夢のその先
平和になった世界でも、無条件で幸福が得られるわけではないことを知った。映像で見る彼女はいつも笑っていて、それに心の底から安堵した。それと同時に、やはり自分だけかという一抹の寂しさに襲われる。彼女の歌を聴いて幸せそうに笑う村の人々が、やけに羨ましく見えた。
◇◇◇
彼女の活躍はこんな辺鄙な島にまで轟いている。今や世界中で彼女の歌が流れていて、彼女の歌を聴かない日はない。変わる時代に怯える人々の心を、彼女の歌は優しく包みこんだ。以前と変わらず勇ましい曲も勿論あるが、優しく寄り添ってくれるような歌が増えたような気もする。とにかく、彼女の歌は人々の支えとなっていた。そして、それは歴史に深く刻まれていくことになるのだろう。本人がそれを望んでいるかどうかは知らないが。
「ルフィさん!」
新聞配達の少年が、息を切らして扉を開けた。ポストではなく、わざわざ直接届けに来たということは、何か大きな事件でもあったのだろうか?
「歌姫が、ここら辺の島一体でゲリラライブをしているそうです!この島にも来るかもしれませんね!ルフィさんに一番に知らせたくて、あっ、僕、村の皆にも知らせてきますっ!」
少年は新聞の一面を飾る歌姫を嬉しそうにルフィに見せると、すぐにバタバタと村の方に戻って行った。新聞には歌姫が無償で路上ライブを行っていることが報じられていた。それを護衛もつけずに独断で行っているらしく、関係各所から大目玉を食らっているらしい。新聞の隅には正座をして説教を受けている歌姫の姿もあった。たんこぶをこしらえた歌姫は大層不服そうな顔をしている。
「ははっ、アイツらしいなァ」
ルフィは歌姫の大輪の笑顔が映る紙面をそっと撫でた。
「元気そうで良かった」
それだけで、あと十年は生きられる。
本当に歌姫がこの村にやってくるなら、移動を始めなければならない。いや、移動した方がかえって遭遇する危険が高まるだろうか。こんなことを考えていると知ったら、あの心優しい歌姫はその綺麗な顔を歪ませて「そんな、人を疫病神みたいに!」と言って怒りそうだ。そこまで考えて、ルフィはそのまま島に留まることを決めた。どのみち、こちらがいくら逃げようとしたところで、あれ程の人望があればすぐに居場所は割れるだろう。未だに会いに来ないということは、あちらに会う意志がないという訳だ。……これだと、おれが会いたいと言ってるように聞こえるな、とルフィは小さく自嘲した。
この村に来た当初も、ひたすら歌姫のことを質問攻めにされた。子供たちはことさらにルフィと歌姫が恋人関係にあると信じていて、誤解を解くのに苦労した。
「でもウタちゃんのこの曲、ルフィさんに宛てたものだって言ってたよ」
と言って村の少女がゴリゴリのラブソングを持ってきた時は大変だった。それはお前の気のせいだ、と言うと、実際にそのことが書かれたインタビュー記事を持ってこられ、退路を塞がれてしまった。苦し紛れに、「そ、それはつまりあれだ!アイツの片思いだ!!」と叫ぶと、少女から胡乱な視線を投げかけられた。心外である。しかし、村の人々の一部には未だにルフィとウタの関係を誤解している者がある。ルフィは何度目かも分からぬため息を吐いた。
◇◇◇
その日は雨が降っていた。雨が降っている日には人々は家に籠り、静かに過ごすのが常であろう。しかしその日は違った。村の方からはいつにもまして賑やかな声が聞こえてきて、その中でもひと際通る声が一つあった。間違いようのない声だった。
「……何で本当に来るんだよ」
ルフィは一人、布団の中に蹲っていた。自分の思いとは裏腹に、耳が勝手に音を拾う。塞いでみた所で無駄だった。
その楽しそうな歌声に段々と腹が立ってきて、ルフィは頭をかきまぜた。しかしとうとうその音に耐え切れなくなって、ルフィは家から飛び出して行く。外はまだ土砂降りで、走ると大きな水たまりの上で水しぶきがあがった。綺麗とは言い難い、濁った泥水が体を汚していくが、今なら雨が洗い流してくれるだろう。聴こえてくる歌声に心臓が呼応して、独特のリズムを奏でる。久しぶりに生きているという心地がした。
村の中心部に村人たちは集まっていて、歌姫はそのまた中心で手を叩いて歌っていた。それを取り囲むようにして村人たちが銘々好きなように踊っている。束の間の幸せがそこにはあった。ルフィは人の間を縫ってその中心に向かい、歌姫の目の前に立つ。歌姫が気づくより早く、ルフィは叫んだ。
「お前、おれの居ない所で楽しそうに歌うなよ」
ぐちゃぐちゃになった感情の、一番見せたくなかった部分が飛び出した。ルフィの一声で空が割れたため、ぐしゃりと歪んだ表情も明るく照らされる。
「だから、会いたくなかったんだ」
今の所、およそ再会にはふさわしくない最悪な態度ばかりを取っている。これ以上醜態を晒すまいと、ルフィは踵を返して歩き出した。
歌姫は、ルフィを歌で呼び止める。自然と心が動くような歌声だった。
「えーと、お兄さん、暇なら一緒に踊らない?」
安いナンパのような誘い文句で歌姫はルフィの手を取りその中心へと戻って行った。華奢な腕には似つかわしくない程の力でルフィを光の方へと引っ張っていく。
「雨も止んだし、ちょうど良いよ」
「おれは、ダンスは踊れない」
「そんなのテキトーでいいんだよ」
「良くないだろ!」
いつのまにやら村の人たちは踊るのをやめ、中心に居る二人に目を向けていた。ルフィはそれがたまらなく嫌だった。
「楽しい?」
「楽しくねェ」
「私、歌わないとダメだから、ルフィがリードしてよ」
「だから踊れねェっつってんだろ!!」
そうは言うものの、二人のステップは軽やかである。村の子供たちはその姿を見て、わあっと声をあげた。
「お前、何で来たんだよ」
ルフィはむすっとした顔で歌姫に尋ねた。
「あはは、ルフィに会いたくて、来ちゃった」
遠い昔に放った言葉が、まさか自分に返ってくるとは思わなかった。
◇◇◇
「ええっ!!ルフィって私のこと好きだったの?」
「……好きじゃねェ」
「だよねえ!!」
「それは流石に嘘だと思うよウタちゃん」
「ルフィさんは本当にウタちゃんが居ないとダメなんだよ」
「そうそう。ウタちゃんが居ない時のルフィさん、息してないみたいな感じだよ」
「ええっ、そうなの?私のお守から逃れられて清々してるのかと思った」
「お前バカだろ」
「ウタちゃん、自己評価低いんだね~」
「ウタちゃんはふぁむふぁたるってやつだよ、きっと」
「私色気ないよ?」
「でもルフィさんはウタちゃんにメロメロだよ」
「…………」
「否定してよ!ルフィ!!」
「まァ、本当のことだしな」
「うわああああ」
ウタはひっくり返って赤面し、ルフィの家を飛び出していった。子供たちは逃げた逃げたと言って楽しそうにしている。
「ルフィさん、追わなくていいの?」
子供たちが後ろを振り返った時には、既にルフィは消えていた。
「こ、ここまで来たらもう大丈夫」
ウタはゼエハアと息を切らして辺りを見回し、ほっと一息ついた。
「本気のおれから逃げられる訳ねェだろ」
その肩に分厚い手が乗せられると、ウタはびゃっと声をあげてまた逃げた。
「ぐえ」
「だから無駄だって」
ウタは羽交い絞めにされ動きを封じられてしまった。ギブギブとルフィの腕を叩いて降参している。
「お前、何で逃げるんだ?」
「る、ルフィは私の恩人なんだよ」
「そうでもねェよ」
「いや、そうだよ。ルフィが居なかったら、私は今もあの島に一人だった。ひょっとすると退屈で死んでたかもしれない」
それはおれも同じだ、と言おうか少し迷って、ルフィは結局口を噤んだ。
「それだけじゃない。ルフィは私の夢に最後まで付き合ってくれた。ルフィが居なかったら、この夢を成し遂げるのは無理だったよ。本当に感謝してる。だから、」
「そろそろ解放してあげなきゃと思ってたんだあ。何か、ルフィは私と離れたがってたみたいだし」
違った?と笑うウタは、そこでルフィの肩がわなわなと震えているのに気付いた。
「バカヤロウ!!!」
「わっ、うるさっ。えっ、何」
「お前、鈍いにも程があるだろ!!何で分かんねェんだよ!!」
「え、何で怒られてるの?」
「おれがどんな思いでウタから離れたと思ってんだよ……そんなこと考えてんだったらもっと早くに会いに来いよ!」
「なっ、ルフィが嫌がってたからじゃん!」
「押し切って来いよ!」
「そんな資格私にはない!!」
「ある!」
「ない!」
「あるんだよ!!」
ルフィは一区切りつけると、ウタの肩を正面から掴んだ。
「おれの人生、お前の好きなようにすればいい。ウタにならめちゃくちゃにされてもいいから、だから、おれがウタから離れたがってるなんて死んでも思うなよ」
ルフィの言葉は最後の方になるにつれどんどん勢いを失っていった。ルフィは赤面して、首まで赤くなっている。ウタはオドオドと視線を泳がせて、落ち着かない様子だった。「ウ、ウン。ワカッタヨ」とウタが返事をしたきり二人の間に気まずい沈黙が流れる。だらだらとひたすら汗を流し続けるだけの無益な時間だった。その沈黙を破ったのは、未だに表情に困って変な顔をしているウタだった。
「あ、えと、その……ルフィって私のことめちゃくちゃ好きなんだね……そんな好きになられるようなことした覚えないんだけど……ルフィなんて、色んな人からモテてたじゃん」
「お前、さっきおれが居なかったら夢は叶えられなかったって言ってたけどよォ、普通おれがいても叶えられないんだよ、その夢は。そんな女に惚れない訳ねェだろ」
「ルフィがいたから、頑張れたんだよ」
「おれも、ウタがいないと生きられねェ」
「太陽神なのに?」
「ウタがいないなら別に太陽神になれなくたっていい」
「あはは、私たち、バカップルみたいだね」
「実際そうだろ」
「……お前、さっきからずっと嬉しくなさそうな顔してるな」
「幸せに慣れてなくて、唐突に来たそれにどうすれば良いか分からないんだよ」
「まァ、その内慣れるよ」
こうして二人の英雄は、伝説の夫婦としていつまでも語り継がれていったらしい。