宴(魚人島6)
Name?魚人島の上空を、シャボンで浮かぶ一隻の帆船があった。
過酷なる千の海を、太陽のように陽気に越えていくという名のつけられた船だった。
ふよふよと浮かぶ船を、大きなサメが引いている。
そして、その船の傍を泳ぐのは、このリュウグウ王国の王女、しらほし姫だった。
しらほしが、船の上にいる“麦わらの一味”に問いかけた。
「皆様、なぜ逃げるように広場をお出になられたのですか?」
時としては、ギョンコルド広場での戦いが終わり、そしてルフィの輸血が済んでしばらく。
王国の役人や民衆に囲われる前に、一味は上空へと逃げ出したのだった。
しらほしの質問に答えたのは、ゾロだった。
「バカ言ってんじゃねェよ。あんなところにいたら、ヒーローとして担がれちまう。考えただけで寒気がする」
「おヒーロー様ではだめなのでいらっしゃいますか?」
しらほしが指を唇の下に当てて不思議そうに言う。
なにしろ、魚人島民にとっては“麦わらの一味”は名実ともに英雄なのだ。
王族の命を救い、王国の崩壊を招こうとした者を倒し、そして命を賭して島に落下しようとした巨大船の破壊を試みた。これで英雄ではないと言えようか。
しかし、ゾロはビシとしらほしを指差して言う。
「あのなァ、ヒーローってのはてめェの酒を人にくれてやる奴のことだ。おれァ酒を飲みてェ!!」
「なんなのよ、あんたたちのその理論……」
呆れたようにナミが言う。
ルフィも、“海の森”にて「戦うなら魚人島のヒーローになって欲しい」という発言に、似たような反論をしていた。
肉を分けるのがヒーロー。おれは肉を食いてェ、と。
ウタは、その意見を聞いて、少し思うところがあった。そう考えると、わたしのやりたいことは──。
「わたしもそうかも。英雄は歌われるばっかりだけど、わたしは一緒に歌いたいし」
「あんたもかっ!」
呆れを通り越して怒りが出たのか、ナミが声を荒らげる。
へへー、と舌をチロリと見せて笑って、ウタはナミの向こうで問答しているルフィたちに首を傾げた。
「そういえば、ルフィたち何やってるの?」
ああ、とナミが答える。
「ジンベエちゃんが、今はまだ仲間になれないからって駄々をこねてるだけよ」
「まだ?」
「ちょっと筋を通しておく必要があるんですって。まったく義理堅いわよね」
ふーんとウタは返事をして、ジンベエを見る。
確かに、見た目の印象といい、今までの言動といい、ジンベエが義理堅いのは非常にそれらしい。
あの笑顔を見た感じ、社交辞令ではなく本当に『今はまだ』なのだろう。
なら、何も言うことはない、とウタは小さく微笑んだ。
で、どうする? とこの先の指針について切り出したのはゾロだった。
「このまま“新世界”か?」
「え……ええ!? もう島をお出になられるのですか!? も、もっとお礼とかお話しとかいっぱいさせていただきたいですしっ!!」
ゾロの発案を聞いて、しらほしがうろたえたように目に涙を浮かべて訴える。
「う~ん……」
ルフィは腕を組んで何かを考えているようだ。というより、何か物足りな気な顔をしている。
はい、と手を挙げて進言するのはサンジだった。
「マーメードカフェに一週間くらい泊って行こう!!」
サンジの提案に、彼の隣にいたウソップが手の甲で、ビシリとその頬を叩く。
「ただ行きてェだけだろお前が!! 賛成だけども!!」
決してエレジアにいるだけでは見られなかった光景に笑みをこぼして、ウタもはい、と手を挙げた。
「わたし、“クリミナル本店”に寄りたいなァ。前から行きたいと思ってたんだ!」
ウタの発言に、後ろの方でティーカップを傾けていたロビンが顔を上げた。
「あら、確か“クリミナル”といえば、あのパッパグのお店じゃなかったかしら。私も興味があるわ」
「えっ、ロビン、デザイナーの人と知り合いなの!?」
「私じゃなくって、一味のみんな友達よ。二年前に知り合ったの」
ウタとロビンの会話を聞きながら、ナミが頬に指を当てて少し思案気に呟く。
「確かにあの時は、王様に呼ばれちゃってしっかりお店を見れなかったのよね……」
残念そうに言うナミを見て、ウタは「ねえルフィ」と声を掛けようとして──。
「お待ちを!!」
船の後方から突然聞こえた声に、一味全員が振り返った。
そこにいたのは、電伝虫を片手に乗せたリュウグウ王国の兵士だった。
兵士は電伝虫に、”麦わらの一味“に追いついた事を報告する。
すると、電伝虫が話し始めた。
『ルフィくん!!! 宴の仕切り直しをしようじゃもん!!』
その声の主は、ネプチューン王その人だった。
驚いたように顔を見合わせる一味の中で、ルフィだけがにっこりと笑顔を作って、兵士に手を振った。
「宴かァー!! ハッチとケイミーたちも呼ぼう!」
顔を輝かせながら、ルフィが言う。
そんなルフィを見て、ウタは苦笑を漏らす。
どんちゃん騒ぎが好きな所は、フーシャ村にいたころから変わっていないんだから。
────
場所は変わって竜宮城──。
“麦わらの一味”一行は国王ネプチューンに誘われて、長ヒラメの背に乗り宴会場を目指す。
明るい廊下をするすると泳ぐ背中に座って、ウタは立てた両ひざに鼻を隠す。
それを見たナミが、ウタの肩をトントンと叩いた。
「どうしたのウタ? なんか元気ないわね」
「いや、そういう訳じゃないんだけどさァ……」
ウタは口元を足に隠したまま言う。
「ねえナミ、シャボンディ諸島を出てから、今何週間経ったっけ?」
そのウタの質問に、ナミはきょとんと目を見開く。
「何言ってるの? 一週間どころか、まだ一日も──」
「そうなんだよね。おかしくない?」
あまりにも怒涛の一日だった。
シャボンディでライブをやっていたのが、とても昔のことのように思える。
だが、ライブをやっていたのは今日の午前中。
海軍から逃げ、海底へ進み、巨大な海流の滝を降りて、クラーケンを従え、“新魚人海賊団”を躱して無理やり魚人島へ入国。そして一度離散した後、“海の森”で集結して、国家転覆を目論んでいた“新魚人海賊団”を倒す。さらにこれからは宴を開いてくれるという。
「怒涛の一日過ぎてさ」
「目が回っちゃった?」
にっ、と笑いながら、悪戯っぽくナミが訊く。
しかし、ウタは首を横に振った。
「目まぐるしくて楽しいのはあるよ。だけどさ、さすがにこのままだと宴を十分に楽しめないんじゃないかって」
「?」
ナミが首を傾げ、そしてウタは小さく欠伸をした。
「ちょっと眠たくなってきた」
「ぷっ」
予想していなかった答えに、思わずナミが噴き出した。
そのナミの反応に、ウタが小さく口を尖らせる。
「この二年間、ライブで各地を回りましたが、これほど目まぐるしい日はありませんでしたものね」
ヨホホと笑って、ブルックが言う。
そうなんだよ、とウタため息交じりに言う。
「ここ二年で、いろいろやってきたから、体力も付いたと思ったんだけどなァ……」
いろいろ目まぐるしく状況が変わってきた今日という一日。大きな山を越えて、今ようやく、ウタの中の高揚感が切れてきてしまったらしい。
少し落ち着いた事で、体がようやく疲労を認識したのだろう。
そんなウタのもとに、にゅっと首が伸びてきた。
「ししし、なんだウタ、もう疲れちまったのか?」
文字通り首を伸ばしてきたのは、先ほどまでジンベエとチョッパーと喋っていたルフィだった。
「別にー。ちょっと眠くなっただけだよ、回復中。なんなら、ルフィ、あんたより宴は楽しんでみせるから」
ウタはむっとしたように、つい昔のような物言いで言い返す。
それにルフィもむっとしたように言い返した。
「おれに勝てると思ってんのか? ウタの方が負け越してるくせに」
「負け越してるのはルフィの方でしょ!」
そんな二人の様子を見て、ジンベエが呆れたように呟く。
「あの二人は何を張り合っとるんじゃ……」
それに続いて、チョッパーがルフィを突いて言う。
「楽しむのは良いけどなルフィ、お前は絶対安静だから、あんまりはしゃぐと鎮静剤を打つからな」
せっかくの宴なのに!? と言わんばかりの表情で、ルフィがチョッパーを振り向く。
その表情に、ウタは思わず笑い声をあげる。
ガコン……
そんなことをしている間に、廊下を渡り切った長ヒラメは扉をくぐり、室内へと入る。
「うわっ、真っ暗だ!」
チョッパーが驚いたように言う。
「何が始まるのかなー」
ニコニコと楽しそうに、ルフィが言う。
「おや?」
真っ先に気が付いたのは、ブルックだった。
小さくリズムを刻む低音は、コントラバスの音色だろうか。
「みな様、正面がステージです!」
しらほしが示したステージに、スポットライトが当たり、人魚のシルエットが映る。
同時に、静かに鳴っていたベースのリズムに、晴れ渡るようなトランペットの音とドラムが加わり、暗闇の部屋が音楽の華やかさに彩られる。
「あっ!」
ウタが声を上げる。
TDでも聞いた事のある、魚人島随一の音楽集団。
“スウィングジャズ・オーケストラ”と、そして……。
「マリアだ! マリア!!」
ウタが興奮して言う。
「マリア?」
音楽に疎いルフィは、はてなと首を傾げた。
マリア・ナボレ。魚人島が世界に誇る、とろけるような歌声を持ったジャズシンガーである。
彼女が歌い出し、それに伴ってステージから続々と現れるのは、人魚のダンサーたち。
そうしてここに、宴が始まった。
食べ。
踊り。
語らい。
飲み。
歌い。
騒ぎ……。
今日と言う一日を祝福するように、皆が思い思いに宴を盛り上げていく。
王族も、種族も、立場も外見も関係なく。
「マリアさーん! わたしも混ぜて!! 歌おう歌おう!!」
「あ! ウタさん、抜け駆けはずるいですよ!!」
疲れも忘れたように、今、この瞬間を楽しむ。
宴はまだ、始まったばかりだった。
────
翌日。
魚人島は“ギョバリーヒルズ”にあるひときわ目立つ建物。
“クリミナル”本店。
“麦わらの一味”の女子一行は、ショッピングに勤しんでいた。
大きな目当ては、服飾である。
中でも、以前から“クリミナル”の本店に行きたいと思っていたウタは、目を輝かせながら服を物色している。
だが……。
「ねえ、ウタ、そのティーシャツはやめた方が……」
「なんで!? 昨日一枚ダメにしちゃったんだから、買っておかないと!」
「いや、だからその……センスが……」
「うふふ」
ウタが似合うかと見せてきたティーシャツに、ナミが困ったような顔をてたしなめ、それをロビンが微笑ましそうに見ている。
ウタが持っているのは、黄色を基調とした中に「UTAITAI」と書かれた、今魚人島で流行りの“状況説明ティーシャツ”だ。デカデカと描かれた音符が、これまた何とも言いがたい雰囲気を醸し出している。
「あのパーカーとか普通に可愛かったのに、なんでティーシャツ選びのセンスがこんなに……」
頭を抱えるナミとは対照的に、ロビンはニコニコと言う。
「結構似合ってると思うわよ」
「ホント!?」
「ロビン、あんたも敵だったのね……」
喜ぶウタにうなだれるナミ。
「と言うかよォ……」
“クリミナル”のデザイナー兼社長であるパッパグが、浮かない顔をしてウタを見上げた。
「おめー、本当にあの“歌姫”なのか?」
その言葉に、ウタはむっとしたように言い返す。
「そうだよ。悪い?」
「悪くはねェさ。おれだってヒトデでデザイナーだし、広場でのおめーの歌声も聴いたしな。ただ、思ったより俗っぽいんだなーってよ」
「みんなのイメージはどうであれ、わたしはわたしだからね」
だから、自分の着たい服を着るのだと言わんばかりに、ウタは言い放つ。
その会話を聞いたナミは、やがて肩を震わせ、そして声高に宣言した。
「あんたたち! 私がファッションの何たるかを見せてあげるわ!! ウタ、お金は出したげるから私が選んだ服を着なさい!!」
「えー、でも……」
「つべこべ言わない!!」
「はァい……」
そうして、ウタとしては初めての、女性と一緒に行く買い物の時間は過ぎて行く。
彼女たちは知る由もない。
その楽しい時間の裏で、船長が四皇にケンカを売っていることを。
平穏な時間は過ぎ去り、そして一味は冒険へと戻っていく──。