密やかな献身

密やかな献身


(貴方は不要と思うのだろうけど)





第一印象は赤子のような人、だった。今思えば随分失礼な印象を抱いたものだと幼い自分を叱ってやりたくなるのだけれど、その時の吉良は本気でそう思ったのだ。自分より歳上に見えるのに、と。

両親を突然亡くした吉良の引き取り先は護廷十三隊の隊長を務める銀髪の男で、彼の元には流魂街で拾われたという養子が一人あった。他者に向ける感情は怯えが強く、少しの環境の変化で体調を崩してしまうような弱い子だった。流魂街後半地区の治安の悪さは亡くなった両親から少し聞いた程度で、曲がりなりにも貴族として生まれ育った吉良には縁遠い話である。吉良の引き取り先になったその人はそういう事情もよく心得ていたのだろう、長く栄養状態が悪かったせいでまだ普通の生活を送れるだけの身体が出来上がっていなくてな、と吉良に彼の――檜佐木が抱えているものを丁寧に語ってくれた。

檜佐木は確かに幼く弱い。けれど優しい人だった。数ヶ月も共に過ごせばそんなことは嫌という程理解出来て、同じ布団で他愛ない話をしながら笑ってそうして眠ることも苦ではなくなって。イヅル、と自分を読んで手を引いてくる檜佐木を吉良はいつしか何よりも好ましい人として心の中に置いていた。

出会いから半年ほど経って新しく吉良の養い親となった蜂蜜色の髪の人と檜佐木の養い親が同時にいなくなった夏の日に、檜佐木が火がついたように泣いていたのを昨日の事のように覚えている。それから睡眠障害に陥った檜佐木を、兄姉のように二人を見守ってくれていた二人とともに囲んで眠る日々の中で吉良は思ったのだ。

この人を煩わせるものを許さない人間でいよう、と。こうも追い詰められて、苦しんで、それでも他者に当たることも自棄になることもしないこの人をできる限り安寧の場所に居させられるように、と。


「知るかそんなこと!離せよ!」

叩きつけるような叫びがどうしようもなく耳障りだった。そう言ったとしたら同期達はなんと言うだろうか。そんなことを思う余裕もなく弾き出した麻酔は狙った通りの箇所に着弾し、綾瀬川の意識を彼自身から引き剥がした。ぐらりと崩れた身体を檜佐木が片腕で支えてやったのを見て、いっそそのまま落ちてしまえばよかったものをと内心で悪態を吐いた。口にすれば檜佐木は、かつて父代わりとしてともに過ごしたあの人は、兄であり尊敬する上司として慕ったあの人は怒るだろうか。否、上司であった彼は楽しそうにあの細い目をさらに細めることだろうなと視界の端で揺れる炎を見て思う。ざり、と霊子で作り出した仮初の地面を踏みながら吐き出した声は思っているよりも低く出て、それが吉良を驚かせた。

「……五席の言葉遣いじゃないね。それに、随分と良い御身分じゃないか」

私情で勝ち目の薄い戦いに行こうとするほど、そして己より上の立場に在る者の静止も聞かずに無礼を吐くほど愚かな行為はない。それが檜佐木相手というだけで吉良の怒りは増幅する。綾瀬川とて普段はそこまで愚かではなかろうに、動転していることは理解出来ても許すことは出来なかった。弁えなよ、という言葉が綾瀬川に届かないこともまた腹立たしい。

どれだけ。どれだけのものを抱えて自分が、檜佐木がここにいると。

「君は知らないだろうけどね。僕らがどんな思いで――」

「吉良」

溢れそうになった言葉は檜佐木の一言で喉の奥に押し戻された。檜佐木は吉良を言葉で咎めることはない。嫌悪の色すら微塵も見せず、吉良を静かに見ていた。弟を窘める兄のような目だった。

「……穿点ですよ。問題ない」

檜佐木は目を閉じることでその声に応える。吉良が仲間に対して扱う物が危険であるはずがないとわかっている仕草だった。

「それ以上は止めとけ。綾瀬川だって本心じゃねえだろう」

「……七割は本心だと思いますよ」

「それでも構わねえよ。仕方の無いことだろ、お前もあんまり荒立つな。感情を使うと疲れるぞ」

ぐい、と綾瀬川の体勢を整えてやった檜佐木を見ていられずに、吉良は静かに目を伏せる。これだからこの人は駄目なのだ、と、苦い感情を押し殺してわかりましたよと答えた声は冷ややかになってしまって、それでも檜佐木は何も言わなかった。


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