子を思う親

子を思う親

「ほら、もう遅い。寝ろ」「……」「それとも、添い寝でも必要か?」

 珍しくぼろぼろのヒルゼンを見て、扉間は仕方なく自分の家に引っ張り込むことにした。元から疲れているのに深酒をしたらしく、アルコールの匂いがヒルゼンの身体から漂っていた。まだまだ子どもだと思っていた扉間は酒の匂いの発生源がヒルゼンであるということに気付くまで時間がかかった。そうか、もう成人しているのかと扉間が苦笑した。扉間がヒルゼンの酒で赤くなった顔を見た。こうしてみると前世より幼い顔をしている気がする。それもそうか、と扉間が首を振った。成人前から任務とは言え、人を殺していた当時のヒルゼンと、平和に生きていた学生のヒルゼンでは人生の経験値が違う。世界の仕組みそのものが違う以上、どちらが正しい、という話ではない。だが、前世、望まない重責まで背負わせてしまった扉間としては、今のヒルゼンの顔を見るのは好きだった。クーデター。それ自体は、何時かどこかの里で起きるものだろうと、扉間は予測していた。自分が謀殺、或いは他里で巻き込まれる可能性も含めて。あの決断を、昔も今も扉間は後悔していない。けれども、思うところは確かにあった。

 端から扉間はあのクーデター云々関係なく火影の座を辞すことを決めていた。ヒルゼンが火影になる、ということも他の者と協議した上で既定路線だった。だからこそ師匠を、先代火影を囮にして生き延びた男とヒルゼンが言われるのだけは避けるべく瀕死の身体を引き摺って扉間は里へと戻った。細々とした引継ぎを済ませるだけの体力しかなかったが。今更だからこその我が儘だが、扉間は、ヒルゼンの就任式を喪の雰囲気ではなく華々しくしてやりたかったし、ダンゾウには横並びだったものを上に仰ぐということに慣れさせてやる時間を与えたかった。そう、ダンゾウ。ダンゾウがやってしまったことは薄らとしか扉間は把握していない。だが、年を取ってお互い理性や鍛錬で抑えていた悪い面が出てしまったのだろうとボンヤリとではあるが、扉間は思っていた。

「ほら、ヒルゼン、靴を脱げ」

考え事をしている間に自宅に辿り着いた扉間が、ヒルゼンに声を掛けた。ヒルゼンはよく分からない呻き声を上げたあと、せんせい?と扉間の方を向き幻を見るような声でそう言った。扉間が、人違いだ、オレは隣の家の扉間だ、と答える。誰を指しているのか分かっていて惚けていた。ヒルゼンが、黙ったままもたもたと靴を脱いだ。先に玄関から廊下に移っていた扉間が再び肩を貸した。

「ソファとベッド、どちらが良い」

「……ソファで」

酔っ払っているのに気を遣ったな、と扉間が苦笑する。止めなさい、と言う権利は今はないと扉間は何も言わない。無事、ヒルゼンをリビングのソファに寝かせた扉間がキッチンに向かう。冷えたキッチンで身体を震わせながら、扉間は先に暖房を付けてやればよかったなと後悔した。今から白湯を用意してやるのは時間がかかると扉間は電気ケトルで沸かしたお湯をコップに注ぎペットボトルの水で割って再びリビングに戻った。

「起き上がって大丈夫か?」

「流石に、寝転がったまま水分補給は」

別に飲ませてやるつもりだったから良い、という言葉は飲み込んで扉間は黙ってコップを手に持たせる。ヒルゼンはそれにひどく曖昧な顔をした。何か文句を言いたげとも、単に甲斐甲斐しい扉間に照れているともとれる顔。一瞬のことだったので、扉間は気が付かなかったが。扉間が暖房を付け、寝室に向かった。その背をヒルゼンはじっと見つめていた。

「ほら、ブランケット」

「ありがとうございます」

「暖房の温度は勝手に調整しろ」

扉間はそう言って、一人用のソファに座った。扉間個人の優先順位の問題で、家にはテレビが無かった。代わりにラジオと壁を埋め尽くす雑多な本が家にはあった。それなりのスペックのPCとモニターがあり、サブスクの映像配信は契約しているので扉間が世捨て人、というわけでもない。ただ、家主に似たのか生活の気配があるのに生々しさがない家だった。ヒルゼンはそれがどうも落ち着かなかった。不愉快とかではなく、今にも切れてしまいそうな風船の紐を見ている気分だった。

「どうした、不安そうな顔をして」

「……顔に出てましたか?」

「ん、なんというか迷子の子どもみたいだ」

「迷子、ですか」

ヒルゼンが考え事をしているのか黙ってしまう。扉間の方は特に話しかけず、ヒルゼンの言葉を待っていた。長考になりそうだな、と扉間がヒルゼンを見る。普段悩まないか悩んでもすぐに相談をするタイプのヒルゼンは考え始めると長い。基本的に思い立って行動しても何とか出来てしまうのが足を引っ張っていた。ヒルゼンが短慮というわけではない。だが熟慮をしたところで目に見えるレベルに成果が上がるわけでもないタイプ。つまり扉間的に表現するなら、兄者に似たタイプ。そこを、あれこれ考えてしまうダンゾウと組み合わせてお互いを補えないか、と前世の扉間は目論んでいた。結局それが良かったのか悪かったのか扉間には分からない。性格面を除いた能力的な方面で言っても、ダンゾウとヒルゼンが組むのが一番良かったのは事実だが。

 ヒルゼンを見ていると、偶にだが扉間の頭の中にダンゾウのことが浮かんだ。扉間は、これがダンゾウにだけ会っていたら自分の頭にヒルゼンのことが浮かんでいた自信があったし、いっそ誰とも会っていなければ不意に誰かが頭に浮かぶ、ということは無かっただろうとも確信していた。近くに居る子どもは思い出さないが、遠くに居る子どもは思い出す。そういう原理に近い。そして、今扉間が過去のことをあれやこれやと考えるのも、親が良かれと思って二人一緒に通わせていた習い事で揉めたことを後から知ってもっと気遣ってやればよかった、と思っているのと似ていた。

「先生、先生」

「……ヒルゼン。オレが悪かったから先生と呼ぶのは止めなさい」

「オレ越しに、ダンゾウを見るのを止めてくださるのなら」

「すまん。努力はするが、半分無意識だからあまり期待してくれるな」

「……そんなに、ダンゾウのことが好きですか?」

惰性で持っていた空のコップをヒルゼンが置き、扉間の手を握った。酒が抜けてきたのかアルコールの匂いは薄まっていた。

「気がかりではあるな。好きとかではないが」

「なら、なんで、オレを見てくださらないんですか?」

「オレと関わってほしくないからだ」

今日扉間がヒルゼンを家に引き込んだのは家の近くの道で呻いていたからだ。寝ているであろうヒルゼンの家族を起こして回収させるのは気が引ける。どう考えても寝ていない隈を見て家で何かあったのか、とも思った。距離を取るようにはしていたものの扉間は冬の路上に横たわるヒルゼンを無視できなかった。中途半端に優しくして悪かったな、と扉間が首を振った。今日まではヒルゼンとそれとなく距離を取っていたのに台無しにしてしまった。

「何故ですか?いえ、何故今更そんなことを?」

「貴様に世間一般的な幸福を享受してほしいというオレのエゴだ」

「……貴方と居ることは幸せでないとでも?」

「少なくとも心を鬼にして、先生、と縋る貴様に他人の振りをしてやれば良かったとはオレは思っているな」

ヒルゼンが思う幸せを否定したいわけではない扉間が曖昧で遠回しな言い方をした。親と言うのはそういうものである。子どもを否定したいわけではない。けれども、いばらの道だと感じる夢や目標には行ってほしくない。ヒルゼンが自分のことを恋愛的に好きだということを扉間は知っていた。自分以外の誰かだったら男だろうが女だろうが扉間は応援し、祝福していた。だが、自分を理由にヒルゼンが世間的にも法的にも障害の多い道に行くとなれば話は別だった。

「それで、オレから逃げてたんですか。オレの気持ちを無視して」

「ここ一か月居なかった件は単に仕事だ。それ以外はまぁ、消極的な回避はしたな」

ヒルゼンがソファから立ち上がり扉間にキスをした。酒臭いな、と扉間は咄嗟に思った。好きです、愛してます、とヒルゼンが言った。キスだけなら酔っていたんだろで無視してやろうと思っていたが、流石に告白までされてなかったことにする気はない扉間が、知ってる、と返す。いつかオレもだ、と言わせて見せます、と言ったヒルゼンに扉間は黙って微笑んだ。

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