宴の前に
日差しうららかな新世界。貴重な晴れの海を進むサウザンド・サニー号の船上はしかし、不穏であった。
甲板に集まっているクルーたちと、芝生にあぐらかいて腕組みしたルフィに笑顔はない。船長の隣で片膝立てて座っているのは死の外科医ことトラファルガー・ロー。サニー号に曳航させているポーラータング号から揃ってやってきたハートの海賊団クルーたちもまた、無言。総勢三十人が仏頂面のままずっと黙っている。
重い。グラグラの実の能力者でもたじろぎそうな空気の中、手が上がった。車座のような立ち位置の皆の真ん中で、正座している青年だ。
「すまないとは思ってる、その」
「うるせぇ」
「黙ってろ」
とりつくしまない声の冷ややかさ。ルフィとローに揃ってはねつけられた青年は、縮こまるように片方だけの腕を下ろす。罪人への評定じみた場において彼はまさしく被告人である。
その格好はもこもこの限りを尽くしたあったか仕様。海風に冷えることなぞ断じてさせてなるものかという強い意志の元、本人の動きやすさどこ知るものぞのシロモノであり、つまるところ思いやり溢れた拘束着であった。
藁にもすがる思いで、青年は後ろへと呼びかける。
「……ベポ?」
「おれぬいぐるみあったかいだけでなにもしない」
発言の矛盾はさておき、断固として動くつもりのない声に肩を落とした青年。彼はこの世界に訪れた寶人である。
ひとつの分岐点における敗者。失われたかつての技術の奇跡を用い、世界の境界をねじ曲げて勝者たりえた世界に落とされた。
異なる世界のトラファルガー・ロー、その人。敗者の辱めの限りを受けてなお生きぬいた彼は、今、庇護者たる皆から裁かれる立場となった。
「サンジ」
「はいよ。んじゃま、事の次第だがな」
船長に頷いて料理人は話し出す。
「ウチにちょっとばかり珍しい食材が手に入った。薬効あり滋養は高いで中々出回らないシロモノだ。そういった類にありがちで、処理もまあめんどくせえことめんどくせえこと」
くわえちゃいるが火のついてないタバコをくゆらし、料理人はボリボリ頭を掻いた。
「水にさらして塩漬けて、塩抜いて干してまた漬けて、まあなんだ。それだけやった上でとんでもなく不味い。味見で後悔したのは久方ぶりだよ。んで見た目悪くなかったのをルフィが掠めやがって、クソ丁寧なことに全員へふるまいやがった」
サンジの作ったものという信頼と安心の元で起こった悲劇であった。どれだけ酷かったのか、一味揃って死んだ目になる。
「速攻うちのバカ船長吊したらやべぇって騒ぎ出してな。トラ太にも食わせちまったって。いや、重ね重ね悪かった」
「黒足屋に非はねえ。麦わら屋も、言いたいことはあるが良くやった」
頭を下げるサンジにローは淡々と応える。その目はずっともう一人の自分へ向けられたままだ。
「で、コイツはどうだったんだ」
「チョッパー」
静かに船長から呼ばれた医者は俯き、桃色帽子を震わせた。
「食べてた。全部。……おれまだ食べてなくて。美味しかった、って」
「なるほど」
絶対零度の声音でローは頷く。同じ顔の相手が真っ青に固まっていくのを見つめながら。
そのままの声で詰問が始まった。
「いつからだ」
「別に、俺は」
「いつからだと訊いている」
「悪かった、すまなかった」
嘘をついてしまって。
その言葉で、ルフィの目が完璧に据わった。
「おいトラ太。ぶっとばすぞ」
「俺が先だ。殺してでも治す」
四皇とその盟友が放つ本気の怒気に晒されて、なお訳が分からないと青年は戸惑っている。理解できないでいる。
食べることは、生きるために必要なだけでは断じてないと。
「ばか。ローさんほんとばか。ばーか」
「ベポ?」
ローから顔が見えない白クマは滲んだ声で続ける。
「おいしいって、たのしいって、そんなにいらない?」
「俺は……」
「いいよもう。ローさん、わかんないんだろ」
突き放された言い方に、ざっくり心を抉られたようで、どこかほっとしているのはなぜだろう。曖昧に頷きかけたローは、間近までつめよってきた姿に気がつかなかった。麦わら帽子を目深に被ったルフィが怒鳴る。
「宴ができねえなら生きてる意味ねえだろが!!」
視界まで真っ白になりそうな音が炸裂して、のけぞったローの襟がひっつかまれた。膝が浮き、麦わら帽子が額に当たる近さでルフィが睨む。
「何が何でも治れ!!じゃなけりゃぶっとばす!!」
「べ、別に必要は」
「うるせえうるせえうるせえ!!」
駄々っ子の行いを止める誰もいなかった。呆れと怒りに当然だとばかりの顔が居並ぶなかで、チョッパーが意を決した様子で駆け寄る。一味がそれに続く。
「ルフィ!おれ調べたんだ、ダシってやつがいいんだ!」
「へぇー……あれっ?それもしかして出汁のことじゃね?」
「東の海のアレか?!」
「刺激は少ない栄養はある、と。まずは採用だな」
「心的傷害からのアプローチもありかしら」
「費用は無制限!みかんが美味しくないなんて許さない!」
「アゥ!買い出し船の整備だな!」
「では一番近い島に舵をとるとしよう」
「音楽療法もアリですかね、ヨホホ。ワタシ舌、ありませんけども」
がるるるとルフィにかみつかれたままのローの元へ、つかつかと寄ってきたのはもう一人のローだ。見下ろす彼はさも皮肉気に笑う。
「ハッ、感づかれたのが運の尽きだったな」
「ひ、必要ないと言っているだろう!?」
「うるせえ。一切合切喋ってもらう、診療記録を書き直す身にもなれ」
「まだいうかトラ太、この野郎!!」
まだまだ怒り心頭な麦わらを、せーのでべりっと引きはがし。今度はハートのクルーたちがずらっとローを取り囲んだ。
「ばか」
「ほんとばか」
「まじでばかじゃねえの」
「呆れた」
「へんなとこばっか似てるのなんでだよ」
散々に罵倒しながら、クルーたちは次々やってきて思いっきりローを抱きしめる。訳のわからないままされるがままのローは、ジャンバールに撫でられてぐりぐり頭を揺らされ、背後に倒れかけたところを大きな腕に抱きしめられた。
「ベポ」
「わかんなくっていいよ、まだ。ちゃんとわかるようになってから」
生まれながらの戦士たるミンクの白クマが、にっこり笑う。
「めちゃくちゃ怒るから」
「ベポキレるとやばいよな」
「わーローさんかわいそー」
「……今、誰かひっかかる物言いしてなかったか?」
「「気のせい気のせい」」