夢現 後編
百鬼夜行に帰った私に待っていたのは、懐かしい日々だった。
犯される事はなく、乾いた体液による不快感も無い、”人間”の生活。
「ツバキ?最近独りでご飯食べてることが多いですけど、今日くらい一緒に食事を…」
「───う、うん。ごめん、少し書類の整理が中々終わらなくて…」
「わかった…一緒に…食べようか…」
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
「ごちそう、さま…」
「ツバキ先輩、大丈夫…?顔色も悪いし…」
「もしかして体調悪いのに、私が無理させて…」
「う、ううん…!寝て起きたら治るから…ちょっと部屋で寝てくるね…」
「……………うぷっ…」
だけどそれは、私にはあまりにも辛く苦しい地獄の生活だった。
「う”、おぉえぇぇぇぇ…!!げぇっ、う”ぇっ…!」
食後に急いで駆けこんだトイレで、二人に聞こえない様に気をつけながら思い切り嘔吐する。
不味い。信じられない程、不味い。ザーメン以外のあらゆる食事全てが。
故に食事は極力一人で済ませていた。
これ以外にも耐え難いことはたくさんあった。
その一つに、身体が疼いて堪らないのだ。
娼婦であるはずの私が、急に抱かれなくなったことで起きた欲求不満。
その肉欲は3日目にして限界を迎えた。
乳首とクリの勃起は収まらず、愛液もだらだらと垂れて止まらない。
故にこんなこともあった。
「スン…スンスン…あ…こっちだ…こっちから、匂う…!」
フラフラと漂う匂いに引かれて街を彷徨う。
そして着いた場所は…薄汚いアパートのゴミ捨て場だった。
「あ…あったぁ…!はむぅ…むぐ…んん…!!」
ビニール袋の口を開け、その中の”使用済み”ティッシュを頬張る。
途端に口の中に広がる饐えた匂い。
あのザーメン味のパックは所詮、似せて味付けしただけの栄養食だ。
本物のザーメンには遠く及ばない。
脳が幸福感に満たされ、おっぱいの下には大きなシミができ、母乳がポタポタと滴り落ちる。
結局その日はそれらを持ち帰り、丸一日オナっていた。
漸くその欲求が満たされた時、私は自らの行いを極めて恥じ、悔いた。
そして何より耐え難かったのは───
「ダメ…寝ちゃ…ダメ…!また見ちゃう…!」
「やだ…寝るの、怖い…怖いよぉ…!」
寝ること、いや、正確には寝ることで見る”夢”だった。
見てしまうのだ。”娼婦でないはずの私”が望む未来への入口を。
そして同時に、”娼婦の私”がそれを否定する結果を見せる。
「ぁ……………」
ぶつり、と途切れる意識。
度重なる寝不足でのそれは、ただの失神だった。
そしてまた、夢は、始まる。
『もっちろん!全力で協力するよ!ね?ミモリ先輩!』
『ええ。じゃあまず、事情を説明して頂けますか?』
助力を乞う私に、ミモリとカエデは快く承諾する。
私は私で、促されるままに事情を説明する。もちろん、我が子の事も。
だが、それに対して返ってきたのは…
『うっわ…ツバキ先輩…気持ち悪い…』
『誰にでも股を開いてきただなんて…何て不潔な…!?』
『ち、違…!?私だって、したくてしたんじゃ…!?』
『待って!お願いっ!!お願いだからぁ…!!』
二人の侮蔑と嫌悪の言葉と視線。
有り得ないとは頭の中で思いつつも、目の前の光景が脳裏に焼き付いていく。
慌てて泣きながら縋りつくも、それは変わらない。
『何が違うのですか?自身の身体を見てから言ってください。』
『へ…?』
見下ろす身体は母乳を垂れ流していた。
その上ボテ腹マンコは極太のディルドを咥え、白く泡立った愛液を垂れ流していた。
…そういえば、接客の合間にこんなこともあった気がする。
『これは…その…』
『娼婦…うん、貴女は娼婦が一番向いてるよ。』
『カエ、デ…?』
『貴女みたいな人、先輩なんて呼びたくない。』
無垢な彼女からも軽蔑される自分。
最早彼女から、先輩としても見て貰えないという事実が重くのしかかる。
『こんな淫売は、修行部に相応しくありません。』
『そう思いませんか、先生?』
“そうだね。”
『ッ!?』
振り返ればそこには先生がいた。
先生もまた、心底蔑む様な目で私を見ていた。
そんなはずは無いと思いたい。だけど、そこにその目はある。
『せ、先生…!?これは、その、違くて…!?』
“…その手を止めてから、言って欲しいな。”
『ぇ…ま、また…!?』
気づけば私の手はボテ腹マンコのディルドを出し入れし、乳房を鷲掴んで母乳を搾っていた。
じんわりと、どうしようもない絶望感が身体中に広がって力が抜けていく。
やめて…見ないで…そんな目で、こんな私を見ないで…!
『…二度と、私達に近寄らないでくれますか?』
『ぁ…………』
もう何も、言う事すらできなかった。
「………」
ゆっくりと開いた瞳。外を見れば日の出前だった。
ある程度の時間は眠ったらしい。
「やっぱり…私は…」
失意の中、日の出と共に消えていく星々を眺め続ける事しか出来なかった。
─────────────────
「やあ、待ってたよ。」
「…」
あっという間に過ぎた2週間。
これまでの経験で時間間隔がもう狂ってしまっているのだろう。
体感では本当に一瞬で、その猶予期間は過ぎ去ってしまった。
「じゃあ、答えを聞こうか。…どうする?」
「………契約を………結び、ます…。」
「良い判断だね、じゃあこちらへどうぞ。」
契約書は、分厚い約款の隅々まで読んだ。
それでわかったことは、この契約には戻り道や抜け穴が存在しないことだった。
隅々まで、言葉の定義付けまでが詳らかにされ、解釈の不一致を引き起こす隙が無い。
そして、その内容は端的に換言すると「私の残る人生を捧げる代わりに、子ども達の将来を約束する」というものだった。
結んだ瞬間に私という人間は”商品”に置換される悪魔の契約。
それを今から、結ぶのだ。
本当は怖い。嫌だ。だが、結ばなければ私の子ども達は高確率で死んでしまう。
皆に救いは…最後の最後まで、乞えなかった。
眠れば必ず夢で見るあの光景が怖ろしくて。
皆あんなこと言わないとは、頭では理解している。
だけどあの夢の光景が脳裏に焼き付いて離れず、起きていても会うと冷汗が流れ出す。
とてもじゃないが言えなかった。
「そこに掛けて。…この契約は録音、録画を伴って行います…よろしいですね?」
「…はい。」
カメラやボイスレコーダーがこの場を記録する。
この契約の締結が、私の意志であることを証明するために。
「それでは契約締結にあたり、重要事項説明を行います。」
「契約は”成人”している方のみ対象としていますが…貴女は、”成人されていますか?”」
「………はい。」
「ありがとうございます。では、説明後に同意頂けるなら、署名、捺印をお願いします。」
そうして契約締結は進んでいく。
形容するのであれば、それは断頭台への歩みだった。
「当契約は永年契約です。更新も中途解約もありません。」
「事実上、今後の貴女の自由を全て当グループ、及び、関係者に移譲することとなります。」
「20○○年度からは当グループ指定の企業へ就職して頂きます。」
「就職後、貴女は”春日ツバキ”の名を使用する事を全面的に禁じられ、採番された管理番号のみ使用可となります。」
確認の言葉に対し、ひたすらに承認の言葉を返し続ける。
記載されていた内容を改めて読まれているだけで、それら一切は把握していた。
だからこそ、自分が段階的に終わっていく事を認識する。
そして、その時が来た。
「───以上です。ここまででご質問等はありますか?」
「ありません…」
「最終決定権はあくまでも貴女にあります。」
「もし、締結を取りやめる場合はそのままお帰り頂いて結構です。」
あくまでも、最終決定権は私にあるのだと。
これは私、春日ツバキの意思によるものなのだと。
遠回しに証明されている。
ダメだ。この契約を結んでは、本当にダメだ。
そう叫ぶ心は確かにある。だが、これはあの子達のために必要なのだ。
それにこの身体はもう、どうしようもなく娼婦だ。
お客様から頂く精と快楽が無ければ、生きていけない。
それに誰も助けてはくれない。だからこれは仕方がない。仕方がないことなのだ。
「…同意したとみなします。それではこちらを。」
差し出されたペンと朱肉。
私はそれらを受け取る。そして、署名し、捺印を───押した。
「………確かに。これにて契約は締結されました。お疲れさまでした。」
途端に周囲にあった機器の録画や録音が停止する。
もう必要が無いからだ。だって私は───
「はぁ~…つっかれたー…よし、じゃあ番号彫ろっか!」
契約に雁字搦めにされた、マリオネットに成り果てたのだから。
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
「うぎぃぃぃぃ…!?!?」
「はい、いっちょ上がり!いやぁ、ここまで手の込んだ『仕入れ』は無かったねぇ。」
「まあLv.4の仕入れだからな。使える期間に資金も潤沢。」
「おまけにあの有名な”眠り姫”だ。下手を打って公にでもなってみろ、我々が組織に処分される。」
裸にひん剥かれ、手枷で吊られた私はおっぱいの下の激痛に悲鳴を上げていた。
この痛みはタトゥーだ。前に何度か経験したのを覚えている。これはひたすらに痛い。
痛いのは嫌だ。でももう、拒否権は無い。だって私は娼婦なのだから。
私は自分で、仕方なく、あの子達のために娼婦になることを決めたのだから。
「あ、そうだ。契約に関係しないから言ってなかったんだけどさ…」
「最近、悪夢をよく見なかった?」
「…!?」
何故…何故、そのことを知っているのだろうか。
図星が過ぎるその言葉に戦慄していると、予想通りの最悪の答えが返ってきた。
「ちょっと細工をしてね?君が抱く望みを、否定する夢だけを見る様に。」
「そ、んな…じゃあ…!?」
「まあでも、契約に夢なんか…関係無いよね!」
その言葉に私は契約に踏み切らされたあの恐怖の正体を知り、絶望した。
まんまと策に嵌り、手の平の上で踊らされ、奈落の底へと飛び込まされた。
もう取り返しはつかない。私はもう、未来へと歩むその脚を、断ち切られたのだから。
「それよりほら見て!綺麗に彫れたよぉ…!」
「管理番号:1910391…これが君の、新しい名だよ。」
「ぁ…はは…あは、は…!」
鏡越しに見せられた消えない証は、私にその事実をより強く突き付けていた。
─────────────────
「ごちそうさまー。」
「お粗末さまでした。今日も外に修行?」
「うん。じゃあ行ってくるね。」
足早に修行部の建物から出る。
行先はもちろん、愛しい我が子達がいるあの場所へ。
味覚は変えてもらった。
好みではなく、”味覚そのもの”を。
ザーメン以外の味を受け付けないので、”全てザーメン味になる”様にだ。
人としては完全に終わりだが、娼婦としては何の問題もなかった。
「…」
私は例の店ではなく、雑居ビルに入っていく。
関係者以外立ち入り禁止の扉を潜り、セキュリティカードを翳して更に中へ。
扉が閉まり、プシュッ、というエアロックの音が鳴ると同時に私は服を脱ぎ始めた。
上着も、スカートも、靴下も、下着も。その全てを脱ぎ捨てる。
そして───
「んぅっ、んあっ…!よいしょ…っと…」
軽く触るだけで快楽を感じるおっぱいを持ち上げる。
そしてその下に隠れていた私の名前、391番とそれを読み込むバーコードを機械に翳す。
赤い光がタトゥーに当たり、ピッ、という音と共に認証が完了した。
部屋はガコン、と一度大きく揺れ下へと下りていく。
そして───
「皆、ただいま!」
保育器の中の我が子にガラス越しに会う。
子ども達はキャッキャッと笑顔で私を見てくれていた。
まだ色々と調整中らしいので触れ合える様になるのは当分先だが、こうして顔を合わせるだけでも嬉しい。
この子達がいれば、私はどんな事があっても頑張っていける。
そう思えるほどの元気をもらい、私は廊下に出て、”見慣れた扉”を開く。
見慣れているのは主に内側。私が、”実年齢よりも過ごした部屋”だ。
あの契約の後、調教で更に10年ほど夢の中のこの部屋で過ごしたのだ。
今ならハッキリと言える。私は娼婦だ。
この上なく淫売で、誰にでも股を開き、喜んでザーメンを啜る。
貞淑とは対極に位置する、そんな存在だと。
「391番、使用可能です。」
自身の名と、使用可能な旨を高らかに宣言する。
この宣言はお客様の確認されるパネルに、私の顔写真と全裸写真、そして、マン拓を表示するためのものだ。
告げなければ私が指名されることは無く、ペナルティを受けてしまうので絶対に欠かせないもの。
すると一息吐く間もなく、部屋のランプが点滅する。早速指名されたのだ。
「…よし!」
お客様に媚び、従属し、愉しませ、精を恵んで頂く。
その本懐を旨に、私はできるだけ劣情を催す恰好で、お客様を出迎えた。
「いらっしゃいませ、ようこそおいで下さいました。」
「本日はこの391番で、どうかおたのしみくださいませ…!」
夢と現の境界は擂り潰され、露と消えた。
私はこの身を捧げ続ける。
母としての慈愛と娼婦としての肉悦の狭間で、この身が朽ちるまで。