寿命延長の試練

寿命延長の試練


 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、───

もはや聞き慣れた自分の血液の流れ心臓の鼓動を意味する機械的な音。この音が後、数時間もしたら長い一音となるのか。そう思うと、怖くて仕様がない。

 自分の病気は確か、中学校の二年生になってから酷くなってしまったのだったか。小学生中学年辺りから病弱なひょろい男だという自覚はあったが、死ぬということは意識に入れていなかった。意識するのが、怖かった。

 

 病気が活発化してからはや半年。14年半とは短い人生だ。元気に─何一つ病気もないくせに─家に引きこもっている奴が羨ましい。後、たった一時間でいいから分けてくれよ。死にたくないよ。等と不毛な考えを考えていたら、病室の扉が開いた。両親と我が一番の親友で幼馴染みの女子が明るい表情をして入ってくる。

──止めてくれ、明るい表情の癖になんでそんな目が充血しているんだ?なんで、そんな無理をするのか、逆に辛いだけなのに。


「やあ、気分はどうだい?見た目そんな悪くなさそうに見えるけど」

「げんじつとおひなら……ゃめてくれ」


良かった、まだ言葉は発音できるみたいだ。凄く掠れた声だけれど、まだ大好きなお喋りはできそうだ。と安堵しつつ、彼女の元気付けの台詞─声は震えてたが─に皮肉を返す。


「いや、大丈夫ちゃんと目の前の現実はもう嫌に成る程分かってるから。からかっただけよぉん」


掠れた声を聞き取って陽気に言って退けてはいるが、彼女も怖いのだろう。そうであったなら、自分は彼女にとってそれなりに大事な人間であるということだ。嬉しいことだ。


「びよおにんお……からかうとか、いいしゆみじやゲホゴホゴボ」


咳一つ吐くだけで、文字通り命が削れていく感覚はやはりいい気分ではないな。当然のことだけど。もはや、自分の体はいうことを聞かない。声を出すので精一杯、指一本微かに動く程度。それでも咳の反動で体が大きく|頭《かぶり》を振る。そして、今の咳で三人とも悲しい目をこちらに向けてくる。だから、止めてくれ。そんな目で見られるのは嫌なんだ。


「……」「……」「……」


沈黙がこの場に降りた。言葉を発するのも億劫になるほどに重い空気だ。しかし、自分は言わねばならない。

「じ、としているためにきたわけじやないだろ。しにゆくおれに、さいごのことば、くれよ」

なんとか、その言葉を紡ぎ出す。本当の死に際でなにか言われても聞き取れる自信はない。今のうちに言ってもらわねば、死んでも死にきれない。いや、もう死ぬけども。


「……うん、じゃあ。私達から──」


まず、両親が自分に今までの自分との思い出を語って聞かせてくる。それから、感謝と謝罪。数十分に渡る感動の別れの言葉を貰った。涙など、もう出てはくれないけれど。


「なきそうなほどに、うれしい。おやふこうもののむすこでわるいね」


言うつもりのなかった、自分の思いが口からこぼれてしまった。そんな謝罪に意味はないからだ。末期になると口が軽くなるんだなぁ。とぼんやり思う。その言葉に対してみんな涙を流す。静かに、静かに。

 それから、今度は親友の女子が─視界ももうぼんやりとして顔がよく見えない─ぽつりぽつりと語り始める。

泣きながら、震えた声で思いの丈をこぼしていく。ほお、自分に対して恋愛感情を抱いていたようだ。というか、こんなときにいうなよ。ざいあくかんのこるだろ?


まぶたがおもい。いやだ。


いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!


まだ、まだいきたい!しにたくないよ!


























「ふむ、生きたいか。ならば、チャンスをやろう」

自分はいつの間にか、ベットの上で横たわっているのではなく、見知らぬ場所に立ちこれまた見知らぬ男と対峙していた。



さっきまで、ベットの上で身動き一つとれなかったはずの自分の体は、このどことも知れぬ神聖な雰囲気を感じる場所にて見知らぬ顔色の悪い中年男性と対峙していた。色々な疑問が頭の中を廻っていく。そして、一つの答えでそれらの疑問は融解──いや、放棄された。

これは死ぬ直前に見ている夢のようなものなのだろう。そうでなければ自分の体がこれだけ軽いわけもないし、呼吸器もつけずしっかりと肺呼吸できるわけがない。


「なんだい? どこから来たんだ君は」


軽薄そうで悲壮感あふれる声をこちらにかけて来たその男は、よく観察してみれば先の自分と同じ死に体だった。体は痩せこけ、目の下に大きなクマができていて、目は死んでいる。あと数時間のうちに彼も死に絶えてしまうのだろう。少なくとも、同情なんてできない。自分もあと数秒としないうちにその末路を歩むのだから、憐れむなんて上から目線のことはできない。

知らないおっさんだが、一人で逝くよりかは幾分マシだろう。


「さあ? 死んだと思ったらここに来ていたんですよ」


少し間を空けて、そう答えた。目上の人に敬語も使えないほど、教養がないわけじゃない。むしろ、|あのおバカ《おさななじみ》の勉強の面倒を病室で見れるくらいには上等な|頭脳《モノ》と知識があるつもりだ。そして、妙に軽い体を動かしておっさんに歩み寄る。


「なに? ……なあ、少年よ。もしかして神様とか信じる|性質《タチ》か?」

「いきなり、何を言い出すんですか? ……ええ、まあ」


困惑しながらも答える。あんな、動くのも厳しくて、碌に呼吸もできない体を先天的に植え付けられるのは、神様くらいのものだ。もう恨めるものは全て恨んで憎んで、それでも仕様がないから半ば達観してしまうようになったのは、いつからだったか。それでも、あの酷い肉体は前世に悪いことをした自分への罰か何かだったのではないかと壊れた思考をしていた。そうでもしなければ、思わなければ、もっと早くに息絶えていただろう。


「ははは、今時神様信じてる奴がいたか〜……そうかぁ」

「笑わないでくださいよ。そう信じてないとやってられなかったんですから」

「いやあ、すまんね。嬉しくてさ、ところで──」


「この俺が神様って言って信じるかい?」


死ぬ直前の夢にしては長すぎないだろうか、さっさともう全部霧散してしまえばいいのに。くだらない冗句を垂れてくれたおっさんから、歩み寄った脚を使い逆の行動をとる。つまりは、最初と同じ状況だ。


「うん、まあ、そうだよね。こんな初対面のおっさんの戯言信じられねぇわな」

「冗句としては、なかなかだったと思うけど、今言うセリフではなかったかと思いますよ」

「そっか。じゃあ、神様らしく。君に試練を与えよう」


「はい? 神様って、救うー! だとか、殺すー! だとか、転生させるー! だとか、そんな感じなんじゃないんですか?」

「いや。神様って生き物は人間に試練を与えて、その試練を経て人間が得たものを食いもんにして生きていくものなのさ」

「生き物って……ただ迷惑なだけでは?」


人間からしたらかなり傍迷惑なものである。しかし、とも思う。そうであるなら、自分は今までの人生の内どれだけの試練を課せられて来たのか。生まれてから、ずっと苦しい厳しいと喘いで来た。その全てが神様の飯の種だったなら……莫迦莫迦しい、神様に責任押し付けたところで何にもならないだろう。

ただ、若干ふざけるなとは思うが、おっさんの話がそもそも正しいかも怪しい。言い方は悪くなるが、死の間際の夢に出て来た見知らぬおっさんのイカれた言動を真に受ける必要なんてどこにもないのだ。話半分に聞いておくに越したことはない。


「そうだよ。で、そう言うことのありがたみを分からない奴ばっかりに試練を与えてると、こんな風に死ぬ」

「なるほど、それで死にかけているんですね」

「そう言うこと。で、どう? 試練受ける? 君の場合は……割と厳しい人生歩んでるみたいだね。それに上乗せするくらい、厳しい試練になると思うけど……」

「はぁ、もし試練を乗り越えたら、生き返るとか? 半ば、死んでいる体で何ができるんですか?」

「そこは大丈夫さ。試練をこなす上で必要最低限のものは与えられるから」


……自分は何を乗り気になっているのか、まだ生にすがりたいのか。当たり前だ、何もしないで死ぬよりかは、おっさんの戯言信じて死ぬほうが幾分もマシだ。仮に何もなかったとしても、それはそれで、何もない。思考も終わって、死ぬだけ。これ以上、失うものはない。


「じゃあ、また会おう少年」


その言葉を聞いて、《《俺》》はまた意識を失う。ちゃんと目が覚めてくれたら、万々歳なのだが…………


 目が覚めた。さっきのは夢だったのだろうか。また、この息をするのも精一杯の体に戻って来てしまった様だ。しぶといな、俺も。

 

 一つ大きく深呼吸をゆっくりとする。ん? 何か違和感がある。このボロボロな身体は今みたいな呼吸をするだけでも全身に痛みが走る。その痛みで意識を覚醒させようとしたのだが、《《痛みが全く無い》》。

 それどころか、さっき意識を失ったときより、身体が軽い気がする。まさかこれも夢だろうか。夢の中の夢みたいな感じでまだ、俺の意識は覚醒していないのか。

 

 ゆっくり、瞼を開いていく。もう見飽きた天井がそこにあった。しかし、霞んで見えにくいなんてことはないし、目はパッチリと開く。ゆっくり、ゆっくりと体を起こしてみる。全く痛みがなく、簡単に体は起き上がる。その脇では父と母そして、幼馴染みが目を見開いて声にならないような驚きの悲鳴をあげている。途端にその音にならない悲鳴は、嗚咽と泣き声にかわって、正常なリズムを刻むモニターの音が病室に響く。

 本当に何が起こったのか。先生に「もう回復の見込みはない」と言われていた俺の体は、なんと正常な一般男児のそれだったのだ。脆弱で病魔に侵されていた体とはもう完全に別のものではないかと言うほどの驚異的な回復力を見せた。奇跡としか言いようのない、その復活に俺は、親は、幼馴染は、歓喜してまるで子供のように泣き喚いた。

 

 さっきのは、ただの夢ではなかったのだろうと、俺は先のおっさん神様に心から感謝をするのだった。もしかしたら偶然かもしれないが、それでも感謝せずにはいられなかった。涙と鼻水を醜く垂れ流しながら心の中で感謝の念を送り続けたのだった。


 ほんとうに、ありがとう。ありがとう。ありがとう。となんどもなんどでも。

 

 その日のうちに退院できるくらいだったが、念のため二、三日精密検査を受けてから正式に退院できるとのことだった。親や幼馴染はここに泊まるわけにもいかないからと

起きてからは兎に角、泣いて泣いて泣いて。泣き疲れたからぐっすりとよく眠ることができた。


「はっはっはっはっはっ!いやあ、体を健常体に直しただけでこれほどの信仰が得られるとはなあ!信心深いね君!」


 先程、見た夢の光景がそこにはあった。ただ一つ違うのは死に体のようだったおっさんは、先の様子と180度変わってとても元気よくこちらに話しかけてきた。あまりにもテンションが高すぎて若干引いてしまう。しかし、彼に問わねばならないことがある。


「貴方が俺の体を直して、助けてくれたんですか?」

「いや、確かに直したのは俺だ。しかし、助けたわけじゃない」

「え?」


 ああ、そういえば先にあった時言っていたか。

 『神は人に試練を与えるものだ』と。


「これは試練の前準備だ、まあそれだけでこんなに信仰を受けるとは思わぬ得をした」

「それじゃあ、俺が今回賜る試練とはなんなんですか?」

「ふむ、いきなり本命に行っても構わんが……その前に確認したいからな」

「確認……ですか?」


 なんにせよ。この人のおかげで、俺は生き返ることができたんだ。

 俺は、この人の出す|試練《オーダー》に応えてみせよう!


「ああ、さて人間よ。自分のために人を殺すことができるか?」

「なっ……!?」


 それは、あまりにも残酷な、

 いや、残酷すぎる|試練《ちゅうもん》だった。

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