女の子になりたい

女の子になりたい


人は見た目じゃない。

誰が最初に言ったかはわからないけど、いい言葉だと思う。

優しい人。明るい人。礼儀正しい人。前向きな人。いろんな人がいて、きっとここらへんは世間の一般的評価では良い人に分類されるんだろう。

もちろんそれがすべてとは言わないし思わない。いろんな人がいる。絶対なんてない。だから自分も、そんなのはわかってるつもりだった。見た目だけで相手を判断することはよくないと。

…ただ。やっぱり見た目の印象というのはその人に対するイメージに大きな影響を与える。見た目に惑わされるなとわかってはいても、極端に怪しい風貌の人間がいればどうしたって懐疑的になる。明らかに穏やかそうな雰囲気を纏っていれば、無意識のうちに気を許してしまう。見るからに恐そうな人相をしている人の前に立つのは、どうしたって萎縮する。

わかってはいてもやっぱり見た目というのは大事だ。どうしたって見た目のイメージに引っ張られてしまう。


だからかもしれない。『あの人』のわたしを見る目は他の子たちとは、ちょっとだけ違っていた。




「はぁ……」


重たいため息が無意識に零れ落ちる。手にしているスイーツノートの内容もいつもみたいに頭の中にすんなりと入ってこないほど、私の心はどこか別の彼方に遠のいていた。


「どうしたの、ため息なんてついて」


だからかもしれない。誰かが私の隣に座るまで他人の接近に気づけなかったのは。


「さあやちゃん」


やってきたのは薬師寺さあやちゃん。とても綺麗でいろんなことに詳しい、わたしと同じプリキュア。最近はわたしのスイーツの話に付き合ってくれる素敵な新しい友達の1人。


「なにか悩み事? もしよかったら聞かせてほしいな」


覗き込むように顔を傾けるさあやちゃんは長く綺麗な髪を耳にかける。その仕草は同性ですらドキッとするぐらい大人っぽくて、わたしなんかと比べられないぐらい艶やかに見えた。


「悩み……というほどのものじゃないんですけど…」

「うん」

「その…拓海さんのことで…」

「拓海? 拓海がどうかしたの?」


わたしは思い切ってすべてを打ち明けた。

さあやちゃんと同じくわたしのスイーツ話に付き合ってくれる新しい友達。年齢が一つ上のお兄さん。料理上手で優しくて、ちょっぴり恥ずかしがりやなかわいい男の子。

そんな拓海さんと一緒にスイーツを作るようになって、どれだけ時間が経っただろう。

キラパティのみんなとの数えきれないほどのたくさんの中に混じる、まだまだほんの少しの思い出は、小さいながらもわたしの胸の中で確かに大きな割合を占めていた。

わたしの話を聞いてくれる時も、わたしと一緒にスイーツを作る時も、わたしが何かに困っている時も、拓海さんはとても優しく笑いかけてくれた。その笑顔にいつしか心がシフォンケーキのようにふわふわするようになって、チョコレートケーキのような甘さを覚えるようになって、スイーツの時と同じぐらいどんどん深みにはまっていくのがわかって、わたしは知らず知らずのうちに拓海さんに注目していた。

そしてある時、気づいてしまった。


「え、拓海に女の子として見られてない?」

「たぶんですけど……はい」


拓海さんには好きな女の子がいる。ずっと小さい頃から一緒だった幼馴染の女の子。その子の前になると拓海さんはいっつも顔を赤くしていた。それはやっぱり意識している相手だから。だと思っていた。

けど、拓海さんの周りにはさあやちゃんも含めていろんな女の子がいて、そんな女の子たち相手でも拓海さんは少しだけ恥ずかしそうにしていた。

元々恥ずかしがり屋な一面を持っているからか、拓海さんの年齢ぐらいでは異性と話すのが得意じゃない子もいるだけの話なのか、どちらにせよ拓海さんは女の子を意識すると羞恥心が働く。それはどこか引っ込み思案だったわたしにも通じる部分がある、勝手に仲間意識が芽生えていた、似ていると思った一面。

…………拓海さんが、わたしを前にして見せることのない、一面だ。


「キラパティのみんなといるときと、わたしといるときとじゃ全然違うんです」


その姿を追いかけるようになって、キラパティのメンバーと拓海さんが関わることが増えてわかってきた、わかりたくなかった事実。


「きっと…わたしが小さいから」


わたしは他の子たちに比べて明らかに小さい。一見、小学生にすら間違われるぐらいには。

実のところ節々に感じてはいたんだ。

わたしと話す時も。

わたしと一緒にいる時も。

わたしが不意に転びそうになって助けてもらったとき、体が触れ合った時も。

明らかに拓海さんの反応は他の“女の子たち”とは異なっていた。

恐らく拓海さんの中でわたしは“女の子”ではなく“子供”として扱われている。それはきっと、わたしの見た目故に。


「別にそれが嫌とかじゃないんです…。でも、ちょっとだけ気になっちゃって……。気になっちゃったら、なんだかずっと気になったままになっちゃって…」

「…………」

「でっ、でも! そもそも拓海さんにはゆいちゃんがいるから、そんなの当たり前ですよね!」


きっと拓海さんには悪気はない。ただ無意識にカテゴライズしているだけ。そこに特別とか違いとかで線引きなんてしていないんだろう。むしろ子供にやさしい拓海さんは他よりも小さいわたしのことを気にかけてくれている。

高い所の物を取ろうとして取れないで困っていたらすぐに代わりに取ってくれたり、人混みの中に入ることがあった時はわたしが潰れないように守ってくれた。きっと拓海さんの中でわたしは意識する“女の子”じゃなく、見守るべき“子供”なんだと思う。

だから他の女の子たちよりも距離が近いことが多くても、どれだけ体が触れ合ったとしても、拓海さんはいつもどおり優しく笑いかけてくれる。

そこには他の子たちに見せる、あの顔はない。


「—————ひまりちゃんは拓海のことが好き?」

「え!?」


さあやちゃんの突然の一言に思わず素っ頓狂な声が出る。


「ちっ、ちちちちっ、違います! わたしはそんな……! 確かに拓海さんやさしいし素敵だしかわいいなって思うところもいっぱいあって、わたしの話もずっと付き合ってくれてすごく嬉しいって思ったりもしますけど……! わたしは……! ……そういうんじゃないと…思います」


自分自身で列挙する否定はわたしの声を萎ませる。


「正直なことを言うとわからないんです……。好きだとしてもそういう好きじゃないのかもしれなくて…うまく説明できないですけど……」


それは、憧れ。とでも呼べばいいのだろうか。

確かに他の男の子たちと違ってそういった面で見れる相手と言えば、まったくないとは言い切れないけど、だからと言って明確に恋をしていると断言できるほど気持ちの整理もできていない。

何より拓海さんにはゆいちゃんがいる。この一点だけでわたしの中にある気持ちなんてどれだけ形成されようとも意味がなくなる。

今のわたしに、自分の気持ちを言語化するのはとても難しかった。

そんなわたしの思いを汲み取ってくれたのか、さあやちゃんはにっこりと笑う。


「うん、そっか。それならそのままでもいいと思うよ」

「え……」

「無理にあれこれ決めつけちゃうなんてもったいないから。ひまりちゃんが納得するまで時間をかければいいんだよ。そしたらいつかきっと、ひまりちゃん自身ではっきりとわかるときがくると思う」

「そう…なんでしょうか…」

「うん、きっと。だけど1人じゃ大変だろうから私がちょっとしたお手伝いをするね」

「お手伝い?」

「ふふ。ねえ、ひまりちゃん。男の子と女の子の違いってなんだと思う?」

「それは……」


頭をちょっとだけ傾けて考える。


「やっぱり体つきとか…でしょうか?」


さあやちゃんは見守るような微笑みを浮かべた。それこそ天使と見間違えるような微笑みを。


「拓海はひまりちゃんのこと、女の子としてちゃんと見てるよ」








「個室のサウナってはじめて来たけど結構いいところだな」


水着姿の拓海さんが自分しかいないと思いながら、そんな独り言を零す。

拓海さんが今いる場所は最近できたばかりの完全個室型サウナを完備したお風呂カフェ。内湯、露天風呂はもちろんのこと1日中過ごすことを考えて休憩スペースとしてラウンジやリラックスルームが用意され、外気浴を楽しめるサウナガーデンから子供専用のキッズルームまであらゆる設備が整っている。お風呂や遊ぶことでお腹が空けば併設する食堂での食事も可能と、至れり尽くせりの娯楽施設だ。


「薬師寺からチケット渡された時はなにか企んでるかと思ったけど、貰って正解だったな」


いいや、不正解だと思う。

何かと脇が甘いところがあの人のいいところでもあり、心配でもあるところ。

しかし今回はむしろそのほうが好都合だった。


『準備はこっちでするけど肝心なのはひまりちゃん自身。ひまりちゃんがどれだけ勇気を出せるかだよ』


ここに来るまでのさあやちゃんの言葉が今になって身に染みる。今からすることはプリキュアになってから多くのことを経験したわたしでさえ、人生の一世一代とも言うべき勇気を出さなくてはならない。

頼んだのは他でもないわたしなんだから足踏みしてはいけないのはわかっている。それでも、やっぱり緊張はどうしてもしてしまう。


『無理強いはしないよ。だけど、がんばりたいなら私は応援する』


友達の強い励ましを思い出し、ギュッと拳を握った。怖くて震えそうな体に鞭を打ち、わたしは勇気を振り絞る。


「お、お邪魔しますっ」


本来だったら拓海さん以外が開けることのない扉を開けて、わたしはサウナルームへと足を踏み入れた。


「え……はっ?」


突然の来訪者に目を点とさせる拓海さん。無理もない。今日この個室を使えるのはチケットを持っていた自分だけ。拓海さん視点ではそうなっている。けれど、実はこの個室を使うために予約して発券されたのは2枚。拓海さんの分とわたしの分。

すべてはさあやちゃんのお膳立てのもと計画された作戦。といっても内容は至ってシンプル。拓海さんが渡されたチケットを使って個室に入った後、わたしが後を追うようにしてもう1枚のチケットを使っただけ。単純な方法だけど作戦は見事成功。ここからは、わたしが頑張る番だ。


「なっ、え……! なっ、なんでここに…!?」

「えっと…き、きちゃいました…」

「は、はぁっ!? 来ちゃったっておまえ……! あぁ…! そうか薬師寺のやつか! なんかおかしいとは思ってたけどあいつ……!」


拓海さんは状況をすぐに理解した。たぶん似たようなことを何度も経験したんだろう。


「てか、おまえ……! なんだよその恰好!?」


それでも狼狽えているのは、きっと今のわたしの姿の所為。


「ここは共用のサウナですから…。入るには水着を着ないといけないですし……」

「だからってそれは……! しかもなんで変身までしてるんだよ!」


そう。今のわたしは変身した姿—————キュアカスタードになっている。ただしいつもの衣装ではなく、この日の為に用意された水着を身にまとっていた。

この個室サウナはあくまで共用。男女で入れるのが売りの1つであり、夫婦やカップルが使うことも多いとのこと。ただそのために使用するには水着、もしくはお店側が用意する肌着を着用しなくてはいけない。だから拓海さんも水着姿になっているし、わたしも変身してからわざわざ水着に着替えてきた。この状況ができあがる過程は滅茶苦茶でも、この小部屋に入る状態としては間違ってはいない。……水着というにはあまりにもお粗末な代物であることを除けば。


「その……さすがにこれを着る勇気を出すには変身するしかなくて……」

「変身してまで着ることないだろ!?」


わたしが着ることとなった水着、それは一言で言うならかなり際どいものだった。通常だったらもっとあるであろう布面積が極端に削られたビキニタイプ。本当に大事な部分だけしか隠さない必要最低限な布は紐を結ぶだけで固定していて、動いているうちに解けてしまうほどゆるゆるで心もとない仕様となっている。

ただでさえ自分が選んで着ることのないタイプの水着なのに、そのタイプの中でもさらに攻めたデザインには明らかに男女間でのそういった事柄用の事情が垣間見えた。

しかもこの水着、厄介なことに色が白だからなのか濡れたりすると簡単に透けてしまう。現に緊張で全身から噴き出す汗の所為で、すでに胸の部分の生地ははうっすらとピンク色を浮かばせていた。


「とにかく出ろ! 出ないならオレが……!」

「待ってください!」

「うわっ!?」


扉に向かって歩き出そうと立ち上がった拓海さんを、わたしは力で抑え込んだ。


「せっかく来たんですから、一緒に入りませんか?」

「なっ、なに言ってるんだおまえ!? 冗談はよせって!」


冗談。拓海さんにとってはそうなのかもしれない。でも、わたしにとっては違う。


「わたしが一緒にいたら迷惑、でしょうか……?」

「うっ…それは…」


さあやちゃんから教えられたとおり、見上げるような体勢で懇願する。

さあやちゃんは言っていた。


『拓海が子供として扱ってくるなら、いっそのこと子供の部分も使ってみればいいんじゃないかな。女の子のありすちゃん。子供としてのありすちゃん。どっちもあれば、きっと拓海もこれまでとは違った反応をすると思うんだ』


まるで実験をするかのごとく提案。拓海さんをよく知るさあやちゃんだからこそ、その発想には確かな確信があったんだと思う。


「だっ、ダメだっ。やっぱりこんなの……!」


そしてさあやちゃんの言葉通りに効果は表れた。


「話だったら後で聞くからとにかくここから……!」

「いっ、いかせません!」


出ていこうとする拓海さんに馬乗りする形で止める。本来なら対格差で圧倒的に力負けするところだけど、今のわたしはプリキュアに変身して力は変身前と比べて何倍にも膨れ上がっている。対して拓海さんは変身するためのアイテムを脱衣所に置いてきて今は生身の人間。抵抗しようとどれだけ力を入れても変身したわたしをどかすことはできない。


「お、おいっ…! なにやってんだ!」


あまりの出来事に拓海さんは狼狽えている。わたし自身、緊張と混乱で自分が何をしているのかも判断できなくなりつつあったが、ここまできたらもう引くに引けない。

ぐっと身を寄せて拓海さんの顔を見上げる。


「どうっ、したんですか? いつもこうやって…近くにいても平気だったじゃないですかっ。体が触れ合ったときだってっ」

「それとこれとは状況が違うだろ!」

「同じですっ! 今はちょっと着てる物が違うだけでっ!」

「それが一番ダメなんだっての!」


抵抗を尽くす拓海さんにわたしはどんどん体を密着させていく。サウナという完全に外と孤絶した空間でじわじわとした空気が充満する。

そんな空気当てられてか、わたしと違ってごつごつとした男の子の体を全身で感じると、余計に心臓が激しく鼓動した。


「どうして…ですかっ…? どうして……。やっぱりわたしが小さいから……」


拓海さんの周りにはかわいい女の子も、綺麗な女の子もいっぱいいる。ほとんどがわたしと変わらない同年代の子たちばかり。わたしと同じ年齢の子だっている。さあやちゃんだってその1人。

だけどみんなは、わたしとは比べ物にならないぐらい女の子になっている。

ちゃんと年相応に身長があって、成長するに伴って女の子らしい体つきになっていて、中にはさらに発育がいい子もいて。

なのにわたしは背も低ければ体つきもまだまだ未成熟。それこそ、さあやちゃんとわたしが並んで同じ年齢と思う人なんていない。

こんなわたしを子供として見るのはごくごく当然のことなんじゃないだろうか。どうしたって、そう思ってしまう。


「わたしは……」


ここに来た目的とはなんだったのか。

拓海さんにわたしが女の子であることを自覚させたかったのか。

子供として扱われていることをわたしが受け入れるためなのか。

少なくとも拓海さんを困らせたり怒らせたりすることではなかったはず。けれど結果的にそうなってしまっている。

こんなことで、自分の納得する答えが得られるのだろうか。

もう自分がどうしたいのかわからない。

受け入れてほしいのか。拒絶してほしいのか。仕掛けている側のくせに、わたしはやっぱりまだ自分の中にある拓海さんへの気持ちの整理が全然ついていなかった。

自分勝手にもほどがあるとはわかってる。だけどわたしにはこの状況を収拾させる方法がわからず、藁にも縋る思いで拓海さんに助けを求めるように見上げた。

見上げた顔を見て、


「——————」


わたしは目を疑った。


「やめろって……っ」


拓海さんは耳まで赤くして、大量の汗を流しながら視線を泳がせ、わたしを避けるように顔を背けていた。

今までわたしに向けられることのなかった、あの顔がそこにはあった。


「拓海…さん……」


わたしは無意識に顔を近づける。


「ばっ、バカ! 近い!」


そう言いながら、チラリとわたしの胸元に視線が動いたのを見逃さなかった。

わたしたちが今入っているのはミストサウナ。温度は40度前後で比較的低めに設定されている。その代わりここでが一定のタイミングでミストが降りそ注ぐ仕掛けになっていて、かなり多湿状態が保たれている。ともすれば、わたしの水着も湿気を帯びて“隠す”という機能を失っていく。

いつもだったら真っ先に悲鳴を上げて逃げ出してしまう状態だが、湯気が立ち込める密閉された部屋の中で2人しかいないことや、焦りや緊張、不安や混乱に加えてサウナの熱で頭がぼーっとして判断力が低下しているのか。……たぶん、こんな特殊な状況下でわたしの気もおかしくなっていたのかもしれない。。


「拓海さん……拓海さん…拓海さん……拓海さん」


拓海さんの逞しい胸板に自分の貧相な胸を上下するようにこすり付け、拓海さんの首元のにおいを鼻の奥いっぱいに吸い込む。


「おい…頼むからやめてくれ……ッ」


拓海さんの声に呼応して、反対に突き進む。

脚をからませ、腕を背中に回して抱き着き、全身でお互いの体の違いを認識させるように蠢動する。

不意に脚への違和感ある接触を感じた。


「あ……」

「ちっ、ちがっ…ぅ…ッ!」


まだ何も言っていないのに拓海さんは否定する。しかし、その反応にわたしは言葉にならないほどの高揚感を覚えた。


「拓海さんがわたしで……わたしを見て……」


今までどれだけ一緒にいても、どれだけ体の接触があっても、変わらず見守るような微笑みを向けてくれていた年上の優しいお兄さんだった拓海さん。女の子としてではなく、守るべき子供としてずっとわたしの隣に立ってくれていた。そこに男性が女性に向ける劣情は絶対に孕むことはなかった。


「あの拓海さんが……わたしに…」

「これは……!」


どこか上の空のわたしに拓海さんは必死に否定する。しかし今もなお、わたしの脚には拓海さんの生物としての本能が当たっていた。


「……大丈夫…ですよ。男の子が女の子に興奮するのは…なにも間違ってません」


かっこよくて、素敵で、料理もうまくて、一緒に戦ってくれることもあって、とても頼りになる、いつもわたしを助けてくれた憧れのようなお兄さんが、今は1人の雄として自分の体に起きてる反応に狼狽えている。その姿が今はとても愛らしく見えた。


「拓海さん……拓海さん……」


好きな女の子がいて、自分を女の子として見ていなかったあの人が、わたしに女の子を見出している。

その事実がわたしに歪んだ興奮を覚えさせる。羨望の眼差しで見上げていた綺麗な光であったからこそ、醜く表れた本性に下卑た快感が間欠泉のごとく湧いてくる。

スイーツについて勉強しているときと同じぐらいの、この昂りにわたしは自分を抑え込むことができなかった。


「もっと…わたしのこと……。もっと……拓海さんのその顔を……」


心臓がとんでもないぐらいに撥ねている。今にも爆発してしまいそうだ。きっと胸を押し当てている拓海さんにも伝わっている。

拓海さんの心臓も、同じぐらい動いてる。2人の鼓動が、至近距離で共鳴しているのがわかる。


「すごいドキドキしてます…。こんなに嬉しいドキドキ、初めてです……」


密着した状態で何度も擦りあうように動いてる所為で水着がずれ始めてきた。今の態勢だと見えて胸部分ぐらいだけど、このままいけばいずれは生まれたままの状態で拓海さんに抱き着くことになる。そんなのいつもだったら恥ずかしくて死んでしまうことなのに、今のわたしはそんなことはどうでもよかった。

視界も思考もぐるぐると回っていく。体内の熱がサウナによって高められ、恐ろしいほどの汗と湯気を放出しながらわたしは一心不乱に拓海さんの四肢に自分の女の子をこすり付けていく。


「拓海さん……わたし…」

「よせ……。やめろ…っ」


変身したわたし相手に力ではどうすることもできない。自分よりも小さいわたしを押しのけることもできず、拓海さんの顔がいろんな感情によって歪む。

恐怖があった。興奮があった。期待があった。不安があった。呵責があった。幸福があった。欲望があった。

そのすべてがわたしから抑制という鎖を引きちぎる。

体は自然と動く。求めるものがなんなんのか。言葉にできずとも本能が解を与える。

わたしは拓海さんの顔に。拓海さんの唇に。静かに。寄り添うように。互いの体温と身体の形を覚えさせるようにこすり付け、惹かれていく。

そして。




ボンッ。




わたしはとうとう爆発した。


「えっ!? あっ、有栖川!?」


全身から力が抜け、世界が暗転していく。


「しっかりしろ! 有栖川! 有栖川!」


消えていく意識の中、遠くで拓海さんの声だけが耳に残った。








次に目を覚ました時、わたしは拓海さんの背中に乗っていた。


「あれ…ここは……」

「ようやく起きたか」

「拓海さん……?」


いまいち起動しきれていない頭で自分が今、拓海さんにおぶられていることに気づくにはだいぶ時間がかかった。


「おまえ、のぼせて倒れたんだ。憶えてるか?」

「あ……」


少しずつ覚醒していくとこれまでの記憶が蘇っていく。

そうだ。わたしはあの時、極度の緊張状態とサウナの熱に当てられて倒れてしまったんだ。視界が妙にぐるぐるしていると思ったのはどうやら錯覚ではなかったらしい。


「着替えは薬師寺がやってくれた。倒れたおまえにいろいろしてくれたのもな。今度会ったら軽く礼ぐらいは言っとけ。……なんであそこにいたのかはしらねえけど」


言いつつもその声色は何かを察していた。

拓海さんは一度わたしの体重を支えるために体勢を作り直し、


「もうあんなことするなよ」

「すいません……」


咎められて、わたしはどうしようもなく居たたまれない気持ちになる。

あの時はほとんど暴走状態だったとはいえ、冷静になって考えたらとんでもないことをしていた。いくらその場の空気に押し流されていたとはいえ、あれでは日頃から良くしてくれてる拓海さんに申し訳が立たない。あまつさえ、わたしは衝動に身を任せて、拓海さんと……。


「おまえも女子なんだから、ああいうのは……もうちょっと大人になってからちゃんと相手を選べ」

「……え」


拓海さんの言葉に耳を疑う。何気なく覗き込んだ拓海さんの耳は、サウナの時同様に赤いままだった。


「だからっ、あんなこと……! オレだって…いろいろと困るんだ!」


あの個室で起きた出来事を思い返し、後悔しているのだろうか。実際に拓海さんはわたしを女の子として見て、いろいろと困ることになっていたから。


「…………」

「なっ、なんだよ」

「わたしはちゃんと女の子…だったんですね」

「は……?」


何を急に訳の分からないことを言い出してるんだ、という顔で拓海さんはこちらを見た。

そんな拓海さんをよそにわたしは1人、勝手に納得する。


「わたしはこんなに小さいし、他の子に比べたら子供っぽいから…。だから拓海さんに……。でも、わたしはちゃんと女の子だったんだ」


他でもない拓海さんが示した反応が何よりの証拠として、わたしに強く自信を持たせた。


「拓海さん! ありがとうございます! わたし、女の子になれました!」

「……よくわからねえけど、一応怒られてるんだからな。おまえは」

「あっ、すすすすいません! そうでしたぁっ!」

「なんなんだ、おまえは……」


呆れて怒る気力もなくなったのか、拓海さんは背中を弱々しく丸めて歩く。だけどそれでもわたしにとっては大きな背中で、ずっと身を寄せていたくなる不思議な魅力が詰まっていた。

わたしはそんな背中にしだれかかり、拓海さんの体温を確かに感じる。

正直なところ、わたしは拓海さんのことを1人の男の子として好きなのか、今でもはっきりとはわからない。

あんなことができるのは拓海さんぐらいしかいないことから特別なのは間違いないとしても、拓海さんには好きな人がいて、それはそれで応援したいという気持ちもちゃんとあって、じゃあまったく拓海さんを意識しないでいられるかと言われたらできなくて、できなかったからこそ今日の出来事があったんだ。

そもそも好きでもない人に女の子として見られていないのが気になる、なんてことは絶対にない。

つまり、やっぱりわたしの中には少なからず拓海さんに対する思いがあって。わたし自身がそれを未だにはっきりと掴み取れていないだけなのかもしれない。


「はぁ……。とにかく家までは送るから、大人しくしてろ」

「はい!」


でも、今はっきりと言えることが一つだけある。

今日、拓海さんに女の子として見てもらえた。


その事実が嬉しくて、きっと今夜はなかなか寝付くことはできそうにない。










それからというもの。


「拓海さん!」


ことあるごとに距離を詰めてくることが増えたひまりは今まで以上に拓海に懐いていた。


「拓海さん!」


時にはかなり大胆なことまでして。


「拓海さぁんっ」


それは本人もかなり無理をしていることのようで。



「うきゅ~……」


拓海に積極的になっては自爆して、最後には倒れてしまう。そんなことを繰り返していた。


「はぁ……なにがしたいんだこいつは……」

「そう言いながら結局介抱しちゃうなんて、やっぱり拓海はやさしいね」

「………」


隣で天使の笑顔を浮かべるさあやに、拓海は何も言い返すことはできなかった。








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