夜明け

夜明け


新たな一城の主、一国の長となったワノ国の将軍、光月モモの助。

彼は今、誰もいない真夜中の城内を1人、あても無く彷徨っている。


(眠れぬ…)


ただそれだけの理由だった。

思い切り昼寝ができるのもあと少し。将軍としての多忙な日々はすぐそこまで迫っている。

そう思えば、ついつい昼間に眠り過ぎ、夜眠れなくなるのもご愛嬌というものだ。


「…………」


昼間は海賊達のお祭り騒ぎで賑やかな城内も、今は静寂に包まれている。

まるで別の世界に迷い込んだかのようだ。不思議な気持ちがモモの助の中に芽生えたその時。


……♪〜〜……


「……ん?」


ふと、静寂の中に小さな音が割り込んだ。決して耳障りではない、むしろ心地のいい音色であった。

ブルックがよく奏でていた洋楽器だろうか。音のする方へモモの助は足を進める。

やがて一つの部屋の前に辿り着いた。恐る恐る扉を開ける。


「……ホネ吉か?」


正直なところ、あのビジュアルと心の準備無しで夜中に出会うのは勘弁願いたいところ。モモの助は一つ深呼吸をしてから問いかけるが……


「……あ、起こしちゃった?」


帰ってきたのは、少女の声。

麦わらの一味のもう1人の音楽家、ウタのものだった。



「ウタ?」


ある種の拍子抜けを食らったモモの助は少し間の抜けた声で返事を返す。

そして少しの間の後、ウタの問いかけに答えていないことに気がついた。


「……あ、いや。すまぬ、目が覚めたのはお主のせいではない。少し昼寝をし過ぎてな…」

「なんだ、それで眠れなかったんだね」


ウタが手にしていたのはバイオリン。

ブルックが最も得意としている楽器の1つだが、彼のものとは少し違う。どうやらウタ本人の私有物のようだ。


「ウタは楽器も嗜むのだな?」

「へへ、上手いもんでしょ?と言っても、まだまだ教わり始めたばっかりなんだけどね」

「習い始めて間も無くでその腕前とは、大したものでござる。教え手はホネ吉か?」

「そうだよ。いろんな楽器弾けるし、教えるのも上手いし。ブルックって凄いよね」


仲間の自慢を誇らしげにしながら、無邪気に笑うウタ。

モモの助はその笑顔に、ほんの少しではあるが、自らと同じ【年齢との不一致】を感じ取っていた。


「……もう少し、聞かせてもらえぬか?」

「うん、いいよ。リクエストとかは聞けないけどね」


歌姫のもう一つの顔。言われてみれば少し辿々しさが残る演奏に耳を傾ける。

気づけば夜も更け、夜明けが少しずつ近づいていた。


──────


「……はい、これでお終い。今弾けるのはこのぐらいかなぁ」

「天晴れでござる。拙者楽器の方はどれもこれもからっきしで、羨ましいでござるなぁ」


パチパチと、他の者達を起こさない程度の拍手を送る。

世界の歌姫によるたった一人のためのコンサート。何とも贅沢なものだ。


「もー、そんなに褒められたら照れちゃうよ。モモの助くんもブルックに教わればきっとできるよ」

「うむ…楽器もいいが、拙者はまず剣を教えてもらわねば」

「剣?」


ウタは一瞬きょとんとした顔を見せるが、すぐに納得した表情を見せる。


「あ、そっか。モモの助くんはもう将軍だもんね、強くならなきゃだね」

「うむ。それにワノ国一の武士となることも皆と約束した故。

…ゾロとホネ吉なら、どちらが教えるのが上手いだろうか?」

「あー…どうだろ。そもそもゾロに教わったら変な型とかついちゃいそうだけど…」

「む、それも一理あるな…」


ゾロが起きていたらくしゃみをしていそうな会話である。

噂をされる理由はあっても、当人に心当たりはないだろうが。


「やっぱり、錦えもんさん達侍に教えてもらった方がいいんじゃない?」

「拙者もそのような気がしてきた…いやはや、贅沢な悩みだったな。すぐ近くにあんなに優れた侍達がいるというのに」

「ね、あんなに凄い人達がいるんだもん。きっとモモの助くんもすぐに立派な侍になれるよ。


……あんなに、凄い…………」



ふと、今まで見せていたウタの笑顔が少し歪む。


「……ウタ?」

「…………」


「おい、どうし……」

「……凄いのはモモの助くんもだよ」


「拙者が……?」

「うん、凄い。一番凄い。

私さ、ちょっと前までモモの助くんと自分のこと、ちょっと似てるなーって思ってたんだ」


バイオリンを置き、膝を抱えながら続けるウタ。

その姿はどこか、拗ねている子供のようにも見えた。


「長さに違いはあるけど、君も私も、子供から大人になる間の期間が『無かった』から。

色々すっ飛ばして、中身が子供のまま大人になったモモの助くんに、勝手に親近感感じてたんだ。

私も、色々あったから……さ」

「…………」


ぎゅう…と、拳を握り締める音が聞こえた気がした。

気づけば、先ほどまでウタが見せていた笑顔は既に消えている。


「……だけど、そう思ってたのは私だけだったみたい。

モモの助くんは自分から大人になる道を選んだんだよね。どうしようもなかった私とは違って……

……凄いよ、ホントに凄い。そんな覚悟の強い人、私見たことない。……殆ど」

「…………」


「……何で私がまだ起きてたか分かる?」

「え……?」



「人形だった間は、眠る必要がなかった……ううん、眠れなかったんだ。

だからチョッパー達に手伝ってもらって、ちゃんと眠れるようにリハビリはしてるんだけど…


まだ時々、本当に時々なんだけど……怖くなるんだ。寝て起きたら全部夢で、誰も私のこと覚えてない、人形のままでしたーって…なってたらどうしようって……」

「ウタ……」


「……この話、ルフィ達には内緒にしてね。

多分もう気づいてると思うけど……改めて言ったらみんな、きっとまた私のこと心配しちゃうから……ッ」


震える声。震える身体。

その目から一筋の雫が既に溢れていたことに、彼女は自分で気づいていただろうか。


「……変だよね。私を人形にした能力者も、みんなに手伝ってもらって、私の手で倒したっていうのに……

……変だよね……ッ、もうオモチャじゃないのに……ルフィにずーっとひっついて、ひっついてェ……ぇう……

もう人間なのに……迷惑ばっかりかけてぇ……うう、うゔゔ……」


溢れる涙も慟哭も、隠すつもりは無いらしい。

少し唐突にも思えるほどの決壊。それほどまでに彼女は今、不安定なのだ。

この震える歌姫に、今の自分がかけられる声はあるのだろうか。

モモの助は思案する。思案する。一国一城の長として、そして友として。


……そして出した答え。



「……ならば、変えればよい」



「……え……?」


変えれば良い。至極単純だが、それ故に最も難しい答え。

だが、この齢8歳の色男。見据えているものは……


「拙者達は、未来を奪う強大な存在と戦い勝利した。

つまり今、拙者達の前にあるのは、自分たちの手で掴み取り、自分たちの手で切り開いて行ける……そんな果てしない未来でござる」

「未来……」


「……過去を振り返り、悔いることは出来ても、過去を変えることは出来ぬ。

どんなに幸せな過去でも、どんなに辛い過去でも、例え過去が『無かった』としても……それを変えることは誰にも出来ぬ。


……だが、未来なら変えられる」

「!」


「こんな言葉を聞いたことがある…仮に未来が見えたとしても、それは確実なものではない。拙者らに平等にあるのは、その見えた未来を変える権利……

せっかく目の前の未来を自分の手で、足で決められる権利を得たと言うのに、後ろばかり向いて道を誤ってしまえば、それこそ一生物の悔いでござる」

「………!!」


はっと顔を上げるウタ。声の主に視線を向けようとして、その真っ直ぐな瞳に射抜かれる。


「拙者はもう決めた。

偉大な侍であり、偉大な父親でもあった男、光月おでんの背を追い続ける。そしていつかは、越えてみせる……!!


今の拙者ではまだまだ足りぬ、とてつもなく大きな目標でござる。


故に拙者には、振り返っている時間も惜しい。まだ未熟な拙者を、将軍だと慕ってくれる者達のためにも……!!」


見据えるものは、未来のみ。

いずれワノ国を背負って立ち、世界にその名を轟かせるであろう、未来の大将軍の姿が確かにそこにはあった。



「……そう言えば、ルフィ達から聞いた。ウタ、お主の父もまた偉大な男なのであろう?かつて父とも共に戦ったとも聞いている……」

「…………」


「だからというわけではないが、お主も父親を……」

「……うん、ゴメン」

「ん?」


ふと、声が上から聞こえる。視線を上げると、ウタがいつの間にか立ち上がっていた。


「ウタ?」

「そっか……そうだよね。過去は変えられない、変えられるのは未来……

はは、なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろ?」


月明かりがウタを照らす。その横顔に、モモの助は思わず息を呑む。

涙の跡は残ったまま。涙そのものもまだ完全には止まっていなかった。

……しかし。


「やっぱり凄いよ、モモの助くんは。これならワノ国も安泰だね」


何が変わったのかは分からない。何も変わっていないのかもしれない。

だが、モモの助が最初に感じた【年齢との不一致】は既に消え去りー


ある種吹っ切れたような、美しく、そして力強いその眼差しから、モモの助は目を離せないでいた。



「あ……」

「……あれ?どうしたの?もしかして見惚れちゃった?」

「あ、いや……すまぬ」

「ふふ、なんで謝るの?変なモモの助くん」


歯を見せて笑うと、まだ先ほどまでの少女の面影が見え隠れする。


「よし、決めた!さっきの曲名!」

「曲名?」

「さっきバイオリンで弾いてた曲。あれ実は私が今作ってる曲なんだ」

「そうだったのか!?」


どおりで聞いたことが無かったはずだ。ブルックのレパートリーに無かったのも頷ける。


「うん。曲名がなかなか決まらなくて、そのせいでイメージもしにくかったんだけど…決めた!



『新未来』!!!」



「新未来……」


「どう?いいでしょ!」

「……うむ、素晴らしい名前だ!これからのお主達に相応しい!」

「私達だけじゃなくて、貴方達にもね!よーし、名前が決まればやる気出てきた!このまま作曲の続きも……

と、その前に……」

「?」


「寝る!!」



一際大きな宣言と共に仰向けに身を投げ出すウタ。

数秒もしないうちに、安らかな寝息が聞こえてきた。


「ええ……?」


あまりの状況の変わりように、困惑することしかできないモモの助。


「畳の上に直で寝たら跡がつくぞ……?

まったく……仕方ない、布団を持ってきてやるか……」


部屋を後にしようとすると、東の空が薄らと明るくなってきていることに気がついた。


「何だ、もうこんな時間か……ついに眠れなかったな」


更けた夜、明らむ空。

巨悪を討ち取り、新たな将軍を迎え、未来へと歩み出すワノ国。

そして、つい先ほどまで眠ることに恐怖していた、今は両手を広げて気持ちよさそうに眠る一人の歌姫。



『夜明け』はもう、すぐそこだ。



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