【尊直】ハグしないと出られない部屋
※読みやすさを重視し、時代にそぐわない言葉を使っていることがあります
※pixivにも掲載&同人誌に収録します
「おまえに、鎌倉へ赴き守りを固めて欲しいんだ」
遂にこの時が来たか。
尊氏に呼び出された直義は、話を聞く前からその内容を見通していた。だが、いざ言葉にされると、兄に頼られたという実感が湧き嬉しい。
幕府が滅んで半年ほど経ったが、今も尚鎌倉は危うい状態だ。新田義貞が上洛し勢力争いは小康状態となったものの、北条の残党は未だ動いている。戦禍に巻き込まれた民もまだ平穏を取り戻したとは言い難い。それにも関わらず、彼の地には絶対的な指導者がいなかった。足利一門から細川家を送り込んだものの、この情勢下では手に余るだろう。
となれば、上に立つ者を派遣する必要がある。それも、相応の地位と政治手腕を兼ね備えた者でなければならない。直義が、自身に白羽の矢が立つと予想をするのは自然な流れだった。
自分なら、鎌倉武士たちを束ねて荒れた街を復興できる。
「だが……遠いな」
尊氏の家を辞し自宅へ帰る道すがら、ぽつりと弱音が零れた。上手くやれるという自負は今も変わらずあるが、鎌倉行きが現実になって大事なことに気付いてしまったのだ。
これからしばらく、兄に会えない。
尊氏と離れ離れになるのが直義は無性に寂しく、心細かった。もういい年なのにと師直あたりにバレたら笑われるだろうし、情けないと自分でも思う。でも、仕方がないじゃないかという気持ちもあった。
だって、生まれたときからずっと一緒にいる。政から遠いところにいた幼い時も、北条の命に従い戦へ行く時も、幕府を倒すと決め六波羅に刃を向けた時も。
つまり、尊氏がいない世界を直義は知らない。知らないことは怖い。だから年単位で別の場所で過ごすことが憂鬱だと、苦しいと感じるくらい許してほしい。嘆くのは今日で終わりにして、明日からは決して口に出さないから。
自宅へ戻った直義は、誰とも話す気にもなれなくて早々に側仕えの者たちを全て帰した。ひとりになって、自室の扉を開ける。
「うっ……⁈」
白い。眩しい。なんで?
目がくらむほど強い光が直義の意識を奪った。
◆ ◆ ◆
「なんだ、今のは……」
暴力的な光が止んだ気配を感じ、目を開く。直義は見知らぬ部屋にいた。
「…………は?」
狭い空間に自分の戸惑った声が響く。
八方全てが真っ白だ。目につくのは椅子、小さな棚、そして掛け軸だけ。窓すらなく、ここがどこなのかまるでわからない。
「直義? 我はいつの間に寝たのだろうか」
「兄上!」
呆然としていると後ろから聞き慣れた声がした。ぱっと振り向く。そこには予想通り尊氏の姿があった。
「夢の中にまで出てきてくれるなんて、今日はなんて良い日だろう。おまえも我のことを考えてくれていたのだな」
「これは夢……なのですか。私は、まだ横になってすらいないのですが」
「そうなのか。現実なら尚良い」
尊氏はにこにこしているが、直義は全く笑えなかった。笑える状況じゃない。これが現実だとしたら起きているのは拉致監禁だ。それも、こちらに気取られることなく接近し意識を刈り取れるほどの手練れによる、計画的犯行の可能性が高い。
「一概に良いとも言えない気がします。この場所も、閉じ込められた理由もわかりませんし」
とにかく急いで状況を把握しなければ。そしてすぐ、脱出しなければならない。いつまでもこの場が安全とは限らないのだ。もし、毒が撒かれていたら二人共既に死んでいるだろうから、敵が非人道的なやり方を選ばなかったのが不幸中の幸いか。
「ハグしないと出られない部屋らしいぞ」
「はぐ?」
耳慣れない言葉をオウム返しする。
「ここがどこなのか、何を意味するかはわからぬが、そういう仕組みの部屋らしい。そこの掛け軸に書かれていた」
尊氏が直義の後ろを指さす。つられてそちらを向くと、説明通りの掛け軸があった。
そういえば、存在は認識していたが書かれている内容を確認していなかったな。
「聞いたことのない言葉ですね」
「我もだ」
「異国の言葉でしょうか。まさかここは海を超えた先?」
そんな、どれだけ私達は眠らされたんだ? 脱出後、京までどうやって帰ればいい?
両手をぎゅっと握りしめる。それを見た尊氏が近づいてきて、そっと直義の手を取り自らの手で包んだ。
「そんな顔をするな、直義」
「あに、うえ」
尊氏の表情に憂いはない。いつもの頼りになる兄だった。
「大丈夫。きっとすぐ出られるし、帰れる」
「だといいのですが……」
「おまえの兄が信じられないのか?」
じっ、とまっすぐ見つめられる。揺らがない強い視線に射抜かれ、直義は肩の力が抜けていくのを感じた。
そうだ。今はまだ、兄上が側にいてくださる。
「……いいえ。でも」
「ん?」
「まだ少し不安なので、ぎゅっとして下さいませんか」
目線を逸らし、小さな声で呟く。
甘えた言葉が出てしまったのは、この後控える別れを思い出してしまったからだ。不安だからというより、もっと尊氏に触れてもらってその存在を感じたかった。
「おまえからおねだりなんて、珍しいな」
「っ、申し訳ござい」
「違う。責めてなどいないぞ」
謝罪の言葉を遮り、尊氏は直義の体を優しく抱き寄せた。そして、自分の胸に頭を押し付けさせる。
「弟に頼られたら嬉しいに決まっているだろう」
直義は予想外の事態に一瞬固まった後、おずおずと両腕を尊氏の背中に回し、ぎゅっと力を込めて抱きついた。
「あにうえ……」
相手の体温や鼓動をより強く感じられ、幸せな気持ちになる。けれど同時に湧き上がるのは羞恥だ。自分が望んだこととはいえ、顔に熱が集まってしまう。
「ふふ、耳が赤い。可愛いな、直義」
尊氏の手に頭を優しく撫でられる。慈しむように髪を梳かれ、鼓動が早くなるのを感じた。
何だろうこの気持ち。このままじゃもっと変なことを口走ってしまいそうだ。
「……も、もう大丈夫なので離してください!」
駄目、無理。これ以上は耐えられない。
直義は尊氏の胸を押し、無理やり距離を取った。
「嫌だ。と言いたいところだが……。そうだな」
「え?」
「そろそろ出ないといけないし」
尊氏は残念そうに眉を下げるも、すんなりと離してくれた。意外だが、それ以上に引っかかるのは返事の内容だ。
「ずっとこうしているわけにもいかないだろう?」
「それは、そうですけど。でも条件は」
「満たしたと思うぞ」
事もなげに言われ、直義はぽかんと口を開けた。
「…………あの言葉の意味がわかったのですか⁈」
「いや勘だ。でも、ほら」
尊氏に促され、視線を移動させる。すると、壁の一部が薄っすらと光を放つところだった。
「これ……。とびら、が?」
「出来たようだな」
近寄ってみるとそこは観音開きの扉に変わっていた。輝いていること以外は何の変哲もない、普通の扉だ。試しに取っ手を引っ張る。抵抗はなかった。
「ひら、いたっ⁈」
驚く間もなく視界が白に染まる。直義はぎゅっと目を閉じ、光が収まるのを待った。
◆ ◆ ◆
「ん……あに、うえ?」
誰かに頭を撫でられた気がして、目を開ける。日差しが眩しい。
いつの間にか朝が来ていたようだ。部屋の前まで歩いてきたのは覚えているが、その後の記憶がなかった。半分眠りながら床に就いたのだろう。疲れは溜めていないつもりだったが、体調管理を見直さないといけないかもしれない。
ぐっと伸びをして立ち上がる。まだ少し眠いが二度寝は出来ない。今日も予定が詰まっている。
直義は身支度を整えると、扉を開いて部屋を出た。