岩松君と最悪の一日

岩松君と最悪の一日

現パロサラリーマンSS

注意:

※庇番のアイドル直義とよくわかってない岩松殿+当然のような顔をして出てくる兄上

※当然のように直義は既婚者

※一部口調・呼び名などあまりに南北朝の部分を現代ナイズした結果割と誰これ状態

※具体的にどんな会社なのかは全然考えてない

※技能:理想の上司に夢を見すぎている






もう今日はマジで最悪だった。


先日厄介な案件が上手く終わったので、今日は金曜だし打ち上げもかねて飲みに行かないか、というような話がチーム内で誰ともなく上がった。俺は飲み会好きだからもちろん賛成。仕事の息抜きもかねてよさそうな店をピックアップなどしたわけ。できれば綺麗なねーちゃんがいる店など選びたかったけど、渋川のやつがうるさいので今回は結局行きつけの居酒屋で我慢した。

で、メンバー誰誘う?って話になって、案件の中心メンバーでその場にいた渋川、石塔、孫二郎、俺はまあ確定。フォローしてくれた上杉さんと吉良さんと今川も誘ってみる?ってな話をしてた時に孫二郎が「直義様も誘いたい」とか言い出して。アホだよあいつ。

直義様、つーのはうちの副社長で、社長の経営補佐はもちろんのこと、総務・経理・人事・法務・営業・マーケティングの統括やってるクッソ忙しい方で真面目な堅物で多分俺のことが嫌い。っていうか、「様」って何?怖。何なら孫二郎だけじゃなくて渋川と石塔もそう呼んでる。お~怖。基本的にうちの会社は役職じゃなくて苗字+さんでやり取りするけど、社長・副社長はご兄弟なのでたいていの場合お二人のことは名前か役職で呼ぶ。俺は常識的なので普通に副社長と呼んでる。上杉さんも普段はそう呼んでるけどたまに「直くん」って言ってるときある。まああの人は従兄らしいからそれでもいいけど。

話がそれたな。まあ俺が副社長を誘うことをアホだと思った理由は主に二つあって、堅物上司と飲みに行ったって羽目が外せなくて面白くもなんともねーだろってことが一つ。もう一つの方が重要で、そもそもマジでのっぴきならないほど忙しい方だから当日急に「俺らと飲みに行きませーん?」って言ってスケジュールが押さえられるわけがないのだ。まあ案件の成功の裏で色々手をまわして頂いたことは事実なので、誘う理由はあるが、誘うだけばかばかしい。が、俺のバカが、ちょっとしたアイディアを得てしまった。副社長はあれで理解のある人だ。「案件の打ち上げに行くんですぅ~」って言えば黙って金だけ払ってくれんじゃね?とりあえずメールで打診してみる。

「お疲れ様です。G社様案件成功を祝して、ささやかではございますが本日19時より『居酒屋 ひさし番』にて打ち上げを開催いたします。急なお誘いで恐れ入りますが副社長のご都合はいかがでしょうか。お忙しいかとは存じますが、無理にとは申しませんので、ご回答頂けますと幸いです」てなもんだ。待ち時間で別件の見積資料作ってたら半分くらい終わったところで返事が来た。

「お疲れ様。今回の成功は諸君等が一丸となって取り組んでくれた結果で、私も誇らしく思っている。残念ながら飲み会への参加は難しいが、直接労をねぎらいたいので定時前にそちらに向かおう。その際に寸志を渡すので、飲み代に使ってくれ」ほんっとに話が分かる。あんたおれの事嫌いかもしれないけど俺はあんた嫌いじゃないよ。っていうか、わざわざ来てくれるの?忙しいのにフットワーク軽いね。そーゆーとこが渋川や孫二郎みたいなシンパを生むんだろうな。

ちょっと雲行きが怪しくなったのは17時半頃、副社長直々にお越しいただき、ありがたいお言葉をかけていただき、寸志という名の大志をポンと出していただいた後のことだ。まあ当然といえば当然だが、副社長直々にお越しになればうちのチームメンバーも当然わらわら寄っていく。参加をお断りされたことは事前に伝えていたので、まあ残念です~くらいのことは言うかな、と思っていたけど、俺の考えが甘かった。孫二郎のアホが泣き落としにかかったのだ。副社長も「職場で泣くな、しかもそんなことで」とたしなめていたがしつこく食い下がっていた。どうせ孫二郎はウソ泣きだと思うが、「直義様」への執着はガチだ。副社長は一つ息をついて、「19時は社長と会議があるから無理だ。遅れてよいならそのあと向かう。多分早くとも20時半だ。それでよいか」といって孫二郎をなだめた。孫二郎はニコニコしていた。押しに弱えなあ。この人土下座したらセックスさせてくれるんじゃねえ?

で、結局メンバーは渋川、石塔、孫二郎、俺、吉良さん。かなり遅れて副社長の予定。上杉さんはどうしても今日中に終わらせないといけない仕事があるとかで不参加。今川はペットの世話があるから不参加。二人とも残念がっていた。俺としてはとりあえず、渋川・石塔・孫二郎の副社長強烈シンパ3人組だけでないことにちょっとほっとした。いや、別にこいつらも普段は気のいい連中なんだけど、何せ副社長が絡むとあれだから。

それでも飲み会が始まると楽しいもんだ。最初は案件の話から始まって、客先担当者の悪口で盛り上がる。

「あのBさんときたら毎度毎度ろくに資料も読まずに没と言えば仕事をした気になって困ったな」

「ほんとだぜ」

「お手元の資料をご確認くださいと何度言ったか」

「お前が指摘してること二つ前のスライドに明記しとるっつーのwww草生えるわwww」

「ルッコラもりもり食いながら草生やさないでくださいよ。永久機関ですか」

…とかなんとか話をしつつガンガン飲んでいく。仕事の成功への高揚感とわからんちんの某担当者への恨み節がつまみになって酒もいつもよりうまい。場があったまってくるとだんだんみんなのプライベートの話になり、吉良さんちのお子さん(やっぱ草が好きらしい)や渋川んちの姉ちゃん(おっとりした美人でなんと副社長の奥方)の話になったり、石塔の脳内彼女にひいたりなどした。おれ?一人の女に固執しないタイプだから。そろそろ100人切りに到達しそう、といったら孫二郎から「サイテー」といわれた。渋川と石塔も呆れた顔をしている。こいつら女に真面目だもんなあ。前の会社にいたときはみーんなキャバ行ってげらげら笑いながら下世話な話ばっかしてたってのに。こんだけ真面目ちゃんばかりだとちょっと前の職場を恋しく感じることもある。いや待てよ。石塔を「女に真面目」のカテゴリに入れていいのか?ちょっと俺毒されてる?まあいいや。なお吉良さんはもしゃもしゃサラダ食ってた。飲み会でサラダ5皿も頼んで4皿一人で抱え込む人って俺初めて見た。


さて、もう21時に回ろうかという頃、吉良さんがポツリと「副社長こられんなあ」と言った。渋川も石塔も孫二郎も20時半ごろからずーっとそわそわしてたがやっぱり口に出されると不安になるみたい。一応席は3時間とってるけど、ひょっとしたらラストオーダー過ぎてからひと言挨拶に来るだけかもな。俺はしょんぼりしてる3人を元気づけるつもりで「んじゃま、副社長くるまで副社長の話する?」とかうっかり口走ってしまった。

まーすごい。もともとお喋りな孫二郎はともかく、いつもは割と無口な渋川が喋る喋る。やれ親が死んで生活が苦しいとき面倒を見てもらっただの、大学入試の支援をしてもらっただの、忙しい中時間作って勉強教えてもらっただの、進路の相談に乗ってもらっただの。入社してからもやらかしたときに方々に頭下げてもらったりしたんだと。義弟ってエピソード多くてすごいね。「お前の姉ちゃんこますためにかっこつけただけじゃねえの」って茶化したらすげー顔で睨まれた。悪かったって。その阿修羅みたいな顔やめろよ。石塔も石塔でなんか脳内彼女アウトプットしたいみたいなこと言ったら伝手でプロのイラストレーターに協力頼んでもらったりしたんだって。怖いわー。まず脳内彼女アウトプットしたいってなんのタイミングで言ったんだよ。いや、言うか。石塔鶴子ちゃん鶴子ちゃんめっちゃ言うからな。俺も副社長に頼んだらモデルとか女優とか紹介してもらえんかな。

で、そう。石塔よ。「現実の女などこちらに注文ばかり付けてきていかん。やはり空想上の女こそ理想。至高」とか言うからさあ。なんか俺も素面だったら絶対そんなこと言わないんだけど、結構飲んでたからついいらんこと言っちゃって。「でも鶴子には触れないだろ。俺女とは触れ合いたいわ」って。「そういうことじゃないんだ!分かってない!!岩松みたいに全員が下半身でものを考えてると思うな!」とか言うから俺もカチンと来て。一瞬一触即発みたいな空気が流れたのを年長の吉良さんが諌める。「まあまあ、多様性の時代なんだから心の狭いことを言うなwww脳内彼女だろうが百人切りだろうが本人が良ければよかろうてwwww」ほんとおっしゃる通りで、吉良さんが正しいしそこで止まればよかったんだけどさあ。俺も俺なりにいろいろこいつらに気イ使ってんのに、なんか「サイテー」って言われたりすげー顔で睨まれたり挙句「下半身でもの考えてる」でしょ。苛ついてたの。この苛つきをこいつら3人に返したかったの。いつもより飲んで酒も回ってたし。言い訳なんだけどさ…


「俺は下半身でもの考えてるからおんなじ多様性ならまだ男抱く方がいいわ。何なら100人目は副社長に頼もうか。あの人アナル弱そうだし。ひゃはは」


いや、まあすごかったね。すっごい右ストレート。渋川ってボクシングかなんかやってた?顔がへこむかと思った。いや、実際へこんだ。石塔は下半身重点的に蹴ってくるし。孫二郎は「死んで詫びてください」とかいうし。吉良さんは「もう知らんwww」って言いながら草食ってるし。冗談よ。冗談…いや、すいません。悪気はありました。謝ってるんだぜ?そろそろ許してくれよ。ただでさえよっぱらってんのにこの上殴られたら酒が余計回るだろ。


「何をしている」

そう大きくもないのに騒がしい居酒屋の店内ではっきり聞きとれる涼やかな声。間違いなく俺が「100人目」と勢いで言った相手。全員が一斉に居住まいを正した。…俺以外。俺はちょっと無理だった。割と吐きそうで。

「飲みの席とはいえ度が過ぎている。渋川。君はもう少し理性的だと思っていたが」

「申し訳ございません。恥ずべきことをしました」

ウワッ渋川名指しで叱られてる。ちょっとかわいそー。まあ傍目から見たら俺が渋川に一方的に殴られてるだけだもんね。石塔は机の下から俺のこと蹴ってたし。でも渋川はアナル弱そうなあんたのために怒ったのに。うぷふっ。俺は俺の言いがかりが完全にツボに入っている。酔っ払いは始末が悪いぜ、と自分のことながら思った。

「お待ちください直義様。渋川さんは悪くないです」あれっ孫二郎お前いらんこと言うつもり?

「岩松さんが直義様のことをひどく言うから」言ったなお前。副社長の無感情な目が怖い。

「…岩松が何を言おうと、口で言われたことは口で返せばよかろう。暴れれば店にも他の客にも迷惑がかかる。……今日は皆飲みすぎのようだ。もう帰りなさい」

ため息交じりに副社長が散らばった飯やら皿やらを拾い集める。俺の発言のせいで勝手にアナルが弱いことにされ、仕事の後飯も食わずに片付けだけ黙ってやってる姿を見ると割と胸が痛んだ。他の連中みたいに今掃除の手伝いはできないけど反省はしたので気持ちは汲んでほしい。あと吐きそうだからトイレ連れてってほしい。

「…岩松は目の焦点が合ってないな。大丈夫か?」「すんません、ちょっとくらくらして。トイレいきたいんですけど」「わかった。じゃあ肩を貸そ…「ダメですよ!!!」

死ぬほど話の分かる上司の有難い申し出を遮られた。孫二郎てっめえ。

「…なぜだ?」既に肩を貸してくれている副社長の動きが止まる。何とか止まらずにトイレまで運んでほしいと目で訴えるが孫二郎の方を見て俺のことは全然見てもらえない。

「だって、だって岩松さん…」ちょっと待て、言うなっておまえ、マジで勘弁してください。ちょっとした意趣返しの軽口のつもりだったんだって。止めたいけど体が動かない。マジで吐きそう。

「直義様のことを抱きたいとかお尻が弱そうとか言うんですもん。トイレはダメです。絶対…あ」

すっごい勢いで肘が体にめり込んだ。なんだ、あんた鉄面皮かと思ってたけど感情的になることもあるんだ。それはそれとしていよいよ吐いた。


「すまなかった。とても義季に偉そうなことを言えたものではなかった。とりあえず掃除用具とおしぼりを借りてきてくれ」

俺のゲロまみれになった副社長は大層落ち込んだ様子でそう言った。吉良さんがさっさと店員の方に行き、残りの3人が口々に副社長に慰めの言葉を言ってるけど俺のことも少しは心配してくれてもいいんじゃないですかね。俺が悪いって?ああ、俺が悪いわ。全部吐いたらようやく脳もすっきりして胃がきゅっとなった。3人への絡みもまずかったし何より副社長への軽口はマジでやばい。普段なら割と空気を読んで発言できてたのにマジでなんでこんなこと言っちまったんだか。俺はこう見えて割と真面目にこの会社を気に入っていて、儲かってて従業員への羽振りもいいし、社名を出せば女受けもいい。物凄く話の分かるこの副社長と、癖は強いが使命感を持って業務に当たってる同僚たちのことは割と嫌いじゃないというか、居心地がいいのだ。後を引かせないためにもさっさと謝っちまおう。

「ふくしゃちょう」思いのほか弱弱しい声が出た。「なんつーかほんと……すんませんでした」「よい。酔っ払いの妄言など本気にしていない。こちらこそ咄嗟に手が出てすまなかった」ゲロまみれの頭を下げ、おしぼりで俺の方を先にぬぐってくれた。まずい。俺も「直義様は菩薩」とかいうようになったらどうしよう。

結局掃除については店員にやってもらい、諸々の謝罪や弁償(なんせ机と椅子に俺のゲロがかかっちゃったし殴られたときに皿とか一部落っこちちゃったし)については副社長の方で申し出てたけど断られてた。「気にせずまたお越しください」とのこと。なじみの店はありがたい。



うん。で、「あーなるほど、同僚と喧嘩になるわ上司にゲロ吐きかけるわ最悪だったね」って思うだろ?残念でした。だってこれはまだ昨日の話だからな。



解散後、副社長が「その体たらくでは家に帰るのもしんどかろう。私も早くシャワーを浴びたい」とかなんとか言って近場のビジホ借りてくれたんだよ。ぶっちゃけタクシーで帰ったとしても道案内も下車も難儀しそうなぐらい俺ダメだったから、ホテル借りてもらったのはありがたかった。まあ副社長もおしぼりで大体の汚れ取ったとはいえまだゲロ臭いし。ツイン取って入るなりジャケット脱がされてシャツのボタン外されたのにはビビったけど。「おそわれたいんすか?」「やってみろ。まともに歩けもしない癖に」意外とこの人軽口返してくれるんだよね。お堅く見えるけど実は気安い人かもしれない。

副社長は俺を横向きにベッドに寝かせた後、枕元に水とビニール袋と携帯を置いてバスルームへ向かった。「意識がはっきりしているから多分大丈夫とは思うが、何かあればすぐ救急車を呼べ。私も汚れを落としたらすぐ出る」だってさ。ほんとにそのあと5分くらいで出てきてさ、俺の様子じっと見てるわけ。スキル:理想の上司とかあったら多分この人持ってるよ。なんだか副社長のまっすぐな目を見てるときまりが悪くて、逃げるようにすぐ寝た。

朝方6時ごろだったかな。目が覚めると頭はガンガンするものの、もうほとんど復調してた。副社長はまだ腕組みして俺の方見てたので正直ビビった。この人真面目すぎでは。「もう大丈夫ですぜ。俺シャワー浴びますんで」「そうか」俺のバスルームへ向かう足取りを確認して、副社長は自分のベッドに移ったらしかった。俺が2~30分ほどシャワーを浴びて出たらもう寝ていた。お上品で規則正しい寝息を聞いていると、改めて本当に悪いことしたよなあ、と思った。

だって、この人の昨日一日って、21時くらいまで忙しく働いて、それから酔っ払いの喧嘩の仲裁して酔っ払いの暴言聞いて酔っ払いのゲロ頭から浴びて酔っ払いの代わりに謝って酔っ払いの介抱やって酔っ払いの監視して終わったわけだ。俺だったらこんなの全然つまんねえ。罪滅ぼしに朝飯は奢ろうと思い、近辺の飯屋を調べるために携帯を取ると、LINEに渋川・石塔・孫二郎からメッセージが入ってた。それぞれ、心配と謝罪のメッセージだ。石塔なんか、俺への謝罪に併せて「俺がお前の好きな現実の女をけなしたせいで直義様にまで多大な迷惑をかけてしまった」とかなんとか言ってすごい落ち込んでそうだった。ほんと、みんな真面目だ。俺も見習おうかなあ。

大体、そもそも俺もかなり悪かったわけで。3人にそれぞれ謝罪のメッセージをこちらも送った後、愚かな俺は最高のサービスを思いついた。副社長の寝顔送ったらこいつら喜ぶんじゃね?…俺は副社長に対する人権意識がかなり低いかもしれない。でも仲間を喜ばせたい一心によるものなので、許してほしい。

副社長を見ると上半身裸で眠っていることに気づいた。一瞬裸族か?と思ったが、ビニール袋に雑に突っ込まれているジャケットとシャツと肌着を見て納得した。ああ、俺のゲロ頭からかぶったもんな。そりゃ上は全部染みてるか。スラックスは無事でよかったね。ほんと申し訳ない。申し訳ないついでにちょっと一枚サービスカットください。深ーく眠っている副社長に携帯を向け、シャッターボタンを押す。一瞬眉間にしわが寄ったので起きたかと思って焦ったが、幸い寝息は途切れなかった。さて、写真ゲット。顔がメインだが、繊細な首筋から鎖骨、胸元まで見えている。ついでに俺のピースサインも入れてやった。多分副社長のファンには垂涎ものだろう。しらんけど。3人それぞれに送信するか、チーム(どうせうちのチームは副社長のファンしかいない)のLINEグループに投下するか一瞬迷って、めんどくせえと思ってLINEグループに送信した。

改めて副社長の寝顔を見ると、普段きっちり後ろに流している前髪が下りていることもあり、あどけなく見えた。いつもの鋭く切れ上がった目も固く結ばれた口元も、今は力なく緩んでいる。こうしてると大学生くらいに見えるな、などと不遜なことを思いつつしばらく寝顔を眺めてると、ある違和感に気づく。…こめかみのあたりになんかついてる。シャワーもすぐ出たし、汚れが取れてなかったのかな?つい思わず、俺は副社長の頭に手を伸ばした。結果、ついてるのではなくついてないことに気が付いた。どういうことかっていうと、多分これ10円ハゲだ。いや、サイズ的には1円くらいだけど。イケメンなのにかわいそう。ストレスたまるよなそりゃ。社長は自由だし部下は強力なシンパか迷惑な酔っ払いか妙に敵視してくるかだし。何せ営業部と技術部は水と油だから。あーかわいそ。俺は厚かましくも上司の頭を撫でてやる。小さな声で「あにうえ?」という言葉が聞こえた。えっ副社長プライベートだと社長のこと「兄上」って呼んでんのひょっとして。古風。っていうかその反応、割とよく頭なでられてんの?え?今でも?

同時に、前上杉さんと一緒に飲んで酔っ払った時の「直くんは頑張り屋さんだから」という発言を思い出していた。あの時は「直くん」と「頑張り屋さん」という言葉があまりにもあの冷徹な副社長と不釣り合いで思わず吹き出してしまったが、今の俺はなんだか納得してしまっていた。多分直くんは頑張り屋さんだと思う。きっと「兄上」の夢を二人で形にするために経理とか法務とか一生懸命勉強したんだろう。そんな気がする。ハゲまで作って。うわっ感動しそう。関連してもう一つ思い出した。

俺はこの会社に入る前、別会社で営業をやってたが、こっちの方が待遇がよかったんでこっちに転職した。…前の会社では、俺の成果がしばしば同僚である兄貴に横取りされたってのもやめた理由の一つだ。兄貴はおべんちゃらがうまくて、俺は素行が悪いんでそうなってた。俺が前の会社をやめて今の会社を受けるとき、兄貴も「お前ひとりでは心配だから俺もついて行ってやろう」なんて言い出した。結果俺は受かって兄貴は二次面接で落ちてた。ざまーみろだ。二次面接は副社長が面接官だった。あの人にゃーおべんちゃらも通用すまい。最終面接は社長だったけど、「採用だ!おめでとう!」だけで終わった。「そんなんでいーんだ…すか?」とあまりのことに敬語が壊れた俺に対して、社長は臆面もなくこういった。「うちは二次面接が最終面接だから。二次面接合格なら私からは何もないのだ」…あの時は正直何てことぶっちゃけてんだこの社長大丈夫か、と思ったが、多分、頑張り屋さんの直くんの判断に全幅の信頼を寄せてるんだろう。うちと比べてなんと美しい兄弟愛。いや、でもやっぱやべーはやべーな。俺までそっち側に行ってはいけない。


「何をしている」

おおよそ見たことがない不機嫌オーラ満載だ。頭をなでていた左手をがっつり握りしめられている。やっべ。起きるの早くない?30分くらいしか寝てないでしょ。

「女はこうすると大体喜んでくれるんですがね」うわっ眉間のしわが深くなった。さっきまでのあどけなさはどこへやら。頑張り屋さんの直くんは鬼の副社長にお戻りだ。


「無礼な……お前ももう平気そうだし、私はもう帰る。もういい年して飲み会で羽目を外しすぎるなよ」

「ちょっと待ってくださいよ。俺もその件についちゃ反省してまして。酔っ払いの介抱してくれた大恩ある副社長に朝飯くらい奢らせてくださいよ」

「お前に奢ってもらう必要などない」

「必要って…気持ちの問題でしょーがこういうのは」

「……」

ほんと割と嫌そうで笑う。奢るっつってんのに。やっぱ基本的には俺の事嫌いなんだなこの人。俺は割と好きなんだけど。頑張り屋さんの直くん。へへっ。

「なにやら不愉快な目線を感じるが…まあ、わかった。そういうなら御馳走になろう。どこで食べるんだ?」

「今から調べます」

「……今から妻に昼前に帰る旨連絡してくるからその間に決めておいてくれ」

「了解です。あっそうそう」

「?」

「副社長ここんとこ10円ハゲできてますよ」

「!!!!」

俺が自分のこめかみを指で刺すと副社長は足早にバスルームに入り、やや間があってから「マジか……」という地を這うような呟きを零した。お気の毒様です。へこんでる間に早急に飯屋を調べよう。…と思ったら、LINEの通知がえらいことになっていた。渋川からはこちらを窘めるメッセージが入ってて(直義様はお許しになったのかって許可なんてあるわけねーだろ寝顔だぞ)、それはまあ予想通りというかいい。どうせそんなこと言いながら画像保存してるだろうし。それよりなんか上杉さんのメッセージがすごい。「すごくよくとれておりますね」「おかわいらしい寝顔だ」「これどこで撮った写真ですか」「昨日の飲み会はひさし番でしたかな?」「あの近くラブホあるけど違いますね?」怖い怖い怖い。何この執拗さ。上杉さんこんなんだっけ?副社長が絡むとあんたもこんな感じ?ちょっとイメージと違うんだけど。「うわっ」バスルームから戻ってきた副社長が悲鳴を上げた。「どうされたんです」「いや…妻に連絡しようと思って携帯を見たらとんでもない数の不在着信とメッセージが兄から…」俺たちはしばし見つめ合った。「奢りはまたの機会ってことで……」「そうだな……」お互いそそくさと帰り支度を始めた。絶対ろくな予感がしなかった。ふと思い立ったように副社長が「そうだ。やる」と何か投げてよこしたので見ると替えのシャツだった。昨日着てたやつはゲロついたもんな。マジで神かこの人。いつの間に買ったんだよ。いつの間にか本人も綺麗な服に着替えてるし。着替えてると上杉さんからまたメッセージきた。怖いから見たくないけど見ないわけにもいかない。「ホテル久米川だな」「506号室とみた」ねえもうキャラ変わってんじゃん。ビビらせたいんなら成功だよ上杉さん。過去最高にビビってるからそろそろ許して。


コンコン


威圧感のあるノックの音に副社長も隣で凍り付いている。上杉さんからメッセージの追加だ。「やっと返して頂けました」何が?「私も昨夜業務が終わった後社長につかまりまして。『弟をお前のところの若いのにとられた』と大層嘆いておいででしたので夜通しお付き合いを」「副社長が慕われている証拠で喜ばしいではないですか、と進言し一度ご納得いただいたのですが」「あなたが送信した写真を社長に見られてしまいまして。……うん。おかわいらしい寝顔でしたな」

「中にいることはわかっているからな。直義。今その不埒な輩から助けてやるぞ」

副社長ののどからヒュッという音が漏れた。多分マジでビビってる。普段だったら笑えたが、今は笑えない。俺も同じくらいビビってるから!!「岩松。お前バスルームに荷物と靴持ってとじこもっていろ。兄が何をいきり立っているのかはわからんが、どうも帰ったことにした方がよさそうだ」「だ、大丈夫ですかね」「保証はできない」蚊の鳴くような声で会話する。全くやましいことなんてこれっぽっちもないのに、俺たちはなんでこんなにおびえさせられているんだろう。

俺が隠れたあと、ご兄弟の愛溢れる会話が遠めに聞こえる。

「兄上?どうなさいましたか?なぜこちらに?」

「ああ、直義!無事でよかった!」

「…ご心配頂くようなことは何もございませ……痛いです兄上。お離しください」

「そういうな。本当に心配だったのだ。弟に貞操の危機があるのではと」

「何の話ですかマジで」

「お前と一夜を共にしたあの男、確か相当に女好きだったであろう」

「一夜を…変な言い方よしてください。酔った部下を介抱しただけです。それももう終わりました。それに、兄上のおっしゃる通りあれは女好きです。全く何も起こらないです」

「ほう。なにもおこらんとな。あのようなしどけない格好を晒しておいてよくもそんな呑気な」

「…しどけない格好など晒した覚えはございませんが」

「お前に覚えはなくともばっちり晒されていたぞ」

「は?」

いや、あんま愛って感じしないな。どっちかっていうと漫才に近い。とはいえ、なーんとなく不倫現場に踏み込まれた間男の気分。全然そんなんじゃねえのに。っていうか写真の件はあまり深堀しないでほしい。ただでさえ追い詰められているところに味方が減って敵が増えるのはつらい。

「…で、間男はどこだ?」ずんずん室内に入ってくる音がする。あー間男認定された。そんなこと言われるなら抱いてやらねえと割に合わねえわ…などといえる状況ではとてもない。「かくれんぼは得意だぞ」天井の点検口は使えるだろうか。バスルームのカギだけでは頼りない。「ここか?」バスルームのドアをガチャガチャやっている。壊れそう。

「兄上、そう乱暴にされてはホテルに迷惑が掛かります。おやめください。それにもう……何だ上杉。お前も来たのか?」

「はい、まあ……なんでもお仕事でお疲れのところ岩松君から随分と迷惑を受けたようで?」

「大したことではない。それに、昨日はお前の方が遅かったろう。ご苦労だったな」

「副社長のその気配り上手は素晴らしいですなあ。でも私も社長には及びませんが結構鶏冠に来ておりまして。こちらをご覧ください。うちのチームのLINEグループなのですが」

とりあえず点検口は押せば開くことは確認した。しかし、中立だと思ってた上杉さんも敵っぽい。なんで?あんただってよく副社長の写真シェアするくせに。まあ講話中とかのやつだけど…。

「岩松ッ!」

あ、だめだ。敵が3人に増えた。そんな怒ることないだろ。かわいい寝顔だったよ。ちょっと口半開きだったけど。俺の過去の女の寝顔セレクションと比較しても20位以内には入ると思うから気にしなくていいのに。

何とか点検口にのぼり息をひそめる。体を鍛えておいてよかった。直後、バスルームの鍵が開く音がした。「さすが直義」って開けたのあんたか。裏切者。何でだよ。

「おや?いないな?確かにここにいるはずと思ったが…」「点検口でしょうね。天井の」副社長!!

まあ点検口には俺の全体重がかかっている。さすがに開くまいと思うがいずれにせよ破滅の時はそう遠くない。最悪だ。ずっとこの場で待たれてたらどうしようもないし、万が一この場を逃げ切れたところでどっちにしろ社長と副社長、おまけに二人の信任熱いベテランににらまれてて以前までと同じ居心地のいい職場なんか望めないに決まってる。余計な事するんじゃなかった。また転職すっか……。

信じがたいことに俺の100kg近い体が浮き始めている。嘘だろ。社長だって副社長よりはでかいけど俺よりは縦も横も小柄なはず……押し上げるタイプの点検口のうえに100kg近くの重りが乗ってたとして、それを持ち上げるような奴にもしも殴られたりしたら一体俺の体は……そう考えたとき、筋張った手が俺ごと点検口の扉をずらし、そのまま俺の首に手をまわした。


「つかまえた」





岩松……点検口から引き摺り降ろされた時は死を覚悟したが、副社長から写真の削除要求ときつめのお説教を頂いただけで解放された。「社会人として規範意識をもて、憲法13条ではプライバシー権を保護していて人を盗撮するような行為は…」とかなんとか言っていたがあまり覚えていない。社長からは「今回の件は許しがたいがお前といる直義ちょっと面白い」とかでなんとなく許された。

直義……眠いし腹が減った。兄に朝食と昼寝を一緒に摂る旨誘われた。妻には帰りが更に遅れる旨連絡せねばなるまい。埋め合わせも考えねば。

尊氏……弟の無防備な写真を勝手に公開されたのは腹立たしいが、それはそれとして写真を(上杉から無理やり)Getしたので機嫌としてはプラマイゼロ。いい天気だなあ。これはお昼寝日和だ。

上杉……直くんの怒りはちょっとずれてるのでは…と思ったが直くんがそれでいいならまあいいか。帰って寝よう。

渋川……義兄の寝顔を見てほっこりしたが、勝手に保存しては道義に悖るのでは、と迷っていたら写真が消えた。これでよかったと思いつつちょっと悲しい。

石塔……鶴子ちゃんに「寝顔は隙がある」という属性が追加された。

孫二郎…どんな発言をしてもお堅い上の2名に叱られそうなので黙っていたが、当然写真はしっかり保存した。ロックもばっちりだ。

吉良……LINEグループの騒ぎは寝ていたので見ていない。昨日は疲れた。若者は血の気が多いから…

今川……瑪瑙と散歩中。実にいい朝だ。

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