姉の手解き、妹の思い
梅雨も明け始め、本格的に夏が到来するこの時期。秋に向けてトレーニングを積むウマ娘達が頭を悩ませるもの、それが天候であった。天気予報の確認を怠ることはなくとも、九に発生した雨雲によって、トレーニングの計画が狂うことは珍しいことではない。そのような場合にどう行動するかは、ウマ娘一人一人の考え方次第である。計画を変更し、室内でレース研究や筋力トレーニングに打ち込むものもいれば、レースの時は天候がどうあっても走らなければならないと言って、雨の中でも当初のメニューを行う者もいる。
ヒルノダムールはどちらかというと雨の中でのトレーニングを嫌がるタイプだ。当初は妹と併走トレーニングの予定であったが、彼方に黒い雲が現れ始めたのを見、雨が降ることを予想していち早くメニューの変更を決断したのである。彼女の予想通り、しばらくすると大雨となり、外からは雨に打たれることを嘆く声が聞こえていた。
「……カプったら遅いわね。まだ走ってるの?」
彼女の妹―ジョーカプチーノは雨に打たれることを気にするタイプではなかった。幼いころから雨が降っていてもお構いなしに外に行って、ずぶ濡れで帰ってくることがよくあった。そんな彼女は姉が退散すると言いだしても、ある程度走りたいと言ってコースに残ったのである。
(カプが雨の日を嫌がらないのって、ママが雨の日が好きだからよね……)
母のことが好きなジョーカプチーノが、母が好んでいる雨の日を嫌がらないことは、ダムールも理解していた。しかし、雨の日が好きなことと、雨に打たれることを嫌がらないことは別だと考えているダムールには、妹の気持ちは少し理解しがたいものであった。
「ただいま、お姉ちゃん」
「おかえり。……よくあんな雨の中でこうも長く動けるわね」
「私は重たい馬場は得意じゃないから。こういう時に慣れておかないと」
「それは間違いじゃないわね。それより……」
ダムールが気になることは、案の定ずぶ濡れになって帰ってきたカプチーノの状態だった。濡れて帰ってくるのは構わないが、ダムールには妹の対処があまりにも雑に思えてならなかった。
「カプ?ちゃんと部屋に戻ってくる前に髪とか乾かしてきた?」
「ん、ある程度は乾かしてきた」
「ちょっと確認させなさい?」
髪に触れると確かにある程度は乾かしているようだった。しかし、ダムールの確認は非常に念入りに行われた。指でカプチーノの髪をゆっくりと梳かすようにすると、指先にじっとりとした感触が伝わってきた。
「カプ!やっぱりちゃんと乾かしきれてないじゃない!」
「お姉ちゃんは気にしすぎ。このくらい乾いていたら、あとは自然乾燥で問題ない」
「駄目!しっかりと乾かしておかないと、髪に悪いの!」
ダムールにしてみれば、カプチーノが髪の手入れに関してそれほど注意を払っていないことが信じられないのであった。何も自分と同じくらい徹底的に手入れに真剣になってほしいとは思っていない。しかし、使う年頃の女の子として、美容に対して一定以上の注意を向けてほしいという考えがあった。
「言うだけだとカプはやらないだろうから、今からアタシが一からお手入れの仕方を教えてあげる!お風呂行くわよお風呂!」
「わかった、わかったから。引きずらないで、お姉ちゃん」
カプチーノのささやかな抗議を聞き流し、ダムールはカプチーノを大浴場につれていくのだった。
「カプもきれいな髪をしているんだから、時間をかけてしっかり洗わないと駄目よ?」
「ん……」
どのように洗えばいいのかを念入りに指南しながら、ダムールはカプチーノの髪を洗っていた。若干面倒くさがり屋の面もあるカプチーノであるが、他人にやってもらうのであれば、じっくりと髪を洗われるのはまんざらではない様子である。
「カ~プ~?たまにアタシに言ってやってもらおうなんて思ったら駄目なんだからね?ちゃんと自分で毎回しないと駄目だから!」
「うぇ~……」
「うぇ~……じゃないの!今はよくても、将来困るのはカプなんだから!」
ダムールのお説教と共に、カプチーノに対する髪の洗い方講座は進んでいった。途中で想定よりも発生した泡によってダムールが足を滑らせたり、垂れてきた泡を無意識に拭ったことで目が痛んだカプチーノが悶えたりはしたものの、無事に講義は終了した。
「ん……すっきりした。それじゃあお姉ちゃん、体は自分で洗うから……」
「何言ってるの。まだシャンプーし終わっただけじゃない。まだトリートメントとコンディショナーしてないんだから、そっちもやるわよ」
「え~……」
「不満そうな顔しない!ちゃんとつけないと、せっかくきれいな髪がガサガサに……」
「?お姉ちゃん?」
ここまで言って、ダムールはカプチーノの圧倒的に恵まれた体質に感づいた。トリートメントやコンディショナーを面倒くさがる反応からして、今までそれらを真剣にしてこなかったであろうことは推測できた。自分が必死になって状態を保っている髪艶の質を、ほとんど無頓着に達成する妹の体質に対して、妬みを抱かずにはいられなかった。
「なんでもない。なんでもないから、これからはちゃんとトリートメントもコンディショナーもつけなさい?その方が、ママも喜ぶだろうから」
「……!髪の手入れをしっかりしたら、お母さんに褒めてもらえる?」
「きっとね」
カプチーノの表情が明るくなったのを見て、これからは真剣に取り組むだろうと確信して安堵するとともに、これから姉として大変だと感じるのであった。
「こうやってドライヤーをかけたら、熱くもないししっかりと乾くから」
「おお~」
部屋に戻ってからの髪の乾かし方の講義も終了し、あらかた教えなければならないと思われたことを伝えきったダムールはかなりの疲労を感じていた。なぜ今までこうも無頓着に生きてこられたのかを疑問に思う一方で、もっと自分が妹の少し雑で面倒くさがり屋なところを改善するようにしていればよかったと後悔も抱いていた。しかし、今日自分の持つ知識を教えたことで、カプチーノも少しは女の子らしく自分の美容に気を遣うようになるだろうと思うのだった。
「ん……疲れたわ……」
「大丈夫、お姉ちゃん?」
「心配ないわよ……このくらい、少し休めば治るはずだから……」
「じゃあ、色々教えてもらったお返ししたい。マッサージしてあげる」
「マッサージか……」
全体的に張りも感じるのは事実である。それに、カプチーノのマッサージは父や母からかなり高評価であった。せっかくの機会なので、厚意に甘えるのも悪くはなかった。
「じゃあ全身お願いできる?」
「ん、任せて」
ベッドの上にうつ伏せになり、カプチーノのマッサージを受ける。両親の言う通り、カプチーノのマッサージの腕前はかなり高く、的確に体をリラックスさせていった。
「おねえちゃん、痛くない?」
「ん……大丈夫……そのまま……」
マッサージを受けて体がほぐれていくと同時に、ダムールの意識は少しずつ薄れていった。ほどなくしてダムールは意識を手放し、穏やかな世界に沈んでいくのであった。
「お姉ちゃん?……寝ちゃってる。優しくて大切なお姉ちゃん。今はゆっくり……」
マッサージを続けながら、安らかに寝息を立てるダムールに、カプチーノは微笑みを向けるのだった。