学者少女の半生

学者少女の半生


クラリッサ・ディスワードの人生は、ある一定の時期に至るまで実に平坦である。

人生の話だ。

成人を迎えてもなお、女性的な膨らみの殆ど見られない体の話ではない。

そちらは現在もぺったんである。


王都近郊に領地を持った王国貴族、ディスワード子爵家の第二子として生まれた彼女の半生は、貴族の子女のそれとして、とてもありふれたものだった。

何かの物語の舞台になりそうな、貴族子女を集めた学園に入学する以前。

クラリッサの生活の大半は、王都のタウンハウスにある父の書斎で家族に見守られながら本を読み耽るか、あるいは領地にある森に囲まれた図書館で祖父と読書談義をするか、そんな記憶がほとんどだ。

先に生まれた兄は子爵家の当主として過不足なく優秀で、領地を守り職務を果たすことを己の責務と定めた両親は、政争好きな中央貴族からは毒にも薬にもならぬとみなされていた。

家そのものにもやれ借金であるとか、やれ過去の災害の傷跡であるとか、そういった負債もないのであれば、さもあらん、というところである。

思いの外祖父に懐いたクラリッサに、幼くして年寄りめいた彼の口調が移ってしまい、ついぞ矯正されなかった……そんな波とも言えない波風しかない幼少期である。


そんなぺったん、もとい平坦な生活は、貴族の学園に進学してからも続く。

彼女が通学した数年間、特に王族が在籍するとか、希少魔力を持った平民が入学してくるだとか、そういうテンプレ乙女ゲームめいた事態もなく、貴族の社交場に爵位相応に通い、可もなく不可もない学生生活を謳歌した。

この頃には他家の子女と比べ、クラリッサの容姿が幼いことが悪目立ちしないこともなかったが……代々ディスワードの女子は"そう"であったことを知る古参の貴族家からすれば当たり前の話で、特段取り沙汰されることもなかった。

……ちなみに入り婿の祖父は、祖母と結婚した当初、その外見年齢の差故にロリコンだ何だと白い目を向けられたというのは、幼い頃に聞いた笑い話の一つである。



さて、そうして山も谷も義務もドラマも、ついでに結婚相手としての魅力も特になく──なにしろ外聞が大切な貴族にとってロリコン呼ばわり待ったなしはちょっと──学園を卒業するに至ったクラリッサは、そのまま王都で職に就くことにした。

堅苦しい王城勤め……ではなくて、平民や、爵位を継がない次男坊以下の貴族が参加する、市井の学会だ。


そこで待っていたのは、書籍の整理や希少植物の栽培実験、仕入れたり、栽培した植物による調薬などなど、学園や幼き日の図書館で仕入れたり知識や技能を活かした穏やかなの日々だ。

元より植物に造詣深く、学園で判明した魔法の適性は、クラリッサに植物学者としての道を確かに示し……そんな日々がどれほど続いたあとだろうか。

彼女の人生に、突き落とされる谷間の影が見え始めたのは。

……ちなみに女性的な膨らみにできる谷間は、その日はもちろん今日に至るまで、影も見えた試しがない。



友好国である隣国で発生した流行病。

自国でも国境付近で犠牲者の出たそれに対し、けれど王国は人道支援に十分なだけの治療薬を用意できなかった。

治療法の発見に手間取ったから、ではない。

調薬に必要なだけの素材が揃わなかったからだ。

流行病が収まったあと、喉元の火が過ぎればいよいよ政争の幕開けだ。


薬の調合を任された医療部、それぞれ荘園の採集と貿易で素材確保を任された内務と外務。

責任の押し付け合いから始まった三者の対立は、やがてより上位者の派閥争いに利用され……全員の手に余る事態まで、火の手が燃え上がった。

高位貴族にとっても、政治に利用するには複雑に飛び火しすぎたこの案件は、けれど火を煽ってしまっただけに誰かが泥をかぶってでも解決しなければならない。


そうして生贄の仔山羊に選ばれたのが、初期に治療薬開発に協力した、十分な後ろ盾を持たない市井の学会だった。

権力を持たない故に殴り返すことのできない彼らを、王城の者達ははそれらしい理屈をつけて思い思いに糾弾し……

最終的にその泥をかぶったのが、クラリッサ・ディスワードという子爵家の娘である。


「まあ仮にも貴族の生まれである我ならば、責任を負わされてもそれほどひどいことにはならんじゃろ」

そう言って植物学者として治療薬の開発に携わった──ことになった──彼女に対して、罰金やら罰則やらと共にとある高位貴族が言い放ったのが、王都からの追放令である。

その貴族に、貴族に連なる者へその様な命令を出す権限はない。

ないが……彼に目をつけられては、学会にしろ実家にしろ、多大な迷惑がかかるのもまた事実だった。

そんなボンボンと対立する派閥の貴族へ、自分が泥をかぶる分、くれぐれも実家のことは頼むと言いおいて、彼女は追放令を受け入れた。



かくしてクラリッサ・ディスワードは王都を追われ、さりとて最近結婚した兄のいる実家に転がり込むのも忍びなく、さてどうしたものかと頭を悩ませていたときだった。

告知板に貼り出された、開拓団の結成令と団員募集の張り紙を見付けたのは。


問い合わせてみれば、その時点で参加者の殆どが農民か職人といった労働階級で、未知の環境へ対応するための知識層が誰もいないという。

童女にしか見えぬ容姿に訝しげだった文官に──責任を負わされ追放されたことを含めて──経歴や身分を語って聞かせてその情報を得れば、話し終わる頃にはなにやら期待の視線を向けられた様子。

まあ開拓地でのんびり植生調査や栽培実験でもして過ごすのもいいか、と。

そう血迷ったのが運の尽きで、真の谷底への片道切符だった。


元より知識層の参加人数が0人の開拓団だ。

学者や貴族といったモヤシを乗せていくための乗り物など誰も用意しておらず、いくらかある馬車はすべて重量物の資材運搬用の物だ。

結果として、王都とその近郊の領地しか知らないクラリッサは、国の外れまで延々徒歩の旅へ放り込まれたのであった。



自慢ではないが、クラリッサ・ディスワードはモヤシである。

運動神経壊滅のモヤシ令嬢である。


これで馬術の心得でもあれば、道中ポケットマネーで馬を仕入れて楽もできたかもしれないが、生憎と生まれてから馬になった経験など、幼少期に父母の膝に乗せてもらったことしかない。

もう少し金を出して、馬車まで仕入れるというのも手ではあったが、やはり御者の経験などなく──普通に馬にも乗れないので当然だ──いつ終わるともしれない開拓行へ、金で雇ったからと市井の御者を巻き込むのも気が引けた。


あるいは初めから、自分は貴族なのだから、平民は荷物を降ろして自分を馬車に乗せるべきである!と。

そう貴族の強権を振りかざす選択肢もあったのかもしれないが、それを選べるようなやつなら、そもそも王都を追われていない。


結果としてクラリッサは、本来魔法行使用のロングスタッフを旅の支えに、体力旺盛な平民たちとともに歩き続ける苦行を負うことになり……



【そして現在】



「開拓地にたどり着いた時には、半死半生でぶっ倒れていたというわけじゃな……」


何故貴族の令嬢が開拓団に参加することになったのかと、そう問われた童女の如き学者は、そう言ってどこか遠い目をした。

どうも王都を追われたことより、開拓地までの強行軍と、そして開拓地に来てからの怒涛の日々のほうが、よほど心身に堪えたらしい。


「おーい学者の嬢ちゃん! また川で変なもの釣れたから調べてくれよ!」

「またか! またお主かフロンティアスピリッツ!! 今度は何を持ってきたんじゃ!?」


……まあ、なんだかんだ適応して、楽しそうにしてるな、ヨシ!


END.彼の/彼女の事情〜学者の場合〜



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