子供と大人(前)
始まりは1通のメールでした。
タイトルはなし。差出人のメールアドレスと青色のハイパーリンクだけが白い画面に映っています。メールアドレスはミレニアムの学生なら誰もが持っている汎用のアドレス。リンク先もミレニアムがよく使う教材用映像アップローダー。セミナーでは特許申請や部活等の活動報告を映像データで提出する事もあるので、この書式自体は見慣れたものですが、本文なしでリンクだけ、というのは流石に見ないです。
「とりあえず確認しますか……」
独り呟き、リンクを開きます。ページが移動し、見慣れた再生スタンバイ画面が現れました。こちらも無題です。
「後で一言言っておきましょうか……」
ギリギリの制作だったとしても、流石にこれは手抜きすぎます。そう思いながら再生ボタンを押すと、
『いやっ!!やめて!!!』
え?
『誰かっ!助けて!!』
だって。
『やだ!!!そんな撮らないで!!!!』
それは。
『いいじゃないの、みんなに見てもらおうぜ、『ユウカ』ちゃん?』
ブツッ!!
咄嗟にモニターの電源を落としてしまった。
嫌な汗が吹き出る。心臓が早鐘を打つ。
悪趣味がすぎる映像でした。
だってユウカちゃんは今、シャーレで先生の当番をしています。
だからこれは嘘。悪質なディープフェイクとしか思えません。それほどまでに現実離れした映像でした。
Al、と言ってまず思い浮かぶのはハレ。だけど彼女がそんな事をするはずがありません。そうなると、Al絡みの研究をしている部活のうちのひとつでしょうか……?
そう思案していると、モモトークに着信が来る。相手は先生。今はユウカちゃんと一緒に仕事をしているはず。そんな時に電話……?
『ああノア、お疲れ様。ユウカがまだ来ないんだけど、ユウカからなんか聞いてる?』
そんなバカな。さっき上機嫌でセミナーを出ていったユウカちゃんが頭をよぎる。
『もしもし、ノア、ノア?』
急速に現実感が遠のいていく。背後でセミナーの電話が鳴っている。
そして狂乱がやってきた。
─────────────────────
「チヒロによれば、放送の発信源はこの病院らしい」
先生が地図を指さしている。
あの電話の後、先生は戦闘時以外滅多に乗らないヘリでセミナーにやってきました。ヴェリタスは映像の検証をしていましたが、結果は最悪の状況であるということ──つまり本物ということ──がわかっただけでした。C&Cが招集され、ヴェリタスが放送のブロックや発信源の特定をするなどしているなか、私は後ろからただ眺めていることしかできませんでした。
焦燥感ばかり募り、何もできない。今この瞬間も親友は悪漢に辱められている、それなのに、私はただオロオロし、ことの成り行きを見守るだけの木偶でしかないのです。
「適材適所」
普段から言っている言葉が自分に降り掛かってきます。それも最悪の形で。今進行している諸々にはそれぞれプロがいて。そして私はその分野のプロではなくて。わかっていても、何も出来ない自分に無力感を覚えずにはいられないのです。
無限の様な、さりとて実際にはあっという間、と表現される様な時間が経過して、ようやく情報が出揃いました。
放送の発信源はミレニアム中心部近くに建設中の総合病院。ここは建物はほぼできており、あとは機材を入れるばかりの場所で、作業員は今日はいないそうです。
セミナーの目と鼻の先。こんな近くまで侵入を許すとは。忸怩たる思いはしますが、対策を考えるのは後です。
早くユウカちゃんを助けないと。
─────────────────────
病院は広く、私達は手分けして探すことになりました。
暗い院内、どこまでも続く廊下に私達の足音だけが響きます。それがユウカちゃんが辱められている時間の長さを突き付けられているようです。
頭に入れたフロアマップから最適ルートを、早く、呼吸すら惜しく、早く、ユウカちゃんはどこ、早く、早く、早く──────!!!
何があるか分からないから慎重に、と言われながらも心だけが先走り、やがてそれは全力疾走に変わっていました。
そして、ある部屋の前で足が止まりました。
いえ、正確には「固まった」の方が正確かもしれません。
何故なら、
「───────────、───────────そろメインディ───────、───開───ゥ〜〜」
聞き慣れない男の声が僅かながらに聞こえてきました。
ここにいる。確信した私は
「ユウカちゃん!!!!!」
蹴破るようにドアを開け、中に突入します。
銃を構えた先にはユウカちゃんとスマホを持った男が一人。
ユウカちゃんの服はボタンが壊され、はだけられた肢体にも白いものがベッタリと付いています。
端正だった顔は精気を失っており、その昏い瞳はこちらを見ているとも見ていないとも言えない状態で───
「…………………ノア」
一番の親友を穢されたことへの怒り。
そんな時に何も出来ない自分の屈辱感。
目の前で行われている現実離れした行為への桿ましさ。
そして銃を向けられていながら尚ニタニタを粘っこい笑いを浮かべている男への恐ろしさ。
このどれが引き金になったのかは分かりません。
ですが今言えることは、
「ユウカちゃんから、手を離せぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」
理性的な方だと思っていた私が、ユウカちゃんのか細い声を聞いた瞬間あっさりと理性を手放した、ということ。
そして、自分がこれ程までに暴れ回り、汚い言葉で面罵できるのだという意外な発見を、どこか遠くから眺めている私がいる、ということでした。
(中編へ続く)