尊氏直義 潮騒

尊氏直義 潮騒


※直義の最期の話なので要注意

※基氏(亀若丸)くん捏造注意

※史実ネタバレ注意

悲しい…


(逃げ若読み返してたら逃げ若の足利兄弟は下野国足利荘で生まれ育ったような気がしてきたけどももう書いてしまったのでしょうがないなのでした…)




尊氏に敗北した直義は、鎌倉の足利邸に程近い浄妙寺境内の延福寺に幽閉されていた

幽閉と言っても、世話の者が付けられており生活する上での不便はない

直義が起居する塔頭と本堂の行き来は自由で、見張りを伴えば僅かな時間だが庭に降りることも許された

常時境内を取り囲むように警邏する鎧武者の物々しさを除けば、外界から切り離されたこの場所は平穏そのものであった

今この時も死地で戦っているであろう足利の武士達のことを思うと、自分だけが安閑と過ごしているのが心苦しかった

「すまない、直義。まだしばらくお前を外に出してやれそうにない」

討伐や今後の備えに多忙な尊氏は、それでも合間を縫って度々直義に会いに来てくれた

辛そうに顔を歪める尊氏に、直義は首を緩く振る

「もう良いのです、兄上」

今や直義は朝敵である

このまま直義を庇い立て続ければ、朝廷での尊氏の立場は悪くなるばかりだろう

罪人として直義を処罰するのが将軍家にとって一番良い選択なのだ

優しい兄がどうにかそれを回避しようと奔走してくれていることはわかっている

心底感謝もしている

しかしこればかりは詮方ないことだ

直義は敗軍の将としてとうに覚悟は出来ていた

戦火をこれ以上広げぬためにも…

「そんな風に言うな。直義…お前は必ず我が助けてやる。だからあともう少し辛抱してくれ」

「兄上……」

「せっかく鎌倉に帰ってきたのに、お前を浜へ連れて行けないことが歯痒い……それでせめてもと思ってな。これを持ってきた」

尊氏が差し出したのは、五寸程の大きさの、白練色に赤味の入った美しい天狗螺だった

受け取って、耳に押し当てる

途端に懐旧の情が込み上げてきて胸が詰まった

子供の頃、よく二人で遊んだ由比ヶ浜で、巻貝を見付けてはこうしたものだった

「懐かしい…潮騒が聞こえます」

「あの頃はたくさん貝殻拾いをしたな。並べて遊んだり、綺麗な色形のものを母上に差し上げたり、集めた数を競ったりもしたな」

「ええ」

「淡い色の桜貝を拾う度に、お前の爪のようで美しいと思った」

尊氏が直義の手を取り、しげしげと爪を眺めてから口に含む

直義は目を伏せ、尊氏が法衣を乱してゆくのに身を任せた



もうあまり時間がない

座り姿勢を保っていられない程の目眩に襲われる回数が日に日に増えてきた

畳に横たわって額に拳を当てる

このまま病に倒れるのが先か、それとも罪人として裁かれるのが先か

どちらにしろ己の為すべき事は決まっている

しばらく休むと少し楽になった

体を起こし、居住まいを正す

ちょうどそこへ、頬を赤く染め喜色も露わな亀若丸(基氏)が飛び込んで来た

「父上!ご覧ください!屋敷の早咲きの紫荊に蕾がついておりました!」

眼前に翳された枝を受け取る

蘇芳色の小さな蕾がいかにも可憐だ

花器に挿すと途端に室内が華やぐ

「ありがとう…美しい花は心が和むな」

礼を言うと、にこりと亀若丸が笑う

亀若丸は尊氏の四男坊で、直義の猶子である

今年十二になった

生真面目で素直な性格の亀若丸を直義は幼い頃から大変可愛がっていた

亀若丸もまた、今でも直義を父と呼び慕ってくれている

亀若丸は京で生まれ、直義の元で育ったが、三年前に尊氏の命により上京した同腹の兄義詮の代わりにこの鎌倉へ送られていた

「父上、お体のお加減は?いかがですか?」

「ああ、お前が来てくれたお陰で気分が良いよ」

「そうですか?それは良かった…」

直義の墨色の法衣にしがみ付く亀若丸の背中を、落ち着かせるように幾度か撫でる

「ところで亀若丸。大御所(尊氏)と喧嘩して家出したそうではないか。いつ戻ったのだ?」

亀若丸は鎌倉での猶父の扱いについて尊氏に何やら物申したらしく、親子喧嘩の末に安房国へ隠れ住んでしまったと、直義は人伝に聞いていた

ぱっと亀若丸が顔を上げる

「喧嘩などではございませぬ。これは歴とした交渉術なのです!」

「ほう、それは凄いな。それでその交渉とは如何なるものか、この父に教えてくれるか」

大仰に褒めてやると、得意げに小鼻を膨らませるのが堪らなく愛々しい

「はい!私は鎌倉に戻る条件として大御所から元服の許しを得たのです!これで私は近々にこの鎌倉府の正式な主となります!そうすればきっと、父上をこんな窮屈な暮らしから解放して差し上げられまする!もちろん、朝廷にも断じて手出しはさせませぬ!」

自信満々に自分の策を披露していた亀若丸は、俄かにはにかんで直義の手を握った

「ですから、京に住んでいた頃のように私と一緒に暮らしましょう!ねえ、父上!」

「…頼もしいことだな、亀若丸。私のために、良く頑張ってくれた。ありがとう……」

そして、すまない…

直義は亀若丸を抱き締め、心の底で謝罪した



亀若丸の元服の儀式はつつがなく執り行われた

立ち会うことが出来なかったのは残念であったが、その日の夜半前に、尊氏が基氏と名を改めた初々しい直垂姿の亀若丸を同伴して直義を訪ねてくれた

直義は首を傾げた

何故か基氏が烏帽子を手に持って髻を晒している

「どうしてもお前に烏帽子を被せてもらいたいと言って聞かんのだ。これの頑固なところは直義、お前に似たのだろう」

話を聞くに、基氏は酒宴を終えてすぐに烏帽子を外してしまったらしい

もちろん人目を避けてではあるが

この息子にそんな型破りな面があったとはついぞ知らなかった

実は、基氏は自分よりも兄の方に本質が似ているのではなかろうか

「父上!ぜひにお願い致します!」

「ああ。おいで」

笑いを堪えて基氏を傍に招く

小結で烏帽子を固定し、掛け紐を結んだ

「…どうですか?」

期待に満ちた目で仰視され、直義は頷いた

「立派になったな、基氏。お前は足利の光だ。兄の義詮と助け合い、良く鎌倉を治め、良く幕府を支えるように」

「はいっ!粉骨砕身して足利のために尽くします!」

「何もそこまで気張ることはないんじゃないか。直義、基氏、お前達は真面目過ぎる」

ひらひらと手を振る尊氏に、直義と基氏は同時に眉を上げる

「そのような有り様では困ります、兄上!」

「大御所はもう少し気張ってくださいませ!」

「なんだか直義が二人に増えた様だ。これは良い!」

喜びの声を上げる尊氏に呆れ、基氏と顔を見合わせて笑った

盃に酒を満たして基氏の元服を祝う

「桜の花が咲いたら花見酒、秋には月見酒、冬の雪見酒も良いですね!父上は私と共に鎌倉に住むのですから、これからはいくらでも一緒にお酒が楽しめますね!」

「なんだそれは!我は聞いていないぞ!京は義詮に任せて我も鎌倉で直義と住む!」

「いいえ、父上は私と一緒に住むのです!」

「いや、我とだ!直義は我とずっと共にいるんだ!昔からの堅い約束だ!」

「そんなのお狡い!!」

すっかり酔っ払ってしまっている基氏と半酔の尊氏が互いに一歩も引かずに言い争っている

仲の良いことだなと微笑ましく思いながら、ちびりと酒を舐めた

「父上ぇ…また明日ぁ…会いにぃ…来ます……」

「………気を付けて帰りなさい」

家人に支えられてフラフラと屋敷へ帰って行く基氏を門口で見送る

烏帽子の揺れる後ろ姿が見えなくなっても、しばらくその場を離れられずにいた

「冷えると体に良くない。戻るぞ」

「…はい」

促されて塔頭に戻ると、軽い立ち眩みが起きて柱にもたれ掛かった

もう限界なのは自分が良くわかっていた

「顔色が悪い。もうお前も休むと良い」

「大丈夫です。それより…」

直義は尊氏の袖を摘んだ

「先の。直義と共にいてくださると言うのは誠ですか、兄上?」

「ああ。本気も本気だ。我は二度とお前を離すつもりはない」

「…嬉しい」

素直な直義の物言いに尊氏が目を丸くする

直義は笑みを浮かべた

権力も名声もそんなものはいらない

きっと物心つく前から、ただ兄の傍にいたくて、兄の力になりたかった

今になってもそれは変わらず

直義の望みはずっと、ただそれだけだったのだ

酒気を帯びて常より熱い尊氏の腕に包まれ、直義も腕を伸ばして尊氏の背を抱き寄せる

瞬きする間も惜しんで見詰め合い、長い口付けをした



黎明の仄かな光が室内を青く染めている

直義は気怠い体を起こし、白小袖を羽織った

少しだけ障子を開ければ風が吹き込んで、いつの間にか綻んでいた紫荊の花を揺らした

深く眠る尊氏の頬をそっと撫でる

京にいた頃よりやつれて見える寝顔に申し訳なさを覚える

心労の原因は直義に他ならない

これでは先に逝った師直や師泰に非難されても仕方がない

目を閉じると、幼い頃から今日に至るまでの様々な思い出が水泡のように浮かんで流れていった

辛いことの多い浮世であったが、それでも直義はこの世に生を受けて良かったと思えるのだった

尊氏の傍で、喜びもまた確かにそこにあったのだから

「兄上……」

最後に、万感を込めて呼び掛けた

尊氏の唇を吸い、最後に残った鬼の欠片を引き受ける

力を使い果たした直義は尊氏の胸の上に倒れ込んだ

ああ…良かった……

これでもう、兄が鬼として討たれることはない

人として、生きてゆける…

北条の遺児、時行の顔がちらりと脳裏を掠める

彼はきっと怒ることだろう

底抜けに人が良いので、もしかすると少しは直義を憐れむこともあるかもしれない

彼の行く末を見届けてみたかったが……

そんな思考も、徐々に遠ざかってゆく

歳を経てなお逞しい尊氏の胸に頬を擦り寄せる

愛おしい

満ちる鼓動と潮騒の音

ようやく、帰って来られた……

鎌倉、我らの故郷

「直義……」

名を呼ばれ、はいと応える

瞼が落ちる

そうして、直義はそのまま目覚めることはなかった

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