嫁とおねえちゃん.1

嫁とおねえちゃん.1



その日は上機嫌な一日だった。


忙しいスケジュールの中、久しぶりに取れたオフの日。


本当は硝太とどこかに行きたかったんだけど、硝太からは「ごめん、その日はどうしても外せない用事があって」と一言LINEが届いた。


ちょっと残念だったけど、気持ちを切り替えて買い物へ。行先は都内のショッピングモール。着いてすぐ、キッチン用品売り場へ直行。目的は新しい調理器具の購入だ。


実を言うと今まで自分で料理なんてしたことは殆どなかったし、一人で食事を済ませる時は買って済ませることばっかりだった。


それならどうしてそこに行こうと思ったのか?理由は単純。


硝太に、私が作った料理を食べてもらいたい。ただ、それだけ。


硝太が料理上手なのは、ルビーに作ってあげているお弁当を見て知っていたし、なんなら私も食べさせてもらったことがあるからその美味しさも理解している。


それでも。


—たまにはさ、フリルが作った料理も食べてみたいな。


この前、彼がさりげなく呟いた一言。本人にとって深い意味はなかったかもしれないけれど、私を突き動かすには十分過ぎたその一言。


「美味しい、って言ってくれるかな」


ううん、絶対言わせて見せる。なんなら一緒に料理をしたい。同じ目標に向かって硝太と一緒に歩んでいる過程を実感したい。


思わず口角が上がりそうになるのを必死にこらえながら、キッチン用品売り場へ到着。取り敢えず鍋とかフライパンから見ていこうか……そんなことを考えていた時だった。


「う~ん、ちょっとデザインが渋すぎるかな~?チャンネルで使うものだからもうちょい可愛いやつにしとくべきかも」


聞き間違えようのない、推しの声が聞こえた。




その日は思いがけないことばかり起こる一日だった。


元々ルビーはソロで別の仕事が入っており、B小町としての仕事は私とかなちゃんの2人で行う予定だった。


ところが収録スタジオの機材トラブルで収録が延期。かなちゃんは同じ日に予定されていた別件のCM撮影のためスタジオへと向かってしまった。


私はというと、その日は他に仕事の予定も入っていなかったため、思わぬ形でオフとなってしまった。


動画編集の方は昨日で来週出す分を終えてしまっていたので、再来週分の収録予定を確認して。


「えーと、B小町による簡単スイーツクッキング回、かぁ」


そこまで確認して、ふと、あぁ、そういえば調理器具買わないといけないんだった、と思い出して。外出用のコーデをして、都内のショッピングモールに到着したのがついさっき。


そして今私は、キッチン用品売り場で調理器具相手ににらめっこをしていた。


「う~ん、ちょっとデザインが渋すぎるかな~?チャンネルで使うものだからもうちょい可愛いやつにしとくべきかも」


好評だったら第2弾も企画しようかな~、なんて独り言を言っていたら。


「MEMちょさん?」


突然背後から、聞き覚えのある国民的美少女タレントの声が聞こえた。




「いやーにしても驚いたよ!まさかあんなところでフリルちゃんに会うなんて!JIF以来だっけ?」


「そうですね、あの時はライブ終了直後だったので軽い挨拶しか出来なくてすみません」


「あー、いいよいいよ!気にしなくたって。というかもっとくだけた口調で話してもいいんだよ?」


「いえ、私MEMちょさんの大ファンですから。推しにタメ口きくのは流石に憚られるというか」


「そっか」


「それに硝太から聞いてるので。MEMちょさんが実はにじゅ」


「わ゛ーっ?!改めて言わなくていいから!ってか硝ちゃんも口軽いね乙女の実年齢ホイホイバラしちゃうなんてさ!」


ここはさっきのショッピングモールからちょっと離れたところにあるカフェ。フリルちゃんのお気に入りの場所らしい。


さっき思わぬ形で再会した私達はその場で話に花を咲かせ、お互い探していた調理器具を購入した後で、ちょっとお茶でも、とそのままの勢いでここを訪れていた。


私からすれば今をときめく不知火フリルと午後のティータイムを過ごせるだけでも至福のひと時だし、なんならSNSにツーショット上げればバズるのでは!?とちょっと期待しちゃったり。


……でもその前に一つ気になることが。


「硝太、って呼ぶんだね。硝ちゃんのこと」


さっきから気になっていた、彼女が彼を名指す時の呼び名。私だっていい年した大人だし、女の子が異性を下の名前で呼び捨てにする時、そこにどんな感情が込められているかぐらい分かっているつもりだ。


「ええ、大好き、だから」


ウワァーォ、包み隠さず即答しやがりましたよこの国民的美少女……ファンが聞いたら卒倒するだろうなぁ。ってか硝ちゃん、いつの間にこの子をそこまで惚れさせたのよ?


「フリルちゃん、その、良ければ……なんで硝ちゃんのこと好きになったのか、教えてもらえるかな~、なんて」


ついつい尋ねずにはいられなかった。そりゃそうだろう。


片や、月9のドラマで大ヒット、歌も踊りも演技も出来て各方面に引っ張りだこな超絶美少女(ついでに私の大ファン)。


片や、私がもう一度夢を追うきっかけを与えてくれた存在の一人で、実の弟のようにかわいがってきた男子。


こう言っちゃなんだが、提灯に釣鐘ならぬ、チワワにアフロディーテ。二人が一体どこで知り合って、どこで彼女がそんな思いを抱くようになったのか、まったく想像ができないのだ。


「良いですよ、ちょっと長くなりますけど」


表情こそ変化はないけど、よくぞ聞いてくれた、という誇らしげなオーラが溢れ出してるような、気がした。




「……そんなことがあった、んだ」


「あのことは今思い出してもゾッとします。もし当たり所が悪くて硝太が生きてなかったら」


フリルちゃんはカップの中のアールグレイティーに視線を落とした。


フリルちゃんから聞いたのは、硝ちゃんと出会ってから今に至るまでの長くて短いクロニクル。


高校に入学してから最初に会った時のこと。単なる知り合いから友達に関係が進んだ時のこと。


芸能人としての不知火フリルではなく、一人の女の子として自分を見てくれてきたこと。


仕事先で嫌がらせを受けていた時、硝ちゃんが相談に乗ってくれて、助けてもらったこと。


そして、ストーカー被害に遭った時、硝ちゃんが身を挺して守ってくれて……そのせいで大怪我して入院する羽目になったこと。


そうだよね、まさか自分がストーカーの相談をしたせいで、逆に硝ちゃんが危険な目に遭っちゃったなんて。


私でも自責の念に押しつぶされてたかもしれない。


でも硝ちゃんは、入院中一言も弱音も責める言葉も言わなかったらしい。硝ちゃんらしいといえばらしいけど。


「もうちょっと自分を大事にしてほしいよねー、硝ちゃんが傷ついたら悲しむ人が少なくともここに2人いるんだからさー」


湿っぽい空気を何とかしようとして、私はわざと明るく振舞おうとした。


「……だからあの時、約束しました」


すると先ほどの重苦しい雰囲気から一転して、フリルちゃんは唐突に顔を上げてこちらに視線を向けた。


ペリドット色の瞳の中に、固い信念を覗き見た。


「もう自分の身を危険にさらすような手段は取らない、そう誓って、って」


思わず息を呑んで見つめてしまうほどの美しさと気高さを秘めた口調。きっとこの約束をした時もフリルちゃんはこんな感じだったのかもしれない。


「……うん、効果覿面だね。硝ちゃんは大切な人と誓った約束はそう簡単に破らない子だから。きっとフリルちゃんが悲しむような方法はもう取らないと思うよ」


ちょっと緊張がほぐれたので、私はアイスティーを一口飲んだ。


「それに、次やったら私が硝太に『傷』つけるって釘刺しておいたので」


「ブフホォッ?!」


思わず吹き出してしまった。人が飲み物飲んでるタイミングでなんでいきなり大胆発言するかなぁ?!


「おお、なんて綺麗な紅茶噴霧……これがMEMちょさんのリアクション芸……生で見られるなんて感動。今死んでも私の生涯に一片の悔いも無いわ」


「ケホケホッ……!ちょ、フリルちゃん!?そういうことは軽々しく言わない方が、というか死んじゃだめ!!硝ちゃん悲しむから!」


「大丈夫、硝太を一人残して逝ったりしないし。ところで場所変えませんか?テーブルが紅茶まみれになっちゃいましたし」


「誰のせいでこうなったと思ってるのかなあ?!」


……うん、なんというか硝ちゃん、頑張れ。生涯かけてツッコミ側に回ることになるだろうけど頑張れ。

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