慮 SideR


転生と異世界ってもんは案外存在するらしい。


おれは1度死んだ。

そしてまた、同じ存在として生まれ変わった、と思った。

けれどその世界はとても平和で、海賊もなければ海軍もなく、世界政府も、挙句の果てには世界貴族もなかった。


フレバンスが美しい白い町ならば、今おれたちが生きているこの世界は、息苦しい灰色の世界だ。


おれには母上と父上、そして兄上がいる。

この呼び方は"昔"由来のものだけれど、事実おれたちは数多の王家の血が流れている、らしい。

おれは知らないけど、母上はどこぞの国の王女で父上はどこぞの国の公爵の子だそうだ。

昔から遡れば、政略結婚だのなんだとの色々混ざって居るらしい。

もっとも、2人の生まれた国では嘗て程に絶対権力のあるものではなかったとのこと。

現に2人はおれと兄上の2人の子をこさえて、2人の母国では無い日本という国で普通に暮らしている。

生まれが特別なだけの"一般市民"と自称しているし、おれだって普通に生きてきた。


けれど。

"昔"、その圧倒的な才能と能力でもって世界の破壊を目論んだ兄上は。

父上とおれを、目的のために撃ち殺した兄上は。

常に虚ろな目で、ただ無意味に呼吸をするだけの存在になっていた。


おれには生まれた時から記憶があったし、恐らく兄上にもあった。

悪魔の実が存在しないこの世界で、ふとまるで指から伸びる糸を操るような動きをしては、ぎくりと体を強ばらせていたからだ。

それはおれも時たまやる。

そして発動しない能力に、あぁそう言えば俺は死んだんだっけ、ここじゃあ能力はないんだっけ、と再確認するのだ。


そんな兄上の違和感に気付いたのは何歳のときだったか。

"昔"は小さな頃からおれをロシーと呼んで可愛がってくれた兄上は、おれと違って明るくて活発な、元気な子供だったはずだ。

それがどうだ。

なにか、全てを諦めたのか、全てに意味を見いだせないのか。

ただ死なないから生きているだけ。

前とは違う意味で曇りきった瞳を抱えていた。


「兄上。起きてる?」

「...起きている。」

「お腹すいてない?」

「...あぁ。」


話しかければ返事は返ってくるし、食事に呼ばれればちゃんと食べる。

やることはちゃんとやるのだ。

ただ全てが億劫だと言わんばかりに、同年代と並べば大柄なその体を縮めて過ごしていた。


物静かで、自己主張をしない、大人しい子。


それが今の兄上だ。

不思議だった。

あんなに不遜で、あの両親から生まれたとは思えないほど残虐なバケモノだと思っていたから。

だって今の兄上は、繊細な子供そのものだ。

あの記憶を持っているくせに、"昔"とはその見た目以外どこも重ならなかった。


サングラスをかけず、常に目を伏せている。

下品な笑い方もせず、ただ真一文字に引き結ぶ。

同じ顔のくせに、全く違う印象を抱くようになった。


──────


美しいヴァイオレット。

なんて皮肉だろうと思う。

紫の瞳を持つ人間は希少で、また光に弱い。

兄上はその瞳を持っていた。


しかし、有難いことに平和な世の中だ。

珍しい身体的特徴があれど人攫いに遭うことはない。

だが、平和すぎた世の中は人の心を巣食う。

男にしておくにはもったいない兄上の美貌はあまりに他と「違う」から、いじめられていた、らしい。

らしい、というのは簡単で、別に兄上がそれをなんと思っていなかったからだ。

軽度の暴力も"昔"を知るおれ達にとってまるで撫でられているようなものだし、教科書を隠されたって何も困らない。

何せ兄上はギフテッド、凄まじい記憶力と思考能力を持っている。

…正直、これも多分"昔"由来のものだとおれは思うけど。

だっておれもそうだし。


というか、歴史も地理も何もかも違うこの世界でも、1+1は2だし砂糖は焦げる。

常識は変わらないのだからそりゃあ知識もあるというものだ、ズルしてる気分。

元々勤勉なタチだった兄上にとって、この程度は引き継いだ記憶の中にまるっと納まっているはずだし、その兄上に"昔"覚えとけって叩き込まれてるからおれも覚えてる。

"昔"と違う歴史も地理も言語も、おれ達の優秀な頭はするすると覚えてくれる。

両親の母国語におれ達が常用する日本語と英語は小学生時代に暇つぶしがてら習得した。

兄上は終始つまらなさそうだったけど。


そんな規格外の頭脳を持ったおれ達はろくに勉強することなく学区内トップの高校に合格したし、当然と言わんばかりにそのまま最高学府と名高い東大に現役合格をした。

おれは医学部で、正直兄上も何を思ってそこに行ったか分からないが医学部だ。

まぁ...人体については確かに詳しいんだろうけど、兄上そこ出て何するの?

医者になる気もないくせに...


ちなみに俺は警察官になりたいからここに来た。

肉体的と言うより精神面、犯罪心理学を学んでみたくて。

"昔"は正義でありながら犯罪行為をしていたから案外理解出来るかもしれないと思ったからでもあるけど、本当の目的は違う。


おれは、兄上を理解したかったんだ。


──────


初めてそれを見たのはおれが小5のとき。

年の差は変わってないから、兄上が中1のときだ。

ふとまた糸を出そうとして出ない事実にびくりと肩を跳ねさせた兄上は、おれが見ていることに気が付かないまま裁縫道具を取り出していた。

細いミシン糸をくるくると器用に巻きとって、嘗て自分がやっていたように、手首を──────


まぁ、切れるわけが無いんだけども、それでも必死に..."昔"兄上が父上の首を切り落とした時のように、自分の左手を落とそうとしていた。

あの時の兄上は10歳、今の兄上は12歳。

おれは、あの時の兄上の年だ。


今はすごく平和だ。

別に何も無く、優しい両親と物静かな兄上と一緒に幸せな家族だと、その時までは思っていた。

だからこそ、兄上の奇行を見てまたおれは怖くなった。

今のおれと変わらない年で、あの時兄上は一体どこまでの覚悟を決めていたと言うのだろう。

家族揃って磔にされて火に炙られるようなことも無く(この世界、そんなことあったらとんでもないが)、母上だって元気だ。

天上から地に落ちたわけでもなく、安定した生活を送っている。

…まぁその、黒髪黒目が大半のこの国、おれ達一家は悪目立ちはしていたけども。

それでも、ただ悪目立ちで済んでいたし、暴力に明け暮れなくてもこの世界は生きていける。

だから、今のこの人生を楽しめるんじゃないかとおれは思っていたし、きっと兄上もそうだと思っていたのだけど。


何が兄上をそうさせたのかわからない。

少なくとも兄上は刃物も、縄も、使わなかったけれど。

決まって使えない能力を使おうとした後に、裁縫道具から糸を取りだして太い血管のある部分を切り落とそうとするのだ。


多分おれが見てないだけでもっとやっていると思う。

長く残りはしないけど、首や手首に時折赤く細い跡がついていたから。

"昔"とあんなに違うのに、やっぱり兄上のことは理解できなかった。


それがずっと、最初に見た時からもう10年は続いている。

おれが20、兄上が22。

兄上は院まで行くらしい。

おれは2年学んで少しずつであるが理解ができるようになってきた。

"昔"はただ生きるのに精一杯で、相手を理解することを早々に放棄したけれど、今は余裕がある。

ゆっくりと、考えることが出来る。

贅沢な人生だ。


1つ仮説を立てることが出来た。

まずひとつ。

兄上にとって最も信頼している凶器は糸であり、今世ではそれに尽く裏切られているということ。

そしてふたつ。

兄上は、記憶を持っているからこそ、所謂燃え尽き症候群になってしまったのではないか、ということだ。


"昔"、兄上をあそこまで動かした動力は世界への憎悪だったはず、だ。

父上を殺したのも憎悪だったはず。

元々母上にべったりだったけれども、ちゃんと父上のと呼んで家族として愛していたはずなのだ。

それなのにある日急に父上と呼ばなくなった。

今、あの時のことを思い出して考えてみれば...まぁ、わかった。

あの時のおれたちは確かに賢かったけれど年相応だった。

だからまだおれはあの時、熱い、怖い、もう嫌だ、としか思わなかった。

それが何故行われているのかとかまで考える余裕はなかった、というか、考えられるほど大人じゃなかった。

子供の2歳差は大きい。

兄上は考えることが出来たんだろう。

でも所詮子供だったから、ズレた答えを出してしまったのだと思う。

元々地に降りるのは反対だった兄上だから、あの地獄はそれを強行した父上のせいだ、と。

そう思ってしまったのだろう。

元々父上にもちゃんと家族の愛情を持っていたからこそ、反転した憎悪が激しく燃え上がったんだろうと、思う。


だって、決定的におれと兄上を分かったのは兄上の父殺しだ。

それまではずっと、兄上はおれを守ってくれた。

理不尽な暴力からおれを逃がして、命懸けで盗んだ食料をおれに分けてくれたのは、父上ではなく兄上だった。

間違いなく兄上は、おれへの愛情があった。

兄上は...愛情深い、ひとだった、と。

今だからおれは、そう感じることが出来た。


そうやって兄上は憎んで憎んで、その憎悪をエネルギーにして学び、研鑽し、生きていたのがきっと、"昔"なのだろう。

じゃあ、今は?


今、あの兄上が憎めるものはあるだろうか。

父上への憎しみは、"昔"殺した時に消えた。

おれへの愛情は、"昔"裏切りが発覚した時に反転し、そして殺した時に消えたんだろう。

この世界は別に、おれたち家族に牙は向かなかったから、世界への憎悪もなく。


兄上がいま情を持っているのは、母上だけなんじゃないだろうか。

だから...せめて息だけは、続けているのだろうか。


兄上は今、何を燃やして生きているの?

それを燃やし尽くした時、兄上はどうするのだろうか。







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