妖しき砂漠の算術使い
「お久しぶりです。1293.5時間ぶりの再会ですね、先生♪」
「改めての自己紹介はご入用ですか?」
カーテンが締め切られ、暖色を放つテーブルランプのみが辺りを照らす薄暗い部屋。
その中で私は失踪していたユウカとの再会を果たしていた。
"…こんな形で会いたくはなかったよ、ユウカ。"
現状、シッテムの箱は取り上げられ、後ろ手に縛られた状態でユウカの目の前に跪いている。
その上、両足の健は巻かれた包帯に血が滲み、じくじくと痛みを訴えていた。
正に、まな板の上の鯉であった。
「ふふっ、そうおっしゃらないでください。」
「これでも私の部屋に来れた人の中では破格の待遇なんですよ?」
髪を下ろし、紫紺のドレスローブを身に纏ってソファにゆったりと身を預けているユウカ。
少女らしいあどけなさは何処に消えたか、その姿はさながら絵画の中の貴婦人の様に妖艶だった。
"…リオとノアはどうしてるの。"
「あら、怖い顔。そう心配なさらずとも二人とも元気ですよ。」
私からの問いを軽くあしらい、ユウカは胸元から薬包紙を取り出す。
そして慣れた手付きで片手に持っていたガラスパイプの火皿にその中身を注いだ。
「何せ私の大事な先輩と親友なんですから♪」
火を着け、側面の空気穴を押さえて吸口から静かに立ち昇る煙を吸い込む。
「…ッフゥー…♡」
途端に蕩ける表情。漂う甘ったるい香り。あの薬包紙に包まれていた物の正体を確信する。
キヴォトス中を大混乱に陥れ、ユウカを変えてしまった諸悪の根源である"砂漠の砂糖"だ。
私が険しい顔をしているとユウカはこちらに意識を向けた。
「ほら、先生もどうぞ…♡」
ユウカは徐に私の後頭部に手を伸ばし、自らの胸元に抱き寄せた。
トクン…トクン…とユウカの緩やかな鼓動が聞こえる。
見上げた先の表情は母の様に慈愛に満ちていた。
するとユウカはガラスパイプから再度煙を吸込み───
「…ッハァー………♡」
私の額に煙を"垂らす"。
先程の様に吐き出すのではなく、穏やかに、静かに、霜が降りる様に。
抱きしめられている私に逃げ場は無い。
ユウカの呼出煙は顔を撫でる様に纏わりつき、私の肺を満たす。
パチパチと脳の中の何かが弾ける音が聞こえ、多幸感に満ちた浮遊感が私を襲う。
"ッ!!!…ッ…身体に、良くないよ。"
「心配してくださるんですか?やはり先生はお優しいですね。」
あまりに強い作用に意識が飛びそうになる。
だが私は先生だ。果たすべき役割があり、責任がある。
そう自らを奮い立たせ、精一杯の虚勢を張る。
するとユウカは少し残念そうな顔をしてから私に問うた。
「…でも、これを見てまだそんなことを言えますか?」
チリリンとハンドベルを鳴らす。すると何時からそこに居たのか、黒い布で顔を隠した生徒が二人現れた。
二人は暗幕を左右に引いて再度隠れたが、代わりに中にあるものが露わになる。
その隠されていた光景を見せられた私は、愕然とした。
「二人とも、最初はすっごく嫌がってたんですよ。」
「先生と同じ様に、余裕なんて全く無いのに虚勢を張って、必死に抗ってました。」
「でも見てください、あの幸せそうな顔♡」
そこには焦点の定まらない瞳で、シーシャの煙を吸い込み、吐き出しを繰り返すリオとノアがいた。
蕩けた顔のままでこちらに意識を向ける様子は、全く無い。
「今から私は、先生に、あの二人にした事と同じ事をします。」
「あの二人への試行結果から、先生が堕落しない確率は極めて低いです。」
ユウカは私の頬にその白魚のような美しい指を這わせながら告げる。
「こんな私でも、先生は御赦しになりますか?」
目線を戻すとユウカの細められた目はどこまでも昏く、口元には三日月の様な弧が描かれていた。