山猫の死と笑顔と祝福と

山猫の死と笑顔と祝福と


☆『山猫の死』に出会った狼之神高校アイスホッケー部39番のお話。(誰?と思った人はドッグスレッド第1・4話をよく見直してみよう!)

☆ゴールデンカムイとドッグスレッドの世界観クロスオーバーSSです。あくまで世界観のみ。

☆「尾形百之助」は出てきません。現代のモブ男子…?が出てきます。

☆日付の通りドッグスレッド第2話掲載時点で書いた作品なので、色々捏造満載です(重要) 様々な部分はご想像にお任せします。


(2023.8.24 一部表現修正)


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芸術には大して興味がなかった。

修学旅行の日程に組み込まれた美術館の鑑賞。リーフレットを貰い、順路通りにガラスやロープの向こうにある美術品を見て、帰ったら適当にレポートもどきの感想を教師に提出するだけ。その筈だった。



ある1枚の絵が視界の片隅に入り、それまで淀みなく歩いていた足が止まった。


それは線路か何かの脇に横たわっている猫の絵画。作者の名前は全く記憶になかったが、『山猫の死』という表題とは一見して不釣り合いな、あまりに穏やかな表情と姿で眠っているとしか思えない1匹の猫が描かれた絵。


『幸せそうだな』

それが絵を見た第一印象だった。




ふと気が付くと同級生から困惑気味に声をかけられていた。どうやらかれこれ数十分、俺はこの絵の前から動いていなかったようだ。

よっぽど気に入ったと思われたのか、ご丁寧に配布されていたチラシを見せられ教えられた。『山猫の死』はどこぞの大企業の社長が高値で買い取った物だが、今回は作者の没後何周年だかを記念した展覧会をこの美術館で開くということで特別に貸し出され展示されていたらしい。その期間が今年の修学旅行とたまたま重なっていたという……そう、それだけだった。



あらかた展示も見終わり物販コーナーをうろついていると、部活仲間から「お前がずーっと見てた絵さ、『山猫の死』だっけ? あれ、笑ってるお前にちょっと似てない?」と言われた。そんな訳ないだろ、と溜め息混じりに返したが、ソイツは冗談半分本気半分といったような口調で俺の顔をじっと見つめて言った。

「いいや、確かに似てるね。顔立ちっていうか、そのとき漂う雰囲気?空気?みたいな。例えば……ホッケー道具の手入れをしてる時とか、夜練の帰りにたまに弟くんと話してる時のお前。結構あんな感じだけど?」

……前者は無意識なだけであり得るかもしれないが、後者は大体あっちが勝手に盛り上がってるだけだ。そもそも俺が弟相手にあんな風に笑っているところなんて、自分でも全く想像できない。それ以前に『死』なんて名付けられた猫と笑顔が似ているとか言われても嬉しくも何ともないな、と皮肉を込めて答えたら「アハッ、そりゃそうだ」と意にも介さぬ様子で笑われ、ソイツはそのまま俺の元から去っていった。

とはいえ、大量に並んだグッズを眺めていても俺の脳裏には今日初めて見た「あの絵」が焼きついて離れないままで。……結局、俺は開かれていた展覧会の図録と『山猫の死』が印刷されたポストカードを持って会計列に並んでいた。



帰ってきてから荷解きもそこそこに、俺は買ってきた図録を自室で広げた。こんな物を買うのも読むのも初めてだ。やたらデカくて重くて開きにくい図録をローテーブルに置いてページをめくっていくと、開催されていた展覧会の詳細、展示物1つ1つの写真と解説、そして作者である画家の簡単な説明が掲載されていた。

“ヴァシリ・パブリチェンコ”──今からおよそ100年前、狙撃手から画家に転向したという奇妙な経歴の持ち主。精緻な描写と写実的な作風で有名な人物だが、その中でも珍しい印象画が晩年近くに描かれたあの『山猫の死』であり、彼が死ぬまで手放すことのなかった絵なのだという。

それはあの絵を描いたのが死の直前だったのか、それとも納得いく絵が描けるまでその人生を費やしたのか……そこまでは分からない。あの絵が制作された経緯も含め、評論家や研究家からはその人生自体が研究の対象とされているらしい。


ネットで軽く調べてみたが、一説によると『山猫の死』は画家になる前のヴァシリが北海道を訪れた頃に出会った何か、あるいは誰かをモデルにした……なんて眉唾物の論もあるようだ。──俺にはあの絵に関する真偽を調べる理由も歴史を深堀りする意味もないが、もしそれが「事実」だと仮定するなら。あの猫は一体何を感じてあんなにも安らかな表情を浮かべたのか。そして作者はあの猫に何を思い、『山猫の死』という題名と絵をこの世に遺したのだろうか。

……考えても理解できる訳がない。俺は描かれている猫でも、記録に残された画家本人でもないのだから。



ただ、何となく頭によぎったことがある。


『幸せ』の定義には色々あるだろうが、その内の一つには「何かに祝福されて感じるもの」があると俺は考えていたから。

あんなにも幸せそうに、安らかに眠るような笑顔で描かれた山猫は、きっと『祝福』されながら「死ぬことができた」のかもしれない。何故だか分からないが、無性にそう信じたくなってしまったのだ。




暫くして、玄関を開ける音と「ただいま」という声が聞こえた。弟が学校から帰ってきたのだろう。

俺に似ていると言われたこの絵のポストカードを土産にあげたら、アイツはどんな反応をするのだろうか。その反応を見て、俺は何を思うだろうか。アイツも俺とこの山猫が似ていると言うのだろうか。ならばどういう時に俺はそんな顔をしているのか、アイツには分かるのだろうか。

ほんの少しの興味と好奇心と共に、俺はいつものように弟が俺の部屋へ挨拶に来るのを待った。


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