天より与えられたもの
外国にこんな話がある。
とある夫婦が、一人の孤児を引き取った。彼らは孤児に新しい名前を授け、新しい人生を共に歩んでいけるようにした。ところが、かつては明るかった彼は日に日に暗い性格へと変化していき、次第に口数も減っていってしまったのだ。
はて、どういうことだろうかと心配した夫婦。放っておくことなどできず、彼を医者に診せることに。
原因はやがて判明する。彼はかつての名前で呼ばれなかったことにより変化していったのだ。医者がかつての名前で彼を呼んだ時の反応を見れば一目瞭然だったそうな。
自分が生来持つものは自己の証明であり、かけがえないのないものである。
だが、生まれは同時に縛りにもなりうる。絡まった鎖は解けず、これからもずっと付き纏い続けて行く。選択など、した覚えがないというのに。
ふと、先日会った術師を思い出す。
呪詛師に操られた青年と、彼を取り戻そうともがいた少女。意外でもなんでもなかったが、二人は相思相愛の仲だそうだ。
羨ましい、純粋にそう思った。
術師同士の恋愛は大抵碌なものではない。片方が呪霊によって帰らぬ人になる、家のしがらみが原因で結ばれない、自分の知らない許嫁が存在する。そんなことがザラにある世界なのだ。
我が家の妹が良い例だ。彼女は生まれた時から結ばれる相手が選ばれている。父上が死に物狂いで取り付けた、御三家の傍流との婚約である。父上の苦労は想像を超えるものであり、次期当主でしかない自分が口を挟める話ではない。
『アタシ、相手の顔見たことあんの一回だけだよ?しかもガキの頃。アホヅラでドヤるからマジで不細工だったわ〜』
『それを相手に言うなよ、頼むから』
妹は気丈に振る舞う。不甲斐ない兄と比べ、確固たる芯を持つことが出来ている強い人間だ。もう少し弱くしてもらえると助かるが、それは妹の良さがなくなるので論外。必然、放置だ。
妹は才ある人間だ。先祖が築いた地位と、親が決めた婚約さえなければ、彼女は自由に世界を渡れる。呪術師という概念そのものが、彼女を、そして俺を、この腐った世の中に縛り付けている。
彼女は時々、遠くを眺めるように窓を見つめることがある。それは鳥籠の中から空を見上げる鳥のようで、酷く冷たい空気が流れていたことだけ覚えている。
望んだ名前と違い、そこに残っているのは逃られぬ呪縛。きっと抜け出せない、淀んだ沼地。
時折、呪術の家に生まれなければ、と夢想することがある。俺は猿として評価されることがなく、妹は自由に夫を選べる。そんな、ありもしない、都合の良い未来があったのだろうかと。
せめて、彼と彼女、盗賊と伝書桜、その未来がしがらみのない、自由なものであることを望むばかりだ。そうでなければ、兄としての責務を果たせない愚物、それが働いた価値が生まれないのだから。