小鳥遊ホシノのアリウス勧誘

小鳥遊ホシノのアリウス勧誘


目次


トリニティ総合学園の土地の一角、カタコンベを抜けた先にアリウスは存在する。

かつてカタコンベは、出入り口も通路も時間の経過で変わる生きた迷宮といって差し支えない代物だった。

しかしアリウスを支配下に置いていたベアトリーチェという怪人が姿を消したことで、カタコンベの異常性は喪失した。

今ではアリウスとは、地図さえあれば行ける場所でしかない。

尤も、多くの人間にとってアリウスとは元々存在自体が知らないものであり、通路が出来たからといって敢えて行く用事などないものだった。

エデン条約での暗躍を見れば、アリウスとは危険思想を持つ集団であり、まともな感性があればわざわざ関わり合おうとは思わないだろう。

しかし中には、その集団に敢えてコンタクトを取ろうとする奇天烈な人間もいる。

 

「なるほど……話には聞いていたけど、随分とまあ暗い場所だねぇ」

 

「ここがアリウス……地図は覚えていても、実際に来たのは初めてです」

 

ハナコを率いるホシノがアリウスの街を見て眉を顰める。

空が閉ざされているわけではないのに、空気がよどんでいるような感覚があった。

周辺には廃墟が立ち並び、古書の埃が舞っているような、この場所だけ時間に置いて行かれたかのような息苦しさだった。

 

「来たのはいいですけど、ここにまだ居るんでしょうか? とっくに他の場所に行っていてもおかしくはないですけど……」

 

「……うん、居るね。こっち見てる」

 

「……私にはわからないですね」

 

周囲には人影はない。

アリウスとの戦闘で捕まえたものは何人かいる。

けれどアリウスに居るはずの総数からすれば、彼女たちは一部に過ぎないというのは予想できたことだった。

では残りのアリウス生徒たちはどこへ行ったのか?

戦闘技術を叩きこまれ、トリニティやゲヘナといった組織への憎しみを学ぶことでしか生きられなかった彼女たちは、ベアトリーチェが居なくなった後、他の場所でも生きて行けるのか?

答えは否だ。アリウス以外での生き方など彼女たちは知らず、どんなに嫌っていても他所に行く考えがないからこそ、彼女たちはまだここに留まっている。

 

「見つけた。君がこの子たちのリーダーかな?」

 

廃墟のあちらこちらから突き刺さる視線を物ともせず、鋭敏になった感覚の導きに沿って出会ったガスマスクを付けた少女に、ホシノは声を掛ける。

スクワッドほどではないが、彼女が一番この場所で強いとホシノは判断した。

 

「……リーダーはスクワッドだ。私はただの小隊長でしかない」

 

「そう? でもスクワッドはもうここには居ないよね。なら君に聞くのが一番早そうだね、小隊長ちゃん」

 

「お前は誰だ? 何の用だ?」

 

「おじさんはねぇ、小鳥遊ホシノって言うんだよ。要件はスカウトかな」

 

ホシノは荷物から飴玉の袋を取り出した。

袋の端を開けただけで甘い香りが広がっていく。

 

「おじさんの学校アビドスっていうんだけど、砂漠だらけで人が居ないの。でもこの特別性の砂糖を使ったお菓子があれば復興はできると踏んだわけ。でも最初の人手が足りなくてさ。手伝ってくれると嬉しい」

 

「……それは命令か?」

 

「お願いだよ」

 

「では断る。毒の菓子を持ってくる相手を信用するつもりはない」

 

「……よく分かったね?」

 

「ある程度毒には耐性がある。毒を摂取させて死にたくなければ従え、というマダムの教育を忘れてはいない」

 

「うへぇ……予想以上に荒んだ過去を持ってた」

 

「菓子に偽装している辺り、どうせろくでもない麻薬なんだろう?」

 

「う~ん降参、一目見ただけでそこまで当てられたのは君が初めてだよ~」

 

僅かな一瞥だけで見抜いた小隊長の少女に、ホシノは両手を上げて白旗を振る。

隠す必要もないと、ホシノはアビドスの現状を説明した。

かつては広大な土地を有するマンモス校であったこと、度重なる砂嵐に悩まされ、今では土地のほとんどが売却され、それでもなお消しきれない借金に追われている今の有様を伝えた。

 

「でもこの砂糖を見つけた。これなら借金も返せるし、人も集まって来る。だからやると決めたんだ~」

 

「なるほど、私欲のためなら麻薬中毒者が大量に出てもいい悪党というわけだ」

 

「その通り! おじさんは極悪人だよ。そのうち魔王とか呼ばれるかもね」

 

ここまで話したことで、小隊長はホシノがどうしてアリウスまで来たのかを理解した。

麻薬の売人として利用できると踏んだのだろう。

元より犯罪者である以上、これ以上罪を重ねたところで気にすることもないだろうとホシノは判断したのだ、と。

 

「だがまだ分からないな」

 

「うん? 何が? 分からないことが有ったら言ってよ~」

 

「スクワッドとの戦い、私も見ていた。それだけの強さがあるのなら、なぜ今ここで使わない? 力と恐怖で支配するのが一番早いだろう?」

 

ホシノであれば、それが叶うだろう。

敢えてわざわざ説明してやる必要も、交渉のていを成す必要すらないはずなのに、なぜ会話をしようとする?

そもそも小隊長が銃口を向けようと意識した瞬間に、機先を制するように小刻みにホシノの右手が揺れている。

自身より強い相手の動きが予測できず、そしてこちらの動きは把握されている。

そのせいで動きの起こりを封じられ、こうして会話する羽目になっていたのだ。

 

「ハナコちゃんから聞いたよ。君たちはマダムって人から教えられてきた言葉があるって」

 

「……vanitas vanitatum


et omnia vanitas.『すべては無意味だ』だったね。でもハナコちゃんの友達は『それでも諦める理由にはならない』って言っていたそうだよ?」

 

「……アズサか」

 

「良い言葉だよね。うん、ハナコちゃんは良い友達を持った。尊敬するよ」

 

含蓄のある言葉に、ホシノはしみじみと頷く。

隣に居たハナコは友達が褒められて嬉しそうに微笑んでいた。

 

「おじさんは諦めたくないんだよ。このままアビドスが砂に埋もれるのも、愛しい後輩の青春が借金の返済に追われるだけで終わるのも許せない。だから何とかしたいし、そのためなら何でもやるって決めたんだ」

 

「……」

 

「これまで苦しんできた君たちに、これ以上無理強いはしたくない。それでも、私は君たちが欲しい。私の目的のためには、君たちが必要だから」

 

これでホシノは全てを伝えた。

力と恐怖で従えることも、強引に中毒にさせて従えることもできた。

だがことこの場においては、全てを話すことが通すべき筋であると判断したのだ。

ホシノと小隊長の会話は、この場に潜む他のアリウス生徒たちに筒抜けだった。

沈黙する目の前の少女の決断を、誰もが固唾を飲んで見守っている。

少女はガスマスクを外し、レンズ越しではなく直にホシノと目を合わせた。


「……もう一度聞くが、それは『命令』か?」

 

「いいや、『お願い』だよ」

 

「力による命令ではないのなら、こちらからも条件がある」

 

「条件?」

 

「その飴玉、あんたも食え。毒には慣れているが、口先だけの人間を認めるつもりはない」

 

「いいよ」

 

そういってホシノは飴玉を躊躇なく口に入れた。

ホシノからすれば純度は低く物足りなさがあるが、それでも十分美味だった。

 

「うん、おいしい」

 

コロコロと口の中で飴玉を転がし遊ばせるホシノ。

その胸倉のネクタイを掴んだ小隊長は、強引に引き寄せてホシノに唇を合わせた。

 

「んむっ!?」

 

「まあ♡」

 

強引な小隊長の行動に、隣で見ていたハナコは目を丸くしている。

 

――ジュル、ピチャ、ズズズッ

 

舌が絡み、ねばついた音が響く。

こそぎ取るようにして飴玉を奪っていった小隊長は、砂糖の多幸感にふらつきながらも宣言した。

 

「オーケー、あんたが私たちの新しいボスだ。好きに使え」

 

「うへぇ……純度低めにしていたとはいえ、大胆な子だね」

 

「あらあらまあまあ♡ なるほど口移し。素晴らしいですね、これで強制的に摂取可能にすることもできるわけですか。勉強になります♡」

 

ホシノと小隊長のキスシーンを余すところなく目にしたハナコは、興奮しながらその使い道を模索する。

英才教育を受けているハナコを後目に、アリウスに残された少女たちは、こうしてホシノの傘下に加わった。

 

 

「ところで、隣にいたハナコとかいうのが興奮していたが、キスというものは特別なもの、という認識でいいのか?」

 「うへぇ、どうしたのさ急に? 少女漫画とかなら普通はそうかもしれないけど、人命救助で人工呼吸するときもキスしなきゃいけないんだし、深く気にすることでもないかな」

 「確かにそうだな。ならファーストキスはレモンの味、とかいうのも作り話の類か。私は飴玉の味だったが」

 「直前に口に入ったのがダイレクトに来るのは当たり前じゃない? 私の時もそうだったし」

 「何の味だったんだ?」

 「ん~……砂と死の味、かな」

 「……そうか、なるほど」

 「どうしたのさ? 神妙な顔して」

  「なんでもないよ、ホシノ様」

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