姉様と菊田さんSS
普段から軽率に胃を爆破させて申し訳ないので胃粘膜が無事な話を書きたかった
蕎麦屋の二階に男女が一組、なんてあからさまな状況でありながら乾ききっている空気の中でぬるい茶を啜る。
人をもてなすという気概がまるで感じられない渋いそれを淹れた張本人は、俺から双眼鏡をむしり取るなり窓際に張り付いて外を眺めている。膝を立てて手土産のあんぱんを乱雑に齧る姿が妙に様になっていた。
そんな女と色気のある空気を醸し出せというのも土台無理な話だ。
「直接会ってやればいいのに」
「嫌です」
背にかけた言葉には一瞥すらくれず冷たい返答だけがぽんと投げて寄越される。俺の前では愛想の一つも振り撒かないが人前に出るなり物静かで楚々とした淑女の振る舞いができるのだから、女ってのは怖いなあ。
過去同じ問いをした事は何度かあるが、返答もまた毎度同じような否定ばかりだ。
異母弟の動向が気にはなっても遠目に眺めるだけで満足して、とうとう双眼鏡の距離で済ませようとしている。何がそこまで彼女を頑なにさせているのやら。
「花沢勇作は誠実な男だ。お前さんの存在に驚きはしても疎んだりはしないさ」
「……そうかもしれませんね」
少しのブレもない姿勢は以前一度だけ目にした彼女の狙撃を思い起こさせる。あの針の穴を通すが如き精密射撃は、生半可に銃が得意だと嘯く連中では後塵を拝する事すら叶わないだろう。
男であれば。兵士であったならばあの腕にどれだけの味方が救われるだろうか。そこまで考えて首を振りそんな思考を頭から追い出す。若人を戦場に連れて行きたいなどと思うべきではなかった。
「何を呆けているんですか」
いつの間にか音もなくにじり寄っていた尾形が包みから勝手にあんぱんを取り出して口に運んでいる。
心なしか血色の良くなった顔で頬を膨らませるその姿は海千山千の軍人達に取り入ろうとする底の知れない妖婦にも、獲物を冷酷に刈り取る狙撃手にも見えず、いっそ稚気ですらある。
「何でもないさ。それよりもういいのか?」
「ええ。双眼鏡、助かりました」
「くどいようだが、そんなに気になるなら一度くらい会って話した方がいいんじゃないか?会いたいと思った時にはもう手遅れだって事もあるんだぞ」
聯隊旗手となるであろう花沢勇作があと何年生きていられるのか。それはあまりにも希望的な未来が見えないでいる。
ならばせめてこの姉に後悔しない道を。かの弟に生きたいと願う意思を。そう望むのはお節介というものだろうか。
「生き延びて欲しいとは思っていますが、例えそれが叶わずとも後悔なんてしませんよ。それだけははっきりしている。」
冷めた眼差しに強がりの色は無い。
だが不穏さを滲ませる物言いを問い質すよりも尾形が咎めるように牽制する方が一足早かった。
「ああ、軍曹殿のご無事だって祈っていますとも。貴重なパイプですし、こうして手土産だって持って来て下さる」
自分の髪を撫で付けながら尾形はからりと笑ってみせた。どうやらそこまで踏み込む事を許してはくれないらしい。
「便利な男扱いかよ。生意気な奴め」
煙草をポケットから取り出そうとして、止めた。
北からは冷たい風が吹いている。
自分や彼女達姉弟だけでなく、この国に生きる多くの人間達にとっての時間制限は刻一刻と迫ってきていた。
三行
冷や汗「えっ!?今日は流れないでいいんですか!?」
目「遠くを見ないでいいんですか!?」
胃「爆発四散しないでいいんですか!?」