大海原の脅威

大海原の脅威


 ルフィとウタ。

 二人を捕らえるにあたって最大限警戒されているのは、騎士の如くウタを守るルフィではなく、ウタウタの実によりどんな実力者でも眠らせることができるウタだ。


 故に海軍は必ず遮音性の高いイヤーマフを装備していた。

 その能力で有力海賊を次から次へと逮捕させていたのは、他ならぬ海軍であったからこそ、的確な対策ができたのである。


 だがそれは、ウタウタの能力が使えるようになれば、二人にとってこの上ないアドバンテージになるという証左でもあるのだ。


「ゴムゴムのォ~~指銃!!!!」

「うわあああああああ!!!!」


 嵐が轟く大海原。

 小型の漁船に乗るルフィは六式の技の一つ、指銃をアレンジした技を繰り出す。

 ゴム人間の特性を活かし、伸長する十本の指が海兵たちを襲った。


 咄嗟にガードをする海兵たちだが、ルフィの狙いは彼ら自身ではない。

 彼らを歌から守るイヤーマフである。


「うわぁっ!?」

「い、イヤーマフが壊れたァ!!」


 電光石火の突きに耳の守りが次々と破壊され、動揺する海兵たち。

 慌てふためく彼らの耳には、嵐の中でも色褪せない歌姫の歌が届いた。


「【どうして あの日遊んだ海のにおいは】」

「しまっ……zzzzzz」


 あっという間に無力化される海兵たち。

 ルフィはそれを見届けて……咄嗟に背後を振り向いた。


 そこに浮かんでいたのは海王類の死体。

 恐らくは先にここに来ていた海軍によって討伐されたであろう個体だ。

 その腹を裂いて、男が一人。飛び出した。


「はああああああああっ!!」

「うおあああああっ!?」


 海王類の腹から飛び出した人物は、裂帛と共に大太刀を振り下ろした。

 腕に武装色を纏うことで斬撃を防いだルフィの瞳が細まる。


「モモン……!」

「聞こえないがまた間違えたな! モモンガ中将だ!」


 縦縞のスーツが特徴的な彼は海軍本部の中将。

 かつて、ルフィが大佐だった頃、何度も顔を合わせた仲だった。


「投降しろ、ルフィ元大佐! これ以上は無意味だ!」

「絶対しねぇ!」

「……! 投降しろ! 悪いようにはしない!」

「できないことを無理に言うなよ、モモン」


 苦虫を噛み潰したように表情を歪め、モモンは大太刀を縦横無尽に振るう。


 高速の薙ぎ払いをルフィは弾き飛ばす。

 おかえし鳩尾を狙ったパンチは、モモンガが柄で受け止めた。

 そのまま力の押し合い、隙を突いた蹴り上げ。

 ゴムの体はダメージを追わないが、モモンガはその反動を利用して距離を取った。


「せやっ!!!!」

「んにゃろ……げぇっ!?」


 顔目掛けて刺突が飛んできたところを、ルフィは屈んで回避する。

 だがモモンガは空中を蹴って直線的な大太刀の軌道を強引に変えた。


「月歩!」


 ぐるんっ、と空中でモモンガが回る。

 そのままルフィを袈裟斬りで切り捨てようとし……


「しししっ」

「なん……!?」


 ルフィが笑う。

 猛烈な危機感を覚えたモモンガは、自分に迫る気配に気が付いた。


「わああああああああっ!!!!」


 体を鉄塊で超硬化させたウタの突進。

 大太刀は弾かれ、モモンガも海に放り出される。


「くっ、ウタ元准将! 弱っていても流石だな……!」


 一連の逃亡劇で心身を消耗していたとしても、侮っていい相手ではなかったと自省するモモンガは、月歩で体勢を整える。

 その一瞬をルフィは見逃さなかった。


 パァンと破裂音が聞こえた。

 頭を襲う振動と共に、モモンガは自身のイヤーマフが破壊されたことに気が付く。


(やられたっ、撥か!)


 飛ぶ指銃。

 しなりのあるゴムの指で放たれたそれは、不可視の弾丸となってモモンガのイヤーマフを襲ったのだ。


 聴覚を自ら封じ、視界も嵐で悪い中で反応が遅れた。


「いやっ、反応は間に合っていたはず! この感触は……まさかワノ国の流れる覇気か!?」

「ごちゃごちゃ何言ってんだ!?」

(知らずにやったのか? 内部破壊には至っていないが、その途中の覇気の伝達はできていた! 独学でそれを編み出したとでも……!)


 やはり、惜しい。

 改めてそう噛み締めるモモンガだったが、呑気に感傷に浸ってる場合ではない。

 ウタが歌おうとしている。狙いはイヤーマフを失ったモモンガだ。


「——【」

「させるか!」

「うっ……」


 左手に隠し持っていた海王類の牙の破片を飛ばす。

 咄嗟に回避したウタは歌を中断せざる得なかった。

 その隙にモモンガは月歩で帰艦。部下からイヤーマフを受け取り再度装着した。


「くっそー! 降りてこいモモン!」

「防音対策は攻略済みか。報告通りではある」


 次の攻撃を警戒するルフィ。

 モモンガはそれを静かに見つめ……


「ん?」

「え?」


 海軍が撤退していく。

 らしくない選択に首を傾げるルフィとウタ。


「……よく分かんねーけど今のうちに逃げよう!」

「う、うん! 嵐も洒落にならなくなってきたし、海軍となんてやってられない!」


 急いで船を操作する。

 ウタの生中な航海術頼りの航海はある意味戦闘より命懸けだ。

 海軍がいなくなってくれるなら、願ったりというものである。


「次の島まではまだありそうだけど……!?」


 海軍から離れようとする二人。

 だが、その行動は嵐の中から現れた大きな船によって邪魔された。


「おっ! いたぞいたぞ! 元英雄様と歌姫だぁ!」

「ひゃはははぁ! 首は頂いたぁ!」


 はためく髑髏の海賊旗。

 どうやらルフィたちを狙った海賊が来てしまったらしい。


 海賊は賞金首を捕まえても、世界政府から金を貰うことはできない。

 そう考えると、海賊にルフィたちを襲うメリットはないが、それ以外にも海賊には二人を襲う理由がある。


「今まで散々、俺たちを捕まえてきたんだ! たっぷりお礼しておかなきゃなぁ!」

「テメーらのせいで兄貴はインペルダウン行きなんだよ! 地獄で詫びやがれぇ!」


 一つはこれまでの恨みつらみ。

 大海賊時代を終わらせると言われてきた二人だ、それは海賊たちにとって悪夢の存在であったことを意味している。


 そんな二人が天竜人に暴行し、逆賊に堕ちた。

 弱っている所を責め立てるのが卑怯者の流儀である。


「さあ殺すぞ! これで俺たちの声はうなぎのぼりよぉ!」

「懸賞金億越えは確実だぜ! 今日から俺らも大海賊だ! 見えてきたぜ七武海!」


 そして、もう一つは名声だ。

 海軍本部の大将から逃げ延び、今日まで追手を凌いできたルフィとウタは皮肉なことに、これまでの戦いで自らの首の価値を示し続けている。


 海賊は懸賞金を受け取れない。

 だが、二人の首を渡すことで七武海、或いはそれに準ずる特例措置を世界政府と交渉可能になることはできる。


「お前ら帰れ! 海軍だけでヤベーんだぞこっちは!!」

「ヤダよぉ~~だっ!!」


 こうした海賊の襲撃も増えてきた。

 ルフィはとっととぶっ飛ばしてやると意気込むが……


「おおっと! そうはいかねーぜ? 英雄と歌姫の首を獲るのは俺だぁ!」


 嵐の中から再び船が現れる。

 海賊旗を見るに、目の前の連中とは別口らしい。


「増えたぁ!?」

「る、ルフィ! あれっ!?」


 目が飛び出るほど驚いていると、ウタが焦った様子で北東の方を指さす。

 三度出てくる黒い巨影。


「ぎゃははははっ! 祭りはまだ始まってねーみたいだなぁ? いくぞ野郎ども!」

「どんだけいんだぁ!? 俺たち有名人みたい!?」

「いや、今お前ら以上に有名な奴とかいねーから」


 海賊たちの冷静なツッコミ。

 ウタも正直ツッコミたかったが、状況が最悪すぎてそれどころではない。


「ルフィ! 歌うよ!」

「うっし! 任せた!」

「ヒャア! 早いモノがちだぁ!」


 海賊たちが一斉に襲い掛かる。

 この嵐の中、戦いをしていては危険だとウタは切り札を切った。


「【散々な思い出は悲しみを穿つほど】」

「「「「「「ヒャッハーーー……zzzzzzzzz」」」」」」


 ウタウタの実で一気に眠らせる。

 海軍とは違い、対策をしていなかった海賊たちは一斉に眠りに落ちた。

 圧倒的な戦果。しかし、ルフィはそれを喜んでいる余裕はなかった。


「おい! ウタ! 大丈夫か!」

「う、うん……まだ、平気……」


 ウタウタの実の能力は強力な分、消耗も激しい。

 強い眠気に襲われているウタは、立っていられずに舟床にへたり込んでしまう。


「すぐにここから逃げて安全な場所まで……!」


 その時、ルフィの見聞色の覇気が気配を探知する。

 振り向いた先にいたのは海軍の軍艦。


「モモン!? 逃げたんじゃねぇのか!?」

「……やはりその数では使わざる得なかったようだな。ウタウタの能力を」


 それだけで理解する。

 あの海賊たちはウタを消耗させるため、モモンガが利用した捨て駒。

 ルフィとウタの情報を流し、彼女の能力を使わせたのだ。


「ルフィ元大佐は強い、しかし消耗したウタ元准将を置いてこちらに攻撃に来ることはできまい」

「だったら手を伸ばして攻撃するだけだ!!」

「だろうな。故にこうするのだ! 撃てぇ!」


 漁船を襲う砲撃と銃弾。

 鋼鉄の雨はルフィの体に突き刺さる。

 しかし、彼はゴム人間。その体は何処までも伸び、砲丸も銃弾も防ぎきる。


「効かーん!!!!」


 跳ね返る砲丸と銃弾。

 銃弾は軍艦をビシビシと叩き、砲丸はモモンガによって切り落とされた。


「……撃ち続けろ!」


 明らかに無効な攻撃。

 それでもモモンガは砲撃をさせ続けた。


「効かないって言ってんだろうが! 馬鹿か!」

「ああ、お前だけはな。今、そこから動いたら、その船も、ウタ元准将もタダでは済まん。だから動けんだろう!」


 図星であった。

 今の身動きができないウタが、この攻撃に晒されたらどうなるかなど、語るまでもないことだ。


 ベキィッ、と木片が弾け飛んだ。

 ルフィが防げなかった銃弾が、漁船を傷つけていく。


 世界が敵になった二人を助けることはできない。

 それでも、せめてこれだけでもと、名も無き市民が盗ませた船が。

 海軍によって無情にも破壊されようとしている。


「くっそー! こっち来いモモン!」

「いいや、もう私が動くことはない……航海士!」

「そろそろです!」

「よし! 撤収する!」

「何ィ!?」


 モモンガの指示により軍艦が引いていく。

 ルフィが追ってこれないように銃撃は相変わらず続いているが。


「モモン! どうせなんか企んでんだろ! 教えろ!」


 ルフィの怒号も聞こえてはいないようだ。

 不審に思いながらも、船の舵を取ろうとするルフィ。

 その時、南から強風が吹いた。


「なんだ!?」

「南からの風……あ、まさか……」

「ウタ!? どうした!?」

「逃げてルフィ……! 高潮が来る!」


 床で蹲るウタが指をさす。

 その先にあったのは見上げるほど大きな波の壁だった。


「で、でけぇ……!」

「アクア・ラグナ……! モモンガ中将に誘いこまれたみたい……」


 ウオーターセブンでは街を呑み込むほどの被害を出す大災害。

 正攻法では崩しにくいルフィとウタを、海軍は海の力で倒しに来たのだ。


 ギア2の高速連撃による突破。

 ギア3の巨大な一撃。


 ルフィだけならばまだ何とかなる。

 しかし、消耗したウタや漁船を守りながらとなると無理だ。

 モモンガの立てた作戦は、残酷なまでに詰みの現状を突き付けた。


「えっ? ルフィ?」


 だが、ルフィはその最悪の中でも破天荒な答えを導く。

 ウタの腕を掴むと海に向かって連れて行った。


 生き物のように荒れ狂う水面。

 それをのぞき込むルフィを見たウタは、幼馴染の思考を理解して卒倒しそうになった。


「ま、まさかアンタ、海に飛び込む気じゃ……」

「飛び込む」


 無謀だ。

 ルフィもウタも悪魔の実の能力者。

 海に嫌われているのだから、海中では身動きができない。

 死にに行くようなものだ。


 そうウタの中の常識が訴えかける。

 モモンガも、海では二人が無力だからこそこんな作戦を実行したのだ。


「信じろ」


 だがルフィの目はまっすぐと。

 そこに諦観も自棄も存在しない。


「……うん」


 だからウタも覚悟を決めた。

 ルフィから視線を外し、海のうなりを睥睨する。


「「行くぞ!」」


 飛び込む二人。

 人影は瞬く間に海原のどこかへと攫われて行った。




 アクア・ラグナを確認したモモンガは、すぐに危険域からの脱出を指示した。

 海兵たちが悲鳴を上げてなんとか高潮から離れる。


「付近の警戒! 怠るな!」

「「「「はっ!」」」」


 グランドラインの海は予想が付かない。

 一つの危機を乗り越えたとしても、次の脅威が迫る海なのだ。

 部下たちに指示を出し、モモンガ自身も海を見た。


(アクア・ラグナに問題なく誘導できた。軍艦ならば兎も角、あんな漁船では耐えられまい)


 ルフィ元大佐とウタ元准将は完全に死んだと思っていい。

 悪魔の実の能力者は強力ではあるが、海に弱いという致命的な弱点を突けば理論上は確実に倒すことが可能だ。


(この方法の欠点である死亡確認をできないのが難点ではあるが……)


 それでも問題ない。

 このまま二人の目撃情報が途絶えてしまえば。

 アクア・ラグナによる死はほぼ確定したと言い切れるのだ。


(……だが、万が一、生きているのなら)


 生死はこちらがに目撃情報が出るまで分からない。

 つまり、二人が隠れとおすことができれば。


 このまま海軍は二人が死んだものとして捜索を打ち切り。

 二人は身分を隠して平穏に……


「馬鹿なことを考えてしまった」


 偽善だ。

 天竜人の言われるがまま、自分たちは仲間に刃を向けたのだ。


 この作戦とて、二人を逃がすためのものではない。

 モモンガは確実に殺すつもりで罠に嵌めたのだから。


(この思考は侮辱でしかない。世界政府に対しても、嵌めた二人に対しても、なにより、嫌な役目をさせてしまった部下たちに対しても)


 モモンガは未練を振り切るように海に背を向けたのだった。




 どこかの海岸。

 嵐の残り香か、雷の轟く音が遠くで聞こえる。


「ゼェ……ゼェ……」


 バシャバシャと海水を滴らせながらルフィは上陸した。

 担いでいるのは意識を失ったウタの姿。


 一か八か海に飛び込んだルフィは海に入る直前、限界まで息を吸い込んだ。

 そのまま体を膨らませると、ゴムゴムの味方ロボの要領でウタに巻き付き、自分を救命胴衣として彼女の安全を確保したのだ。


 海で力が抜けるせいで何度もウタを離しそうになったが、ルフィの根性はこの海岸にたどり着くまで持ちこたえてくれた。


「あっ——」


 だが、気力が続いたのもここまで。

 砂浜に倒れ込んだルフィは、ウタと一緒にそこで気絶した。


 重なり合う二つの寝息。

 海のさざ波が包み込むように見守っていた。

Report Page