尾刃カンナの浅慮による愚行
「姉御ぉ、すごい良い匂いするし、ちょっと休憩していきません?」
「今は勤務中だぞ。後にしろ」
「ええ~……せっかくの祭りなんすよ? 買い食いしないと損じゃないすか?」
「はぁ……まったくお前ときたら」
抗議の声を上げるコノカに、カンナはため息を吐いた。
良い匂いがする、というのはカンナも理解している。
D.U.で開催された祭りにより、あちらこちらに出店が出ているからだ。
甘い匂い、香ばしい匂いが漂い、思わずカンナも唾が出るほどだ。
だが公安局として働いている以上、その仕事を放り投げるようなことはできない。
そもそもなぜカンナとコノカがこうして見回っているかというと、生活安全局からのヘルプがあったからだ。
普段よりも人の集まる祭りの現場では、生活安全局だけでは到底人手が足りない。
だからこうして空腹を胡麻化してトラブルに目を光らせているというのに、コノカはあちらこちらへと視線が泳いで一向に定まらない。
「生活安全局の子らにはマスタードーナッツ送ったりしてたじゃないっすか。あたしらもちょっとくらいカロリー摂っても罰は当たらないと思うんすよね」
「……少しだけだぞ」
「やった~! あざっす姉御。じゃあ牛串食べましょうよ牛串」
「何でもいいからすぐに済ませろ」
鼻歌を歌いながら牛串の屋台に走り寄って行くコノカ。
こんなのでも優秀ではあるのだ。
運動神経も優れているし指揮能力も高い。
趣味を優先させたり合間に本格的に運動を始めるような悪癖がなければ、カンナももっと仕事を任せられるのだが。
と、思考が飛んだ時に、コノカが牛串を両手に持って戻って来た。
だがしかし、その顔色は悪い。
「うう~、姉御ぉ……」
「どうした?」
「見てくださいよコレ!」
コノカが持つ牛串の2本のうち1本がカンナに手渡される。
炭火で焼かれた牛肉に塩胡椒が振られていて、何とも美味しそうだ。
「串に付いてる肉が4切れなんすよ」
「それがどうした」
「どうした、じゃないっす。4っすよ? 不吉だと思いませんか?」
「……またか」
コノカという人間はジンクスを異常に気にする性質だ。
黒猫が前を横切れば不吉だと声を上げ、何かに4や9の数字が入っていれば死ぬだの苦しむだのの前兆だと叫ぶ。
本人に何かジンクスに傾倒するような過去があるのかもしれないが、カンナからしてみればどうでもいいことだ。
「どうして4切れなんすか。せめて3切れか5切れだったら」
「とっとと食べろ」
「むぐっ!?」
食べ物を前にしてうだうだと悩むコノカの手を取り、その口に牛串を叩き込むカンナ。
そんなに4が嫌なら、さっさと食べてしまえばいいのだ。
目を丸くしていたコノカだったが、咀嚼するにつれてトロンとした顔になっていく。
「うめぇっす……くそうめぇっす」
「そうか、それはよかったな」
「こんな美味い牛肉食ったの初めてっす。これが伝説のA5ランクなんすかね?」
「知らん」
案ずるより産むが易しといったところか、コノカは残りを抵抗なく食べ始めた。
あまりの美味しさに感動したのか、うっすら涙まで浮かべている。
カンナが続いて食べようとしたとき、中央広場にて爆発音が轟いた。
「どうした、何が起きた?」
「うわーヘルメット団だー!」
「逃げろーっ!」
逃げ出す市民の声から察するに、祭りの陽気に当てられたのか、ヘルメット団が暴れているらしい。
カンナは牛串をコノカに押し付けた。
「副局長、私は制圧に動く。お前は市民の避難誘導だ」
「え、ちょ、姉御は食べないんすか!?」
「お前にやる。合わせて8切れなら問題ないだろう、末広がりだ」
それだけ言い捨てて、カンナは走り出した。
「姉御はさすがっすね……それに比べてあたしときたら」
迷うことなく動いたカンナの背中を見ながら、コノカは黙々と牛串を食べ進めた。
結局この日の祭りの騒動により、カンナは出店の料理を摂ることはできなかったのだった。
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合歓垣フブキの入院。
中務キリノの離反。
一大事件ともいえるこれらを引き起こした原因が、差し入れたマスタードーナッツにあると知ったのは、もはや手遅れになってしまってからだった。
「……私のせいだ」
毒を盛るつもりなどなかった。
ただ彼女たちの純粋な厚意に対して何か返せるものを、と考えて手配したものに、まさかあんなものが含まれているなど誰が気付くことが出来ようか。
砂糖を多量に摂取したフブキは未だ目を覚まさない。
姿を消したキリノの行方は不明だが、最後に彼女がこぼした言葉からアビドスに向かったのだとは推測できる。
「姉御、ちょっといいすか? 砂糖の案件でちょっと気になることがあるんすけど」
「……ああ」
資料片手にやって来たコノカの声に、カンナは生返事を返す。
生活安全局のエリートを取り戻さなくてはいけないというのに、カンナの動きは鈍い。
まるで水の中で藻掻くかのように、精神的な重圧が億劫でしかたがないのだ。
「姉御ぉ、そんな眉間に皺寄せてたらダメっすよ」
「……副局長」
「ウォーターパークで学んだんじゃないんすか? 不安そうな顔浮かべてたって何にもならないっす。スマイルしましょうよ」
「笑えるものか!」
それはコノカなりの慰めの言葉だったのかもしれない。
だが今のカンナにそれを受け入れられる余裕はなかった。
「私の手で彼女たちを地獄に叩き落したんだぞ。フブキはまだベッドの上だ、それでどうして笑うことができる? いいや、できるはずがない」
「姉御……」
「消えろ……今は誰の顔も見たくない」
コノカの話すら聞かずに顔を背けて、絞り出すような声でカンナは告げた。
このどうしようもない憤りを発散するために、味方であるはずのコノカ相手にさえ暴れてしまいそうだったのだ。
「……そうっすよね。やっぱりあたし程度が見つけた発見なんて、姉御には聞く価値もないっすよね」
ぽつりと呟いて、コノカは部屋を後にした。
「姉御、おさらばっす」
この日、ヴァルキューレ公安局の一室にて、コノカが首を吊っている姿が発見された。
よく懸垂などで使用していた梁を使用し、ネクタイを引っかけてぶら下がることで自殺を図ったと思われる。
幸いにも救急対応が身に付いているヴァルキューレの学生が多くいたことから、救助は速やかに行われ、彼女は病院に搬送された。
人通りの多い場所での実行だったこと、遺書などがなかったことから衝動的な行動だと判断された。
首を吊った彼女の足元には、真新しい資料が落ちていた。
『現在蔓延している〈砂糖〉に似た薬物と思われる〈塩〉の存在について』
昏々と眠り続けるコノカの傍でその資料を読んだカンナは、己が浅慮による愚行と舌禍を呪い続けることとなる。