奥座敷の忌み子

奥座敷の忌み子

真依と3周目直哉


1.

真依は家1番の怖がりだ。

お化け退治を専門とする家なのに、逃げては泣いて落ちこぼれ扱いを受けている。

それでも、怖いものは怖い。お化けが見えない姉がいてくれなければ、夜中どころか昼間歩くのだって怖いのだ。

それなのに。

どうしてこんなことになったのだろう。


真依の前には、お化けとはまた違う方向で恐怖の対象である父がいる。

父はどちらかと言えば静かで冷たい印象を与える人だが、今日は熱くてピリッとした空気も感じさせた。


「アレに食事を運ぶ役に、お前が選ばれた」


アレ。

奥座敷に封印されているなにか。

昔、真依の従兄の身体を乗っ取ったというなにか。

家の人の怪我を治すためだけに飼われているという、なにか。


「わ、わたし……」


真依の背中に冷やりとしたものが流れた。

なんで私なんだろう。

そういうのって、お姉ちゃんの方が向いてるんじゃないの。

私が、他の仕事をちゃんとできてないから?

大体、これまでご飯あげてたのは誰だったのよ。

そういえば最近、歳の近いうちの術師が____


「真依」


はっ、として畳に落としていた視線をあげる。


「わかっているな」


父の表情はいつもと同じに見えた。



2.

質素な食事の乗った盆が重たい。

視界がぼやけて、鼻の奥が痛くなった。

父が後ろから無言で着いてきているのでなければ、泣きながら来た道を引き返したかった。


広い屋敷の奥の奥、廊下に埃が目立つような場所のさらに先に、その封印部屋はあるらしい。

父はある襖の前で立ち止まって、


「ここを開けて真っ直ぐ進め」


と言ったきり、また黙ってしまった。

真依は床にお盆を置いて、袖で少し目元を拭って、そっと襖を開けた。

中は暗くてよく見えないが、何もいないようだった。

震える足で中に入り、お盆を持ち直すと、目の前で襖が閉められた。


嘘でしょ。

戻りたい。

でも今戻ったら、父はどんな顔をするだろうか。


真依は仕方なく、次の部屋まで進んだ。


ご飯をあげるだけ、ご飯をあげるだけ……。

封印されているんだから何も出来ないはずでしょ。それに、怪我人を治してくれるやつが急に襲ってくるとかありえないわよ、ね……。

お姉ちゃん今どこにいるの……。


襖を2つほど開けると、次の部屋は真依でもわかるほど重苦しい雰囲気を漂わせていた。

部屋を前に、まばたきをして、深呼吸をして、またまばたきをした。

きっと10分も経っていないだろうに、1時間はそこに立っている気がした。

そして、感覚が鈍くなった手で、わずかに襖をずらして中を覗き込んだ。


ひゅっ、と自分の喉が鳴る音がした。

壁一面にびっしりと貼られたお札を見て、真依は咄嗟に襖を閉めようとした。


そのとき。


なかのものと目があった。



3.

白い。

真依はそれについて、真っ先にそう思った。

男だと聞いていたが、性別がわからないくらい伸びた白い髪が印象的だった。

仄暗い座敷の中で、ぼんやりと灯りを反射している。

服装は家でよく見る着物に袴姿だが、中にシャツを着ているらしかった。

その着込んだ袖口から、髪にも負けないほど白くて細い手首が見えた。


普段だったら叫んで気絶でもしていたかもしれない。

夜中の廊下で出会したら発狂間違いなしだ。

しかし、こちらを見つめる色素の薄い瞳を、なぜか知っている気がした。

目を合わせていると、吸い込まれそうになる。目尻にいくほどに長い睫毛がピンとつりあがって、狐を連想させた。それでいて、見覚えがあるような、親戚と言われれば納得できるような既視感もあった。

相手が全身を拘束されているという安心感も、真依の背中を後押しした。


真依は恐る恐るその白いひとに近づいて、目の前に食事の盆を置いた。


「う、動かないでよね……」


後ろにまわって口を縛っていた口枷に手をかけ、一息に解いてから急いで後ずさった。


そのひとは、動かなかった。


真依はまたゆっくりと前に回り込んだ。口枷がなくなったことで、顔色は悪くとも整った顔立ちがよく見える。

札まみれの部屋で縛られている状況のくせに、その瞳ははっきりと意思を持ち、真依と同じように生きているのだと嫌でも実感させた。

縛られた痕が痛々しい口が動く。


「君、真依ちゃんやろ? 食事もってきてくれたん? わざわざおおきに」



4.

見た目に反してよく喋る。

それが、真依が白いひとに次に抱いた印象だった。

食事の時以外は口を縛られて話し相手もいない反動だろうか。

にしてもよく喋る。なめらかな関西弁だ。


真依はここ数日で食事係にすっかり慣れてしまい、元優秀な従兄だったとかいうそのひとへの嫌悪感も薄まっていた。


「もう、少しは黙って食べられないの?」


「そら今しか話せないんやもん、もうちょい付き合うてや」


やたらと気さくで馴れ馴れしい。

転んでできた擦り傷もあっという間に治してくれて、噂に聞くような危険なものにはとても思えない。

たまによくわからないことを言ってこなければ、なんで閉じ込められているのかわからなくなっていたはずだ。

そう、このひと、訳のわからないことを言う。


とーじくんがどうとか、五条のとこのさとるくんがどうとか。

まぁどちらも名前は聞いたことがあるが、真依は詳しく知らないし知りたいとも思わない。

未来が大変なことになるのをどうにかして変えたいらしいが、真依にとっては昨日も今日もおんなじで、明日も今日の繰り返しになるだろう。

少しの間話し相手になってやるくらいなら、特に問題もないと思った。


「真依ちゃんの前の食事係?」


「あー、蘭太君には悪いことしてしもうたわ。真依ちゃん、会ったら代わりに謝っといてくれへん? 俺はこんなんやさかい」


「無事やとは思うで。え、なんで交代になったかって?」


彼を外に逃がそうとさえしなければ、それでいいのだと思っていた。



5.

どこで間違えたのだろう。

最初からだろうか。


「ねえ、未来ってそんなに悪いわけ?」


特に考えがあって聞いたことではなかった。

ただの好奇心だ。

目の前のひとが、あんまり熱心に話すから。

その変えたい未来とやらに興味が向いただけ。


「信じられへんのはわかるけどな。このままやったらウチも日本も終わりやねん」


「だって、何にも起こりそうにないわよ」


良いことも、悪いことも。

真依の家での扱いが良くなる希望なんて見えないし、かといってこれ以上悪くなるのも御免だ。でも、何もしなければ変わらないのだから、それでいいのではないか。


「よく聞いてほしいんやけど」


白くてよく喋るひと、直哉はいつになく真剣な表情で真依と向き合った。

黙っていれば直哉の扱いも少しはましになるだろうに、どうしてずっとこんな話をするのだろう。

やめたらいいのに。


「俺の知っとる未来やと」


それだから封印されてるんじゃないの。


「真依ちゃん」


聞いてはいけない気がした。



「死ぬで」



それで真希ちゃんが_______



頭が真っ白になった。

今なんて言ったの……?

死ぬ? 私が……?

うそよ、そんなの、うそ。

未来なんて誰がわかるっていうのよ。


でも、もし、本当の話だったら……?


信じない、信じたくない、誰か、死ぬわけないわ、たすけて、イヤ、お姉ちゃん、聞くんじゃなかった!

死にたくない!



自分の心臓の音が耳の内側で反響する。

今、目の前にいるのは誰なんだろう。

なんなんだろう。

なに、これ。


白い髪の隙間から覗く、色素の薄い瞳に真依が映る。


「せやから真依ちゃん、俺が……」


真依は弾かれたように煮物の小鉢をひっくり返して部屋を飛び出した。



それ以来、アレとは言葉を交わしていない。

真依は家1番の怖がりだ。


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