ごめんねスレッタ・マーキュリー─奈落の夢(後編)─

ごめんねスレッタ・マーキュリー─奈落の夢(後編)─


※センシティブな表現、無理矢理な行為、嘔吐表現などが含まれます




 地球へと降りてきた日からエラン・ケレスは随分と体調が良くなっている。へばりつくような倦怠感が軽くなり、頭痛すら感じない日が多くなっている。

 パーメットを流される『調整』をしていないからだろうか。エランは時折原因を考えるが、あまり医者に体を見せたくない為に詳しい事は分からなかった。

 いずれにせよ、日々を過ごしやすくなったのは良い事だと思う。万一の時にはスレッタ・マーキュリーを守らなければいけないのだから、体が動かないのでは話にならない。

 悪夢の方も相変わらずだ。ほとんど覚えていないので実害はないが、起きた瞬間にふと記憶が増えていることがある。

 体が正常になるのと並行するように、昔の記憶も増え始めているようだ。おかげでよく一緒にいた〇〇兄は、実の兄弟ではなく従兄なのだという事も思い出すことが出来た。

 正直に言うと意外だった。記憶の中の自分と彼はとても仲が良かったので、てっきり兄弟だと思っていたのだ。

 けれど大事な家族である事には変わりない。

 彼の事を思うと、心が浮き立つと同時に沈み込んでいく感覚を覚える。

 自分にも家族がいたのだという得も言われぬ安心感。しかし途端にそれは彼が無事でいるのか分からない不安に取って代わられる。

 彼は今もペイルに囚われているのだろうか。それとも…もう、『解放』されてしまったのだろうか…。それすらも今のエランには分からない。

「エランさん、おはようございます」

「おはよう、スレッタ・マーキュリー」

 どちらにしろ、自分はもうとっくに彼女を選んでしまっている。たとえ彼の記憶があったままだとしても、スレッタという存在を見殺しに出来たかどうかは自信がない。

 笑顔の彼女を見ていると、なおさらにそう思う。

 心の中で年上の従兄に詫びながら、エランはひっそりと彼女に微笑みを返した。

「今日はコーヒーをお願いできますか?甘くないものを。デザートに昨日買ってくれたフルーツを食べたいんです」

「分かった」

 朝に小さなお願いを聞くのも、もう慣れたものだ。エランの作る飲み物のレパートリーはほんの少しだけ増えて、最近では先にリクエストを受けてから作る事にしている。

 スレッタの近くを通った時に、ちらりと彼女を盗み見る。

 あれから1週間近くが過ぎていた。今日の彼女の格好は丈の短いハーフパンツに戻っている。履いていて楽なのだろうとは思うが、どうしても気になってしまう。

 もう血は流れていないのだろうか…。下世話な事が頭の端に浮かんでしまい、エランはカップを持つ手を滑らせそうになってしまった。

 最近の自分は何だかおかしい。

 しばらくすれば落ち着くかと思ったが、エランはあの日からどこか浮足立ったままでいた。




 ………。

 今日も夢を見る。いつもの夢だ。

 調整台の上の自分は、赤い顔で涙目になっていた。眉も下がって、随分と情けない顔になっている。

 自分はこんな顔をしていたのだろうか。どこか納得がいかずに、その様子をじっと観察する。

 すると、今日は早くに景色が歪み始めた。ぐにゃぐにゃと輪郭が滲んでいき、新しい像を結び始める。

 暗い。けれど単なる暗闇ではない。

 遠くに光源があるのか、うっすらと周りが見えている。光に当たっている所は輪郭が浮かび上がり、当たらない所は影に沈み込んでいる。明暗がはっきりした場所だ。

 少なくとも建物の中ではない。外…森の中だろうか。

 地球の鬱蒼とした森ではなかった。植物の種類が極端に少なく、きちんと管理されている。すぐに学園の森だとピンときた。

 その森の端、木と木の間に敷かれたシートの上に、女性が横たわっていた。

 暗い中でもそれが分かったのは、傍らにいた誰かが小さなランタンの明かりを付けたからだ。

 目にも鮮やかなオレンジ色のインナースーツ。普段目にする事のないそれは、アスティカシア学園女性徒のものだ。

 そのインナースーツに誰かが手をかけている。彼女の上に覆いかぶさるようにして作業をしている人物は、どうも体格的に男のようだ。彼も学園の制服を着ている事から、彼女と同じ生徒なのだと分かる。

 つまり目の前の光景は、男子生徒が意識のない女子生徒の服を脱がしている場面なのだ。

 けれど夢の中の鈍い頭をした自分は、それがまずい事だとは思わなかった。制服の男には明確な目的があり、それが彼女にとっても悪い事ではないと何故か分かっていたからだ。

 目の前の男はさほど苦労することなくインナースーツを脱がせていく。形や作りは殆ど男女共有なので、勝手が分かっているのだろう。作業がしやすいように体勢を変えさせても、彼女が起きる様子はない。

 見る見るうちに肌面積が増えていくが、男はまったく躊躇しなかった。あまりに事務的な動きなのでむしろ感心してしまう。自分なら、彼女の肌が露になる度にきっと動揺してしまうだろう。

 現に小さなランタンに照らされている肌は、とても滑らかで柔らかそうに見える。手のひらで覆えそうな薄い肩に、細い腰。健康的なすらりとした足などに、強く惹きつけられてしまう。

 男の目的は分かっている。それが彼女に必要な事も、男に何の含みもない事も分かっている。

 けれど自分は期待していた。

 男が今度は下着に手を掛ける。───それを自分は、息を潜めて見守っていた。




「………」

 今日の夢見は良かったのか悪かったのか、なんだか変な余韻だけがあった。相変わらず夢の内容は覚えていないが、少し追いかけたら端を掴めそうな感覚があった。

 それを振り払うように頭を振り、ふうっ、と息を吐く。

 思い出した記憶は…よく分からない。この二月ばかりの間に随分と思い出を取り返していたので、その中に今朝戻った記憶も混ざってしまったのかもしれない。

 相変わらず本名などは思い出せないが、随分と人間としての尊厳を取り戻せたと思う。

 エランはゆっくりとベッドから起き上がった。軽くストレッチをして、体の調子を確認する。

 少し腰が重い気がしたが、気にするほどではないようだ。コーヒーを作っている間にはそれも消えて無くなっていた。


「エランさん、今日はココアを飲みたいです!」

「分かった。ココアだね」

 スレッタのリクエストに応えて、ココアをゆっくり作っていく。コーヒーとは違い火元を1つ占領してしまうが、彼女も心得たもので予め開けておいてくれている。

「今日は果物は食べないの?」

 隣り合いながら話をする。果物自体は毎日食べているようだが、朝は食べたり食べなかったりとその日によって変わっている。

 スレッタはパンケーキの膨らみ具合を職人のように確認しながら、エランに笑顔で話してくれた。

「今日は、昼間にフルーツサラダを作る予定なんです。そこで沢山食べるので、朝はちょっと休憩です」

「そうなんだ。…楽しそうだね」

「えへへ、うまく出来たらエランさんの分も夜に作りますか?」

「…いや、僕はいいよ。きみの言うフルーツサラダってシロップ漬けだよね?ココアの甘さで今日の分の甘味はもう十分」

「美味しいのにぃ…」

「僕の分もたくさん食べて。もちろん、消費しきれなかったら手伝うよ」

「うう~、じゃあ、今朝もちょっと食べちゃうことにします」

 そう言ったスレッタは、冷蔵庫をごそごそ漁ると小さくて丸い果物を小皿に取り分けた。黄色と茶色の中間の色をしたその果物は、見た目は少しジャガイモに似ている。

「パンケーキが焼ける間に皮を剝いちゃうんで、エランさん、見ててもらっていいですか?」

「いいよ、それくらいなら僕にもできる」

「ありがとうございます」

 さっそくスレッタは作業を開始した。薄い皮は新鮮なものならすぐに剥ける。枝から取った後の小さな穴から器用にするすると剥いていくと、中から半透明な白い果肉が現れていく。

「上手だね」

 思わず褒めてしまう。

「えへへ、最近は毎日食べてますからね」

 最初は剥くのに苦労しました。とスレッタが続けて言った頃には、小皿には白い果肉がいくつも転がっていた。

 確かに経験があるのとないのとでは大違いだな、とココアの粉を練るのに少しは慣れつつあるエランは思った。




 ………。

 相変わらず、自分は夢の中にいるようだった。

 何となしに見つめる視線の先は、いつもと同じようで、ほんの少し違う光景だ。

 調整台の上の自分は、今日はぼんやりと呆けたような顔をしている。

 ベタベタと無遠慮に触っている担当者は、そんな自分の表情を見ても何も感じないらしい。まるで気にしていない素振りで、少年だった自分の体に夢中になっている。

 早くこの夢が覚めないだろうか。もしくは、あの続きを見れないんだろうか。

 うんざりしていると、また周りの景色が変わり始める。ぐにゃぐにゃと線が曲がっていき、新しい形に再構成されていく。

 気付くといつのまにか調整台はベンチに変わり、その上に下着姿の女の子が横たわっていた。

 どうやら夜のようだが、近くに街灯があるので問題なく彼女の姿を確認できた。健康的な肌が、まるで浮かびあがっているように人工的な光に照らされている。

 小さなランタンの明かりよりも、こちらの方がずっといい。ベンチの上から覗き込むように、彼女の全身をじっと見つめる。

 豊かな胸と、細い腰、張り出した骨盤と、柔らかそうな太もも、すらりとした手足。

 綺麗で魅力的な体を、彼女は最低限の下着だけで隠している。滑らかな褐色の肌を彩る、白く、小さく、心許ない下着。

 そんな彼女の下着を脱がそうと四苦八苦している男がいた。

 彼は胸の下着を上にずらして取ろうとしては、何度も失敗を繰り返している。出来るだけ体に触らないように配慮しているようだから、余計に難しいのだろう。

 ───後ろにホックがあるだろう。それを外せば簡単に脱がせられるよ。

 見ていられなくてアドバイスする。彼は時間がない筈だから、このアドバイスは役に立つはずだ。

 それが聞こえたのか、程なくして後ろのホックに気付いた彼は、胸の下着を脱がすことに成功した。

 解放された柔らかな乳房がふるりと震えて、重力に従ってほんの少し横に流れていく。胸の先端が飾りのようにツンと尖って、自分のものとは全然ちがう様子に強く目が惹きつけられる。

 次に彼が手を掛けたのは下の小さな下着だった。特に金具なども付いていない。肌にピタリと密着しているが、ごく普通の下着と言える。これは慣れていない様子の男でもすぐに脱がすことが出来た。

 彼女はパイロットをしているから、きっとそこも手入れしているんだろう。つるりとした下半身が露になる。少しだけ盛り上がった股の間の肉がとても柔らかそうで……。その奥は、どうなっているんだろう。

 ジッと彼女の体を見ている自分をよそに、男は手のひらに収まった小さな下着を置くと、すぐに彼女の体を調べ始めた。きちんと全身を目視して、次に機械を使って体に埋め込まれたものがないかどうか確認している。

 男の真剣な様子を見ながら、でも自分は疑問でいっぱいだった。

 ───ねぇ。彼女に触らなくていいの?

 あんなに柔らかくて気持ちよさそうなのに、触らないなんてもったいない。夢の中の自分は純粋にそう思っていた。




「………」

 起きた時に、体に違和感があった。

 エランはゆっくり起き上がると、自分の下半身に目をやった。

 外からだとよく分からない。仕方ないので部屋着のズボンと下着を捲り、そっと中を覗き込んでみる。

 自身の男性器が、ごくわずかに反応していた。

 男性機能の回復。

 本来なら喜ばしい事なのだろうが、少年の頃から反応しなくなって久しく、今のエランにとっては今更なことだと思えた。

 このまま順調に機能が回復していけば、いずれは自分で処理をしなければいけなくなるだろう。

 面倒だなと、この時のエランは苛立ち紛れに呑気に思っていた。


「今日は久しぶりに、ナイトマーケットに行こうか」

 朝のルーチンを過ごしている間に体の反応も収まっていた。

 エランはそれほど大したことではないと結論付け、いつも通りにスレッタと朝食を食べている。

「本当ですか!」

「うん、随分期間が開いてしまったけど」

 あれからまた時間は過ぎた。もう彼女の体調はまったく問題ないようだし、そろそろ気分転換も必要だと考えた。

 実は、しばらくの間は外に出るのを控えて貰っていた。体調が整ってからも、上役の『若』の件もあり、彼女を人目にさらすのを避けたかったからだ。

 けれど意外なことに、上役の男から『妹』の件を更に言及されることはなかった。それどころかいつのまにか昼の接触もなくなっていた。少し強く言い過ぎたかと思ったのだが、特に問題はなかったようで、叱責すらもない。

 ならば少しは警戒を解いて、彼女の喜ぶことをしてあげたかった。

 もうすぐこの土地からも離れることになるので、思い出作りをするにはいいタイミングだろう。

「うわぁ、嬉しいです。ならお昼は軽いものにして、夜のためにお腹を空かせますね」

「ほどほどにね。まぁ食べ過ぎたら、ほんの少しだけ散歩の時間を延ばそうか」

「お散歩も楽しみです。今日は晴れるでしょうか?」

「天気予報は当てにならないからね。傘は忘れないようにしよう」

「あ、そ、そうですね…。忘れないように…。はい、しますね…」

 少し前、傘を忘れた時に限って雨が降った時の事を思い出したのだろう。恥ずかしそうに笑うスレッタの姿を、エランはじっと見つめてしまう。

 あの時は仕方ないので1つの傘に2人で入ったのだった。彼女が寒がって震えていたので、雨に濡れないように庇いながら最寄りの店まで歩いていった。

 傘を忘れてもいいじゃないか、とどこかで囁く自分がいた。単純に荷物が減るし、彼女に更に近づくことができるだろうと、そう言っているようだった。

 ───彼女が風邪を引いて倒れてしまったらどうするんだ。…第一、彼女に近づいたとして、それでどうしようと言うんだ。

 気の迷いのような囁きを一蹴して、出掛ける前のチェックはきちんとしようとエランは思った。

 下半身の疼きには、気付かないフリをした。


「エランさん、あっち、あっちに行きましょう!」

 久々のナイトマーケットにスレッタは嬉しそうにしている。やはり来てよかった。エランは微笑みながら、彼女の行きたい方向へと足を進めた。

 もうすでに軽いものは食べてある。ただどちらも満腹には至っていないので、こうして腹ごなしをしながら次に食べたいものを物色している。

 見ているだけでも楽しい。スレッタの態度はそう言っていた。あまりの彼女のはしゃぎように、繋いだ手を離さないようにぎゅっと握るのが精一杯だ。

「そういえば、ナイトマーケットって昼間にはやってないんですか?」

「昼は閑散としてるね。別の仕事をしている人も多いみたいだよ」

「お昼も働いて、夜も働いているんですか?働き屋さんが多いんですね」

 スレッタが感心したように屋台を見回す。こんな何でもない雑談でも、いつもより心が浮き立っているようだ。

 この土地から離れる直前になら、昼間のマーケットに連れて行ってあげるのもいいかもしれない。

 今までは興味を引かせるのが可哀想で出来なかった話題だが、今日は話してみることにした。

「昼間は別の場所でマーケットをしているよ。この土地に来た最初の日に少し見に行ったと思うけど、あの後に奥まで行ったら本当に色々なものが売ってた。動物もいたよ」

「エランさん、いつの間に…。でも動物ですか。山羊さんはいましたか?」

「山羊はいないかな。あくまでペットとして売っていたから」

「なんだぁ。ティコの仲間に会えるかと思っちゃいました」

「ティコ…『彼ら』が飼っていた子?」

「そうです。地球りょ…いえ、友達が、家族として連れて来ていた子です。ティコのミルクは匂いに癖があるけど本当に美味しいので、機会があればエランさんにも飲んで欲しかったです…」

 残念そうに言うスレッタの気持ちが嬉しくて、エランは思い出した記憶を自然と口に出していた。

「山羊のミルクなら飲んだことがあるよ。癖があるけど、確かに美味しかった」

「飲んだこと、あるんですか?」

「子供の頃に。昔の事はほとんど覚えていないけど、最近思い出したんだ。近くに畜産を営んでる家があって、よく手伝いをしては卵やミルクを貰ってた」

「す、すごい。あ、子ヤギさんもいましたか?」

「そうだね。春ごろによく見たかな。秋に種付けして、冬が終わるころにはお腹が大きくなってるんだ。出産しないとミルクが出ないから、早くお腹が凹まないかなとワクワクしながら見ていたよ」

「じゃあティコも、赤ちゃん産んでたんでしょうか?」

「ミルクが出るなら、そうだと思う」

「知らなかった…。赤ちゃん、いいなぁ」

 見たかった…と惜しがるスレッタを、エランは微笑みながら見守った。辺境の水星では動物は身近なものではなかったらしいが、彼女は多少の苦手意識はあれど、動物自体はとても好きなようだった。

 生きた動物を毛嫌いするスペーシアンも多い中、彼女のそんな所はとても好ましいものに思えた。

 しばらく子ヤギに思いを馳せていた様子のスレッタだったが、ふと思いついたようにこちらを見てきた。

「エランさん、種付け…をすれば赤ちゃんが出来るみたいですけど。具体的にはどうするんですか?」

「え」

 質問自体は、何もやましい物ではない。恐らく彼女は、人工的な種付けの仕方を聞いている。地球寮にもいた身近な動物の事だから、気になったのだろう。

 けれどエランの村では自然交配に任せていた。勉強の一環だとわざわざ〇〇兄と自分を呼んで、その家の人が交尾する姿を見せてくれた事もある。

 自分は面白がって見ていたが、〇〇兄はとても恥ずかしがっていたと思う。

 今なら彼の気持ちが分かる。たとえ動物だとしても、そういう事をしている姿を他人と共有するというのは、とても恥ずかしいものなのだ。

「いや…」

「はい」

「子供だったから、方法までは分からないかな…」

「あ、そうですよね。後で端末で調べてみます」

「うん…」

 嘘を付いてしまったが、仕方がない。彼女に対して『交尾』なんて言葉、どうしても言える気がしなかった。

 自分もそうだが、彼女もきっと困ってしまう。…聞いた途端に顔を赤くして、涙目になって、こちらを見上げて来るかもしれない。

 想像すると、ぞくりと背筋が痺れるような感覚を覚えた。

 繋いだ手を急に意識してしまう。どこかへ逃げ出したい気持ちが湧いたが、同時に絶対に離したくないとも思う。相反する気持ちに混乱してしまう。

 そんな自分の気も知らないで、彼女は無邪気に笑っていた。




 ………。

 夢を見る。いつもの夢とは、違う夢を。

 自分がいるのは学園の自室だった。ひどく殺風景で、そのままモデルルームとして通用するくらいには物がない。つまらない部屋だった。

 けれど、今日はまったく様相が違っていた。

 無味乾燥な部屋のベッドの上に、彼女が横たわっている。

 いつも自分が頭を預けている枕に赤く綺麗な髪を散らして、すぅすぅと無防備に眠っている。呼吸するたびに上下する胸、力の抜けた手足。

 胸の先でツンと立ち上がった飾りが目に鮮やかで、足の間の柔らかそうな肉が自分を誘っているようだった。

 こくん、と唾をのみ込む。

 無味乾燥な部屋のベッドの上に、裸の彼女が眠っている。

 部屋の中には、誰もいない。自分と彼女の2人だけだ。

 それを知った時───気付いた時には、彼女の上に覆いかぶさっていた。

 もう彼女の裸は散々に見てきている。次は、そう。この手で触ってみたかった。

 邪魔者はいない。なら自分が好きにしてもいい筈だ。…そんな身勝手なことを当たり前のように思っていた。

 彼女に触れる。最初はそっと、宝物のように。

 まずは顔を、首筋を、鎖骨を。…節の目立つ見慣れた手が、少しずつ下に下がっていく。

 触る箇所が増えるたびに、手の動きが無遠慮になっていく。けれど胸にはまだ手を出さない。その前にも色々と触りたいところがあったからだ。

 肋骨の感触を楽しみ、腹の柔らかさを楽しみ、腰の細さを楽しんだ。それを何度も往復しているうちに、お互いの呼吸が乱れていく。

 全身で彼女の体を味わいたいが、まだ少し我慢する。

 今度は下半身に手をやって、でも大事な所には触らずに、太ももから脛をゆっくりと撫でる。

 小さく可愛らしい足先まで到達すると、そのまま外周を辿るように足裏からふくらはぎを擦っていく。太ももの裏を手のひらで揉み込み、指の腹でほんの少し内股を引っかく。

 ぴくん、と彼女が小さく反応した。

 尻の下まで来たところで、もう一度同じように下半身を撫でていく。自分の呼吸の音もうるさいが、彼女も眠っているのが冗談に思えるほどに胸が大きく上下している。

 それなのに、彼女は決して起きようとしない。

 とうとう我慢できなくなって、眠っている彼女を咎めるように豊かな胸を両手で掴んだ。指が沈み込んで見えなくなるほどに握り締めると、堪らず彼女の目が見開く。

 痛かったのだろう。彼女は顔を赤くして怒っているようだ。痛みで顔を歪めて、こちらを睨んでいる。

 でも彼女がようやくこちらを見てくれたことが嬉しくて、自分はまったく気にしなかった。

 ご褒美だというように両手の力を抜いて、彼女を宥めるようにまた上半身を撫でていく。

 そうしている内に痛みが無くなって来たのか、彼女は困惑したような顔に変わっていった。

 胸を揉みこみ、同時に胸の先を優しく捏ねていると、更に恥ずかしそうな顔になっていく。

 十分に怒りが解けた事を確認して、今度は下半身に手を伸ばした。

 先ほどと同じようにゆっくりと上下に撫で上げていく。ただ、ほんの少しだけ遠慮が無くなり、時々尻の肉を両手で優しく揉みこんだり、両端に軽く引っ張ったりもした。

 間接的に与えられる大事な所への刺激に、彼女はヒクリと小さく震え、涙目になっている。

 でも、抵抗はしない。

 されるがままになっている彼女の姿に、背筋がぞくぞくする。

 自分の呼吸が獣のように荒くなっていく。対して、彼女の顔は温かい湯に入ったように、ぼんやりと呆けた顔に変わっていった。

 彼女の足が、だんだんと外に大きく開いていく。

 すべてを許されたような気になって、彼女の太ももを両手で掴んで更に広げる。

 柔らかな肉の間、秘められた裂け目から、一筋の赤い色が流れていた。

 ポタリ。

 自分がいつも寝ているシーツの上に、赤い色が落ちて来る。

 それを見た瞬間、もう、止まらなくなった。


 全身で彼女の肉を味わう。悲鳴が聞こえた気がしたが、無視して彼女を貪った。腰が痺れたように気持ちいい。ずっとこうしていたい。

 彼女が泣いている。それが見えているのに、今の自分にはどうでもいい事のように思えた。

 獣のように唸る。彼女の中の柔らかな肉を何度も乱暴に叩いていく。逃げ出そうとした彼女の両手を拘束して、自分の体で彼女の体を押し潰していく。

 もう彼女は自分の思いのままだ。外も、中も、全部がそうだ。うっすらと笑いながら、彼女を苛め倒していく。

 それがいつまで続いただろう。息も絶え絶えになった彼女を抱きしめて、最後の止めとばかりに自分の欲望を吐き出した。

 長い長い快感。それが終わった時には、すっかり彼女は大人しくなっていた。

 顔をぐしゃぐしゃにしたまま、遠い目をして赤い顔で震えている。

 そこで初めて心から安心して、自分の物になった彼女が心の底から愛おしくなって、口付けを交わそうと顔を近づけた。

 こんな事までしたのに、キスもまだだったなんて何だか可笑しい。

 ひっそりと笑いながら、もうすぐ唇が触れるという瞬間。

 ───自分の視界が、暗転した。


 …夢を見る。いつもの、夢だ。

 調整台の上にいる自分。一日の最後にパーメットを流されて、深い倦怠感だけが残っている。

 ふと気づくと、そんな自分の上に誰かが覆いかぶさっている。ぶわりと反射的に鳥肌が立つが、相手はお構いなしに手を伸ばして来た。

 最初は顔を、次に首筋を、鎖骨を、肋骨を…。最後に腹回りや腰回りをいやらしい手つきで撫でまわしては、また最初に戻っていく。

 恐ろしさと嫌悪感で呼吸が乱れていく。ただでさえ気持ち悪いのに、相手も同じように呼吸が乱れている様子がなおさら気持ち悪かった。

 その内相手は下半身にも手を伸ばして来た。太ももから脛へ、足先からふくらはぎへ…。外周を辿るように、何度も何度も繰り返される。

 大丈夫だ。そのうちこの戯れは終了する。

 引きつった呼吸を繰り返しながら、何とか自分に言い聞かせる。

 そうだ。いつもなら、この後視点が切り替わるはずだ。いつもなら…。

 でも、いつまで経ってもこの責め苦は終わらなかった。

 それどころか、徐々に相手の手付きは無遠慮になり、際どい所を触られ始めた。

 とうとう我慢も出来なくなり、気怠い体に鞭を打って、相手を蹴り上げようと足を浮かせた。すると相手は何を勘違いしたのか、笑みを含んだ息を吐くと、両手で太ももを掴んできた。

 相手の思惑に気付いて死に物狂いで暴れようとする。けれど力が全然入らずに、そのまま足を少しずつ開かれていく。

 うそだ。うそだ。いやだ。やめろ。

 絶望感に目を大きく見開く。

 ここで初めて、相手の顔を正面から見ることになった。

 灰と茶の中間のような髪の色。白い肌。緑の目。…形の整った美しいパーツが、綺麗な輪郭に行儀よく収まっている。

 ───エラン・ケレスだ。

 余りの事に、一瞬呆けてしまう。オリジナル?それとも違う強化人士?そう思いこもうとしたが、相手の格好に気付いて戦慄する。

 ジャボで着飾った制服。タッセルの付いた耳飾り。そんなものを付けているのは、強化人士の中でも自分だけだ。

 足を大きく開かれる。いつの間にか脱がされていたのか、裸のままの無防備な体がもう一人の自分の眼前に晒される。

 すらりとした褐色の足。大きく張り出した骨盤。くびれた腰。豊かな胸の先にはツンとした飾りがあって、そのどれもが相手の目を楽しませているようだった。

 自分の体が別人のものに変わっている。

 何が起きたのか分からなくて周りを見ると、いつの間にか調整台の上ではなく殺風景な部屋のベッドの上に横たわっていた。

 学園で宛がわれている自分の部屋だと気付いた時には、大きく開いた足の間に相手が体をねじ込もうとしている。

 混乱したまま相手を見る。もう一人の自分は…強化人士4号エラン・ケレスは、枕に散らされた長い髪を手に取って、その赤い色に口づけた。

 それは最後の穏やかなやり取りに違いなかった。その後は、きっと恐ろしいまでの蹂躙が待っている。

 そこでようやく思い出した。同じ部屋で、自分がどれだけ彼女に好き勝手したのかを。

 薄汚い蹂躙者。それは先ほどまでの自分の事で、今目の前にいるこれからの自分の事だった。

 ぐっと体重を掛けられる。

 体を裂かれる衝撃を感じて、これまでに無いほどの悲鳴を上げる。───同時に、どこかで泡が弾け飛んだ。




「───ッ」

 飛び起きる。

 荒い息のもと、片手で口元を、片手で前髪を掴み上げる。

 覚えている。…おぼえている。

 調整台の上の自分。それを見ている自分。彼女を助けようとする自分。それをどうでもいいと思う自分。彼女をいやらしい目で見る自分。

 彼女を───襲う、自分。

 ぐぅっと喉の奥から胃液がせり上がってくる。トイレまで慌てて駆けていき、便器の中に吐瀉物を吐き出した。

 夢の中の自分は、まるで理屈が通じなかった。相手の都合なんかお構いなしで、自分の都合だけを押し付けていた。

 相手を貪る、捕食者の本能だけが頭にあった。

 はっ、はっ…はっ……。

 あらかた胃の中の物を吐き出して、荒い息のまましゃがみ込む。下半身に違和感を感じて、震える手でズボンと下着を下にずらした。

 反応は、していない。

 けど、ぐっしょりと下着が濡れていた。独特の臭気も伝わって来る。

 …夢精だ。

 男性機能の完全回復。

 でもそれは、全然喜ばしい事ではなかった。

 記憶の中の担当者を思い出す。もう顔も忘れてしまった、かつての蹂躙者を。

 彼が恐ろしかった。

 ずっと恐ろしかった。

 彼のようになるまいと思っていた。

 なのに。

 なのに、今は。

「あぁ……」

 エランの口から、絶望を凝縮したような声が出た。


 ───何者からも彼女を守ると誓ったのに。


 優しくて暖かで、心根がとても綺麗な女の子。

 家族よりも優先しようと思った大切な存在、スレッタ・マーキュリー。

 彼女に対して汚い肉欲を覚えてしまった自分が、今や何よりも恐ろしかった。


 退治されるべき怪物は、自分だったのだ。






役割と願望 前編


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