プロローグ

プロローグ


コツリ、コツリと靴が床とぶつかり音を立てる。

ここは教導国家ドラグマの首都。夜の帳が覆い、住人たちが眠りについた街に数多ある建造物の一つ、とある領主に与えられた屋敷。

聖騎士フルルドリスは一人でその屋敷の中を歩いている。異教徒と苛烈に戦う一方民には慈愛をもった微笑みを向けるその顔には、普段とは違う渋面が浮かんでいた。とはいえその美貌は霞むことなく、窓から入ってくる月光とあいまって夜の女神と見まごうほどであった。


やがて彼女は目的地に到着する。そこはこの屋敷の主の部屋だった。

数度ノックをし、中から許可を得た彼女は部屋へと入る。酒脱な装飾で彩られた部屋にあるのは2つの椅子と茶器の並べられた机があった。

「やぁ、聖女フルルドリス。こうして直に話すのは初めてかな?」

そこにいたのは一人の老人だった。長身の彼女と同じくらいの背丈で、その体躯は60を超える年を感じさせない厚みがある。白髪が混じりくすんだ金色の髪と髭はきれいに整えられ、精悍な顔には優し気な微笑みが浮かんでいた。

男は「侯爵」と呼ばれている。かつては民を守る騎士団の将の1人として戦い、老いを理由に引退してからは任されたある教会領の運営に辣腕を振るい、有数の資源産出地へと成長させたのである。

フルルドリスも彼のことはよく知っていた。以前から教会内でも噂になっていたし、先日首都へと招かれ大神祇官(マクシムス)に謁見し賞賛を受けた場に彼女もいたのだから。だが、侯爵は与えられる褒賞の希望をその場での明言しなかった。

その内容がわかったのは、今朝彼女に大神祇官より命が伝えられたからである。その書簡には「侯爵の屋敷にて手解きを受けよ」と書かれていた。フルルドリスも人であるし、指定された時間や一人で来るようにという指示から察しはついた。侯爵は卑しくも褒美に彼女の体を要求したのだろう。大神祇官はそれを受け入れざるをえなかったのだ。

フルルドリスはキッと侯爵を睨む。

「あなたには失望しましたよ。立派な方かと思っていたのですが」

いきなり冷ややかな言葉をかけられた侯爵はきょとんとし、ばつの悪そうに頬を搔きながら2つの書簡を取り出した。片方は開封済みである。

「う~む、なにやら行き違いがあるようだな。君が私の下に呼ばれた理由は知っているが、私が求めてのことではないのだ」

侯爵は彼女に席に着くよう促した。紅茶を飲みながら話を聞くと、侯爵には2つの書簡が届き、片方は2人そろってから開封するように伝えられていたらしい。そして、彼が大神祇官に褒美として願ったことは、異教徒の襲撃が活発化している領内の防衛力を高めるために指導者を招致したいということだった。多くの兵たちが聞いている場で話すのは憚られる話題ということもあってあの場で話すのを避けていたようだ。

自分の考えが邪推であったこと、邪な妄想をした上に侯爵にも無礼な言葉をかけてしまい、フルルドリスは顔を赤らめ低頭平身するしかなかった。

「いいんだ、全く大神祇官様ももう少し……おっと、これは聖文に反するな。いかんいかん」

はにかみながら侯爵はもうひとつの書簡の封を開ける。フルルドリスがここに来たということは、おそらく領地防衛の強化に協力するよう指示する文書だろう、そう考えながら本文に目を通した侯爵は驚きに目を見開く。フルルドリスはそんな侯爵の姿に疑問を抱き、その文書を横から覗き込んだ。

「なにが書かれていたので———っ!?」

そこには一月後フルルドリスが首都での仕事を終えた侯爵とともに侯爵領へ赴き、しばらく彼の補佐をおこなう命が書かれていた。


だが、彼らが驚いたのは次の文であった。

「フルルドリスはその間、侯爵より性の手ほどきを受けること」


「大神祇官様は何をお考えなのだ……?」

侯爵は困惑し、椅子にもたれかかる。父と娘ほどに年の離れた2人に対してさせることとは思えなかった。


そんな侯爵の姿を見てフルルドリスは逡巡していたが、やがて意を決して口を開く。

「……やりましょう、侯爵。”光輝なる神の代理者である大神祇官の言葉に背いてはならない”です」

聖文に従うならば、この文書に書かれたことは果たされるべきことだ。それに、彼女自身先ほど侯爵へはたらいた無礼に負い目があった。

フルルドリスは席を離れ侯爵の傍にしゃがむと、その手に触れる。彼女は表向き平静を保っていたが、その手は不安と羞恥に震えていた。

「よ……よろしく……お願いします……」


「……っ」

侯爵の腕がフルルドリスの体に触れる。彼女は侯爵の膝に座り、背後から回された腕によって体を撫でられていた。

始めは手から、腕、肩を撫でる手の感触は、厚手の服の上からでも彼女に男に触れられていることを伝える。だが、その手つきには下品なものは感じられず、盲の者が初めて触れるものを壊さぬように扱うかのように丁寧だった。

「……? あの……これは……?」

「ああ、すまないが私のやり方でやらせてもらいたい」

彼女の体に触れ、その反応を見ていた侯爵は撫でる場所を徐々にうなじや腰、腹へと変えていく。今まで平静を保とうとしていた彼女も流石に恥じらい、体をぴくりと震わせた。

「……んっ」

侯爵の手は彼女の体に余すところなく触れ、撫ぜ上げる。いつしか、彼女の頬はうっすらと上気し、もじもじと腿をすり合わせるようになっていた。

侯爵はそんなフルルドリスの姿を見て、時間をかけてゆっくりと撫でる範囲を広げていく。肩から、脇から、撫でる手はその胸へと少しずつ触れていった。始めは指が擦れるくらいだったが、やがて撫でる範囲へ収めて掌で触れるようになり、果てにはその丸みだけを眠る小動物を扱うように撫でまわす。だが、その動きは下卑た欲望に任せるような粗雑なものはなく、あくまで静かで慈しみに満ちた優しいものであった。侯爵の手が胸を撫でるその感触に、フルルドリスはだんだんと体をゆだねていく。

「……これで手ほどきをしたという事実にはなるだろう。明日、もう一度大神祇官様に理由を伺うことにする。今日は、もう帰りなさい……」

侯爵はしばらくフルルドリスの体を撫でていたが、疲れていたのかほどほどのところで切り上げると彼女を家へと帰した。家路をたどる彼女の足は少々ふらついており、思考もふわふわとして定まらず寝床に入るとすぐに眠ってしまった。

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