嵐の歌

嵐の歌



 新世界ではめっぽう珍しい、雲のひとかけらまで取り払われた晴天。これまた珍しい凪の海を往くのは、船首に獅子を据え、麦わらの海賊旗を翻す船だ。

 広々とした芝生の甲板を裸足で歩く姿がある。病んでいた期間の長さを物語る、蒼みの残る白い肌。着やすく動きやすいゆったりとした服に包まれた細身で隻腕の青年だった。


 周囲のクルーたちは思い思いに過ごしているようで、青年から目を離すことなく、さり気なく見守っている。


 腰を下ろした青年は、空を仰ぐ。眩い直射日光に慣れないのか、手でひさしをつくり、どこまでも透明な青い空に目を細めた。


 鮮烈な音色が高らかに甲板を響き渡る。およそ晴天に似つかわしくない白骨死体、手にするはバイオリン。弦の奏でる旋律は弓の跳ね踊る荒々しさ。

 嵐だ。誰かが呟く。

 ええ、先日のそれはそれはひどい嵐です。頷きながら手を止めず、演奏は在りし日の荒波と大風そのままを表していく。

 聴き惚れながらも選曲に首を傾げたクルーたちは、すぐに耳を塞ぐこととなる。船長がまるっきりの音外れで歌い始めたからだ。

 盛大なブーイングをくらい、ふくれっ面の船長は、あの時も心の中で歌ってたんだと言い出した。負けないぞサニーは、俺たちは、ってさ。

 呆れた面々と笑う面々の中、青年はそっと呟いた。


 俺も晴れより嵐が好きだ。


 そして、小さく歌い始めた。船長よりはだいぶマシな音程で。お気に召したようで何よりと、音楽家は歌に添わせて編曲した嵐の歌を奏でていく。噛み砕く白波の牙と、毟り喰らう風雨の顎の旋律。

 ほーらみろと笑顔になった船長が続き、これぞ戦士の歌だと狙撃手が勇んで加わった。ソプラノの医者とテノールの船大工は並んで歌い、艶やかなアルトで歴史学者が加わる。

 苦労も知らないでとため息一つ、からヤケクソで歌う航海士。彼女へ飲み物をサーブした料理人はテナーを請け負った。素知らぬ顔で寝たふりを決め込んでいた剣士も、見事なバリトンの操舵手に揺り起こされて嫌々ながら歌い始める。

 時折咳き込みながら、せいいっぱい青年は歌う。いつの間にか船長と狙撃手に挟まれて、調子っぱずれになりながら。



 患者の様子を見るためにやって来た潜水艦。その船長はなかなか終わらない歌にイライラしながら、結局終わるまで待っていた。




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