夢か現か未来のことか
なんとなしに目を開けると、体はふわりとした生地の白い布、いや白いドレスに包まれていた。
「……?」
きょろきょろと辺りを見回すまでもなく、目の前には鏡があった。
「……???」
スターズオンアースの脳内は再びはてなマークで満ちる。
薄いオレンジに彩られた唇、ホルターネックになっている、どう考えてもウエディングドレス。それから赤いバッテンに水色の、飛行機雲のような形の型の飾りがいくつかついた、なんというか魂胆の見え透けるピアス。こんなの既製品にあるんです?もしやこれオーダーメイド?なんて現実逃避。
「……え?????」
そこまで見ても頭が追いつかない。
だって、だってこんなの、花嫁そのものでは無いか。
スターズオンアースには身に覚えが全くなかった。
誰と結婚するのか、そもそもどういう経緯でこうなったのか。何も分からない。
コンコンと扉がノックされた。
「あっ、はっ、はいっ!?」
混乱しすぎて声が裏返る。あわあわとしていると、外の存在は声をかけてきた。
「……入ってもいい?」
扉越しの少しくぐもった声。それでもすぐに分かる。誰かなんてすぐに分かる。
「……お兄、さん」
小さく自分の口の中でだけ音声にして、ふらふらと蜜に誘われる蝶のように彼女は扉に向かった。
ドアノブに手をかける、カチャリと音がして回る。押して開けた。
果たしてそこにいたのは予想通り。
「ん、綺麗だね」
「お、お兄さん」
「懐かしいねその呼び方。緊張してる?」
いやだって緊張も何も!
「そうだね、お義父さ……いやこう呼ぶと怒られるんだった。ようやくドゥラメンテさんも認めてくれたもんね。
それでバージンロードを一緒に歩くんだから緊張くらい……」
ピタリとスターズオンアースの動きが止まる。大きく見開かれた目に違和感を感じたのか、彼も言葉を止めて、どうしたのと心配の目を向ける。
「お父さん……?」
「え?うん、ちゃんと来れてるよ。アドマイヤグルーヴさんがどうにか法定速度で来させて……」
「お父さんがいるんですか?お父さんのお母さんも?」
「そうだよ?……どうしたの、アース」
「だ、だってお父さんは、お父さんは……」
あれ、と思う。
お父さんは、なんだっけ?
どうしてこんなに心が乱れているんだっけ。
なんでだろう。
「………お父さん……」
父親はちゃんと生きている。そうだ、結婚したいって言った時、もはや子供が駄々をこねるレベルで反抗されたんだった。説得するのが大変だったし、最後の方はむしろ身内の少女漫画を楽しんでいるような感じで。
「……えへへ、いっぱい反抗されてたのでてっきりバックれるかと思ってました!」
「あはは、そうだったの」
手を差し出される。
「とりあえず、ドゥラメンテさんの所までは僕に任せてよ。……それからドゥラメンテさんの前でお兄さん呼びは無しね?暴れられたら手の付けようないでしょ」
「……え〜……どうしちゃいましょ、お兄さん?」
「もー!いたずらっ子なんだからさ」
その手を取る。
*
「………………ゆ、夢………?」
チュンチュンと雀あたりが鳴いているのだろう、カーテンの隙間から日差しが入り込む。
あれこれもしかしなくても朝チュンというあれなのでは。偏った知識でスターズオンアースは脳内に回答(間違っている)を弾き出す。
ただそれも仕方ないだろう。
何故なら彼女、昨夜の記憶がまっっったくないのだ。
かろうじてリバティアイランドから血統論を懇々と教えられ、コントレイルとの配合の利点とかなんかこう色々と教えられたことは覚えている。タクシー呼んだ気もする。どこに行って誰に会って何をしたか、それが分からない。それが一番重要なのに。
いや、多分。多分だけどなんとなくコントレイル本人に会った気がする。そうだ、だから多分夢に出てきたんだ。けっ……こん、していたけれども。いや、夢だし。
そう酔った日の夢なんてろくなものでは無いのだ。
酔った日。ああそうだ、この倦怠感は確実に二日酔いだ。きっと何かがどうこうあったわけではない。というかよくよく部屋を見回すと!三冠の時の写真や20世代の馬たちと共に撮った写真が飾られている。なんだ、コントレイル当人で合っているじゃないか。
……それが問題なのか?
すう、と落ち着くために深呼吸する。ああ、いい匂いだなあとぼんやり思う。やっぱり三冠馬だから?なんて関連性の無いことを考えてどうにか頭痛から逃れようとする。
コンコンと扉がノックされた。
思わず彼女の体が震えたのも、仕方ないだろう。だってその音は、夢の中とまるで同じだ。今の自分はもちろんウエディングドレスなんて着ていないし、二日酔いで頭はズキズキしているし多分顔も酷いし。
とそこまで思い至って。
「アースちゃん?起きてるかな」
くぐもった声。
「も、もうちょっと待ってください!!」
声は裏返らなかったけど、確実に酒やけしている。こんなの恥の上塗りだと思いながらも、寝起きで、髪も雑で、そんな状態では流石に前に出られない。
彼の方でもそれを察してくれたのか、また後に来るねと言い残して気配は遠ざかった。
*
どうにかこうにか手櫛で頑張り、洗面所を借り顔を洗って人前に出てもまあ最低限大丈夫だろうという感じになった頃、スターズオンアースはリビングで謝罪していた。
「あの……絶対アースご迷惑かけましたよね、すみません……」
さすがにここではいそうですなどと言うやつは多方面から刺されるべきであることは分かっている。がしかし、何も無かったで押し通しても気にするだろう。そういう性格だと昨日でわかってしまった。
「お酒も入ってたし仕方ないよ。心配しなくても、君はすぐに寝落ちたし」
「そうですか……」
流石にしおらしい様子のスターズオンアースを見て、コントレイルは内心ほっとする。迷惑をかけたとは言ったが、その内容までは把握していない言い方だ。記憶は飛んだのだろうと踏んでいたが、そうでない時の可能性も無くはない。この反応から、おそらく賭けには勝ったようだ。
「さて、リバティちゃんかタイトルホルダーくんか……リバティちゃんの方に連絡しようか?」
「あっ、えっと、アースが連絡します!そんな事までさせられないので……!」
いそいそとポケットに入ったままだったスマホを取り出す。良かった画面割れてない、と表示されたロック画面にはおびただしい通知。それを見て小さく声を上げるスターズオンアースを見ながら、コントレイルはふと思う。
彼女が覚えていないということは、きっと自分が決めた本気についても、もう考える日は来ないのだろう。
それでいいと思った。あの内容が嘘とは思わないが、酒が入っていたのは事実だし、たまたまリバティアイランドが架空血統表の相手に選んだのが自分で、その話の流れで彼女は自分のところにふらふらと来ただけだ。
けれど、もし。何も言わないことで、彼女が壊れてしまう日が来たら?
そんな日が来たら────
ズブズブと沈みそうになる思考。
他者の心配ばかりするようになった事に彼ももう気づいてはいる。自分を大事にするという思考が欠けてしまっているのだ。きっと彼女も。出口の無い思案の入口に入りかけ、けれどそれは遮断される。
「連絡つきました、えと、重ね重ねご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした……!」
「ん、ちゃんと謝れて偉いね。でも今度からこんなことないようにするんだよ」
「はい、肝に銘じます……」
ぺしょんと馬耳は下がっている。そりゃあ結構な声量でリバティちゃんに怒られてたもんなあ……と思いながら、ふと思い出したのはタイトルホルダーが言われていた言葉。
「そうだ、僕のベッド使ってもらったけど、変な匂いとかしなかったよね? 不快にさせてたら悪いなって……」
けれど彼女は、まるで頓珍漢なことを聞かれたかのように首を傾げて。
「全然です!むしろいい匂いもして……あっ、なにか特別なシャンプーとか使ってるんですか!?」
「いやメ〇ット」
「庶民派ですね?」
ところでいい匂いのする人とは。
そんな考えを、馬鹿らしいと振り切って、彼はスターズオンアースを見送った。