夢から覚める話
「クロコダイル」
消えていく世界の中で、ふと目の前にかかった影に声をかけられる。口に含んだ煙を吐き出しながら目をやると、随分と見慣れた少女が近づいてくるのが見えた。
「よくここがわかったな」
「言ったでしょ? ウタワールドの中なら私の思うままだもん、場所くらいわかるよ。……やっぱりまだいたんだね」
そういえば、そうだったな。
ヘラりと笑った少女は一呼吸おいて苦しそうに声を出し、顔に少しの悔恨を滲ませた。……あぁ、おれも絆されたものだ。
「ねぇ、クロコダイル。私は、さ。新時代に行けなくてよかったって今は思ってるんだ。でもね、それでも、新時代にさぁ。クロコダイルを連れて行ってあげれなくて、ごめ───────」
「おれァなぁ、ウタ。新時代に興味なんてねェんだ」
「……え」
「クハハ、麦わらたちが言ってただろう。おれはお前が言うところの悪い海賊ってヤツでな。海賊がいない世界やら平和で平等な世界やらに心惹かれたことは一度もねェのさ」
「え、えーっ!! クロコダイル海賊だったの!? あ、いやたしかにルフィたちがそう言ってたような……?
じゃあ私が海賊嫌いとか皆が海賊をやっつける! とか言ってるのどんな気持ちで見てたんだよ……。というか、じゃあなんで協力してくれたの?」
「んあー、悪い海賊らしく一般市民どもを現実から消してやりたくなったのさ。ま、そういうことだからそんなに気に病むんじゃねェぞ」
昔を思い出しながら口角をつり上げる。我ながら実に悪役らしい笑顔で吐いた台詞に、ぽかんとした少女は呆れたように腕を組む。本当におれらしくもない。あの野郎のところにいた二年間で随分と変わってしまったのかもしれない。嫌な話だ。
「はぁ〜、謝って損した! 親身になって話聞いてくれるし計画の穴とか教えてくれるからいい人だと思ってたのに! 見た目はたしかに悪い人っぽかったけど……。
まあもういいや、ここもそろそろなくなっちゃうしね」
ふわりと吹っ切れたように笑う少女から目を逸らし、思い切り葉巻を吸う。自由が終わっていく気配に、吐き気がした。
「クロコダイルはさ、強いんでしょ?」
「……あぁ」
「現実に戻ったら少しは悪いことするのやめなよ?」
「クハハ、どうするかな」
「もー! ……誰かを傷つける前に私のことをね、思い出して。そしたらちょっとだけでいいから、立ち止まってほしいんだ」
───────ちょっと立ち止まるどころか、二年程ろくに動けてすらいないがな。悪態を喉の奥に押し戻し、少女の頭に手をぽんとのせた。夢が覚めたら動かない、乾きの腕だ。
「その言葉は聞けねェなァ」
「最期の頼みくらい聞いてくれてもいいじゃん!」
「悪い海賊に頼みなんてするもんじゃねェぞ」
鼻で笑ったおれにつられて笑う少女が、少しずつ不鮮明になっていく。
終わりがやってくる。いつだって夢は覚めるものだ。現実はどこまでも追ってくる。
「ねぇクロコダイル! クロコダイルは悪い海賊かもしれないけど、でも私、あんたのこと嫌いじゃないよ!!」
弾けるように笑った顔を最後に、おれの意識は急速に溶けていった。
体が重い。ゆっくりと目を開けると、いつもと変わらない景色が目に入ってきた。
「っ、クロコダイル! ああよかった、目が覚めたんだな。起きるのが遅かったから心配したぜ……!」
心の底から嬉しいという顔でこちらを覗き込んでなにやら話しかけてくる男を無視し、部屋の中に目線をずらした。本当に、いつもと何も変わらない。
「それにしても、フフ……お前にまだ世界転覆を目論むような元気があって安心したぞ。流石はサー・クロコダイルと言ったところか? 止めちまって悪かったなァ、でもほら、現実も大切だろ?」
裏返りそうな声と引き攣った笑顔が煩わしい。一向に霧の晴れない頭も、指先ひとつ動かすのすら億劫な体も、なにもかもが嫌になって目を閉じた。
「あ、言い忘れててごめんな、クロコダイル!
おはよう。……おかえり、帰ってきてくれて嬉しいよ」
あぁ、まったく。夢なんて見るもんじゃない。