対魔忍ショウセツ ~双墜の褥~

対魔忍ショウセツ ~双墜の褥~


 最上位の花魁、太夫のための部屋であった。

 苦界に生きる覚悟を決めた遊女にとっては、憧憬と羨望の対象である。

 しかし、烈士たらんと志す誇り高き対魔忍、由井正雪にとっては、悪意に満ちた皮肉と揶揄いでしかない。

「あっ、ああぁっ……!」

 贅を尽くした広い部屋の中央に据えられた寝具の上で。

 正雪はこの遊郭の主人である男に“本手”の恰好で犯されていた。

 本手。すなわち現代で言うところの正常位である。

 白い薄襦袢だけを着せられた正雪は、それさえ肌蹴、まくれ返り、交合の湿りに濡れ透けて、卑猥すぎる半裸身を描いているのだが、恰幅の良い男の体がぴたりと覆い被さって、そのほとんどを隠していた。

 あられもなく晒された正雪の秘めるべき女の場所も、男のでっぷりとした浅黒い尻が覆っている。

 その尻が、上下している。

 その上下の、特に“下”に合わせて、正雪の声が零れていた。

「んっ、あぁぁ……! ひっ、あっ、ふあぁ……!」

 近頃江戸で評判の軍学者。

 数多の門弟に慕われる張孔堂の道場主。

 尊き理想に燃える烈士。

 しかしてその正体は、力無き人々を守るため、超常の武勇をもって魔を討つ誇り高き対魔忍。

「あっ、だめっ、だめぇ……あっ、ふぁっ、あぁんっ……!」

 だが。今この時。

 濃い紅を塗られた彼女の唇から漏れる音の中に、そのいずれの片鱗も微塵も存在していない。

 ただ女の声であった。

 男に抱かれ、蹂躙される、弱く哀しい女の声であった。

「ふふっ」

 堪えきれぬ愉悦の笑みを吹くと、男は腰の動きを佳境のものへと変じさせる。

 辣腕の遊郭店主として、時には遊女の躾けも自ら行う熟練の色事師。

 そんな彼をして、本気の興奮を抑えきれぬほどに、類稀な女人であり極上の女体であった。

「あっ、ああ!? あぁぁぁ!?」

 女を雌へと剥ききり、法悦の彼方へと押し上げるための腰遣い。

 滑らかに上下する男の尻は、昆虫じみた機能性を帯びて妖しく弾む。

 女の壺の勘所を、肉の秘密を把握しきった手管の前では、由井正雪は未通女よりも容易く、成す術がなかった。

「あっ、ああっ、あぁあぁ……っ、あぁぁぁっ!!」

 男の予定と寸毫の狂いもなく、絶頂を極めさせられてしまう。

 白く細い喉が奏でた金切り声は、野太く獣じみていた。

「ハッハッ、ハッハッ……ハッ、ハぁ…………う、うぅ……」

 荒い息を吐き、幾分か取り戻した理性のために自責する正雪に、精を放ってもいない男は余裕たっぷり。馴れ馴れしく囁きかける。

「正雪ちゃん」

 実際には、精を放ちかけたところを際どく耐えたのであるが、それでも流石と言うべきだろう。

 望まぬ交合の快楽に咽ぶ正雪の艶声、艶姿。

 それを聞くだけ、見るだけで吐精せぬ男が、江戸八百八町に果たしてどれだけいるものか。

「また気をやったね、正雪ちゃん。

 あんなに何度も教えてあげたじゃないか。

 気をやりそうなときは、やるときは、何と言うのか。

 やったあとは、そうして下さった殿方に何と言うのか。

 いい加減ちゃんと覚えないと駄目じゃないか。

 軍学、だっけ。

 そんな小難しいものが良く出来るほど、正雪ちゃんは賢いんじゃないのかい」

 ちゃん付けに加え、拗ねた童女に含めて聞かせるような口調。

 小馬鹿にしていること、見下していることを隠そうともしていない。

 正雪の自尊心を損ない、彼我の立場を否応なくわからせる、女を躾けるいつもの遣り口だ。卑俗な世故に疎い正雪は、まんまと男の思惑通りに心を削られ、撓められてしまう。

「だっ、誰がっ……! 誰が言うものかっ……!

 私はっ、遊女ではっ、ない、ぞっ……!

 そもそも、女ですらない、女である前にぃ……うあぁ!?」

 皆まで言わせず、男は狙い澄ました一突きを見舞った。

 そのまま二突き、三突き。四、五、六、――乱れ突きとなる。

「あっ、いやだっ、あっ、ああっ、そんなっ……! ああぁ……!」

 否。乱れ突きというのは翻弄される正雪の不足した認識である。

 そのすべてが、色事師としての技術と経験に裏打ちされていた。

 たちまちのうちに、正雪はわずかに降りつつあった性の魔峰を、またしても登らされていく。

 またしても。

 一体、何度目だろう。

 このまぐわいが始まって、どれだけ経ったのか。

 正雪はもう半日か、それ以上も犯され続けている気がしていたが、実際にはまだ一刻(二時間)にも満たなかった。

 その間、二人の体勢はずっと本手のまま。

 男のものと女のものを繋げて擦り立てるばかりで、他には一切の技巧が用いられていない。ひたすら純粋で原始的な交合によって、正雪はもう十五回前後は登頂させられていた。

 一方の男は、まだただの一度も精を放っていない。

 目覚めたときには、遊女のする濃い化粧を施され、薄襦袢一枚を着せられて、この夜具の上に横たわっていた。開けた視界には、すでにこの男の顔があった。

 男――正雪が丑御前とともに遊女になっての潜入調査を試みた遊郭の主。

 おそらく内通者がいたのだろう。

 二人が対魔忍であることを知っており、捕え、「本当に遊女にしてあげよう」と色責めに掛けてきた男。

 正雪の、純潔を散らした男。処女を奪った男。

 正雪の、初めての、男。

『初めての男』

 不意にそんな言の葉が浮かぶたび、必死で頭を振り、考えないように、認めないようにしてきた。なれど、どうしようもなく変えられぬ現実。

「はっ、あはっ、あふぅ……! あっ、だめっ、あぁん……!」

 男の意のままに搾り取られる正雪の鳴き声は、順々に甘く、高くなっていく。

 囚われた直後。

 丑御前と二人、妖しい術や薬をいくつも施されて、体中の性感を開発された。

 常人の三千倍は敏感な体にしてやったと言われた。

 それまで自涜することは愚か、その種の衝動を覚えたことすらない正雪にはその真偽を確かめようもない。

 しかし、普通の娘の三千倍も淫らがましい女になったのだと言われれば、もはや否定するほどの気力も、厚顔さもなかった。

「あっ、あんっ、ああっ、いやっ、あはぁんっ……!」

 自分のものとは思えない、信じたくない、しかし自分のものでしかない浅ましい声が、かつての宣告を全力で受諾してしまっている。

「うあぁ!? そんな、またっ、またぁ……!? 嘘だっ、こんなに早く、そんなっ……!?」

「くく。また気をやりそうなんだね正雪ちゃん。

 そういうときは、なんて言うんだったかなぁ」

「あぁっ……!」

 ――気をやりそうになったら、「イキそうです」「もうイッてしまいます」と言うように。

 気持ち良いのなら、ちゃんと「気持ちいいです」と伝えること。

 欲しいのなら「欲しい」と、「もっとしてください」とおねだりする。

 男は、そういう女を可愛いと思うのだから。

「……いっ、言わぬっ……! 言う、ものか……絶対に、言ってなど、やるものかぁ……!」

 烈士たらんと志す者として。

 超常の妖異から人々を守る対魔忍として。

 軍学者、張孔堂の主人として一派を率いる者としても。

 まだまだ至らぬ自分を、真摯な目をして慕ってくれる門弟たちの顔も浮かんだ。

 そして、一人の女として、その尊厳に賭けても。

 男の醜悪な欲望に都合良く奉仕する肉人形になど、断じて堕ちてやるものか。

「あっ、ああっ、ああぁ……! うっ、あ、あぁ……あぁあぁぁぁっ……!!」

 全身全霊を振り絞って正雪は抗いつつも、脆くも悲しく、その体はまたも快楽の高踏に至ってしまう。

「うふふ。また気持ち良くなっちゃったねえ、対魔忍ともあろうがものが。

 しがない商人の棒切れ一本であんあん啼いちゃって。

 そんな不甲斐ないことで、随分とご大層らしい任務が果たせるのかい」

「……はっ、はぁ、はぁ……」

 揶揄を通り越した侮辱を受けても、力ない吐息を乱して目を逸らすことしかできない。気をやったこと、快楽を覚えさせられたこと自体は、もう認めるばかりだった。口先で否定したところで、滑稽なばかりである。

 純潔を散らされ、女にされたあの瞬間から、この『初めての男』は、正雪自身よりもずっと正雪の体のことを知り抜いているのだから。

「はぁ、はぁ、――あぐっ!? そんな、もうぉ!?」

 呼吸を整えるわずかな暇もなく、男は行為を再開する。

 彼は未だに精を放っていないのだから当然とも言えるが、それにしても驚異的な持続力であった。初老にあってこれだけ臨戦体勢を保てるなど、一種妖魔の類であろう。

 そんな男の、自分の『初めての男』の、男としての優秀さ、逞しさを認めて、正雪の中の女の本能は喜悦の念を生じさせる。

 男の技は先程と同様でありながら、正雪の上昇は速くなっていた。彼女もようやく自覚しつつあったが、繰り返すたびに登頂と登頂の間は短くなっている。

 このまぐわいにおける一回目と二回目の間に比べて、半分にも足らぬ時間で、またも正雪は飛翔していた。

「ひっ、そんなっ、もうっ!? ひっ、ひぃっ……いやだっ、あっ、あひぃぃぃ!?」

 恐怖に駆られた悲鳴を前奏に、ギヤマンを引っ掻くような嬌声を張り上げていた。

 両の足裏と後頭部で寝具を踏みしめ、折れんばかりに背を反らして、打ち鳴らされる銅鑼の如くに引き締まった肢体を震わせる。

 軟弱な男であれば跳ね上げられそうな正雪の橋状起立であったが、大黒天のように貫録ある男の体は難なくそれを捻じ伏せ、布団と自身との間に挟んだまま小動もしなかった。

「ほらほら正雪ちゃん。気をやったらなんて言うんだったかな。

 気持ち良くしてもらったら、どんな風にお礼を言うんだったかなあ」

「あっ、あぐっ、ふぐぅ……! はぁ、はぁ……い、わ、ぬぅ……」

「まだがんばるのかい。えらいえらい。えらいねぇ。

 なんだっけ。烈士だっけ。おえらい烈士様はさすがだなあ」

「……ばか、に、する――なぁぁ!?」

 下の口を突き塞がれると、上の口は息もままならなかった。断じて許せぬ侮辱に、抗弁のひとつも返せぬまま、快楽の頂へと取って返させられる。

「あっ、ああ、あぁぁ……!」

 惨めだった。

 怒りも、悔しさも、それさえ男の肉槍で突き伏せられようとしていた。

 自身の無力さ、みっともなさ、情けなさばかりを思い知らされて、怒りや憎しみを燃やす気力さえ尽きつつあった。

 悍ましい性の悦びなど覚えるまい、痴極の魔天になど堕とされてなるものか。

 最初の頃にはあったそうした気概もとうに正雪は忘れてしまっていた。

 許して。助けて。お願い。誰か。誰か助けて――。

 どこにでもいる、ありふれた、何の変哲もない手弱女の顔が、自分の中にもあったのだ。初めての男の卓抜した交合によって、暴かれ、思い知らされてしまった。

「あぁ! あぁ! あぁ、あぁぁあぁぁぁっ!!」

 呆気なく、正雪は達していた。

 なんとも手軽に登り詰めつつ、その様はますます盛大なものとなっている。

 黒々と淫水焼けした男の太魔羅に貫かれ、痛々しいまでに押し広げられた正雪の花弁。わずか数日で急速に開墾されてなお、外見は楚々として可憐な其処から、ぷしゅり、ぷしゅりと飛沫が吹いていた。

 しなやかな総身に込められる力も、伝わる震えも、先ほどより増している。背筋の反らしよう、虚ろに潤んだ瞳の裏返りようも同様である。

「うわあ。はげしいねえ正雪ちゃん。すごい気のやりようだ。

 あ、あれかな。烈士の烈というのは、このときの様が烈ってことかな~?」

「うっ、うぅ……わた、しは……い、言わぬ……負けぬぅ……!」

 どこまでも正雪を愚弄してくる男に、感謝すべきかもしれなかった。

 正雪はそのためにぎりぎりの土俵際で、俵に指先だけ残したようなところで、危うく踏み止まっている。

 もちろん。これは男が調子に乗って詰めを誤っているのではない。

 挑発するなどして手伝ってやり、自力では不可能な限界以上まで頑張らせ、頑張るだけ頑張らせて、すべてを絞り出させた上でへし折ってやった方が、『女』というものはより鮮やかかつ容易に、そして完璧に仕上がることを実体験として知っているのだ。

「そうかあ。正雪ちゃんは負けないかあ。これでもかい。ほら、どうだ。これでもかい」

「ひあっ、あひぃ!? あぁっ、あぁぁっ……!」

 強く、速く、鋭い。しかしそれ以上に的確で、緩急の妙を極めていた。

 数多の女を苦界の底へと、肉悦の奈落へと突き沈めてきた肉棒である。

 完全無欠に乙女であったところより、手ずから入念に躾けてきた女体なのだ。

 空で覚えている一覧表から抜き出すが如く、どこをどうすればどうなるのか。

 知り尽くしている。知り尽くされている。

「……ぁ……ぁあぁぁ……」

 咽喉と肺腑を酷使しすぎたがために、絶叫のはずのそれは、消え入るように零れた。代わりに、なのか、ついに正雪の双眸の堰は切れ、滂沱と涙が流れ出している。声として発散できない昂りを放つためか、正雪の両腕は男の首っ玉に、両脚は腰に、しっかと齧りついて組み合わされ、ありったけの力で抱き着いてしまっていた。

 任務を阻んだ敵、おそらくは誅すべき対象であった悪の首魁に。

 どれだけ憎んでも足りぬ卑劣な陵辱者に。

 哀れな女の生き血を啜って私腹を肥やす、苦界に棲まう鬼畜生に。

 初めての男に。

 正雪は、両手両足、満身の力で持って抱き着いてしまっていた。

 いや。本当はもうずっと、三度目に達した時からずっと、こうしてしまっているのだ。およそ四百年の後には、『だいしゅきホールド』などと呼ばれる恰好である。女が、心はともかく体の方は、男に物にされてしまったことを示す型ともされている。

そして、間もなく心の方も堕ちる兆候であるとも。

「おお、おお。まだ言わないのかい。まだ負けないつもりかい。正雪ちゃん。もういいんじゃないのかなあ。もう十分がんばったんじゃないのかな、正雪ちゃん」

「……ふっ、ふふ……痴れ者、めぇ……。

 き、貴殿こそ、そのような言の葉、もはや万策尽きたのではないかっ……。

 取り繕おうとしても、見苦しく、滑稽なばかりぞ……潔く負けを認めては如何か。

 貴殿らが如き矮小十把に、対魔忍は、この正雪は、如何とも出来るものではないぞっ……」

 瞠目すべき精神力であった。

 海千山千の男をして、まったく虚を突かれた驚愕と、そして感動を覚えていた。

 これほどの女か。これほどの女がいるのか。

 もはや此の世の女など知り尽くし、所詮はこの程度のものかと、飽きつつあった男である。

 彼をして、初めて女を前にした時の、いやそれ以上の興奮に駆られる由井正雪が勇姿であった。


 だが。


 そんな彼女をさえ打ち砕く最後の鉄槌が、ちょうど振り下ろされるところであった。正雪から見て右の襖を、そっと静かに開けて、それは現れた。

「嗚呼……正雪っ、正雪ぅ……」

「なぁっ……!?」

 丑御前であった。

 感度を三千倍にするという最初の責めの際には、二人向き合って縛られ、それを受けた。しかし、以降は引き離され、これがおよそ数日ぶりの再会であった。

 おそらくは彼女もまた、自身と同じ目に遭わされているのだろうと思っていた。

 そして、自身と同じく、彼女もまた、対魔忍として、女としての誇りに賭けて、気高く在り続けているのだろうと。

 けれど。

 久方ぶりに見えた信頼する相棒は、正雪と同じく薄襦袢一枚。ただしこちらは烏の濡れ羽色。二人の忍装束とそれぞれ合わせた趣向なのだと気づいてしまう奇妙な冷静さが恨めしい。

 その背徳的であられもない姿で、彼女は男の腕に横抱きにされていた。

 やはり未来においては、『お姫様だっこ』などと呼ばれる形である。

 それは、よい。

 指一本の動きもままならぬほど、厳重に拘束され、警戒された虜囚の身である。

 されるがままになるより外にないだろう。

 男の左手は、丑御前の背中を、右手は両脚の膝裏を抱えている。

 丑御前の方は、華奢な両腕を男の首に回して、小さな頭を左肩の窪みにもたれさせていた。

「丑……ごぜ、ん……?」

 正雪は、救いを求めて、悦楽の毒に蝕まれつつある頭脳を必死で回転させた。

 なお『蜘蛛の糸』という慣用句が一般化するには、約三百年が必要である。

 やがて彼女が縋りついたその『蜘蛛の糸』は、人質による強制という真に当然のものであった。

 自分以上に気位が高く、気性の激しい丑御前である。

 それでも、逆らえば自分を、正雪を殺すと脅されれば、大抵のことには従わざるをえないだろう。

 相棒としての信頼と情愛には、自負するところがあった。

 そして陳腐な予定調和として、その『蜘蛛の糸』は、あっさりと切られる。

 釈迦ならぬ丑御前によって。

「父上ぇ……接吻を、接吻をして下さいまし、父上ぇ……!」

「くくく。愛い奴め。ほら、くれてやるぞ」

「あぁんっ、父上ぇ……! ちゅっ、んちゅぅっ……!」

 お姫様だっこする男に、甘えた、甘え切った声でせがんで、応えた男の少し下げた顔に飛びつき、その口を吸い始めた。舌を差し出し、男の唇をペロペロと舐めては口中に差し入れ、唇の裏側と歯列の間をなぞっていく。

 あの、丑御前が。

「う、丑御前……な、何を……」

 呆然とする正雪に、丑御前は名残惜しそうに接吻を中断すると、諭すように話しかけてくる。

「嗚呼、嗚呼、正雪……! 殿方は、まぐわいは、素晴らしいではありませんか!

 正雪……可哀そうな正雪……貴女はまだ未通女であった頃の幼稚な思い込みに囚われているのですか。

 肉の悦びこそ女の幸せ。女に生まれた意味。女のすべて……!

 此れに、ああ此れに比べればっ。

 対魔忍の使命など、平らかなる世などという愚かな夢想など、矮小十把塵芥っ!!

 私は、偉大な、愛おしい父上様に、そう教えていただきました……!

 無知蒙昧な小娘の過ちを、こわ(ただ)して頂いたのですっ!!」

「丑……御前……き、貴殿は……!」

 尊いと、認め、讃えてくれたではないか。

 真に平らかなる世。それは正雪の見果てぬ夢、諦められぬ願いであった。

 あまりに大きく、非現実的であることはわかっていたから、一人胸に秘めていた。

 ある時、過酷な任務を切り抜けた安堵と昂揚から、彼女にふと打ち明けた。

 彼女は驚きながらも嘲笑することなく、むしろ打ちのめされるほどの感銘を示して、正雪を賞賛し、励まし、微力ながら力になろうと誓ってくれた。

 その彼女が。ただ一人、正雪の夢を認めてくれたはずの彼女が。

 それを貶め、切り捨てた。

 しかも、肉の悦びなどという忌むべき、そう忌むべきものと比べて。

「正雪っ! そも、平らかなる世など笑止千万っ。

 臆、臆、そんなもの、想像するだに恐ろしい世界ですっ……!

 凹凸あってこその世っ、いえ、むしろ世の方がこそ、凹凸のためにあるのですっ。凹凸……凹とは此れ即ち、我ら卑しき雌どもが股座に開けし穴ぼこ!

 凸とは此れ即ち、偉大なる殿方たちが腰溜めに構えし肉の剣っ! 魔羅っ! 肉穴と肉棒あってこその此の世っ、此の生っ。殿方の魔羅を賜ってこその我ら、賜るための我らではないですか!? 正ぉ~雪うぅぅ!?」

 その口上、その調子だけは正雪のよく知る彼女のまま、正雪のまるで知らぬ誰かは、朗々と謳い上げた。

「…………」

 頭蓋を金棒で殴打されたような衝撃であった。

 思考が喪失し、絶句する正雪を、もはや忘れ去ったかのように、丑御前は腐れ落ちるような愛らしい笑みを作って、また男に縋りつき、甘えた声で鳴く。

「あぁん、父上様ぁん……!」

 丑御前をお姫様だっこしている男は、もちろん彼女の父親などではない。

 結われた髷から、そして何よりも全身に滲む傲岸不遜さから、侍であることは明らかだ。しかし、纏う雰囲気の違いを取っ払い、顔形の作りだけを注視してみれば。

 正雪を犯しているこの店の主人と、正雪の初めての男と、瓜二つである。

 双子の兄なのだ。丑御前の初めての男である、この侍は。

 幕府の中枢にある大身旗本の家に生まれた双子。

 家を継いだ兄と、双子への忌避から密かに里子に出され、どういう紆余曲折の末か、遊郭の主となった弟であった。

(また兄は丑御前の、弟は正雪の、それぞれ初めての男でもあるが、二人の女対魔忍にとっては大きすぎるその事実も、世間一般からすれば些末事であろう)

「父上ぇ……ああ、どうぞ可愛がってくださいませぇ……」

 正雪と丑御前は、同じ部屋で互いに見せつけ合わせられながら、処女を奪われた。

 感度を三千倍とする施術が終わったとされた直後のことである。

 先に正雪が抱かれ、後に丑御前が抱かれた。

 望まぬ破瓜、初めての交合、そして改造された肉体が生じさせる激悦の衝撃で朦朧としつつも、正雪は初めての相手となった男に肩を抱かれて並んで座り、丑御前が女にされるのを夢現に眺めていた。

 彼女は、信頼する相棒は、正雪よりもずっと己を保ち、未曽有の快楽に翻弄され、狼狽えながらもなお毅然、傲然としていたはずである。

 その、はずなのに。

「ふふふ。父上、などと背伸びせずともよいぞ。可愛い可愛い我が娘よ……」

「あぁ、あぁ、あぁぁ! はぁん……ととさま♪ ととしゃまぁん……♪」

 愁いを帯びた色気を纏いながらも、同時に、どこか幼気な雰囲気を残す不思議な女性であった丑御前。

 だが、小柄な痩躯とはいえ、紛れもなく成人した女性である。

 こうまで童女そのままに振る舞われると、奇形的な嫌悪感を催してしまう。

 もっとも、それは正雪が女であり、また以前の丑御前を知っているからだろう。

 世の大多数の男にとっては、父性や庇護欲をそそられる一種の魅力的な形であった。つまり丑御前への躾は、そのような形を目指して進められ、彼女はその思惑の通りにされてしまったのだ。

「ととしゃま♪ ととしゃま♪ あぁんっ♪ ちゅ、ちゅー♪」

「おお、おお。愛い、愛い。ほんに愛いのう、お前は」

「あっ、あはっ……♪ うれしい、うれしすぎまするっ、ととしゃまぁんっ……♪」

 子壺を突き立てられる肉悦よりも、褒められた嬉しさで、こわ(ただ)された心で、丑御前は達していた。

 彼女らは、正雪の枕元でまぐわい始めていた。

 胡坐をかいた男の足の上に、丑御前が向かい合って座り、男の腰に両足をぎゅっと巻き付けて、謳い上げたところの凹凸を組み合わせ、擦り合わせている。

 茶臼。やはり後の世に言うところの対面座位の恰好である。

「……丑御前……そんな……うそ、だ……こんな……あっ!?」

 愛し合う、そう愛し合うようにしか見えぬ二人を呆然と見上げながら、絶望と諦観に蝕まれた正雪を、百戦錬磨の男は機を見過たず、律動を再開させる。

「あっ、ああっ、あぁぁっ……!」

「どうだい。気持ちいいだろう、正雪ちゃん」

「きもっ、ち……い……いい……」

 涙ぐましいまでの奮戦を続けていた正雪の口から、ついに致命の言の葉が散り落ちる。

「い、いい……いいぃ……! 気持ち、いいっ……気持ち、いい、ですぅ……!」

 ほんのわずかばかり前、男に切った啖呵にあった『矮小十把』。

 それは丑御前の、無二の相棒の口癖であった。

 共にいるうちに感染った、というわけではない。

 正雪は丑御前のことを想い浮かべながら、半ば意識的にそれを口にしたのだ。

 要はそれだけ、彼女のことを信頼し、恃みにしていたのである。

 そして咄嗟に彼女の面影に縋るほど、もうすでに追い詰められていたのだ。

 烈士、軍学者、道場主、対魔忍。

 理想、理知、門弟、使命感。

 それらを総動員してなお足りぬところを、危うく補ってくれたのが、丑御前の存在であった。その最後の頼みの綱は、実はとうに切れていた――。

 がらがらと足元が崩れ落ちていく錯覚とともに堕ちんとする正雪を、此岸に繋ぎ止めてくれるものは、もうどこにもなかった。

「いいっ、いいですっ、気持ちいい、気持ちいいですぅ……!」

「そうかいそうかい。

 でも、なにがいいんだい。だれが、だれのなにがいいんだい。

 ちゃんとしっかり言うんだよ。教えてあげただろう、正雪ちゃん」

「あっ、あぁ……ほ、女陰(ほと)が……正雪の、正雪めの女陰がいいのですぅ……! 貴殿の……ああ、貴方の、貴方様の……旦那様っ! ああ、旦那様ぁぁ……旦那様がっ! 旦那様の逞しい魔羅がっ! 正雪めを女にしてくださった愛おしい御魔羅がっ! いいんですっ、気持ちいいんですっ、正雪のいやらしい女陰っ、旦那の素敵な御魔羅様で気持ちいいっ!」

「よしよし。やっと言えたねえ。ほうら、ご褒美をやろうっ」

「んひぃ!?」

「ほうらっ。ほうらっ」

「あひっ、おひっ、んおひぃ!? あ、ああ……い、“いく”っ……!」

 ついに。終に。墜に。

 由井正雪の口から、心から、その言の葉が散り初め、すぐに乱れ舞い始める。

「ああ、いくっ……正雪いくっ、いきますっ、いってしまいまするぅ……!

 旦那様に御珍棒賜り、ご寵愛賜りっ、嬉しすぎて、気持ち良すぎて、いってしまいまするぅぅ……!」

「うんうん。ようやく覚えられたね。

 えらいえらい。そら、ご褒美だっ、そらっ、そらそらそらぁ!」

 歴戦の色事師をして、達成感に浮かれさせるだけ耐え忍んだことを、由井正雪は誇ってもいいだろう。

 もっとも、誇りなどというものを解する彼女は、いま永遠に地上から喪失したばかりであるが。

「あっ、おごっ、おぉぉ……! い、いっ、くっ……い、くぅ……。

いくっ、いくいくいくいぐっっ! いく、いっちゃう、正雪いくっ……!

いきます、旦那様っ、ああ、旦那様ぁ……いくっ、いぐいぐいぐいっぢぁうぅうぅぅぅ!?」

 至福であった。天上を見た。

 これまででも、最大の快楽を、正雪は貪っていた。

 自身を偽ることなく、旦那様より教えを賜った言の葉を叫べば“これ”が得られるのだと。

 一発で正雪は学習してしまった。させられてしまった。

「くっく。気をやったねえ、正雪ちゃん。

 そうしたら、次は、なんて言うんだったかなあ」

「はい、はいぃ……! いきました、正雪、いかせていただきましたぁ……!

いっぱい気持ち良くしていただきましたっ、極楽往生させていただきましあぁぁん……!

 旦那様に、魔羅様賜り、正雪めは幸せですっ、幸せにしていただきましたぁ……!

嗚呼、ありがとうございます、ありがとうございまするぅ……感謝感激恐悦至極ぅんっ……♪」

 由井正雪は、笑んでいた。

 にへらぁ、とぐずぐず溶けた焼き砂糖のようにだらしなく、情けなく、無様で。

けれども、幸福で満ち足りた満面の笑みであった。

 もしも平らかなる世の実現を成しえたとしても、絶対にこのようには笑えぬ。

 凹凸だけが叶えてくれる、もたらしてくれる、此の世を生きる喜びを得た顔であった。

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