大人になるために

大人になるために

「ジェタークのCEO代理はどこまでできる男だ?」


 養父のサリウスが投げかけた質問に目を瞬かせる。ベネリットグループ上位企業の代表らが集う会合は恙なく終わった。皆──という名の、スペーシアンの中でもごく一部の上澄みたち──が一丸となり、地球のテロリストたちへ制裁を下すという結論が出された。口火を切ったのは前CEOと後継者を欠いたジェタークではなく、グラスレーだ。

「ラウダ・ニールは優秀ですよ、学生としては。経営者としては、会合でご覧になった通りです」

 長年ベネリットグループの御三家として君臨してきた養父に、一から十まで説明する必要はない。針の筵に座らされた若きCEO代理はろくに釈明もできず、ペイルのCEOらに責任の重さと顧客管理の杜撰さを指摘され、歯を食いしばってした。何も知らない子供が親の尻拭いをさせられるのは気の毒だが、シャディクとしては恨むなら自分の親を恨めとしか言えない。事の発端は間違いなく彼の父親の暗殺計画なのだから。

「役員たちに押しつけられた仕事以外、おそらく何もできないでしょうね。前CEOからの引き継ぎも済んでいるのかどうか」

「自分の父親がデリングの暗殺を企んでいたことも……」

「知らないでしょう。失敗した時の保険なのか、我が子への配慮なのかはわかりませんが」

「ふん。我が子を思いやるなら、そもそも暗殺など考えん」

 いつも無表情で兄のグエルに付き添っていた少年の顔を思い出し、シャディクはうなずく。グエルが学園から姿を消した後も平静を装っていたが、不安でたまらなかったことは想像に難くない。そこへ来て父まで急逝し、端正だが幼さの残る顔には隠しきれない苦悩が滲んでいた。

「しかし、彼がどこまで、何を知っているかは把握しておかねばなるまい。あの粗雑な男のことだ。そのつもりはなくても息子の前で口を滑らせていたかもしれん」

「そうだったとして、ラウダに何ができます?」

「ジェタークも挽回したくて必死だろう。ヴィムとおまえが共謀していたと気づいた上で、交渉の切り札にしようと黙っているのかもしれん」

「そうは見えませんでしたが」

「手負いの獣を侮ってよいことは一つもない。そして、こちらとしても尻尾を掴まれれば面倒だ。シャディク」

 サリウスは有無を言わさぬ口調で命じた。

「おまえは学友なのだろう。それとわからぬよう探っておけ」

「養父さんがそうしろというなら」

「杞憂ならそれでよい。だが、お飾りとはいえCEO代理だ。おまえから教えてやれ。会社を守りたければ誰の味方に付くべきかを」

「……もちろんです。彼は友人でもありますから」

 笑顔で即答したものの、内心では仕事を増やされて嘆息していた。養父はラウダのことをほぼ知らないから疑り深くなっているのだろうが、どう見てもそんな腹芸ができる気質ではない。親に従順で、兄を敬愛し、それが自分の全てだと思っている子供だ。親の葬式にも来なかった兄を未だに信じている哀れな子供。だが、大人たちにとってはどうでもいいことなのだ。ジェタークのCEO代理になった時点で、彼もまた盤上の駒になった。

 シャディクの方は、ラウダとはそれなりの付き合いがある。人となりも、彼に落ち度も責任も全くないことも知っている。とはいえ、ラウダに同情して養父の命令に背くつもりはない。テロリストにジェタークの機体を渡した犯人を教えてやるつもりはもっとない。なるべく彼を傷つけずに丸め込みたい、などと考えるのは偽善でしかないのだろう。

 

くたびれた顔つきの秘書にラウダの居場所を尋ねると、CEO代理はシャトルの個室に閉じ籠もり、しばらく誰とも会わないと仰っていました、と無愛想に答えた。わざわざ一人になってくれるとは好都合だ。シャディクは使い捨てのカップにカモミール茶を注ぎ、片方にポケットに忍ばせた粉末を混ぜた。粉が完全に溶けたのを確認し、ラウダが使っている個室へ向かう。

「あの、申し訳ございませんが今は……」

「少し息抜きでもしないか、と伝えていただけますか? 今は友人として来ました。もし、それでもだめだと言われたら改めます」

 神妙な口ぶりでお願いすると、護衛は躊躇いながらもインターホンで室内のラウダに確認を取った。ややあって、低い声で『どうぞ』という返事が来る。シャディクはにこりと笑って感謝の一礼をし、カップを載せたトレイを手に個室に入った。

「何の用かな」

 ドアが閉まった途端、冷ややかな声が飛んできた。不機嫌を隠そうともしないラウダに苦笑し、執事のように恭しくテーブルにカップを並べる。

「息抜きしないか、って伝えたはずだけど?」

「そんな気分じゃない。……座りたいなら座って」

 視線で指された向かいのソファに腰掛ける。ラウダは眉間に皺を寄せてカップの中で揺れる液体を睨んでいる。会合の時と同じように、誰とも目を合わせず、唇を引き結んで自分からは口を開かない。何を言っても無駄で、下手な弁明をすればさらに状況を悪くすると学んだのだろう。

「和やかにお茶を飲む気分になれないのはわかるよ」

「なら、何をしに来たんだ? グラスレー社は暇なのか」

「君がさっきの会合でつらい思いをしたのもわかるよ。だからって八つ当たりされても困る。俺はやるべき仕事をしただけだ。君も仕事だからつらくても出席したんだろう?」

「……そんなの、言われなくたってわかっている」

「立場上ジェターク社の責任は追及しなきゃいけないけど、君の敵になったわけじゃない。君も俺も、本当に戦わなければいけない相手は他にいる。内輪揉めしている場合じゃないんだ。力を合わせてお父さんの仇を」

「だから言われなくてもわかっている!」

 ラウダは声を張り上げ、すぐにそんな自分を恥じて気まずそうに口を噤む。何かあったのかと呼びかける護衛に「何でもない。入ってくるな」と静かに命じる。

「ごめん……落ち着いて話せそうにない。用があるなら後にしてくれ」

「別にいいよ。落ち着けなくて当然だ。それよりも、せっかくだから一口くらい飲んでくれると嬉しいな。ちょっとお高いやつだからね」

 シャディクは軽く微笑んで自分のカップを手に取り、ぬるくなったカモミール茶を口にした。ラウダもそれを見て、渋々ながらカップに口を付け、こくり、こくりと小さく喉を鳴らして飲む。

「お口に合うかな?」

「ああ、うん」

 全くおいしそうには見えないが、いくらか柔らかくなった表情にシャディクの微笑みが深くなる。もしかしたら一服盛るまでもなかったかもしれない。ラウダは目の前にいるのが何者かなど考えてもいない。守ってくれる大人もいない。居場所をあっさり漏らす秘書に、少年一人を矢面に立たせて狸寝入りする役員、身の程知らずの野心で破滅した父親。唯一、悲しみを分かち合える兄は生死も定かではない。

「それはよかった。だいぶ疲れているように見えたからさ。気休めにしかならないだろうけどカモミールを淹れたんだ」

「……そう。悪かった。あなたも忙しいのに」

「まあね。でも、今はどこも忙しいし、君ほど大変じゃないよ」

「言われたことをやっているだけだ。あなたと違って」

「俺は昔からやっていたから今もできる。君はできるようになっている途中。それだけのことだよ」

「違う……デスルターの横流しだって、今の今まで知らなかった」

 おやおや、とシャディクは内心目を丸くする。その話を自分から打ち明けてくれるとは、もはや誰でもいいから縋りたいほど弱っているのか、案外友情を持たれているのか。まあ前者だろうと思いつつ、シャディクはさっと顔色を変え、身を乗り出して尋ねる。

「お父さんや重役の人から何も聞いてないんだね? デスルターの件も、テロリストとの繋がりも、プラントクエタに出向いた理由も」

「何も……誰に聞いても知らない、って……父も知らなかった、はず……」

「犯人の目星はついてる?」

「……」

「内通者がいるんじゃないのか? 君のお父さんがいなくなって得をする人物が。身内を疑うのは嫌だろうけど、あれだけのモビルスーツを秘密裏にテロリストに渡せるのは、それなりの権限を持った人である可能性が高い」

 そこで言葉を切り、様子を伺う。注意深く観察するまでもなく、ラウダは苦しんでいる。これ以上、悪いことや悲しいことが起きるのに耐えられないと全身で訴えている。それに、ずっと前髪をいじっていた指が微かに震えている。そろそろだ。

「こんなことは言いたくないが、黙っていても埒が明かないから言うよ。内通者がいるなら早く見つけて処罰しないと、みんな君を疑い始める。長男が行方不明、父がテロに巻き込まれて急死、残った次男がCEOになるなんてできすぎた話だって勝手に面白がる人はいる。何の根拠もなくても」

「そんな馬鹿げたこと……」

「俺もそう思う。君を知っている人ならわかることだ。ただ、知らない人は馬鹿げた噂でも信じるからね。せめてグエルが戻ってきてくれたら濡れ衣だと証明できるけど、そっちも進展はないのか?」

「ない……兄さん、父さんのお葬式にも……どうして……」

 くるくると前髪を触っていた指がぴたりと止まる。ラウダは不意に俯き、手の甲を唇に押し当てた。手だけではなく、やけに小さく見える肩も震えていた。

「ラウダ?」

「ごめん。本当に具合が悪くなってきた。今日はもう……」

「謝ることはないよ。それに、具合が悪い人を放っておくほど薄情じゃない」

「少し休めば治るから」

 さて、どうしたものか。聞き出したかったことは全部話してくれたし、帰ってあげても構わない。あと命じられたのは、グラスレーに協調するよう手懐けることくらいだが、既に手懐ける必要もなさそうな状態だ。

「ちょっと失礼するよ」

 黙り込んだラウダの隣に移動し、掌を秀でた額にあてがう。びくっと身を竦める彼の額はうっすらと汗ばんでいて熱かった。

「微熱があるな。お茶、余計なお世話だったかもね」

「いや……大丈夫だ」

「話しにくいことをあれこれ聞いてすまなかった。二人きりなら少しは気楽に話せるかと思ったんだけど」

「シャディク、もういいから……」

「なあ、ラウダ」

 語気を強めると、ラウダはハッとして顔を上げた。いつも宝石のように無機的な琥珀色の瞳が潤み、不安定に輝きながらシャディクを見つめている。ああ、これがパパと兄さんにかわいがられてきた子なのだ、と確信を抱く。愛人の子だろうとパパに守ってもらえて、腹違いだろうと兄さんに優しくしてもらえるのが普通だったから。突然その二人がいなくなって不安でたまらないのだ。だから上っ面だけの思いやりにも絆される。あまりにも自分とは違う。「養子は大変だな」──言われた時は聞き流せた嘲弄が、感情を伴って逆流してきた。

「さっき俺に話してくれたこと、あれは全て本当なんだよね」

「……?」

「テロのこと、横流しのこと、何も知らないって」

「本当だ。そもそも、知っていたら絶対に……」

「よかった。ラウダは本当に何も知らない。潔白なんだ。確かめられてよかった」

「え……」

 面食らっているラウダの頬に貼りついた髪を指でそっと払う。ヒュッと息を呑む音が聞こえ、茫洋としていた瞳が見開かれる。カモミール茶に入れたのは人を正直にさせる薬だ。使わなくても用は果たせたが、せっかくだからラウダに教えてあげよう。子供のままでは大人にいいように食い物にされるだけだと。

「かわいそうに。つらかったね。知らないことで責められて」

 口をついて出た言葉が本心なのか、相手に付け入るための嘘なのか、シャディクにもわからない。ラウダは困惑するばかりで、同級生でライバル企業の手先に迫られているというのに逃げようともしない。その警戒心のなさに心が冷えていく。

「俺が、少しだけ楽にしてあげる」


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